三桝隆一 著 [手枷]
夏に始まったその
物語の
顛末
三十五歳のわたしが立っている通りにある戦後慰霊碑は、今も夜の街の喧騒の中、
息ずいている
喧騒は通りを渡っても続く
公園の一角に慰霊碑はある
あいつは死んだんだ
路上に流れる噂はヒトの生き死にまで、言いたがる
もう、戦争はないんだ
そんなことを死にながらにしてうそぶく
大人になったのだ
それは、あたかも終わらない戦後に、安心しているかのように、ベットに横たわる
一人の人間の人格が完成していく平成の終わりに
なんら普遍性を持たない 自己を正当化する我儘が許される時代の一員として
認められた自分に対する説教じみた責任を生きる記録である
月曜日の正午零時、いつものようにキッチンへと入る。
この店は和食料理店であるにもかかわらず、厨房のことをキッチンと呼ぶ。
それは、学生アルバイトやフリーターをも採用して、教育しながら、料理のこと、
お酒のこと、テーブルマナーなどを学んでほしい、という職人気質な形式ばらない
コミュニケーションの風通しのいい職場を目指しているからであろう。
今日も料理長は昆布に濡れガーゼを滑らし、アミノ酸を出している。
(これ)
(なんですか?)
(美術館のチケット)
(ありがとうございます。どうしたんですか?これ)
(昨日、美術館の学芸員さんが来て、置いていったの。
棚田さん、好きって聞いたから、こういうの)
魚を捌くのに取り掛かる。日曜でも、タイ・シマアジ・ヒラメ・サバ・水イカ・ホタテ・
サザエは捌かないといけない。七種盛二キ切れゴト・1680円は魚の状態が一線をし入れる、この職場に置いては、慎重を要する場面なのだが、調理師学校の給食配給センターに納品する大量の魚のおろし作業で、魚には慣れている。
(出汁を引いた昆布って、サザエの肝とパテにすると美味しいんですかね?)
(棚田さん、賄いで出す気ある?)
(まあ、正直あんまないんですけどね。面倒ですし)
(まあ、お客さんに出すようなもんじゃないよ。
素材の始末は基本は従業員でやらないと)
(そういうもんなんですかね。
神取さん、それじゃあ、なんで煮凝りがあるんですか?)
(あれは基本、鮨屋の前菜だよ)
(なるほど)
(棚田さん、今日キャベツどうだった?)
(結構、薄かったんで、女性に勧めてください)
(昨日のは?)
(昨日のは、売り切りました)
途切れず続く午後二十二時までのオーダーは見事に、この町の喧騒の中に在る
鎮魂歌のない夜は、消えた光の中で落ちていったゴミたちが騒ぎ出す
(おはようございます)
(おはようございます)
(昨日の売り上げ四十八万でした)
(六月にしては、かなりいいよね)
(お客さんの顔を見ると、三月四月の歓送迎会のリピートかな?
と、感じてて)
(案外、アラカルト食べてみたいお客さんいるんだね)
(三月四月なんですけど、割と席効率よりも、アラカルトのお客さんの食事を
コースの方達が、目に入りやすいような席案内をしてたんですよ。
発想は、本部からの指示だったんですけど、意外におもしろいもんだなって)
(あっ、おしぼりは自分で上げてね)
(まだ、言うんですか?)
(棚田さんの、半年の呪いだよ)
(池田さん、女でもおごりひさしからず…)
(店長にも、会社に推薦してくれてるのに、お前はほんとに、本質的な
優しさの分からない女だね)
(気持ちなんですよ、全ては…)
(池田さん、今日は昨日のアジ、ホタテで)
目が覚めた
時計を見ると午前十一時
下半身にうごめくほどの性欲を感じる
今日は行くか
そう、頭のなかで思いながら、朝食を済ませるために居間に出る。
父親が朝から居間で、マイルス・デイビスのワ―キンを鳴らしている。
梅雨入り前、風が窓から吹く朝のマイルス・デイビスのトランペットは
食慾が進む。
日々の苦労が性欲につながるのか?
まあ、そんなことは考えず、うごめく性欲とは、今日はおさらばだ。
部屋に戻り、携帯電話で、ラッキービーンズ・広島 と打ち込み、
今日の出勤嬢を確認する。
基本、風俗の嬢選びは、店舗のボーイに任せるのだが、一応、
チェックはするのだ。風呂に入りに行くようなもんだが、その前に
家で風呂に入る。
マナーは守るのだ。
爪を確認する。
いいだろう。
軽装で飛び出し歩く
二十一歳の冬、風俗店へ初めて行った。風俗案内所で店舗を指名し
案内員に連れられ、店舗に入った。五分程して、手の冷え切った嬢が
現れ、身体を洗い、ほどなく「、事が始まり終わると、嬢は笑顔を見せた。
あれから、十四年、たまに、風俗に赴く。
風俗嬢は一様に明るい人が多い。商売柄のおべっかかもしれないが、
肉体の欲求に素直であることが、要因なのかもしれないとは、思ったりする。
ある相手をしてもらった風俗嬢は、ことが終わったあとに、お喋りをしながら
最近のストーカー事件、怖くないですか?
と、話した。
僕は、ストーカーの目的の一つに、その、プライベートな女性に対する
精神的・肉体的欲求があるのではないかと、冷静に思ってしまい、嬢に言葉をオブラードに包み込んで、そのことを伝えると、びっくりした様子で、 まあ、世間に言える仕事じゃないよね、と、笑顔の隙間に、どこか影を落としながら、笑っていた。
この、風俗街に慣れ親しむのに、五年かかった。
仕事柄、平日が休みなので、気ままに朝の風俗街を歩く。
そこは、戦後、広島電鉄の停留所があった付近で、原子爆弾投下後、
闇市が栄えた、というのを、広島市が出している広島の戦後史の本で
読んだことがある。
風俗もそこそこに、探検が楽しくて、くまなく歩いていくにつれ
角の先に角、その二本の平行な通りに、角を九十度回転させた角が走り
もう一本の通りに通じる道が存在していて、更に通りに面してビルの奥が深い。
これは、戦後闇市の商売に対するGHQの取り締まりからの逃げ場を作っていた
のだろう、と街の雰囲気から感じていた。
原子爆弾は、一発の爆風だったため、道と鉄道は残った。
料理人としてカウンターに立っている時の視点では、お年寄りたちは何やら楽しそうだ。
カウンターで、戦争の話をするのは、失礼すぎる気がして、したことはないが、この、お年寄りたちの過去には、いったい、どれだけの戦争に対する憎悪が有るのかは、その姿からは分からない。
そう、わからずじまいに、個人の生活に根差した出来事の流布は先送りにされている。
しかし、あの風俗街の通りの雰囲気は、地域の中で戦後を物語っているのだ。
私の肉体的資本は、今の時代、当たり前に自分の為にある。
風俗街に籍を置く女たちもまた同様に、自分の為に肉体的資本を使っている。
(棚田さん、本部からの要求で、今日棚卸ししてほしいそうなんですが?)
(いやぁ、食材管理の数値でしょ?
今、なるべく食材を切らさないようにしてるからなんですけど)
(そういうことじゃなくて、棚卸しが必要らしいんですけど)
(理由は?)
(命令なんですけど?)
(いい加減、物事の本質をみてくれない?)
(良く解りませんが…。バイトの子たちにも言っておくので、宜しくお願いします)
いい加減、腹立たしい。食材のストックを写真にでも撮って、メールに添付して
送ればいい。
せっかくの、有意義な気分の日曜の営業が台無しだ。
(神取さん、コースは四名と七名、計十一名です)
この、底意地の悪い女にも人生はあるのだが、風俗嬢の献身的な態度とは似ても似つかない。なのに、給料はこいつの方が、多い。
あなたは、お客さんじゃないのよ、とでも言いたいのだろうか。 俺はおまえのこま使いじゃない。
どうでもいい女なのだ。
世渡りと、創りあげたイメージを駆使して、会社にはこの女を店長にしようという動きまで作り上げている。会社がいうなら、したがう気だが
そんな、億弱な私が悪いとでもいうのか?
女と云うモノが、時折分からなくなる
お客さんのためを思い続け、
違う店舗にまで営業中、食材を取りに行く。
そこまでする理由は、どこにあるのか?
あの食材は、取ってきて、というのに、他方では今日捨てられていく食材もある
この事実は、
そこはかとなく私を虚無感のベールに包む。会社も食材管理の方針がある。それを、全て料理人に押し付けるのだ。
店長を目指す池田は、日夜、店舗の状況を本部とやり取りし、改善点の話しばかりしている。
本部の管理するシステムに、食材や高熱費・水道代、家賃売上管理などを任せ
自分は、帳簿もつけず、ただ、闇雲に思い浮かぶ改善点を指摘している。
二十五歳というのは、ここまで幼いのか。大学を卒業して、入社した池田は、
多店舗のカフェで、ミスを指摘されると、よく泣きそうになっていたらしい。
大人ではない。
自分を客観視する能力が低いとしか言いようがない。
十八歳の風俗嬢は明るく体を差し出す。その、明るくふるまえるという、意味なのだ。
この女には、欺瞞という名の血が流れているのだろうか?
(棚田さん、ハーゲンダッツ買ってきますけど、いります? おごりますよ、日頃のお礼に)
ますます、女の口にすることの忌が分からなかったりする。もういい。
早く、お通しを盛って、休憩しよう。
(棚田さん、ありがとう)
エレベーターボタンを押して、バーテンダーとの刹那の別れ際、にならないように
作り笑顔で、エレベーターのドアを閉める。その作り笑顔のせいで、いつも一階のボタンランプを押し忘れる自分に、一日の疲れと、終わりを感じる。
家に帰る。夕食の残りを、母が食卓に残しておいてくれるのだが、酒の後はつい、腹が寂しくて、健康のことを考えず、食べてしまう。
午前二時を回る頃、ぬるくなったお湯を追い炊きにしておいて、部屋の冷房を付ける。
いつも、職場にはカバンを持っていく。何も入っていない肩掛けカバンなのだが、通勤する正午、街の中心部で平日にカバンを持っていないのは、どこか社会から阻害されているようで、別段、恥じる生活でもないのだが、カバンは社会への免罪符のつもりで持っている。
久しぶりに、東京から帰省した親友に、昼のワイドショー、最近始まったやつ結構おもしろいよ。
と、普通に問いかけたら、安いコーヒーショップで昼のワイドショーの話題をこの歳でしてると、社会負適合者だと思われるよ、と冷たく言われ、自分の職業を呪いたくなることもあった。
カバンの中にしまっていた手ぬぐいを出すついでに、溜まった煙草のリボンカスと、路上で受け取てしまったチラシを捨てようと、カバンをまさぐりながら、そういえば、
【記憶という記録の連続性】という、
戦前・戦後の広島の風景を写した写真展の
チケットをもらっていたんだ、と想い出し、カバンをまさぐりながら、見事にカバンの内ポケットから出てきて、休みを利用して行くつもりになった。
最近は、ヘタな映画より美術館に凝っているのだ。あそこには、何かある。
そういう思いの中のチケットだったので、少し嬉しくなって、台所で食べ終えた
夕食の食器を洗いながら、心の中で今日の夕食の命に、ありがとう、とつぶやいた。
梅雨特有の厚さはあるが、着いてベンチで煙草を一服していると、案外、湿気はないな、
と思える。をれでも、首筋からジトっと汗は出て、美術館に向かって歩きながら道の
途中、手ぬぐいを忘れたことに気付くが、美術館のトイレットペーパーに頼ることにした。
美術館は森を切り開いたその中腹に鎮座する形で作られていて、トイレに入り、用を足して手を洗う。
一度、美術館に来た時に、ベンキの近くに出たムカデに恐怖したことがあり、今回も恐る恐る大ベンキトイレのドアを開け、トイレットペーパーをたくし回し、汗を拭きとる。
惨めさより、体力や融通を優先させているのは、一人だと情けなくも思わない点だ。
受付に向かって歩きながら、受付嬢の召し物が変わったなと思い、料金を払いながら
(お召し物変わって、ステキですね)
と、おべんちゃらを使う冗談をして見せると、営業スマイルが返ってくる。
戦火の写真を見るには、不謹慎すぎる態度だが、いつも時間の区切りなく入ってくる
料理のオーダーをこなしていると、一瞬で物事に反応できる自分がいたりするのだ。
戦火の写真の連続性、それは写真だからこそ残る記録を記憶させる
作業に他ならなかった。
(チャオ、チャオ)
午前0時30分にいつもの如く到着し、バドワイザーを注文する。
(はい)
(今日、カープ勝った?)
(7体3で勝ったみたいですよ)
(わりと、長子いいね、カープ。あれ? 今日野村が先発?)
(野村みたいですね。7回2失点みたいです。)
そこはかとなく、BARの会話は、野球か天気の話しからがいい。
これは、自分の美学だったりする。
(棚田さん、これ)
(おっ、カクテル競技会のチラシ?)
(リーガなんですよ)
(ついに、、初めて晴れ舞台が拝めるね)
(気持ち悪い…)
(お父さんの気持ちなんでね。だいたいバーテンダー協会の格式がありながら、
19歳の小娘を競技会に出すってところが、気合入ってていいよね。)
(それは、わたしも不思議です)
(大学でアルハラだのなんだのいうのに、ホテルでやるカクテル競技会なんて、
一番社会性が問われる場面なのに)
(まあ、バーテンはヒト殺しですからね)
(それは、そうだけどね)
(そういえば、棚田さん前に言ってた美術館のあれ、展示か、行ったんですか?)
(行ったよ。どしたの?興味あんの?)
(いやー、興味はないことはないんですけど、あの、一応、話題作り)
(すまんすまん。それなら、鬼のように喋ってみようか)
(昨日の夜の賄い、チゲ鍋にしたんだって?)
(サンプルの残りで、やったんですよ。割と喜んでもらえました)
(今日のから揚げ美味しいね。)
(まあ、いつもの如く、廃棄なんですけど)
(あれ、美術館、行ったの?)
(チケットありがとうございました。行きました)
(あんまり、気持ちで根詰めないほうがいいよ、特に料理は)
(それは感じ始めてて、わりとお客さんとの話題作りに、今度チケットの写真展の
学芸員講演会があるみたいなんで、それにも行こうと思ってるんです)
(それそれ、料理以外じゃないと。
うちは食器とか値段が高くないから、なんかないとね )
死にたかったのだ。
調理師学校一年の残暑、クーラーの付いた部屋でニュースから流れてきたのは、
アメリカの金融機関ビルに突っ込んでいき、激破した旅客機の映像だった。
ビルは炎を上げ、機体は地に落ちていく。
その時に沸いた私の感情は、資本主義の呪いがもたらす利便性・均一性に対する
複雑な感情であった。
権力への反抗
そんな自分でありたいと幼すぎる知性で思いながら、営業職のような、何が人生の
財産になるのかも分からない世界より、まずは、どこででも実力一つで勝負できる
料理の世界、という、腎性の選択をした。
今考えると、浅い業界知識で、腎性の選択をしたものだとも思うが、当時は、人生のことなんて、どうでもよかったのだ。
料理人になって、時間が出来たとき、あの貿易センタービルテロでの、私の複雑な感情の答えが知りたくなった。思えば、業
イスラエル圏のことを調べてみた。
それは、第二次世界大戦、国際連合がイスラム教の聖地イスラムの一部をユダヤ人に与えたことから始まる。
それは、ユダヤ人であったアブラハムの息子・イサクと、
アブラハムの妻・サラの所有していたエジプト人女奴隷・ハガルが、アブラハムとの
間に子をもうけ、イシュマルと名付ける。
これは、イサクとイシュマルの腹違いの子というものと、信仰が関わったいざこざなのだ。
この二人の関係の悪化が、現在のイスラエルに住んでいた、アラブ人の信仰に火をつけ
ユダヤ人とイスラム教との断絶・戦争を生んでいた。
私は、イスラム教の信仰に対して、何か強い思いは湧かなかったが、契機を生んだ
国際連合、とりわけ、当時のアメリカ合衆国の国際連合の立ち位置を踏まえるにつけ
アメリカ国民のイスラム教振興における地政学的なスケープゴートを
イスラエルに作っただけではないか?
綿足の複雑な感情の直感は、権力への反抗という事実に対する肉体的反応
だったのかもしれないと、当時思った
(棚田さん、死んだんだって。っていう噂を流してほしいんだけど)
(えっ、酔っぱらってるんですか?)
(いや、ほんとに)
(お尋ねしますが、何かの社会実験ですか?それとも、特定したい人物がいるとか?)
(いや、その、昔…死にたかったのよ)
(こわい、こわい、こわい…)
(早見は学校楽しかった?)
(それって、もしかして、いじめ…ですか?)
(いや、勉強がひとつも楽しくなっかったのよ。なまじっか神学校で授業難しくて)
(いや、それなら私も、勉強は楽しくなかったですよ)
(オレの場合なんだけど、整然と並べられた机、とかさ、広い黒板とかを見てると
嫌気がさしてたのよ)
(いやあ、それはよく分かんないんですけど)
(一番決定打だったのは、修学旅行でさ。北海道でスキー合宿だったんだけど、なんか移動で使う広島空港と北海道の千歳空港が、一緒でさ)
(一緒?)
(空港の作り方とか、外観とかが。それに、北海道には広島にある店もあるし、
空港からの風景を見たときに、どこも一緒だな、って思ったのよ)
(何の話をしてるんですか?)
(一緒ってことを言いたいのよ。整然と並べられた机とか、広い黒板の姿と、
空港の外観っていうか、そこから見える景色が一緒ってのはさ、便利とか、均一性とか
統一性を出すってのは、個性をなくして、合理的にしましょうって話じゃない)
(言われてみれば、そうですけど)
(それって、資本主義の歪んだ側面なんじゃないかな、って思うのよ。
貿易センタービルテロって、権力への反抗なわけよ)
(何の話でしたっけ?)
(いや、その、あれだよ)
(なんか、違う話でしたよね?)
(あれだ、思い出した。死んだって噂流してほしいっていう話)
(どうつながるんですか?気狂い染みてますよ)
(だから、そういう均一化された社会に絶望して、死にたかったのよ。
でも、話してるとアホらしくなってくるね。)
(いやいや、どっちなんですか?)
(流してよ、噂。まだ、分かんないんだよね、オレ)
(この写真、平和公園の川の測地の道の一画にソトオバが建てられ、朝鮮人の原爆慰霊としたのですが、慰霊碑の公園敷地内には入れてもらえませんでした。それは、いまだ根強い差別意識の根幹に至る、日韓併合条約に端を発します。)
残暑、厳しい中、珍しく自分で休みを作り、講演会に訪れたのだ。
(1910年、日韓併合条約により、日本に植民地支配される朝鮮半島。
外地である朝鮮半島では、大日本帝国の国策会社・東洋拓殖会社が朝鮮半島の土地
を朝鮮人から奪い、朝鮮人は内地である日本に出稼ぎに行くようになります。
九州の炭鉱などがいい例です。
さらに、戦争が激しくなるに連れ、植民地支配の下、朝鮮民族を否定された朝鮮人は
【帝国臣民】というくくりの扱いを受け、徴兵や強制連行を受けました。
1945年、第二次世界大戦末期には、のべ200万人の朝鮮人が内地・日本に
いた、と言われています。)
(それって、大日本帝国の【帝国臣民】だったから、戦後処理の平和公園の敷地内に
入れるわけにはいかない、ということなんですか?)
(まあ、大きい声では言えませんが、おそらく、そういう事だと想います)
ここでも、権力による歴史性への介入なのか?
愕然とした。これだけ不当な差別は、ナショナリズムという国民性の違いによる噂が巻き起こす差別とばかり思っていた。これは、朝鮮人民にとっては不当な侵略の上、植民地支配における引き裂かれたナショナリズムの上で戦争を強いられ、
戦争が終わると、何の保証もない、ただの使い捨て要因として使われているだけではないか?
社会というのは何なのか?普通、ヒトを成り立たせるバランスの為にないといけない
ものではないのか?戦争は、一時期、多いものであった。何のメリットがあるのだ。
(一つ目にトピック、朝鮮半島と広島は以上です。休憩を挟んで、二部、中国と広島
に入らさせていただきます。15分後からスタートさせていただきますので、
よろしくお願い致します。)
中国と広島というトピックは、1894年日清戦争を契機に、
日本の西の出兵地であった広島兵屯基地を中心に軍事を展開していた。
その、戦争の重要性から、天皇陛下が広島に、広島大本営を作り、
そこを拠点としたようだった。
日清戦争は、明治日本からの西洋式国家基盤形成と、
広州うを中心とした中国の清が採用していた西洋式国家基盤形成のずれが
東アジア外交における摩擦を生み、東アジアのルール作りをどのようにしていくか?
というものであった。
当時の明治天皇陛下が、広島に大本営まで移し、戦争をした意味は何だったのか?
ふと、母方の祖父の家系が頭をよぎった。
祖父は長崎で生まれ、日清講和条約を契機に曽祖父に連れられ、中国へと渡る。
それは、祖父の家系が、造船の設計を営む家系だったことに、外ならない。
それは、軍事武器にも通じる。
日清戦争は、日清講和条約により、両国の利益につながったのではないか?
頭をもたげた。
戦争って、何なんだ?
戦争は絶対悪じゃなかったのか?
戦争は両国間に利益をもたらしたり、人種の移動による時代の進歩に貢献している
側面もあるのか?
よく、分からなくなった。
社会って何なんだ。
ヒトの権利って何なんだ?
戦争と言葉のイメージの事実が、その空虚さに拍車をかけた。
そして、噂は広まった様子だった。
私は死んだ。
最近は飽きが近づくせいか、雨が増えた。
小雨がアスファルトに、霧をかけていたある日、店を訪れた老人に
こんなことを言われた。
(俺は特攻志願兵だったんだ)
祖父に次いで、二人目だった。
第二次世界大戦末期、海軍飛行予科練習生として育てられた、朝鮮人・
台湾人・日本人は1944年、海軍特別志願兵制度で海軍に入隊し、戦火の
特攻隊員として命を懸け武器になった。
祖父やこの老人が何故生き残ったのか?
この老人には、こんなところで、と聞けなかったが祖父の話しによると、航空機で特攻地へ向かいながら、白旗を上げていたそうだ。そして、そのまま着陸し、特攻地の村人に敵意がないことを武器を渡して伝え、特攻地で、
そこの民族にお世話になったという。
祖父は一度、幼少期に中国に渡っている。
その場所へ大陸づたいに赴き、戦意がないことを伝えると、歓迎されたそうだ。
このように、特攻志願兵の現実というのは、朝鮮人・台湾人にとっては、
徴兵された理不尽さの中、唯一の大陸に渡るチャンスだったのかもしれないことを想うと、戦火の中、大日本帝国の教育によって、洗脳された国民、という
メディアから流れてくる戦争と云うビジュアルがステレオタイプなもので戦争の現実という意識が大きくゆがむものでもある。
老人は続けた。
(噂を流したのは、君、本人か?)
はい、と答えるしかなかった。
(棚田さんのこと、知ってるんだよ、わたし)
(えっ?)
(南区の豆腐屋さんの家系じゃろ?そんな人達に死にたいとか言うてほしいない。
恩人たちに其れを言われるのは辛い)
(7どういうことですか?)
老人は、原子爆弾投下と広島について語り始めた。
(噂はあったんだよ。アメリカが新型の新しい兵器を作ったという。
広島には呉がある。
日清戦争の名残りで、西の兵屯基地でもある。もしかしたら、新型兵器は
広島に来るかもしれない。
だいたい、危険を感じた人は、皆、県北や三次・三原に疎開していたんだよ。
その中で、沖縄戦が激化し始めていて、陸上戦争でアメリカの方が強かった。
日本は負けるかもしれない。そんな噂が流れ始めたんだよ。
そして、8月6日、その日は軍事警報のレベルが違った。
B¦29、大型戦闘機が来る。
直感で、比治山の防空壕に、逃げた。
わたしは、病気がちで、徴兵はされていなかったのだよ。
8時15分、凄まじい爆音が響いたのだよ。
防空壕で一時間待った。
いつもなら、爆音の後に、遅れて防空壕に入ってくるものもいる。
でも、その時は、それが無かった。
もう、外に出るのが怖すぎた)
(一面焼け野原、じゃったよ。歩いてみると、中心部に人の影はなかったよ。
あるのは、死体だけだった。
悲惨になっていったのは、一日を過ぎてから、だったよ。
生き残った代わりに、ケガをしているもの、ケロイドで皮膚が変形しているもの
服と皮膚が一帯となったいるもの、悲惨だった。
その時、中心部から北西部、そのあたりで降った、黒い雨の話をする者がいた。
あれを飲むと危ないらしい。
その時に、水を分け与えたのが、南区の棚田さんの家系の豆腐屋の井戸水だったんだよ)
物心ついた時には、店に行くと、錆びれた豆腐屋だった。
昭和57年5月、私は広島で生まれた。
三人家族の長男として生まれた私は、父が家業の豆腐屋、母は銀行員として生計を立てていた。
豆腐屋には、店の奥に井戸があり、区切って手前には油揚げを作る機械、
配管を通して、ポンプ式に汲み上げた水を豆腐作りに使っていた。
老人に本心を告げた。
(この、均一化されて、何もかも便利に集約される社会が嫌なんです)
(恵まれた社会の何が嫌なのだ。ひもじく、不便なだけだよ)
(生きている実感がわかないんです)
自分から出てきた言葉に驚いた。
私は、生きている実感がわいていなかったのか?
(まあ、世代が違い過ぎるのかもしれないよ。実家のご両親と少し
話してみればどうだい?)
意外なアドバイスだった。
てっきり、説教が続くのかと思っていたが、心の底から、感謝の念が湧いた。
(これ、うちの店でホットペッパーからのお客様に出してる和菓子なんですが
よかったら、食べてください)
(ホットペッパー?)
(飲食店の総合紹介冊子で、そういうのがあるんですよ)
(こんなものが、タダなのか?世代の違いもあろう。
これ、お代、4000円から)
(ありがとうございます)
(棚田さん、ルール違反ですよ?)
(うるさい)
(まあ、死にたいなんて、言わんといてくれ。人生結構いいもんだよ)
(ありがとうございます)
老人は、本降りになった雨の中、帰っていった。
(時代なんだよ)
父はこう言いながら、話を進めた。
(バブルの時は、よく売れた。何で今になって売れなくなったのか?
店を閉める前に、よう分からんことは、それだったけど、バブルがはじけた
あとなんだよ、大手スーパーマーケットが、広い店舗で、必要以上の野菜やら
果物やら、食品やらを魅せながら置いて、商売をし始めたのって。
おれは、バブルがはじけて、不景気になって、中心となる世代の消費者が減っていってる感じだし、考えてみてた。時代は、知らぬうちに、進んでたんだよ。
バブルがはじけても、車社会への移行は収まらんかった。
それで、大手スーパーマーケットは駐車場を広く用意した。
多分答えはそれなんだよ。
みんな、便利を選んだ。
豆腐屋をしめて、今なら思う。今の時代は、雇われの方がよっぽどかいいよ。
真面目な人間ほど、巡り巡って重宝される。
何を悩んどるん?)
(社会というものが、よく分からん。そんなに便利がいいの?って気持ちもある。
うちが豆腐屋閉めないといけない理由が、時代なの?)
(それは、人が選んでる、ってことよ。
一度、フーコ―って哲学者の、知と権力っていう本を読んでみなさい。
俺は、これを読んだから、だいぶと、実業家の世界が楽だった。
お前も、俺の子なんよ)
不思議だった。ただ、商売をしていたと思っていた父親にも、社会に対する
なにがしかの思いがあったみたいだ。
(まあ、死なないことよ)
(バブルの時は、よく売れた。何で今になって売れなくなったのか?
店を閉める前に、よう分からんことは、それだったけど、バブルがはじけた
あとなんだよ、大手スーパーマーケットが、広い店舗で、必要以上の野菜やら
果物やら、食品やらを魅せながら置いて、商売をし始めたのって。
おれは、バブルがはじけて、不景気になって、中心となる世代の消費者が
減っていってる感じだし、考えてみてた。
時代は、知らぬうちに、進んでたんだよ。
バブルがはじけても、車社会への移行は収まらんかった。
それで、大手スーパーマーケットは駐車場を広く用意した。
多分答えはそれなんだよ。
みんな、便利を選んだ。
豆腐屋をしめて、今なら思う。今の時代は、雇われの方がよっぽどかいいよ。
真面目な人間ほど、巡り巡って重宝される。
何を悩んどるん?)
(社会というものが、よく分からん。そんなに便利がいいの?って気持ちもある。
うちが豆腐屋閉めないといけない理由が、時代なの?)
(それは、人が選んでる、ってことよ。
一度、フーコ―って哲学者の、知と権力っていう本を読んでみなさい。
俺は、これを読んだから、だいぶと、実業家の世界が楽だった。
お前も、俺の子なんよ)
不思議だった。ただ、商売をしていたと思っていた父親にも、社会に対する
なにがしかの思いがあったみたいだ。
(まあ、死なないことよ)
身に染みた。
11月の中頃、の昼である
(棚田さん、16時15分に来ます)
(はい)
(どんな人なんですかね?)
(18歳でしょ?今からの子だよ)
現れたのは、在日三世の男の子、中井戸さんだった。
料理人の道に進みたい彼ではあったが、家はあまり裕福ではなく、
専門学校には行けず、実地で学んでいきたいそうだ。まず、和食の
基礎智識を身につけたい、明確な目的のある子だった。
(採用してもいいんじゃないですかね?)
(池田さんはどう思う?)
(在日ってのが気になるんですけど。和食ですよ?
採用するなら、料理長か、棚田さんの権限で採用してくださいね)
場が凍りついた。
フーコーが指し示した社会とは何だったのか?
それは、1600年代から続く社会の基盤を作るための、階層や仕事の中に、
近代の中で、憲法や法律、命の担保を社会に持たせ、それを各地に流布する。
それは、社会とは人間が連綿と続く、私たちが採用し作り使っている社会
というものにほかならなかった。
私は思った。同じ人間が作ったものに、マナーやルールを度外視せず、節度をもてば
自由でいいじゃないか?
中井戸さんは私が本採用を選んだ。
一緒に仕事をしながら、まだ貧しい在日の家庭が多いこと。
それでも、自分たちの世代は義務教育も高等教育も仲間になってくれるものが
たくさんいたこと。
そのことを両親に言うと、嬉しそうな顔をして、歴史もあるのよ、と言われること。
うちの料理店では4人でくれば、だいたい二万円はかかる。
フーコーによるものなのかは分からないけど、時代が均一性を選んでいるのだろう。
でも、私の心はそこからは自由だ。
中井戸さんにとっては、お国柄も、豊かさの波にさらわれ、歴史認識が追い付かない
というものなのかもしれない。
でも、人が選んでる時代なんだ。
今の時代は、戦後から、人がヒトを想いながら、諸本主義の中、いいのか悪いのか
分からない中、いろんなものを見過ごして、
豊かさを謳歌している時代なのかもしれない。
ふと、学芸員の顔が思い浮かぶ。
歴史が出す答えは時代によって変わるモノなのかもしれない。
老人は、また、やってくるのだろうか?
金曜の夜のキッチンは、今日も張り詰めた空気の中けたたましくすすむ。
10時30分、ラストオーダーを終え、中井戸さんとバイトの子にキッチンを任せて
少し、外に出て休憩する。自販機で炭酸飲料を買って、店の近くにある通りの
戦後慰霊碑近くにまで来てみる。
(オレは時代を生きてるのか?)
相変わらずのそんな問いに少し笑いが出て、父の言葉を飲み込む。
(生きる価値はある)
そう呟いて、店に戻った。
小説は以上です
タイトルはつけてなかったですが
《手枷》
かな?
まあ、自分の経験に基づくもの
なのですが、障害は描きませんでした
理由は、難しい
世の中に浸透している人間的な現象の
理解には到達していないのが、
障害者の世界なのかな、と思います
幻冬社編集部の方からの感想
三桝様のご経験が元になっているのでしょうか。
そう感じられるほど料理店特有のやりとりなどリアリティをもって感じられました。
物語の進行そのものは非常に淡々としているが、シニカルな主人公のキャラクターと相まって心地よいテンポを生んでいます。
均質化など資本主義への切り込みは現代へのアンチテーゼとなっており、同様の空虚感を抱えた人の共感を充分に得ることでしょう。
シンプルな語り口だからこそ、登場人物の余計な心情の変化に乱されることなく、
日本の「今」、自分自身の「現在位置」を読者に再確認させることが出来る作品となっています。
電話口でも、同様の旨、伝えていただき
世間に認められにくい存在として
自信になりました
ありがとうございます
また、何か、映画脚本ぐらいのサイズの
文章書きたいんですが、やっぱり
何か、気になること
が、自分の中で、今あまりないことが
情けないです
みんな、何か、気になってること
教えて!
そんな感じで、この小説の幕を締めたいと
思います
みんな、読んでね\\\\٩( 'ω' )و ////
それでは!