日常
「花、起きてるか?」
コン、コン、コン、と扉を叩くと、それは静かに開いた。
その先に顔を出した少女__佐久間花__は、こくりと頷く。
「……おはよう」
「おう、おはよ」
小さめの声で朝の挨拶を口にする少女の頭を、男__高嶋裕二__はくしゃくしゃと撫でた。
「飯できてるぞ。くっちまえ」
少女は彼の言葉に静かに頷くと歩きだす。無愛想な様子に何か文句を言うわけでもなく、男は仕事の準備を進める。
しかし、食卓から逸れる道へ動いた彼を、何かが引っ張った。
「? ああ、花か。どうした?」
「……」
それは花だったが、彼女は裕二の問いには答えず、ただじっと彼を見据える。
しかし彼は何を求められているのか解らず、困ったように見返した。
少女はそんな様子を見て俯くと、
「……いっしょに食べる……」
と、消え入りそうな声で呟く。
それに裕二は驚いて目を丸くし、すぐに目を細め笑顔を見せた。
「おー、食うかぁ」
心底嬉しそうに花の頭を撫でながら言うと、彼女はそれを振り払って自分の席へつく。
聞こえるか聞こえないかという音量で「いただきます」と言い、食事をとりはじめる彼女へ、裕二は問いかけた。
「うまいか?」
「……うん」
◆ ◇ ◆
6月某日 雨 古書店
古書店にて店員を勤める裕二は、積もる本の査定をしていた。
そこへ、アルバイト__田中美佳__が、ぽんっ、と彼の肩を叩く。
「高嶋さーん。久米島さん来ましたよ」
「あー……わかった。行くわ」
久米島明宏。孤児院の院長であり、又、花の母方の叔父である。
彼は常日頃からこうして裕二の勤務先へ赴く。
「どぉも。今日はどんなご用事で?」
怠そうに頭を掻く裕二を見て、満面の笑みを携える明宏は、それが当たり前であるかのように言葉を紡いだ。
「あの子を僕の施設へ来させる決心はつきましたか?」
「いーえ、お帰りください」
しかし裕二もあっさりと断り、「ありがとうございました」と言って、遠回しに「早く帰れ」と促す。
そんな彼を可笑しそうに笑った明宏は、一冊の本を差し出した。
「そうおっしゃると思っていたので、今回は本を買いに来ましたよ」
「……それはどうも。お忙しいなかで」
本を受けとるといつにも増して手早い動作で会計を済ませ、それを押し付ける。
「540円です」
「10000円札しか持ち合わせがないのでこれで」
「なんつー大人で子供な嫌がらせなんですかね」
「あ、バレました?」
「うわ、うっぜぇ。お釣っす」
「あはは。うわぁ、10円多くありません? 子供だなぁ」
◆ ◇ ◆
六月某日 雨 小学校
「今日はおうちの人の似顔絵を描きましょう」
女性の担任の声に周りが元気よく返事をし、思い思いに絵を書き始める中。花はただじっと画用紙を見つめていた。
おうちの人、と言われて、両親を指していることは理解しているものの、今家にいるのは両親ではなく裕二だ。さて、どちらを描くべきなのだろうか。
そんなことで悩み、何も手に取らずにいる。
「花ちゃん、どうしたの?」
黙って何もしなければ何か聞いてくるでもない彼女へ担任が話しかけると、話したくないという気持ちが働いたのかすぐさま紙へ絵を描き始める。それを見て担任は不思議そうに首を傾げるも、また別の子に呼ばれてそちらへ向かった。
ほっとしたようにそちらへ少し目を向けた花は、自分の手元に視線を戻すと、驚いたように瞬きをする。
眼鏡を掛けた仏頂面があったからだ。彼女の父親はよく笑い視力はよかった。母も同様である。
「……」
なぜかむっとした彼女はそれに煙草を描き加えた。