第8話 オレらしく、女の子らしく?
最初の子供、つまりオレが生まれたときに父さんが一念発起して買った2階建ての一軒家。それが朝雛家のマイホームだ。
「ふぃー、さっぱりしたー」
時刻は午後7時。
愛すべきマイホームの1階にある風呂から上がったオレは、ボーダー柄の水色のパジャマに着替えると、ドライヤーを抱えて2階にある自分の部屋に入った。
床に物が散乱しているわけでもないからぱっと見汚くはないけど、よく見れば棚には適当にゲームや漫画などが詰め込まれていたり家具の配置もあまりレイアウトを考えていなかったり、そういう意味では綺麗とも言いがたいそんな自室。
学習机なんて大小さまざまな『おすわりわんこ』のぬいぐるみが何匹も陣取って占拠し始めているし、この部屋もいい加減整理が必要かなぁ。
なんて、おそらく次の日には忘れていそうなことを考えつつ、オレは壁に立てかけてある姿見の前にぺたん座りをすると、ドライヤーのコンセントを挿して電源を入れた。
ちなみに『おすわりわんこ』とは、シンプルな名前の通り"お座り"の体勢をとった犬をディフォルメしただけの見た目だが、昨今の主流に反して奇をてらわない直球な愛らしさとシリーズを通して定評のあるそのもふもふ感で、堅実に人気を積み上げているぬいぐるみシリーズだ。
店売りされている物だけでなく、クレーンゲームのプライス品なんかもあったりしてそのバリエーションはゆうに100を超えるとか。男のときはこういうのに興味なかったけど、オレも今ではその可愛さと抱き心地にすっかり嵌ってしまっていた。
ま、それはそれとして。
オレはドライヤーを構えると熱で髪が痛まないように、髪とドライヤーの距離を適度に離しつつ手早く乾かし始めた。髪を大切にするならきっちり乾かしておくべきだけど、あまり当てすぎるとそれはそれで髪が痛むということで、オレは迅速さを心がけてドライヤーを操っていく。
ブォォォ……とドライヤーが勢いよく風を噴出す音をBGMに、オレはふと考えだした。
この作業も手慣れてきたなぁ、と。
ついこないだまではそもそもドライヤーなんて使わず適当に自然乾燥させていただけだったのだけど、それをまひるに話したら『まったく……髪は女の命なんだからもっと大事に扱いなさい!』ときつく怒られたあげく懇切丁寧に髪の手入れについて教えられて以来、オレもこうして髪には気をつかうようになったのだ。
正直面倒だけどこれも魅力的な女の子を目指すのに必要な作業、ひいては終斗に振り向いてもらうために必要なんだ。そう思えば自然とやる気も出てくるもので。
髪を乾かし終わったあとドライヤーの電源を切り再び鏡を見れば、そこに映っているのは乾かしたてのさらさらふんわりした茶髪の女の子。
……うん。どうみても女の子に、見えるよな。
全体的に子供っぽさが目立つ童顔も、精々中学生にしか見えないであろう小柄な体格も、ひとつひとつの要素は男のときからあまり変わってないはずなのに、こうして見るとやっぱり今のオレは女の子なんだって思う。その事実がちょっと前までは嫌だったのに、今はむしろ少しほっとしていた。
「あ、そうだ」
鏡に映る女の子となんとなしに見詰め合っていると、ふとあることを思いついた。
オレはおすわりわんこが群を成す学習机の上に置いてあった手のひらサイズの小箱と、ついでにそばにあった両腕で抱きしめられる程度の大きさの『おすわりわんこ』を一匹持ってきて、再び鏡と向き合って座った。
手始めに持ってきたわんこをぎゅーっと抱きしめる。髪のように長い毛が特徴のヨークシャテリアだ。
「ふへぇ……」
つい気の抜けた声が出てしまったけれど、それもこのぬいぐるみの前では致し方ないことだとも思う。
羽毛のようにふわふわした毛と、抱きしめれば沈み込む本体の感触が癖になるんだよなぁ。しかもこいつは期間限定品でラベンダーの香りがほんのり漂う特別仕様だ。
感触と香りのダブル癒し効果をたっぷり堪能したオレは、次にぬいぐるみと一緒に持ってきた小箱を開けた。
中にはヘアゴムやピンなどの髪留めがいくつか入っていて、こないだショッピングモールで買ったシュシュも一緒に入っていた。というかこの箱に入っているものは全部あのときに買ったものだ。
まひる曰く『どうせなら色々揃えておきましょうか、シュシュひとつじゃ幅狭いし』ということらしいけど、実際留め具ひとつでそんなに変わるものなのかイマイチ分からない。
じゃあ今から実際に試してみればいいじゃない、ついでに髪型も色々やってみよう。というのがオレの思いつきである。
「へへ、どれにしようかなー……」
オレはちょっとだけ迷ったあと、空色のヘアゴムをひとつ取り出した。蝶を模した同じ色の飾りが可愛らしい一品だ。
そして鏡を見ながら後頭部で髪を結ぶ……できた!
はたしてオレの髪は後頭部で一纏めになり、子馬の尻尾のようなポニーテールへと様変わりした。
顔の向きを何度も変えつつ、鏡に映る自分の髪を色んなアングルから観察する。
髪の長さの都合でまひるのように長く艶やかなポニーテールにはならないけれど、それでもどことなくいつもよりもスマートで活発的な印象が見て取れた。おお、これはこれで中々悪くないんじゃないか?
それとヘアゴムも、シュシュと違ってボリュームがなく自己主張が薄い分纏まった感じというか、良くも悪くも飾り気のない感じだ。これは蝶の飾りがそこら辺中和しているみたいだけど、もっとシンプルなヘアゴムならもっときゅっと締まった感じになるのだろう。
そういえば、まひるも普段は飾りのないヘアゴムを使っていたな。ううむ、似たものを使えばもしかしてオレもまひるみたいに大人っぽくなれるだろうか。
いくら可愛い系の格好の方が似合うと言われても、やっぱりああいうタイプへの憧れは捨てきれないのだ……よし、また今度試してみよう。
「次は……こいつだ!」
空色のヘアゴムを箱にしまって同じ箱から取り出したのは、またしてもヘアゴム。でも今度はさくらんぼの飾りがついた赤色のものだ、それも同じ物が二つ。
両側頭部のこめかみ辺りで、それぞれ髪をまとめて結ぶ……できた!
今度は頭の左右にポニテのような髪の束が二つ、すなわちツインテールだ。
子供っぽいと揶揄されやすい髪型だし、実際オレとしてもそういう印象を抱いている髪型だけど……悲しがな、さっきのポニテよりも似合っている気がするんだよな……。
なんだか微妙に釈然としないけれど……でも頭を動かすとツインテールもぴょこぴょこと動いて、なんだか面白い。もうひとつ言えばオレの髪は短いから今のツインテも大分小さめだけど、そのおかげでツインテそのものが小動物的でなんだか癒されるような。あれだ、犬の耳辺りを彷彿とさせるんだ。そう考えるとなんか、段々この髪型も気に入ってきたな。うん……髪型的には似合う方みたいだし、たまにはこういうのもいいかもしれない。
「よし、次はこれだな」
ツインテールをほどいたら赤色のヘアゴムをしまい、箱の底に散らばる何色かのヘアピンから青色の物を摘んで取りだした。
適当に髪を分けると針金のように細いヘアピンで、分けた髪の片側を挟んで留める。
「おお、結構変わるもんだな……」
鏡を見ると、予想以上に雰囲気が変わったオレが映っていて、つい驚いてしまった。
セミショートの髪は男女どっちつかずって感じだったけど……髪の流れを変え、おでこを出しただけなのになんというか、女子力がワンランク上がった気がする。
オレの短めの髪じゃ結んでいじるのには限界があると思ってたけど、こうやって前髪で工夫することもできるのか……うん、勉強になった。きっと女子力もレベルアップしただろう。
「それじゃ、最後はやっぱりこれだな」
前髪をいじるという新しい技を覚えたオレはヘアピンを外して前髪を軽く払うと、箱の中のシュシュと入れ替えた。
オレが初めて髪を結んだときに使った、白いふわふわのシュシュ。あのときから……終斗が褒めてくれたときからの、一番のお気に入り。
ツインテールと同じように側頭部へ、しかしポニーテールと同じように髪の右側の一点だけに髪を集めてから、シュシュで括る。
そうして出来上がったのが、頭の右側だけから髪の束がぴょこんと飛び出したサイドテールだ。
「……うん、やっぱりこれが一番しっくりくる」
ツインテもポニテも、ヘアピンで前髪を留めるのも、どれが一番似合うかなんて言ってしまえば見る人の趣味に寄るだろうし、そういう意味では優劣の付くものでもないけれど……。
それでもこのサイドテールが、それもこの白いシュシュが一番しっくりくる気がする。それは多分きっと……。
『似合ってるし可愛いと思うぞ』
終斗が褒めてくれたからなんだ。可愛いって、言ってくれたから。
今日だって。
『――俺としても、その髪型はお前によく似合っていると思うし』
「えへへ……」
今日の昼休みのことを思い出すと、つい顔がほころんでしまう。
目標だった淑女にはなれなかったというのに、少し褒められただけで嬉しい気分になってしまうのは我ながら現金なやつだと思う。まひるにちょろ子とか言われるのも悔しいけれど、少しぐらいは……ほんの少しぐらいは、認めざるをえない。
だけど……嬉しいものは嬉しいんだから、どうしようもないんだ。
終斗が可愛いって言ってくれたから、こうしておしゃれをするようになった。終斗に振り向いて欲しいから、もっと素敵になりたいって思えるようになった。髪だけじゃなくて服だっていっぱい勉強して、そしたらいつかきっと――。
「きっと…………本当に、なれるのかな。オレなんかが、終斗の恋人に……」
鏡に映る女の子の眉尻がハの字に落ちた。その小さい口も辛そうに、一文字に結ばれる。
その体は高校生だと胸を張るには小柄過ぎて、胸を張っても悲しいほどに凹凸が現れない貧相な体つきだ。男が振り向くには色気が足りなさ過ぎるだろう。
恋の駆け引きが分かるほど賢くもないし、淑やかさなんてもっての他だ。今日体験してみてよく分かった。
それになにより――
――オレは本物の女の子じゃないから。
反転病で性別が変わったのが半年ほど前。16年間付き合ってきた男としての癖や感覚は未だに色濃く残っているし、可愛くなりたいと思っていても、やっぱり女の子らしくするのはどうしたって恥ずかしい。
恋を知って、女の子らしく在りたいと思っていても、未だに自分は男としての過去を引きずっているちぐはぐな"まがい物"だ。
小学校でも中学校でも実際に反転病にかかった人は見たことがある。とはいえこのご時勢だ、べつにその人たちに対してまがい物だのなんだの物騒なイメージを抱いたことは全然なかったけど……実際、自分がその立場に置かれてみると強く意識してしまう。怖くなって、劣等感を抱いてしまう。
自分は本物の女の子よりも、劣っているんじゃないか。女の子らしく在れない自分なんかを、男は好きになってくれるのだろうか。
もしも、もっと綺麗で色気があれば終斗は女として意識してくれたのかな。
もしも、賢くて淑やかな性格だったなら上手く終斗の気を惹くこともできたのかな。
もしも……もしも、オレが普通の女の子だったら――なんの気兼ねもなく、終斗を好きになれたのかな。
「……はっ!」
オレはついネガティブな考えに嵌っている自分に気づくと、首をぶんぶん振ってその考えを吹き飛ばそうとした。
もしも、だなんて考えたって意味が無いってことくらい分かっているのに、ついうじうじしてしまうのはオレの悪い癖だ。
そうだ。もしオレが本物の女の子よりも劣っているとしても、だったらなおさら頑張らないと。たとえ劣等感を抱えていてもオレは終斗が好きだし、オレのことを好きになって欲しいから。
それにもうすぐ文化祭が始まる、それも青陽高校に入ってから初めての文化祭だ。絶対に成功させたい、だから余計なこと考えて落ち込んでいる暇なんてないんだ。
「……頑張ろう」
色々と足りないオレにできるのは、結局それくらいだから。だから今できることを、全力で。
オレは胸の前でぐっと拳を握って、一人決意を改める。
鏡の中の少女も同時に拳を握る……色気を全然感じられない平坦な、胸の前で。
……本当に色々と、足りない。
「…………」
とりあえず、牛乳飲もう。
まひるには無理だって言われたけど、きっとこれだってもっと頑張れば……!
そう思い立ったオレは早速立ち上がって、自分の部屋を飛び出すように出て行くのだった。