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第9話 俺らしく、ヘタレらしく?

「ふぅ、さっぱりした……」


 風呂から上がった俺はシンプルな灰色のパジャマに着替えると、冷えた麦茶を一杯用意しつつリビングのソファーに座った。

 時刻は午後8時。寝るにはまだまだ早いが、さりとて意気揚々と外出するような時間でもない。

 俺は適当にテレビをつけて、それをぼーっと眺めつつ麦茶を啜る。すると今日の昼休みの出来事が、自然と思い浮かんできた。

 具体的には始が淑女になりきってたり(なりきれていたかは置いといて)とか、始が食べ物に釣られたりとか、始が可愛かったりとか。

 今日も始関係で色々あったが、しかしこの間のように悶々とすることはない。なぜならその原因がほとんど解決していたからだ。 


「あれもこれも、やっぱり俺の勘違いだったか……ま、期待はしていなかったしする理由もないが……」


 デパートで可愛らしい格好をしていたのは、おそらく女性の格好に慣れるため。

 可愛いって言われてまんざらでもなさそうだったのも、その格好を褒められたのが普通に嬉しかっただけだろう。

 淑女の真似事だって、深い意味はないはずだ。始のことだから"女の子らしくする"ことを意識しすぎてつい迷走してしまったとか、わりとありそう。


『すき――――――焼き、今日うちで、やるんだけど、お前も一緒に……どうかなぁー……って……』


 最後にひとつだけ引っかかるのが『実は告白しようとしたんじゃないか疑惑』がかかっていたすき焼き事件(仮名)だが、どうせ蓋を開けてみれば気の抜けるような理由なんだろう。

 うん、やはり始が俺に恋愛感情なんて持っているはずがない。だから悩む必要なんてない、今までどおり俺が恋心を隠しておけばそれでいいだけの話だ。

 俺は一人頷いて納得し……そして、一抹の寂しさに視線を落とした。


「――ってべつに落ち込むことないだろ!」


 一人きりのリビングに、空虚なツッコミがこだまする。

 そうだ、落ち込む必要なんて。もしかしたら始が俺に惚れているかも……なんていう妄想が、実際に妄想だったと確定しただけだというのに。

 そもそも始が俺に惚れていたからなんだっていうんだ、俺はあいつの親友でいると約束していやでももし万が一そうだとしたら相思相愛なわけで……ってだからそんなこと考えてもしょうがないだろ忘れろ忘れろ……。


「忘れろ忘れろそうだ気にするんじゃない俺気にしてない気にしてないうんそうだもう疑問は解決してるんだし――」

「相変わらず青春エンジョイしてるようねー」


 唐突に背後から聞こえた声は、馴染みありすぎる十香姉さんの声だ。


「どう見てもエンジョイしてるわけないだろ! 姉さんにとっては他人事だろうけどな――」


 俺はつい反射的に姉さんへと顔を向けつつ、ツッコミを入れて――


「……は?」

「ちゃお♪」


 俺のすぐ後ろで、Tシャツにジーンズというずぼらな格好の姉さんがヒラリと手を上げた。

 ……このリビングには、俺一人しかいなかったはずなのに。


「…………」

「…………」


「…………うわあぁぁぁぁぁ!!」

「うぉびっくりした」


 驚きすぎて仰け反ってしまい、手に持っていた麦茶をうっかりこぼしそうになった。


「っとあぶな……じゃなくて、なんで姉さんがいるんだよ! そして連絡しろよ!」


 俺はなんとか麦茶のバランスを取ると、姉さんに向かって叫ぶように言った。

 しかし姉さんは柳に風と何食わぬ顔で受け流す。


「なんで来たかって言われると、とりあえずは来たかったからと言っておきましょうか。終くんが入浴中だったのは偶然だったけど、美味しいタイミングだったわね! あと今日はサプライズ訪問のつもりだったから連絡しなかったのはわざとよ!」

「くっそ全然悪びれてない辺り完全にやる気じゃないかこの人……! てかなんだよサプライズって、また妙な目的で来たんじゃないだろうな」

「そんな悪いことする気ないわよー。むしろ人助けというか、ちょっとしたお悩み相談を――」

「帰れ」

三行半みくだりはんどころかひらがな換算にして三文字で追い払われた! そう邪険にすることないじゃないのよー、さっきから愉快に一人漫才してたんだしまだ解決してないんでしょ? いやぁ一人暮らしだと独白が捗るわよねぇ、あるある」

「んなっ……どこから見てた!?」

「場所の意味なら終くんの入浴中、そこら辺の物陰に隠れてこっそりと。時間の意味なら『あれもこれも――』のくだりから」

「あらゆる意味で最悪すぎる……」


 俺は姉さんの無茶苦茶っぷりに、ただただ頭を抱えざるをえなかった。

 今は俺一人で住んでいるが、それでもここは夜鳥一家の自宅だ。そういう意味では夜鳥家の人間である姉さんが出入りする分には自由ではある。あるのだが……それはそれとしてこの家には今男子高校生が一人暮らししているのだ。その事実を理解して欲しいと切実に思ったが、冷静に考えてみるとこの人の場合、むしろ理解しているからこそこういうノリなんだろう。重ねて言おう、最悪すぎる。

 しかし要するに、姉さんはこの間おかしかった俺の様子をこりもせず探りに来たということか。

 とはいえ俺の悩みはもう自己解決しているし、元より姉さんに話すつもりもない。

 だから俺はそれを伝えようと口を開いた。


「ま、とりあえず姉さんが涎垂らすようなネタなんてなにもないから。ただウチに来ただけならそれはそれでいいけど、ネタ求めてるのならもう一度言うぞ。帰れ」


 口調が若干きつくなってしまったが致し方ないことだ。いくら家族にだって触れて欲しくない領域もある。

 だが姉さんは俺の言葉を気にも留めずにソファーまで回り込むと、どかっと勢いよく尻から飛び込む。

 そして飄々とした態度を崩さないまま、憮然と言い返してきた。


「姉に嘘つくような弟の言葉なんて聞くとお思い? 本当に悩みの解決した人間っていうのは、そんなつんけんしてないものよ」


 相変わらず、ずぼらなくせに妙なところで目ざとい人だ。

 だが実際のところ悩み自体は解決しているので、あとは俺の気の持ちようだけだ。


「……たしかにこの間までは悩んでいたってのは認める。だけど今はもう自己解決してるから」


 そう、悩んでない。悩んでなんかだな……。

 しかし姉さんは俺の言い分に納得していないようで、またもや言い返してくる。しかもまるで『罠に嵌ったな』とでも言いたげなしたり顔で。正直若干うざい。


「ふふん、悩みについては認めるのね。でも自己解決したって言ってるけど、どーせまた誰にも相談せず一人で拗らせてるだけでしょ」

「なっ……べつにそんなんじゃ……」


 ぶしつけな物言いを否定しようとした俺だったが、姉さんは構わず言葉を続けた。


「前科持ちが何言ってんだか。懐かしいわねぇ、終くんが中学校の入学式直前に一人で悩みまくった挙句、熱出して寝込んだってやつ」

「そんな前のこと引っ張りだすなよ……あれはまぁ、なんていうか、色々偶然や不幸がだな……」


 過去の汚点を引っ張り出されるのはさすがに痛い。姉さんの言葉に言い返そうとするも、つい言葉を濁してしまった。

 姉さんの言うとおり、俺には中学校の入学式当日に熱を出して寝込んでしまった過去がある。

 今でこそ海外で腰を据えて仕事に勤しんでいる父さんだが昔はいわゆる"転勤族"で、無論俺たち家族も数年置きにあちこちの地方を点々と回っていた。

 そういった家庭事情と、今よりもかなり内気だった性格も合わさってか、俺には親友はおろか友人と呼べる存在もあまりいなかった。

 そんな中、父さんに海外転勤の話が持ち上がり、母さんを連れて父さんが海外に飛び立ったのが小学校卒業後の春休みの話。

 父さんたちが海外に飛び立ったあとも、俺と当時高校を卒業したばかりだった姉さんは、今住んでいるこのマンションに残った。つまり俺たちは別の地方に引っ越すこともなく、俺は約2年間通った小学校を無事卒業した上で、地元の中学校へと入学できることになったのだ。

 ……だがここで、ひとつ悲劇が起こってしまった。

 小学校でなんとかできた俺の数少ない友人たちが全員、俺の通う中学校とは別のところに進学してしまったのだ。

 そうなると人見知りの激しかった当時の俺にとって、中学校なんてほぼ完全なる新天地にして未開の樹海そのものである。

 中学校という新しい生活で、ぼっち当然の俺に新しい友人ができるのか自分でも不安でしかたないが、しかし海外に飛び立った両親や漫画家目指してアルバイトとの二束のわらじで頑張っている姉さんに、心配はかけたくない。

 新生活への不安、友人ができるかどうかの不安、あと家族に心配をかけさせたくないというプレッシャーや、その他おまけで諸々……。

 そういった不安要素が積み重なった結果、入学式前日になってそれまで健康だったはずの体調が急変。入学式は休まざるをえなくなってしまった。

 数日後、熱が引いたので学校に来てみれば当然のごとく仲良しグループが形成され始めてて、その輪に入れる度胸のなかった俺は……うん、我ながらひどいスタートだったと思う。

 まぁそのおかげで始に出会えたようなものだから、今思えばそう悪いことばかりでもなかったのかもしれない。

 だがそれでも汚点は汚点だ、と言わんばかりに姉さんはそのエピソードをいじり続ける。


「あのときも一言私にでも言ってくれれば、少なくとももうちょっと気は楽になったと思うんだけどね」

「……たしかに姉さんの言うとおり愚痴ぐらい吐いておけばよかったと思うけど、姉さんにも心配かけたくなかった当時の俺の気づかいをだな……」

「そのせいで熱出して余計に心配かけさせちゃ世話ないわねぇ」


 ぐうの音も出ない正論に「うぐっ」とうめき声しか上がらない。

 思い詰めた末、逆に悪い結果になってしまったのは紛れもない事実であり、このことは俺にとって肝に銘じるべき教訓ともなっている。

 とはいえ……。


「たしかに昔はそんなこともあったが……今はあのときみたいに寝込むほど思い詰めているわけじゃないし、むしろ俺の中で悩みは解決してるんだから。状況が違うだろ」


 俺だって成長している。もしなにかあったとして、どうしようもなくなる前に誰かに相談できる程度の判断はつくつもりだ。今回は自己解決できたから相談する必要がなかっただけで。

 しかし姉さん的には納得がいかないようで、俺の言葉はすぐに否定されてしまった。


「同じよ同じ。結論が出たか出てないかだけの違いであって、一人で空回りしてるのには変わらないじゃない」

「……空回りしてるかどうかなんて、姉さんに分かるのかよ」

「最近の終くん見てたら嫌でも分かるわよ。口数が少なく、冷静で穏やか。おおむねそんな感じで通ってるはずのあなたが、ぼろぼろ独り言や失言吐くわ時々奇行に走り出すわ、あげく自棄酒だもの。自覚ある? むしろなにも疑わない方がおかしいわよ」

「うわ振り返ってみると思ってた以上に俺がひどくて反論ができない……!」


 姉さんの言うとおり、はたから見ればたしかに挙動不審極まっていたかもしれない。そういえば姉さんに対してだけじゃなく、始との会話でも失言ばかりだったような……。

 ……でも。

 俺は一拍の沈黙を置いて、口を開いた。


「姉さんの言い分は分かった。心配されるのもしかたないと、正直自分でも思う。だけど……それでも、俺はこの悩みを誰にも話すつもりはないから」

「頑なね……。それは私がネタにするかもとか、そういうの?」

「何年弟やっていると思っているんだ。姉さんが真面目に心配してくれていることも、本当に嫌だって言ったら茶化すような真似はしないってことも分かっている。それでも、話したくないものは話したくない」


 これは俺と始の……いや、俺だけの問題だ。俺が始との友情を守れるか、貫き通せるか。それだけの。

 だからこそ誰にも関わらせたくないし、誰かに関わらせるのは不義理な気がしてたまらない。こんなものきっと、ただの意地でしかないのだろう。それでも……この大切な絆は、俺だけの手で守りたかったんだ。


「むぅ、そうもキメ顔で言われるとさすがの私もちょっと遠慮しちゃうわね。んじゃあれよ、昔話しましょう昔話」

「……は?」

「だーかーらー、昔話だって」


 だからと言われても、俺にどうしろと。

 しかし昔話っていうとあれか、浦島太郎とか桃太郎とかぼうやを良い子でねんねさせるあれか?

 唐突な展開に困惑する俺をよそに、姉さんは"昔話"を語り始めた。


「そうねぇ……たとえばこんなのはどうかしら。昔々あるところに、海外転勤の話が持ち上がった男性とその妻。そして二人の子供である美人で麗しい姉とヘタレな弟の4人家族がいました」

「いや海外転勤ってそれ昔話じゃ――って夜鳥家うちの話だこれ! たしかに昔の話といえばその通りだけども! あと盛りすぎだろ姉それとヘタレは余計だ!」

「細かいことはいいじゃない、昔話にツッコむのは野暮ってものよ。それともなに? 終くんは桃太郎が桃から生まれるわけないだろうとか言っちゃうタイプ?」

「人をなんだと思っているんだ! というか世代を超えて語り継がれる不朽の名作と、『そうそう昔あんなことがあってさー』から始まるようなそんじょそこらの家族の話を同列に語るなよ!」

「ううん、やっぱツッコミがあると昔話も捗るわねぇ。それじゃあ続きといきましょうか」

「普通、昔話と漫才も同列に扱わない……!」


 かつてここまで良い子をねんねさせるつもりのない語り部がいただろうか。

 そもそも姉さんはなんで唐突にこんな話を始めたんだ……なんにせよ喋りきらないと満足しないだろうから、とりあえずは黙って聞くけども。


「悩んだ末に海外転勤の話を受けることにした父と彼についていくことに決めた母でしたが、しかし姉は日本で目指す夢があるため海外には行けず、また弟も小学校を卒業したばかりなうえに彼自身とても内気な性格で、慣れない海外暮らしは酷というものです。そんなわけで子供たちは、両親と離れて日本に残ることになりました」


 ああ、そういえばそんな感じだったなぁ……父さんと母さんは元気にしてるだろうか。

 我が家の家庭事情と遠くの地で頑張っているであろう両親に思いを馳せながら、俺は姉さんの話に耳を傾け続ける。


「さて……姉はちょうど高校、つまり義務教育を卒業して一人立ちできる年齢なので親元を離れたところで別段問題はありませんでしたが、しかし弟の方は別でした」

「おいちょっと待て」

「『なに子供置いて二人きりでいちゃつこうとしてるんだゴルァ!』弟は豹変して昭和のヤンキーがごとき反抗期を」

「迎えてないから!」

「ふふふ昔話っていうのは大抵その原型を留めていないものよ……!」

「それは子供に読み聞かせるための配慮だから今の話とは関係ないってか、ガチの昔話とこんな話を同列に扱うのはやめろとだな……」

「はいはい、こっちの方がドラマ性あったんだけどしかたないわねぇ。それじゃあ弟も特に反抗することなく、最終的に両親は外国へと飛び立ち、その数日後に弟は熱をだして寝込んだとさ。おしまい」

「まさかのそこに戻るのか!? 俺の黒歴史を何度掘り返せば気が済むんだあんたは!」

「姉という生き物は弟がいる限り、その存在を何度でも弄ぶものなのよ!」

「世の中の姉がそんなのばかりであってたまるか! ああもう、結局姉さんはなにが言いたいんだよ!」


 このままでは俺が弄られツッコミを繰り返すだけの無間地獄が続く。その危機を悟った俺は、しびれを切らして姉さんに昔話をした理由を問いただした。

 すると姉さんは「うーん」と少し悩む素振りを見せてから答えた。


「なんかこう、前フリぐらいあった方がいいかと思ったんだけど、今思えばべつにいらなかったかも。あ、今からが本題ね」

「おい俺の労力返せ」


 主に精神的疲労の分である。

 だが要求は「却下」という簡潔な一言で文字通り却下されてしまった。本当に世の中の姉がこんな人ばかりでないことを、俺は切に祈る。

 一方、姉さんは俺の悲しみなどそしらぬ顔で、本題とやらを始めだした。


「ぶっちゃけ今だから話せることなんだけどさ……真面目な話、終くん父さんたちが海外行くって決めたとき、どう思った? さっきの昔話じゃないけどさ、『なに子供置いてこうとしてるんだバカヤロー!』ぐらいには思わなかったの?」


 おっと、思いのほか本当に真面目な話らしい。

 姉さんが俺になにを伝えたいのかは相変わらず分からないけど……とはいえ答えない理由もない、かな。


「さすがにそこまではないけれど、それでも正直な本音を話すなら寂しかったし、心細かった……けど父さんも母さんも、決して俺たちをないがしろにしてその決断をしたわけじゃないってことも、分かっていたつもりだったからな。二人がそうしたいって本当に思ったのなら、家族として俺は応援したいって思ったから俺は反対しなかった……っていうのは、さすがに少しクサいか?」

「あ、自覚あった?」

「おい」

「うそうそ、私だって大体そんな感じだったし。それじゃあさ……1年くらい前に、私が『一人暮らししたい』って言いだしたときは?」

「姉さんは朝遅いし、行動がなんでも大雑把だし、部屋は散らかしっぱなしだし、家事の腕前はアレだし……むしろ俺が世話してたようなものだから、実に晴れやかな気分だったよ」

「え、どうしよう姉さんいい話しようとしたのに今最大級の悲しみに包まれてるんだけど」

「冗談だ。それと自分でいい話とかいうな、株が下がるから。……ま、本当のこと言うと、少しだけ寂しかった。一人暮らしっていっても今こうしてわりと気楽に会える程度の距離だし、俺だってその頃はもう中三で人見知りも大分直ってたから、本当に少しだけだったけど……でもやっぱ家に俺一人っていうのは、な」


 今だってなんだかんだでこの一人暮らしはそれなりに満喫させてもらっているが、それでもがらんどうとした部屋を見渡すと、時折寂しくなることだってあるのだ。

 俺はわずかな感傷に浸ったせいか、声のトーンが自然と落ちてしまった……が、一方の姉さんは感傷に浸るどころか妙な解釈をしてしまったようで、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてきた。うわぁ嫌な予感しかしない。


「ほほぅ、つまり終くんは姉さんがいなくなって寂しかったと。そんなに姉さんが好きだったのねもう本当にシスコンなんだからぁ!」

「よりにもよって最悪の曲解された! 寂しかったのは姉さんだからじゃなくて、一人になったせいだからな!」

「ふふふ照れなくてもいいのよ?」

「こういうときって照れてないって素直に言っても、照れ隠しに見えるのが心底理不尽だよな……」


 重ねて言うが、決して姉さんがいないから寂しいわけじゃない。

 ……まぁ、この破天荒ながらいつだって明るい姉がいなくなったあと、随分と静かになった家に思うところがないわけでも云々。どっちみち調子に乗るだろうから絶対に言わないが……あ、そうだ。

 代わりといってはなんだが、俺も姉さんを弄れそうなネタをひとつ思いついたので、それを口にだしてみた。弟だって、やられてばかりではないのだ。


「ま、でもあれだよな。『もう私だって大人だってのに父さんや母さん、それに終くんにも、おんぶにだっこで夢目指すってのも示しがつかないでしょ。だから一人で頑張れるのか試したい、胸張って夢目指せる大人でありたい』だっけか? 随分とかっこいいこと言ったよな姉さんも。ああ言われたら、もういくら寂しくても引き止められるわけないよな」

「ぐっ……い、いいのよ漫画家目指してたんだから! 漫画なんてかっこつけてナンボなの! ……いいわよ、そっちがその気なら夜が明けるまで終くんの黒歴史ヒストリー上映会でもしてあげるわよ!」

「たかだか6年ほど先に生まれたからって、あまり調子に乗るなよ……! だったらこっちは漫画家夜鳥十香の原点たるチラシの裏に書かれた記念すべき1作目から順に、押し入れの奥から引っ張り出して夜鳥十香展でも開いてやろう。さぁ10年の重みはどれだけ心に圧し掛かるだろうな……!」

「それを持ち出すってことは、分かってるんでしょうね。もうどちらかが死ぬまで引き下がれないわよ……!」

「望むところだ、言っておくが先に手を出したのはそっちだからな。たとえあんたが泣こうが喚こうが、俺は戦いを止めるつもりはない……!」

「その台詞、そっくりそのまま返してあげるわ。ふふふ……!」

「ははは……!」


 お互い表面上だけで笑いあいながら、純然たる殺意をぶつけ合う。

 一触即発。文字通りほんのわずかな刺激で全てが爆発するであろうこのどす黒い力場の中、俺たち姉弟はむしろ楽しむようにそのときを、爆発の瞬間を待つ――こともなく。


「……そろそろやめましょか。ていうかなんで私たちこんなことやってたんだっけ」

「多分大体姉さんのせいだけど、なんにせよ不毛な争いだったな……」


 そう。"その場のノリ"というやつは、冷めてみればいつだって不毛である。

 その事実を互いに再確認しつつ、姉さんが話の軌道を戻す。


「まぁうん、ちょっと話が逸れたけど私はべつに血で血を洗いたいわけじゃなくてね。大事なのは、終くんが寂しいと思いつつもなんだかんだでみんなのことを快く見送ったってところなのよ」

「ふむ……」

「ただ終くんのことを思うなら、私たちには別の選択肢もあった。父さんの海外転勤にしても、母さんがそれについていったことも、私の一人暮らしにしたってそう。必ずしもそうする必要があるかと聞かれればそうじゃない、それこそその選択肢を"選ばない"こともできたわけよ」


 姉さんが喋り終えた直後。


 ――俺は気づいたら、その言葉を口にしていた。


「いや、それは違うだろ」


 遅れて、自分がなにを言ったのかようやく理解する。それはその程度には"当たり前"のことで。

 俺はその"当たり前"を、自分の中で噛み砕いて言葉にまとめて、そして再び口を開いた。


「……父さんも母さんも、それに姉さんだって。自分が本当にやりたいことがあるんなら、俺はちゃんと言葉にして伝えて欲しい。もちろん一から十まで受け入れて認められるかなんてのは、そのときにならないと分からないけれど……それでもみんなは家族で、俺の大切な人たちだから、だからこそ言いたいことがあるなら言えばいいし、俺だってそうしていきたいと思っている」


 大切だから相手を尊重する、大切だから自分の気持ちを押し殺す。それはそれで必要な場面というのも、ないとは言わない。

 だけどそれだけじゃ駄目なんだってことを、俺は知っている。本音で語り合って、本心で向き合うからこそ生まれる絆があるってことを、俺は知っている。

 それを教えてくれたのは、俺の家族――だけではなく、もうひとり。

 いつだって明るくて、いつだって真っ直ぐで、そしていつだって正直な自分で接して来てくれた大切な親友。そいつを俺は、知っている。

 だから……だから俺は――ん?

 一瞬脳裏を過ぎったのは、言葉にできない妙な違和感。ほぼ同時に、姉さんが言った。


「なんだ、分かってるじゃない」

「え……?」


姉さんの言葉の意図が読めず、つい疑問の声を上げてしまう。

だが同時に俺の中で違和感が膨らんだのも、確かだった。

なにか大切なことを忘れている。なぜか分からないけど、そんな気がする。

俺の疑問に答えるように、姉さんが言葉を紡ぐ。


「大切な人とは本音で話し合いたいのよね。だったらそれでいいじゃない。たとえ家族でも"親友"でも、それは同じ、でしょ?」

「っ……!」


違和感が、頭を揺さぶられるような衝撃に変わった。

大切なことを忘れていると感じたのは、俺が本当に忘れていたからだ。

 友情を守りたい、親友と正面から向き合いたい。その願いに執着するあまり、俺は逆に向き合うことを忘れていた。

 『一人で拗らせているだけ』。姉さんの言が、今更になって胸に突き刺さった。

 「はぁ……」自分自身に呆れて、ため息が自然と漏れる。そして俺は自嘲気味に口を開いた。


「姉さんの言うとおりだったな……。悩みすぎて熱出したときから、俺はなにも進歩してなかった」


 当時の反省も生かせず、親友とも向き合えず。

 自己嫌悪でへこむ俺に、姉さんはからかうような笑みを見せた。


「ま、たしかにヘタレてるところはいつだってそのまんまだわね」

「おい」


 べつに同情してほしいわけじゃないが、それにしたってヘタレって。もうちょっと言い方というものがだな――


「――だけどなんだかんだ言っても、ヘタレなりに成長してはいると思うわよ。少なくとも今は前向きになり始めてるんだし。ずっと終くんを見てきたこの偉大な姉さんが言うんだから間違いないわ」

「……最後の一言は、照れ隠しか?」

「そこはほら、茶化せるとこで茶化すのも漫画家の腕の見せ所ってね」


 にしし、と意地悪そうに笑う姉さんに俺はふと思う。

 やっぱ姉さんは姉さんだな、と。普段はアレでも本当にたまにだけどこの人は、年上らしくなるんだ。本人には絶対言わないけど。

 なんて内心でこっそりと呟く俺を尻目に、『これでお開きだ』というように姉さんがパンッと両手を叩いて音を鳴らし、ソファーから立ち上がった。


「よし! それじゃあ私、そろそろ帰るわ。言いたいことは言ったしね」

「ん? なんだ、来たなら飯ぐらいは食べてくものかと思ってたが」

「こっちはこっちでそれなりに忙しいからねん。楽しみは次の土曜にとっておくわ」


 ……もしかしなくても、俺に発破をかけるためだけにこの人は来たのか。

 なんというか、そう思うとこんな姉に対してでも急に申し訳なさが湧いてくるもので。とはいえここで謝るのも、それはそれで違う気がするから……。


「んじゃ、次の土曜は気合入れなきゃな。先週作れなかった分も含めて」

「そりゃ楽しみねんねん」


 きっとこのくらいが、俺たちにはちょうどいい。


「……あっ」 


 そういえば、今気づいたことがひとつ。


「姉さん、なんでさっき"親友"って……俺、話した覚えないんだが」

「ん? なんでって……こないだ終くんが自棄酒して倒れたときに言ってたじゃない、ぼそっと。小声だったから詳しくは分かんなかったけど、今はあえて聞かないであげるわね」

「……ほんと、拗らせてたんだな。俺は」


   ◇


 姉さんを見送ったあと、俺は再び静かになったリビングで一人ソファーに腰を下ろした。


「あー……」


 がしがしと頭を掻きながら考えるのは、親友――始とのこれからについて。

 大切ならば正面から向き合って、本音をぶつけあって、その上で分かり合えるのが理想だろう。

 分かってる。分かっているが、じゃあできるのかと言われれば話は別で。


「結局、どうするのが一番正しい……いや、俺がどうしたいか。なのかな」


 俺の本音。始に恋をしていて、それでもあいつとの友情は失いたくないという……いや、本当にそうなのか?

 もしかしたらもう、俺のあいつに対する気持ちは"恋心"なるものにすり替わっていて、友情を失いたくないと願うのもあいつを傷つけたくないって思うのも、実は全部――


「あ゛ー……」


 俺は両手で顔を覆い、少しでも鬱憤を吐き出そうとするかのように呻いた。

 なんか分からなくなってきた。友情とか、恋とか、一体なんなんだ。

 考えれば考えるほど、迷路の奥に迷い込むように俺自身の本音というやつが見えなくなってしまう。

 それでも一応、見えたものもあった。見えたというか、再確認というか。

 俺は始と真正面から、本当の自分で向き合いたい。だけどやっぱり始を傷つけるのは嫌だし、始に嫌われるのも怖い。

 もし……もしも、だ。俺が始に好きだと伝えたとして、始がそれによって俺のことを嫌いにでもなったとしたら……。


「うわ、無理だ……絶対無理だ……」


 死ぬほど悔しいけれど、認めるよ姉さん。どうせヘタレだよ俺は。

 本当の自分で向き合いたい、だけど嫌われるのは本気で怖くて。

 この友情が壊れるのも、始を傷つけるのだって嫌だ。

 そもそもこの思いは友情と恋心のどっちなんだ。

 人が視覚的に自分の姿を自分で捉えることができないように、俺は自分の心を自分で捉えることができなかった。


「どうしたらいいんだ本当に……」


 俺の体から自然と力が抜けていく。だらりと両腕を垂らして、力なく天を仰ぐと……うわ、蛍光灯眩しい……。

 ソファーに寝転がる。このままだと自然に寝てしまいそうだ、いっそあのときみたいに酒でもあれば全部忘れて――


「って駄目だろそれじゃ……!」


 俺は後ろ向きな考えを振り払うためにがばりと起き上がり、首を振った。


「考えなきゃいけないんだ。今度こそ、逃げずに……」


 なんでと聞かれたら上手くは言えない。考えたところでなにも変わらないのかもしれない。だけど……思考停止は駄目だ、そう思ったから。

 とりあえず……始と向き合うためにも、まずは自分自身と向き合おう。『これが俺のやりたいことなんだ』、胸を張ってそう言える答えをまずは見つけるんだ。

 始が口癖のように言っている言葉。なんにでも真正面からぶつかっていくあいつを象徴するようなその言葉を、俺は決意を込めて呟いた。


「……頑張ろう」

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