その五
世界はとても静かだ。
天に目をやれば、低くて、どす黒い不気味な雲がどんどん後ろに流れてゆくのが見える。
これから雨になるらしい。小さな影は湿った空気に雨の匂いを嗅いだ。
ほどなく、今にも泣き出しそうな緊迫感のあった空から、冷たい滴が乾いた砂の大地を叩きはじめた。
なん日ぶりかの恵みの雨。それが、この大地に、まるで乾きに飢えた駱駝が喉を潤すかのように、みるみるうちに吸い込まれていく。
しかもこの雨は、小さな影の胸のうちで烈しく燃え盛っている怒りの焔までも、幾分、鎮めてくれる、ような気がする。
怒りの焔ーーそれは悪しき奴らが起こした理不尽な戦争で、わが子の命を奪われてしまった小さな影の、歯噛みするほど口惜しい情念。
それを、冷たい雨が、幾分、鎮めてくれた。そのおかげで、小さな影の心にほんの少しではあるが余白が生まれた。
そこに、小さな影は、冷たい外気を思いっきり流し込む。それから、吐き出す息に乗せて、デカイ影に、その情念をぶつけた。
「さあ、教えてください。悪しき奴らのせいで非業の死を遂げた者たちに対して、あなたは現在、どのような救いの手をさしのべているのか。それをです……」
「どのような救いの手……じゃと」
「そうです。悪しき奴らを地獄へと突き落としたというのなら、なんの罪のない者たちは、むろん、天国へと導かれているのでしょうね。そうしてそこで幸せに暮らしているのでしょうね。そこのところを、わたしは詳しく知りたいのです」
小さな影はそういうと、いちずなな眼差しを、デカイ影に投げた。
が、大きな影は黙って、冷然として、小さな影を見下すばかり。陰性の光が宿った瞳で……。
妙な空気の沈黙。
時折思い出したように、パラパラと冷たい雨が大地を叩く。
耳に触れるのは、それが立てる音ばかり。
そんな中、小さな影は口を真一文字に結んで、乾いた砂の大地に立ち尽くしている。
デカイ影も軌を一にするように、黙して語らない。
この沈黙は、暫時、つづくらしい。
と思いきや、とうとう、しびれを切らしたか、いきおい小さな影が、毅然とした顔と口調で、いった。
「黙ってないで、さあ、教えてくださいよ」
こんな機会は二度とめぐってこないーーそう小さな影は思うから、自分を鼓舞して、しつこくいい寄るのである。
「ふん」
けれどもデカイ影は、小さな影の想いを軽く、鼻先であしらう。
こうして、あくまでいい淀んでいるところをみると、デカイ影は、どうしても、答えたくないらしい。だがーー。
だとしてものう……。
デカイ影は眉根を寄せて、すぐに考え直す。
このままじゃ、埒が明かぬのう、と。
するとデカイ影は、半ば投げやりな口調で、こういい放った。
「わしは、知らん」
え!
小さな影はきょとんとし、しばらく呆然として口も利けずにいた。
デカイ影もまた、押し黙っている。
いいようのない沈黙。
やがて、小さな影は、かぶりを強く振って、なんとか自分を取り戻した。
こうしてはいられない、という強迫観念に駆られたからだ。
たぶんわたしは、泣き笑いのような、そんな奇妙な顔をしているのだろう……小さな影はそれが自分でもよくわかった。
その表情のまま、彼は、絞り出したような声で、尋ねた。
「い、いま、なんとおっしゃられたのですか?」
つづく