鳥籠 ②
夕方、有希は瀬名の部屋を訪れる事にした。
なんとなくではあるが、約束したような雰囲気になってしまったし、聞くだけ聞くのもありかとは思っていた。
瀬名の部屋はさほど離れておらず、ドアベルを鳴らして暫くすると扉が開いた。
「よぉ、待ってたぜ。まぁ、入ってくれ」
瀬名の部屋の間取りは自分の部屋とほぼ同じだった。
家財道具も備え付けのものなので、当たり前といえば当たり前だ。
「さて、本題に入る前に聞きたいんだけど、いいかい?」
キョロキョロと部屋を見渡す僕に瀬名が問いかける。
「ん? まぁ良いけど」
「東坂さ、両親の顔、覚えてるか?」
「両親って、父親と母親のこと?」
「そう。わかった。その言葉で理解したわ」
腕を組んで一人納得する瀬名に、少し苛立ちを感じ、その感情を口の端に乗せつつ彼に問う。
「何だよ、一人で納得して。色々説明してくれるんじゃ無いのか?」
「ああ、すまん。えっとな。父親という言葉が出ること自体、珍しいんだよ」
「何を言ってるのかよく分からない」
「そっか、お前の父親はちゃんと教えてくれなかったんだな」
そう一言を添えて、瀬名は僕の目をじっと見つめる。
「いいか? 今の世の中、男は必要とされていない」
衝撃的な一言であった。
「いや、需要が無い事は無いんだ。中には男が好きという変わり者の女性もいるからな」
「変わり者って。でも男は男女の間でしか生まれないわけだろう?」
「そうだ。だが、別に男性がいなくても人工授精で男を産むことは可能なんだ」
「それはそうかもしれないけど、……もしかして」
「気づいただろ? 週に二回の体液採取だよ」
確かに。
僕は顎に手を当てて考え込んだ。
体液採取と言葉を濁しているが、それは精液の採取を意味していた。
「だから、俺は、その精液が横流しされているとみている」
「横流しって……。でも、女性同士のカップルで男性の精子を使って受精したい人が居るとは思えないけど」
「そうか、お前の両親はきちんと愛し合ってたんだな」
「それってどういう?」
「俺には父親はいないんだ」
「……」
「まぁ、そんな顔するな。俺の所は、あれだ。精子バンクから優良な精子を買い取って受精したらしい。一応妹は居るらしいんだが、顔は知らない。生まれて男だと分かった瞬間に施設に預けられたからな。もっとも、中絶されないだけ親には感謝している」
彼の口調から見るとたいした事は無い様に聞こえるのだが、思ったよりも重たい話だった。
「それでだ。精子バンクなんて、そもそも«鳥籠»にしか男が居ないのだから、ここからしか供給されないだろう? ここは体のいい精液牧場のようなものだ」
「……それが本当だとして、昼に話していた三十歳の話とは関係ないだろう?」
「大ありだな」
大きく息を吐いて瀬名が続ける。
「もし、ここが精液牧場だとしたら、精子の質が落ちたら用済みなんだ」
続く言葉に固唾を呑んで待つ。
大体見当は付いている。
「睾丸や陰嚢の老化は三十歳で始まるといわれている。つまり、三十歳までに伴侶を見つけられず、童貞のままであれば、俺らはここで死ぬという事になる」
「まさか」
「そう。俺らが三十歳過ぎても生き残るためには、DNAマッチングに一縷の望みを掛けて、まだ見ぬ恋人を探さなければならないんだよ」
「そんな」
「ただ、DNAマッチングも絶対じゃないからな。半年の仮契約期間がある。それにそもそも精通が発生し、体液採取によって子作りが可能と判断されないと受け付けてすら貰えないからな」
「なんで、そんなに詳しいんだよ」
「言ったろ? 施設に預けられたって。っと、ここから先はちょっとな。察しろ」
つまり、«鳥籠»に囚われている男性を救うべく集まった地下組織が表向き慈善事業と称して育成できない男児を引き取るという事か。
「で、一応言っておくけど、他言無用で頼む」
「……流石にこんなの、他人には話せないよ」
そう言うと、瀬名はニカッと笑い、有希の背中を叩いた。
「思った通りだよ。東坂は良い奴だな」
久しぶりに自分の名字を聞いて、なんだか妙な気分になった。
そういえば、今日の別れ際に言っていたか。
――時々自分の本名言わないと忘れるぜ?
その言葉を頭の中で反芻する。
同姓同名を避けるためのIDといわれていたが、果たして本当にそうなのか? という疑問が噴出する。
同姓同名なんておかしくはないし、年齢も大抵異なるのだから余り気にしすぎな気もする。
本当に瀬名の言うとおり、ここは精子牧場なのだろうか。
そうだとしても、外部とのやりとりを禁じている以上、調べる手段は何もない。
三十歳まで残り十八年。
酷く長く感じられる年数ではあるが、DNAマッチングの年齢までは後五年ほど。
DNAマッチングで引き当てた女性に気に入られるように色々と勉強をしなければならない。
未だピンと来ない話では合ったが、年齢を重ねれば見えてくるものもあるだろう。
しかし、それは、有希が初めて«鳥籠»に来た時の印象と極めて近い話でもあった。