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アイファウンジュ

作者: 神流みもね

 朝の空気はなんだか新鮮な匂いがするような気がしてわりと好きだ。生まれたばかりの今日、そんな始まりの感覚を信じられるやさしい大気。通勤途中、歩きながら自分が深呼吸をしていることに気付く。私は姿勢を正し、少し上向き加減で凛々(りり)しさを装うように意識して歩いた。

 何かの声が風に乗って聞こえてきたような気がしたけれど、きっと風の音だろう。そういった風のざわめきや日常の小さな不思議を気にしていられるほど、私はもう子供じゃない。蝶々を見て追いかけたくなるような衝動(しょうどう)が沸くことなど(すで)に忘れ去られた遠い過去の出来事のように思える。

 学校帰りに友達と遊んだ遠い日の思い出。あれは何処(どこ)だっただろうか。もういいかい、まあだだよ、そんな幼い小学生の頃の私たちの声を思い出した。あの頃の私たちは、一日一日、その日がすべてのような、そんな輝きに満ちた日々を送っていたように感じられる。

 大人になった今の私は、毎日がそれなりに忙しく、それなりに多分充実していて、きっと、それなりに退屈して生きている。雨に降られるだけで気分が落ち込んだり、化粧ののりが良いだけで気分が上向いたり、そんな日々を。


 ふと前方に、しゃがみこんだ姿勢で何かを探しているような人物がいることに気が付いた。なにかを落としてしまったのだろうか。

 あまり人通りの多い道ではない。普段の私ならば、このような寂しい道でどのような人物に遭遇(そうぐう)しようとも、大した関心も持たないで通りすぎるだろう。しかし、清々(すがすが)しい朝の大気の中で親切な行為をすることに、大きく意識が向いた。それに、なぜか気になってしまったのだ。

 私はその人物の手前で立ち止まり、声をかけることにした。

「あの、どうしたの?」

「え?」少し驚いたように、その少女は顔を上げてこちらを振り向いた。

「何かを探しているの?」再度、私は問い掛ける。

「あ、いえ。なんでもないんです」(あわ)てたように立ちあがりそう言うと、「すいません」と無理をして作ったようなぎこちない笑顔でそう言い残して、少女は走り去ってしまった。

 なんなの、いったい。私は呆れてしまってしばらくその場に立っていたが、少女が何かを探していたということに疑いは無く、なにを探していたのかが気になりはじめていた。そして、少し、私も探してみよう、という気になっていた。

 ばかばかしいとは思いながらも、子供の頃のような無邪気さで。



     *


 まったく、なんてことだ。早足でアスファルトを(かかと)で蹴りつけながらつぶやいた。朝っぱらから会議がある。遅刻するわけにはいかないというのに、起床して時計を見た瞬間に眩暈(めまい)がした。電車を一本でも乗り遅れたら遅刻するという綱渡り的な時間だったのだ。

 それにしてもまったく、本当になんてことだ。目覚し時計を寝ながら止めてしまうなんて、自分の無意識な活動の素早さにあきれてしまう。こうなったら、もっと強力な目覚し時計が必要だな、と単純に思った。簡単に変えられるところから変えていこう、という発想だ。もちろん悪いのは自分なのだが、ついつい何かのせいにしたくなる。

 たまに(あわただ)しい時間の中で、ふと、なんだか急に何もかもがどうでも良くなるときがある。だけれどどうでもいいと思っていても、それらを大変なことのように振舞って生きていかなくてはならないような気もしている。僕の精神の根底にあるものは、いつだって矛盾なのだ。


 ん?

 僕は思わず立ち止まってしまった。なにか声が聞こえたような気がしたのだ。気のせいだろうか。確かに聞こえたような気がしたけれど……。おっと、そうだ、そんなことに気をかけている場合ではないのだった。急がなくては。念のために走った方がいいだろうか。

 時計を確認しながら再び歩き出そうとしたとき、前方にしゃがみこんだ姿勢で何かを探しているような人物がいることに気が付いた。今現在、僕自身が危機的状況にあるということを認識していれば、そのような他人事を気にしていられるわけは無いのだけれど、自分でも信じられないことに僕はその人物の手前で立ち止まり、声をかけていた。

「何か落し物ですか?」

「え?」少し驚いたように、その女性は顔をあげてこちらを振り向いた。

「よければ手伝いましょうか?」コンタクトレンズを落としたのだろう、と予測して僕は提案した。

「あ、いえ、良いのです」慌てたように立ちあがりそう言うと、「ごめんなさい」と無理して作ったようなぎこちない笑顔でそう言い残して、その女性は立ち去ってしまった。

 なんだったのだ、いったい。不思議なことに、このころにはもう会社へ急いで行くことは完全に諦めてしまっていた。会議のことなど、もうどこか遠くの出来事のように思えた。

 そして更に不思議なことに、僕はどういうわけか、彼女が探していたのであろう何かを見つけ出してやろう、という挑戦的な気分でいた。



     *


 ふあ。ふう……。ああ、眠い。部屋に帰ったらシャワーを浴びてばたんきゅうに違いないわね。桜の花びらが風を受けてはらはらと舞う朝の陽射しの中を、ノースリーヴのお気に入りの白のワンピを着て、軽めのジャケットを小脇に抱えてふらふらと、あたしは自分の部屋へと続く道を歩いていた。豪快に欠伸をしながら。


「――――た」


 へ? 誰? なに?

 空耳、なのだろうか。

 なにか声がしたような気が……。

 あたしったら寝惚けているのかしら。

 とにかく、今は帰ってさっさと眠りたい。

 あれ、あの人、なにをしているのかしら。

 前方にしゃがみこんだ姿勢で何かを探しているような人物がいることに気が付いた。欠伸を噛み殺しながら、あたしはその人物の手前で立ち止まり、声をかけてみた。

「どうしたのですかぁ?」

「え? あ……」少し驚いたように、その男の人は顔を上げてこちらを振り向いた。

 それから、小声で「いや、なんでもない」と言って少し笑ったように見えた。


「――つけた」


 あたしは、急に、なにも考えられなくなった。

 あるいは、自分が何を考えていたのかを一瞬で、

 一瞬で忘れてしまった。

 風の音が――、

 ちゃんとした、

 音になって、

 それは――、

 あたしは、背筋が凍りついた。


 探さなきゃ……、あたし……。


 探さなきゃ……。


「あ……、えっと、それじゃ、どうも」と、不思議そうに(くび)(かし)げながら言い残して、その場を離れていく男の人の後姿をぼんやりと見つめながら、あたしは、よりはっきりとした声が頭の中で聞こえている自分をかろうじて感じることができた。







「次 は あ な た の 番 よ」







「I found you(見ぃつけた)」

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