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第7話 淑女らしく?君らしく?(後編)

 始が男だった頃は、この友情がずっと続くものだって信じていた。

 俺は臆病だったけど、始とだったらそれを信じられたから怖くはなかった。


 始が女になってからは、この友情を失いたくないって願っていた。

 俺は臆病だったから、自分が信じられなくて怖かったんだ。



 ――大切だと思っていた友情が、恋心なんてよく分からないものに塗り潰されるんじゃないかって。



   ◇■◇



「――ごきげんよう、終斗」


 ……は?

 

「……は?」


 疑問符一色に染まった脳内から、俺の心境がそのまま口を伝ってポロリとこぼれた。

 続いて、現状をどうにか理解しようと俺の頭が遅れて動き出す……出てきた結論は『こいつはなにを言っているんだ』の一言だけだった。

 呆然と目を見開く俺に向かって、始は相変わらずの可愛さで相変わらずから程遠いことをのたまいだす。妙に自信たっぷりの、ドヤ顔で。


「驚いたでしょう、終斗」

「あ、はい……」


 始に釣られてつい敬語で返してしまった。

 それにしてもミステリーである。妙に上品ぶった敬語もそうだが、なんていうか子供が見栄を張ったようなあのドヤ顔が一層胡乱だ。

 分からない。どう見ても分かりやすい人間に分類されるであろう始のことが、よりにもよって親友だというのに最近本当に分からない……!

 何気ない日常に現れた突然の難事件に俺の思考が迷宮入りしてしまいそうになったとき、始が再び口を開いた。


「ふふ、その反応も当然です。そう、なぜならこのかつてない"シュクジョリョク"に満ちた私を直視してしまったのですから……!」

「……!?」


 シュクジョリョク……!?

 その未知なる言葉と目の前にいる始から、なにも連想することができないっ……!

 俺はミステリー物にありがちなモブのように、ただ混迷の中に身を落とすことしかできなかった……。



   ■◇■



 淑女になるための特訓を行った次の日。

 昼休み、いつもどおり1-Aの教室で話し合うオレとまひる。そう、まひるのメリハリが羨ましいスタイルも、オレのぴょこんと飛び出たサイドポニーも変わらずいつもどおりだ。

 だけど一つだけ、いつもどおりじゃないことが……。


「さて、今日は昨日みっちりやった特訓の成果を確かめるため、今から夜鳥くんのところに突撃するわけだけど……準備は良いわね、始」


 オレ――否、私は椅子からゆっくり立ち上がると、すでに不敵な笑みを浮かべて立っているまひると向き合って返事を返す。


「勿論ですよ、まひる。そう……今の"私"は完璧な淑女。これで終斗も一人の女として、私を見てくれるはずです」


 自分の姿を自分で見ることはもちろんできないが、それでも想像には容易い。今の自分は奥底の知れないような薄い微笑みと、芍薬がごとし立ち姿を兼ね備えていることだろう。

 特訓によって開花し、凝縮された淑女力が私の肢体からオーラとなって滲み出ているのはきっと、錯覚なんかではないはずだ。

 その証拠に、まひるも今の私を見て満足そうに頷いていた。

 完璧だ、完璧な淑女パーフェクトレディだ。まひるがそう思っているであろうことが、言わなくても伝わってくる。

 親友からの太鼓判が私の自信を確固たるものと化して、私の背を押し出した。


「それではまひる、私は終斗の下へ向かいます。無論この間のようにスマホで中継をしますので、そこから私の勇姿を是非とも聞いていてください」

「勿論、最後まで聞き届けるわよ……行って来なさい、始。特訓で鍛えた淑女力を、終斗に見せ付けてやるのよ!」

「ええ……それでは朝雛始、お淑やかに行って参ります」


 流れるようにスマホを通話状態にして、華麗に教室から出て、優雅に終斗がいる1-Bの教室へと入っていく。

 すると淀みも曇りもその一切が祓われて洗練された淑女ウォークに、心なしか1-Bの皆々様方からの注目が集まってるのを肌で感じた。

 まったく、真の淑女というものは図らずも人気を集めてしまうものですね……。

 しかし今回の目的は終斗ただ一人。

 自分の席で黙々と本を読みふける終斗の前に立つと、私は淑女らしく雅な挨拶を見せつけた。


「ごきげんよう、終斗」

「……は?」


 私の挨拶に、さしもの終斗も動揺を隠せなかった。ポーカーフェイスに定評のある彼はしかし今、両目をありありと見開いて驚愕の表情を浮かべている。

 聡明な彼は一目見ただけで理解してしまったのだろう。今目の前にいるのが昨日までの子供っぽい少女ではなく、和の心を体現したような大和撫子だと。

 キテる、これはキテます!今、間違いなく私を女性として意識し始めています!

 内心で確かな手応えを感じながらも、無論それを表情にださないよう努めながら、私は生まれ変わった自分を見せつけるべくさらに言葉を重ねた。


「驚いたでしょう、終斗」

「あ、はい……」

「ふふ、その反応も当然です。そう、なぜならこのかつてない淑女力に満ちた私を直視してしまったのですから……!」

「…………」


 終斗は顔を引きつらせるばかりで、言葉すらでない様子だ。

 ……どうやら、昨日の私とは比べ物にならないほどの強烈な淑女力に気圧されたらしい。

 たしかにここまでの淑女を目にすれば無理もない話だが、そんな殿方を安心させる包容力も淑女の務め。

 私は全てを包み込むような柔らかい微笑みを湛えて、終斗に語りかけた。


「大丈夫ですよ終斗、そんな顔しなくても。貴方には私がまるで遥かな高みへと飛んでいってしまったように感じたかもしれませんが、そんなことはありません。私はいつだって、貴方の知っている朝雛始です。ただ、奥底に眠っていた淑女力がついに覚醒してしまっただけで……!」


 しっかり親近感を回復しつつも、淑女であることを強調して意識せざるをえなくする巧みな発言。

 優しき配慮に強かな思惑をそっと添える、そんな女の駆け引きまでたったの一夜で身に付けてしまったことに、私は自分でも戦慄を覚えてしまう……!

 留まるところを知らない自分の才に浸っていた私は、しかし終斗の声であっさり現実に引き戻された。


「なんだかよく分からんが……このチョコケーキでも食うか?」


 終斗が困惑の表情と共に差し出してきたのは、ラップに包まれ一口サイズに切り分けられたチョコケーキだ。

 なるほど……これはきっと、私を試そうとしているのだろう。

 はたしてお前はまごうことなき淑女となったのか。ただの一晩で本当に人はそこまで変われるのか。

 疑うのも無理はない。試したくなる心境も理解できる。

 ならば応えよう、真の淑女はチョコケーキ一つで揺らぎなどしないということを――!


「いいえ、終斗。昨日までの私ならば一も二もなく飛びついていましたが、しかし今の私はそのような代物に釣られ、醜態を晒すような真似は決して――」


 きゅー。


 私のお腹が、当人の意も場の空気も全てガン無視して、緩すぎる唸りを上げた。


「「…………」」

 

オ、オレの食欲の馬鹿ー!

……はっ。いかんいかん、淑女はこんなことじゃ取り乱さない!そう、今ならまだ軌道修正が間に合う……!


「……今」

「気のせいです、決してお腹なんてなっていません。大体私だってもう子供じゃないんです、立派な淑女なんです。だからお昼ご飯のすぐ後にがっつくようなやましい真似は――」


 きゅるるるる……。


「……本当に、いらないのか?」

「い、いりません! 全然本当にこれっぽっちも!」

「そうか、いらないのか……せっかくの手作りだったが、仕方ないな……」

「あ……!」


 終斗の、手作りだと……!?そんなの……絶対おいしいに決まってるじゃないか!

 少しだけしょんぼりした表情の終斗によって鞄にしまわれようとしたチョコケーキに、つい視線が釣られてしまう。思わず物欲しそうな声が出てしまう。

 そんなオレに気づいてしまったのか、終斗は動きを止めて再びこっちに視線を向けてきた。


「…………」

「……はっ。べ、べつに見てないから……」


 慌てて目を逸らすオレに突き刺さる、無言の視線。

 しゅ、淑女らしくしないと……ああでもチョコケーキ欲しい。淑女、チョコ、淑女、チョコ、淑女、チョコ。

 ぐるぐると回り続ける思考を切り裂いたのは、他ならぬ終斗の一声だった。


「始」

「ふぇ!? な、なんだチョコ!」


 語尾から本音が漏れてしまったが、終斗は気に留める様子もなく断固とした声音で言った。


「口開けろ」

「えっ、でもそんなの淑女らしくな――」

「いいから」

「あぅ……」


 少し怒ったようにも感じる力のこもったその声と少しだけ眉をひそめた表情から妙な威圧感を感じて、つい口を開けてしまう。

 その直後、オレの口になにか一つ、詰められた。


「むぐっ……んむ」


 一瞬息苦しさを感じたけど、ふんわりとした感触のそれは思いのほか、するりと口内に入っていった。

 控えめな甘さとそれを引き立てるような軽い苦味、優しく滑らかな口どけがオレの舌を喜ばせる。軽く噛めば柔らかいスポンジの中にカリッと硬い感触が。これは……チョコチップか!その硬さに加えてケーキそのものよりも濃い味が、ケーキとの二重奏を味と感触の両方で実現させる、シンプルながら見事なチョイス。

 ……間違いない、これは終斗の手作りチョコケーキだ。

 予想通り、文句なしに美味しい。市販のケーキよりも大分シンプルな代物だけど、だからといって味では劣らないそのケーキを、オレは夢中で味わう。

 口が綻び、頬が緩み、ふにゃりと目尻が下がった……ところで、オレはふと我に返り気づいてしまった。

 ――すっかり淑女力が消え失せてしまった自分に。


 しっ……しまったー!


 せっかく淑女らしくできてたのに、終斗のチョコケーキという最強の刺客によってとうとう陥落してしまった。

 どっ、どうしよう!これじゃあ終斗がオレのこと意識してくれなくなる……。

 一度剥がれた化けの皮は、そう易々と被れないようで。オレは終斗の前だというのに内心を隠すことも忘れ、ただうつむいて回らない頭で打開策を考えることしかできなかった。

 どうしよう、どうしようと、心の中で繰り返し重ねても、策なんて全然でてこない。

 オレはひたすら思考の迷路で迷い続け――


「始」


 不意に聞こえた声とともに、教室の雑音も耳に届き始めた。思考の海から引き上げられた証だ。

 教室の雑音なんて耳に入らないくらいに没入してたってのに、不思議なくらいはっきりと耳に届いた終斗の声は、さっきと同じくオレの名前を呼ぶ物だったけど……さっきと違って優しく暖かみを感じる物で。


「終斗……?」


 再び終斗に視線を向けると、あいつは声音に違わず柔らかい笑みを浮かべている。

 オレと視線があった終斗は、その表情と声音を変えずに告げた。


「事情は正直よく分からないが……俺は無理に飾らない、いつものお前の方が"好き"だよ」

「あ……」


 好き。

 それがきっと親友としての言葉だとしても、淑女らしい俺が似合わないという意味だとしても、そう言われるだけで頭がぼーっとして気持ちがふわふわしてしまう。

 好き……好き、なんだ……。

 いつものオレが、飾らないオレが。

 でも淑女はどうしよう。

 でもでも好きって言ってくれたし……。

 そういえば、またさっきのチョコケーキ食べたい……。

 ぼんやりと考えるオレに向かって、終斗は学生鞄を漁りながら、言葉を続ける。


「……ところで始」


 終斗が鞄から取り出してオレの目の前に差し出したのは、新しいチョコケーキだった。


「さっきのチョコケーキ、まだいくつかあるんだが……こいつらも、食べるか?」


 オレは、オレは……。

 はたしてオレは、ややおぼつかない足取りでふらりと一歩踏み出して――。



   ●



 俺の対面では適当な机から椅子を借りて座った始が、ビニール袋に纏めて入れられた一口サイズのチョコケーキを取り出してはラップを捲り、わんこ蕎麦のようにひょいと口に放り込んでは笑顔で頬張っていた。


「ん~! やっぱ終斗は料理上手いなぁ!」

「喜んでもらえて何よりだ」


 ふと気まぐれで作ったチョコケーキだったが、ここまで喜んでもらえたのなら釣りがくるほどだ。

 ……うん、やっぱりこうして飾らず笑っていた方が始らしくていいな。

 というか、そもそもなんでさっきまであんな演技をしていたのかが不思議だ。会話から察するに始が"淑女"を目指していたらしいということはなんとか分かったが、その動機は未だに分からない。

 けど始の笑顔を見ていたら、とりあえずはいいかなと思えてきたし……それに正直それどころじゃないというか――。


『俺は無理に飾らない、いつものお前の方が"好き"だよ』


 なんであんなこと言ってしまったんだ俺は……!

 始のことだと表情を抑えるので精一杯になってしまうせいか、とにかく口が滑ってしまう。

 いや、口だけじゃない。さっきなんて無理しているあいつを見ていられなくて、つい半ば無理矢理チョコケーキを口に突っ込んでしまったし……。

 あー、男にああいうことされるのってやっぱ嫌なんだろうか……それに可愛いだの好きだの、ここ最近の失言に始が変な勘ぐりを抱かないだろうか。

 そんなことをつらつらと、忙しなく口を動かしている始をぼーっと眺めながら悶々と考えていたら、不意に右手の指先に筆のような柔らかな毛みたいな感触を感じた。

 そこへと視線を向けてみれば、いつの間にか俺の手は始のサイドポニーを触っていて。


「むぇ?」


 触られた始はケーキを咀嚼しながらも、俺の行為に対して不思議そうに首を傾げた。

 きょとんとした表情とリスのように膨らむ表情が愛らしい……ってなにをしているんだ俺は!

 咄嗟に手を引っ込めつつ、慌てて弁解をする。


「わ、悪い。なんか少し気になって……」


 突然髪に触るなんて、怪しまれるしれない。俺は急いで話題を変えようと、思いついたことをすぐ口に出した。


「……髪型、この間ショッピングモールで会ったときからずっとそれだよな」


 俺は口に出してから後悔した。いくら話題変えるといっても、こないだ自棄酒までして忘れたデパートのことをぶり返すことはないだろう自分。爆弾をかわして地雷を踏みに行くような自殺行為に内心、頭を抱えた。

 しかし……気になっていたのは、事実である。

 始はてっきり女の子らしい扱いをされるのが嫌いだと思っていたし、実際女になったばかりの頃はそういうのを嫌がっていた節があった。無論、女物なんて着るはずも髪を可愛く結んだりもしない。そう思っていたのに。


「その……お前がそういう髪型するのって、なんていうか意外だったから……」


 俺の問いかけに、始はぴくりと僅かに体を揺らしたあと、口の中のチョコケーキを飲み込むと見るからに慌てて弁解しだした。


「え、えっと、最近こういうのも悪くないかなって思ってさ! えっと、むしろ気に入ってるっていうか……その……やっぱりオレなんかじゃこんな髪型、似合わないかな……?」


 不安げに、上目遣いで俺を見つめてそう問いかける始にドキリとしながらも、やましい気持ちを無理矢理蹴りだしつつ考える。

 始も、きっと前向きに頑張っているのかな。

 反転病にかかって性別が変わってしまったからといって、無理に「その性別に合わせろ」なんていうつもりはない。嫌なら嫌だって言えばいいし、現実的な話にしたって今の社会はちゃんと個々人の意思を尊重してくれるはずだ。

 だけど逆に言えばもし現状を受け入れられるのならそれに越したことはない、とも思う。きっと心に軋轢を抱えて生きていくのは辛いことだから。

 今まで自分を示す重要なパーツだったはずの性別が、ある日突然変わる。自分の一部が異質なものと挿げ替えられる。それがどれだけ大変なことなのかは分からない。分かりたくても当人ではない以上、精々想像することしかできないけど――


『心まで女の子になったら、オレがほんとにオレじゃなくなっちゃうみたいで嫌だったんだ』

『変わる事が怖いって言うなら――俺は変わらない。俺はずっとお前の親友でいるから、お前がまた不安になっても『お前はお前だ』って事を証明し続けてやるから』


 それでも始がかつてと今の自分との差に傷ついて、苦しんでいたことだけは知っているから。

 だから始が今の自分を受け入れて、楽しめるようになったのなら、俺は少しでもあいつの支えになってあげたい。始がかつて、一人ぼっちだった俺に手を伸ばしてくれたときのように。

 この気持ちが友情からのものなのかそれとも恋からくるものなのかは、もう正直分からないけれど……どちらにせよ俺は始の力になりたい。それだけは、確かな気持ちだった。

 俺はできうる限り優しく微笑みながら、始に言う。


「さっきまで口調変えてたけど……あれみたいに、無理をしているわけじゃないんだろ?」

「あ……その、ちょっとだけ恥ずかしいけど……でも、うん。オレがこうしたいって思ったから……」

「それじゃあいいんじゃないか。それに――俺としても、その髪型はお前によく似合っていると思うし」


 またしても、言い終えてから気づいた。だから一言余計だ俺、個人的な感想とかいらなかっただろ……!


「そっか……えへへ」


 ま、とりあえず始が嬉しそうだしいいか。頬を綻ばせて笑う始を見ていたら、なんだか気が抜けてきた。

 しかしつまり……淑女の演技をしていたりデパートで可愛らしい格好をしていたのも、可愛いと褒めたらまんざらでも無さそうだったのも、全部女性としての自分を受け入れるための一環みたいなものなのかな。

 そう解釈すれば、すんなり納得もいく。まるでひとつのミステリー小説を読み終えたときのようにすっきりした気分だ。

 ある種の清清しさを感じたところでキーンコーンカーンコーン、とよく通る鐘の音が聞こえた。いつもは授業開始を告げるだけのうっとおしいチャイムだが、今はなんだか耳に心地良い。

 俺は自分のクラスだから動かなくてもいいが、別クラスである始は昼休み終了5分前のチャイムを聞いて、当然帰り支度を始める。

 自身の座っていた椅子を元の所まで戻した後、始はまだチョコケーキが残っている袋に一瞬物欲しそうな視線を向ける。

 そんなもの見せられたら、俺に見て見ぬ振りをする道理などない。


「それ、欲しいんなら持っていってもいいぞ。俺よりもお前の方が美味しく味わってくれそうだからな」

「ほんと!? ありがと、それじゃあまたね!」


 心の底から嬉しそうに袋を抱え、自分の教室に戻っていく始。やっぱりあいつは自分らしく無邪気に振舞ってくれた方が、見ているこっちも嬉しくなる。

 しかしあんだけ喜んでもらえるなら、また今度お菓子でも作ってやろうかな……今度はもう少し気合を入れて。あれだけ美味しく食べてくれる相手なら、自炊系高校生冥利に尽きるというものだ。

 俺は次に作る菓子のレシピを考えながら、授業開始までの暇を潰そうと、中断していたミステリー小説を再び開いた。

 現実のミステリーは無事解決したし、もう一度フィクションのミステリーに浸ろう……と思っていた矢先、ガラッ!と教室のドアが勢いよく開いた音が。そして直後には、ついさっき帰ったはずの始の必死そうな顔が目の前にあって。必死そうな声が目の前から聞こえて。


「終斗、オレ――ちょろくないよね!」

「え゛……」


 どうやらまだ、事件は終わっていなかったらしい。二段構えとか大胆な構成じゃないか……!



   ●

 


「それ、欲しいんなら持っていってもいいぞ。俺よりもお前の方が美味しく味わってくれそうだからな」

「ほんと!? ありがと、それじゃあまたね!」


 パタパタと軽く手を振りながら、オレは教室を軽い足取りで出て行く。

 それにしても良い昼休みだった。終斗のチョコケーキを貰えたし、髪型も褒めてもらえたし…………って、あれ……?


 しっ……しまったー!


 今日二度目となるそのフレーズを内心で叫びながら、廊下で頭を抱えるオレ。

 途中から完全に消え失せてたけど、今日の目的は終斗に女を意識させる事だった……のに……やってること結局いつものオレと変わらなかったじゃん!

 とりあえず立ち上がり、しかしがくりと肩を落としながら、オレは意気消沈して1-Aに戻った。


「お、戻ってきたわね」


 教室に入ると、スマホを手に持ったまひるが自分の席から軽い調子でオレに呼びかけてきた。

 ああ、そういえば一部始終を聞いていたんだったな……。

 そのことを今更ながら思い出し、そして同時に不甲斐なさがこみ上げてくる。まひるはべつに怒っている様子もないけど……。


「ごめんまひる。せっかくお前が付き合ってくれたのに、オレは淑女になれなかった……」


 オレが謝るとまひるはふっと一度息を吐いてから、怒るどころかむしろ柔らかい笑みを浮かべてみせた。


「ううん、いいのよ。あんたと夜鳥くんの会話を聞いてて私思い出したの。あんたの良いところは、その素直に喜怒哀楽をだせるところだって。それを潰してまで淑女演じさせても、しょうがないわよね……だからこそ夜鳥くんもあんなこと言ったんでしょうし」

「まひる……」


 オレはそのまひるの言葉を、そして終斗が言ってくれたある言葉を心の中で反芻する。


『俺は無理に飾らない、いつものお前の方が"好き"だよ』


 そっか……終斗が言ってたのは、そういうことだったんだ。

 てっきり女の子らしいのが似合わないのかと思ってたけど……もし本当に、純粋に"オレの良いところ"を褒めてくれたのなら、すごい嬉しい。

 オレは自分の良いところとか言われてもいまいちピンとこないし、むしろコンプレックスを感じてしまうことも多かったけど……終斗や、まひるも褒めてくれるんなら、ちょっとは誇ってもいいのかな。

 オレはそれを気づかせてくれたまひるへと、素直に礼をした。


「ありがと。オレ、淑女にはなれなかったけどまた次からも頑張るよ!」


 それを聞いたまひるも、満足そうに頷いて返答を返す。


「そうね、次からはあんたらしく頑張れる方法を探しましょ。ね――ちょろ子」


 そしてオレたちは笑いあって再び友情を確かめ合い――


「うん、まひ……ちょろ子ぉ!?」


 ちょろ子ってあれか。まさかとは思うが、ちょろいからちょろ子なのか!?

 爽やかな流れの中で颯爽と付けられた不名誉極まりないあだ名に、オレは当然慌てて反論を始める。


「オレ自分でも子供っぽいかなって自覚はたしかにあるけど、でもちょろくはないよ!」

「あのね、この際良い悪いは置いといて……菓子一つで陥落する人間は一般的に、ちょろい分類に入るの。OK?」


 "素直"と褒められるのは良いけど、"ちょろい"はよろしくない。何がってとりあえず字面が!


「ノットオーケー! あ、あれは終斗の手作りだったからで……分かった、まひるはオレのことを誤解しているんだ!」

「はぁ」

「リアクションに生気がない! とにかく、オレはまひるのことだってもう親友と思ってるけど、それでもまだ友達になってから1ヶ月しか経ってない! 友情に年月なんて関係ないとはいえ、たかが一ヶ月じゃお互いのことを知らなくても無理はないし、誤解があってもしょうがない。でも終斗ならどうだ、あいつとは中1で出会ってからもう3年以上の付き合いだ。そんなあいつなら、オレのことをちょろくないって分かってくれるはず……だから、ちょっと終斗にオレがちょろくないってことを確かめてくる!」

「あ、うん」


 そう一気に捲くし立てたオレは気の抜けた返事を返すまひるを背に、教室を飛び出した。

 そして1-Bの教室に勢いよく駆け込むと、そのまま終斗に駆け寄ってその名を呼ぶ。


「終斗!」


 席に座って本を読んでいた終斗だったけど、オレの声に反応してぎょっとしながらオレを見た。

 終斗が驚く気持ちは分かるけど、でも今はそんなことを気にしている場合ではない。


「は、始? もうすぐ授業……」


 そう、授業が始まる前に手早く済ませなくては。

 オレは終斗へと、単調直入に尋ねた。


「終斗、オレ――ちょろくないよね!」

「え゛……」


 唐突に変なことを聞かれたせいか、終斗が軽く仰け反って顔を引きつらせる。

 オレも唐突過ぎた自覚はあるけど、しかしこれにはオレのプライドがかかってるのだ。

 答えてくれ、と意思を込めた真摯な目で見つめると、終斗もオレの気持ちを分かってくれたらしく目を閉じて考える仕草をしだした。眉にも皺が寄り、真剣に考えてくれているのが分かる。

 そうしてしばらく。終斗が開いた瞳には優しげな光が宿っていて。

 終斗はその瞳と共に、まるで子供に言い聞かせるように優しく語り始めた。


「……いいか始、たしかに人はお前のことをちょろいと馬鹿にするかもしれない。だがさっきも言ったけど素直なのはお前の長所だ。お前はいつだって真剣に楽しみ、悲しみ、怒り、そして喜ぶ。その裏表の無さは間違いなくお前の才能で、そういうところに人は惹かれるんだ。実際、俺もさっきお前が俺の手作りした菓子を美味しく食べてくれたことが嬉しかった。なぜかといえば、お前が素直に好意を表現してくれたからだ。手作りの料理を誰かが美味しく食べてくれる、料理を作った人間にとってそれ以上に嬉しいことはないだろう。それをちょろいというならば、お前が気に病む必要なんて全くないと俺は思う。それだけじゃない――」


   ◇


「って感じで、休み時間が終わるまで終斗が一杯説明してくれて気づいたんだ。オレはちょろくてもいいんだって!」

「…………あんたって、人生楽しそうね」

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