その八
世界は薄暗く、不穏な気配に満ちている。相変わらず、思い出したように、雨もパラパラと降ってくる。
いったん、瞼を閉じたカミは、かなり長い時間、それを開こうとはしなかった。
いやたぶん、小さな影にはそう思われたが、実際には、ほんのわずかな時間だったのだろう。
けれどもこれは、子をいつくしむ親の立場からすれば、あたりまえの心情ではあるまいか。
それでも、ほどなく、その瞼も開かれる。
ひとまず、瞳をこの空間に慣れさせようとするのか、カミは目を、せわしなく瞬いた。
やっと、それも慣れたらしい。カミはふと、思い出したように、その眼差しを足元に向けた。
小さな影がいる。
緊張気味に頬をこわばらせて、カミの回答を待ちわびている小さな影が、いや、人間の男が、そこで息をつめている。
鋭いまっすぐな眼差しが、銃の照準のように、カミをとらえて……。
もしや、それが小賢しいと思ったのか。カミは、改めて、威厳を示すかのように、わざとらしく、大仰に、しわぶきを一つした。
それから、見下ろすように、低い声でいった。
「わしは今、フォースを用いて、霊界をくまなく調べておった。ただ、魂の数が夥しいので、ちょいと手間どったがの。それでも、やっと、探し出した。結果、おまえの……」
だが、そのことばは、途中で、挫折した。
見ると、なにやら鼻の穴がもぞもぞと動いている。
これは、ひょっとしてーー。
間違いない。いいたくないことをいわなくてはならないときの、カミの、いつもの癖だ。
それだけに、今から、カミが口にするのは、あまりこのましい内容ではないらしい。
もっとも、この男の興味はもっぱら、息子の魂の行方にある。だから、彼の視線は今、次のことばを待って、カミの口元に釘付けになっている。
というわけで、彼がそれに気づくことはなかった。
やがて、ようやく、鼻の穴のもぞもぞも止まる。代わりに、カミのその、大きな口がゆっくり動き出した。
「――息子の魂じゃがのう、それは今、駅のホームにおる。それで……」
はあ……。
男は呆気にとられ、カミのことばが完わるか完わらないうちに、素っ頓狂な声をあげた。
「え、駅のホーム?」
無理もない。彼は、カミの口から、てっきり、こういう回答が洩れてくるものだと、自分に都合よく決めつけていたのだから。
それは、「おまえの息子の魂は今、天国で、わが家にいるような安心感を得ておるところじゃ」というふうに……。
にもかかわらず、息子の魂は今、駅のホームにいるという。
彼にすれば、これはあまりにも唐突で、意表を突く事実だった。
駅って、なに⁈
という疑問が、当然湧いてくる。
男は、さっぱり合点がゆかない、というふうに、口あんぐり、目ぱちくり。
がしかしカミは、彼のこの容子になぞ一顧だにしないで、淡々と、ことばをつづける。
「そこでのう、息子の魂は列車がくるのを待っておる」
ーー列車がくるのを待っておる。
男は頭の中で反芻した。
思わず、吹き出しそうになる。
無理もない。
まるで、息子の魂は、これから、どこぞの温泉にでも出かけるような、そんな口ぶりだったからだ。
旅ーー。
ふいに、そんな単語が頭をよぎり、男は口をつぐんで、しばし首をかしげた。
束の間の沈黙。
が、カミは、あくまで創造主の自負に赴くまま、その沈黙を破る。
「まあ、いきなり、こんなことをいわれてものう。なにがなんだか、さっぱりじゃろうて……」
それを聞いた男は、あたりまえでしょう、というふうに、カミをじろりとにらむ。
その気まずさに、一瞬、カミが目を伏せる。
わずかな間のあとで、カミは、ひょいと、首を挙げると、改めて、男をまともに見た。
そうして、自分が今、口にしたことばに対して、補足を加える。
カミがいう。
駅のホームといっても、むろん、人間界のそれではない。
そこは、あの世行きの列車が出る、霊界におけるホームである。
そこで、息子の魂は今、お迎えがくるのを、今か今かと待ちわびている。
と、まあ、だいたい、こんなふうに……。
あ、あの世……そこに行く列車を待って、ホームにいる。
なんだ、あの世に旅立つということかーーそのとき、男はハッとして、ただちに、カミに問いただす。
「そ、そこは、もちろん、て、てんごく……天国でしょうねえ」
ふむ。
カミは、鷹揚に、うなずく。だがーー。
ふたたび、カミはそこで、いい淀んだ。
あれ? またしても、鼻の穴が――。
なんだか嫌な予感。男の表情が、にわかにこわばる。
今度は、どうやら、男も、カミの、いつもの癖に気づいたようだ。
つづく