写梵玉 -シャボンダマ-
いえいえ、違うんですよ。
久しぶりにね、孫が来たんですよ。ええ、ウチに。
それで、是非に、とせがむものですから、老体にムチ打って買ってきた次第です。
ええ、ええ、楽しい時間でした。
孫の楽しそうな顔といったら。
もう本当に、生きててよかったなぁ、と。
それで、ワシも吹いてみたんですよ。久しぶりでした、実に。
ぷーっ、といい感じに膨らみました。
そしたらですよ、私の体が吸い込まれるような感じがしてですね。ええ、口の所から。
そのまま体全体が吸い込まれる気がしました。慌てて口を離そうとしたんですが、うまくいかんのですなぁコレが。
慌てている内に、ついに体も動かなくなって、気付いたら、ワシは空から庭を見渡しとったんです。
ええ、ついにワシも死んでしもうたか、と思いました。
でも何か違うんですなぁ。何が、と説明するのは難しいんですが、何か違うと思ったんですよ。
それでふと見たら、ワシが縁側で腰掛けて、何事もなかったかのように、次の玉を作ってる訳ですよ。
なんじゃこりゃと思っておったら、ワシの体はどんどん空へと引かれていくんです。
孫が、私の方を見て、やたらとはしゃいでおると思ったら、こっちに走って来たんです。
真上から見下ろせる位置に来ると孫は、おっきーい、ていいながらきゃっきゃとはしゃぐんです。
その時ハッと気付いたんですな、自分が球になっておる事に。
ええ、それはもうハッと。
閃いたんですな。そこでもし気付かなかったらと思うと、今でも怖いですよ。
そうです。そのままワシは消えてしまっておったかもしれません。
どうなるか分からないというのは怖いですなぁ。
きっと仏様が情けをかけて下さったんでしょう。
とにかく、気付けたんですワシは。
これはいかんと思ったワシは、必死に下へ行こうとしました。
いえ、下に行ってどうするとかは考えてませんでした。
ただ、上に行くのはまずい気がしたんですなぁ。
ですが軽い体の事、心なし上がるのが遅くなったくらいで、全然下には進めません。
あがけどあがけど、徐々に体は上へと引きずられていくのです。
不思議と怖くはありませんでした。
怖くないというよりもですね、考えるのがだんだんめんどくさくなってきたんです。
体がダルくなって来て、頭も痺れて来たんです。
ええ、今考えると本当に恐ろしいんですが、その時は、何だか気持ちよさが勝っておりました。
ワシの命運もここまでか、と認めかけた時に―――
え?ええ、そうです。諦めるというよりは、認めるというような感情でした。
認めかけた時に、息子の声が聞こえたんです。
行くな、と。
ええ、よく分かりません。
どういう理屈で聞こえたのか。
息子はその時、仕事で大阪に居た筈ですから、多分幻聴だったのでしょう。
その声を聞いた瞬間、今まで死ぬ事を諦めていた心が奮い立ったんです。
まだ死ぬ訳にはいかない、と。
息子にもう一度会いたい、と。
気力を振り絞って、下へと行きました。
ええ、さっきはビクともしませんでしたが、今度は少しずつ下へと下っていけました。
精神力の問題なんですかね?よく分かりません。
ええ、それで、何とかワシの目の前までくると、ワシは驚愕の表情を浮かべました。
ええ、縁側に座っていたワシの方です。
それで縁側のワシが逃げ出したんです。
とにかくワシに追いつかなくては、と思ったんですが、もう限界でした。
球の方のワシの意識は、今度こそ薄れていきました。
その時です、その日は風なんか少しも吹いてなかったのに、急にもの凄い風が吹いたんですな。
ええ、まさに神風です。
多分息子が助けてくれたんです。
ええ、ワシがそう思いたいだけなんですが。
いや、恥ずかしい。
その風に押される内に、いつの間にかワシは気を失っておりました。
次に目が覚めた時には、何事もなかったように、ワシは縁側に座っておりました。
夢かとも思ったんですが、あの吹く所、何ていいましたかな?
まぁ名前は思い出せんのですが、あの緑の吹く奴が壊れておったんです。
いえ、バラバラにとか、二つに折れてたとかではなく、全体に、ヒビが入っておりました。
え?いえ、もう捨てましたよ、気持ち悪いですし。
ええ、はあ、あんなものが欲しいと。
つくづく変わっておりますなぁ、貴方も。
裏のゴミ捨て場に、探せばまだきっとあるでしょう。
ええ、ええ、構いません。
ワシには必要の無いものです。むしろ持っていってくれるなら有り難い。
ええ、では。
すみませんな、こんなじじいの話に付き合っていただいて。
はあ?買った場所………ですか。
そういえば言うのを忘れとりました。
村まで買いに行こうと思ってたんですが、途中に露天商がありまして、ちょうどいいと思いましての。
ええ、ええ、こちらこそ、楽しかったです。
久しぶりに若いもんとこんなに話しましたよ。
ええ、では。
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○年5月。
G県廃村後バス停にて。
霊斗【れいと】記す。