後日談12話 終わる俺/オレの大作戦
今回の最後にぶっこむ予定だった番外編(下)はあんまりにも長くなったんで、別話として分割してます。見てのとおりこちらが本編。
扉を開けるとその上部についたベルが、カランコロンと音を鳴らして出迎えた。
「おお」
「わぁ」
店の敷居を跨いだ直後、二人で並んで小さく歓声を上げた。
真っ先に目に飛び込む色は、木材の茶と陶器の白。店中……それこそ棚だけじゃなくて壁や時には天井までもを利用して所狭しと並べられたシックな家具や置物。カウンターで老眼鏡を掛けて本を読む老年の店主。控えめの音量で店中に流れているBGMはジャズだろう。そしていかにも穴場らしい疎らな客足……イメージどおりだ、正しく俺が抱いていたアンティークショップそのものの。
これなら始の好みも……というかそれはそれとして、俺自身も普通にワクワクしてきた。こういうシックな雰囲気は結構ドンピシャってやつなんだ。
静かな店内に配慮し、会話は7割減に店内を見て回る。
会話を控えていたせいか、自然と見る方向が分かれていく。俺は陶器の置物、始は装飾品が飾ってある棚へと。
一度ちらりと始を見てみれば、彼女は金属製のブレスレットを手に取り「わぁ、きれー」などと呟き楽しんでいるようだった。あの調子なら好みが見つかるのも時間の問題かな。
始の様子に安心しつつ、俺は視線を目の前の棚に戻した。
陶器の置物は種類が豊富で見ていて飽きない。そういえば、小人や動物の像なんかは近所の庭にもたまに置かれていたなぁ。他にも女性や男性の裸体像(一応局部は隠れている)に、バラの花束を模した像。すごい細かいところまで作りこまれた竜なんかもある。それにあと、よく分からない生き物……生き物かこれ?
そんなこんなで棚にある像をひととおり眺め終わったところで、始の様子を伺うために俺は一度振り返り――
「うぉうっ」
つい変な声を出してしまった。
なぜならば……振り返った先に始がいたからだ。先程まで別の所で商品を眺めていたはずの彼女は、なぜか今俺の目の前で唇をわなわなと震わせて。
「終斗、やっぱり……」
「な、なにがだ……?」
なにやら顔まで若干青ざめているような……はっ、そういえば少し前に聞きそびれた疑惑があったが……。
あのときはつい後回しにしてしまったが、あれが関わっているのならば聞かないわけにもいくまい。ゆえに俺は彼女に理由を問いかけたのだが、返ってきた答えは――
「終斗って、男の人の裸、好きなの……?」
「…………」
そもそも彼女の発言の意味が理解できなかった。理解できなかったというか、脳が反射的に拒絶したというか。
はたしてそれを把握して、意味を飲み込むまで俺はぽかんと間抜け面を晒し……。
「はぁ!?」
ようやく理解したと同時、思わず叫ぶような声を上げてしまった。当たり前だがそんなことすれば客や店主からの視線が一気に集まってくるわけで。
「す、すみません……」
慌てて周囲に小さく会釈してから始に向き直り、小声かつ早口で誤解を解こうとする。
「ない、断じてない。なんだって俺がそんな疑惑をかけられなきゃならないんだ」
「だ、だって終斗、ダビデ像とか、小便小僧とか……」
そう言われて、今までの自分を思い返して、そこでようやく彼女の誤解の理由に気づき額に手をついた。
「あー……あのなぁ、ダビデ像は単純に値段とクオリティの高さが魅力的だっただけだし、小便小僧だって珍しいから撮った以上でも以下でもないし。陶器だって確かにそういうの置いてあったけど、べつになにも意識してなかったし……」
そう正直に言っても、始の表情にはまだ疑心が見え隠れしている。しかし男の裸が好きだなんて誤解は欠片も残しておくためにはいかない。ならばと俺は、確たる証拠を突きつけた。
「大体俺がそんな趣味持ってたら、その……お前の水着見て、喜んだりしないだろ」
口に出すと思いの外恥ずかしい台詞だったので最後の方は小声になってしまったが、始はちゃんと聞き取ってくれたようで。ぽっと頬を赤くしながら1歩だけ後ずさり、頬に両手を当てた。
「そ、そうだね。ごめん……」
「いや、まぁ分かればいいんだ」
始の様子を見ていると俺も自然と恥ずかしさが増し、結果的に頬を指で掻きながらの言葉になってしまった。
だがやはり会話は大切だな。危うく、ある意味では俺たち史上一番危険な誤解を与えてしまうところだった……お?
ふと思い浮かんだ発想を、俺は口に出してみた。
「逆に聞きたいんだが……お前って、ヤモリ食べてみたいとか思ったことあるか?」
「え、なにその質問。まぁ……漫画でよく出てくる丸焼きなんかはちょっと気になったこともあるけど……」
「誤解じゃなかった……」
「え、なにが……あ! まさかさっきのヤモリ!? 違うよ、お腹鳴ったのは偶然だよ偶然! 調理された状態ならともかく、さすがに生きたものを取って食べようとか思わないよ! 人をなんだと思ってるのさ!」
「でも蜂の子……」
「蜂の子? いやあれは別だよ。なにせ料理だし、普通に好奇心からです」
「あ、そういう境界線……」
「むぅ、終斗的には蜂の子食べられる女子って……駄目?」
小首を傾げる彼女は大食いなだけじゃなく、やっぱりゲテモノ食いの才も若干あったらしい……が。
「なに食べようとも始が可愛いことには変わりないし、些細な問題だな」
誤解であろうとなかろうと、結局はそういうことだった。
「えへへ、じゃあまた帰ったら一緒に食べようね。蜂の子」
「いや、さっきは食べるとかなんとか言ったが、やっぱりこう、中々厳しいものが……あ、そうだ。一旦それは置いといてだな」
「置いとくの?」
「置いとかせてくれ」
蜂の子から話題を逸らすついでだ。
もしかしたら誤解の可能性が出てきた”あること”について、始に聞いておく。
「腹の虫が誤解だっていうなら……美術館で月を見ていたときに鳴ったのも、本当に偶然なのか?」
「だから言ってるじゃん偶然だって!」
「う、すまん。だがあれは不慮の事故というか、お前が月の絵に見惚れる理由なんて食べ物以外に思いつかなくてだな……」
俺が頭を下げながらそう弁解すると、始は不機嫌そうにそっぽを向きつつ……一言、ぼそりと呟いた。
「……他にもあるよ、オレだって」
「え? 今なんて――」
「……終斗」
「俺?」
唐突に出てきたそれが俺の名前だということは当然分かったが、それがここで出てくる意味が分からず首を傾げる。
すると始はそっぽを向いたまま、徐々に頬を赤く染めながら続きを話していく。
「月が、終斗に似てたから。淡くて、儚くて、優しくて。静かに寄り添うような光が、なんとなく似てるって思ったんだよ……」
しまいには耳まで赤くして、彼女はそう言い切った。その様子に俺は、ああ、なんだろう。こう、なんていうか……
「俺の彼女がこんなにも可愛い……」
思わず手で口を押さえてしまう。つい体が震えてしまう。もし今一人だったら床を転がり悶えていたところだった。
「ちょっ、ちょっとなに言ってんのさこんなところで!」
「はっ、つい口に……!」
なんて騒がしくしていたからか、ふと気づけば店内から四方八方の視線が俺たちへと集中していた。店主含めご年配の方が多い店内、中には孫を見るような暖かい視線もいくらか含まれていて。
「そ、そろそろ出るか」
「う、うん……」
なんだか無性に恥ずかしくなり、始もそれは同じだったようで。ゆえに俺たちが急いで店を出るのは必然だった。結果的に冷やかしになってしまったのは、恥ずかしいところをお見せしたことで許して欲しい。
店を出て、始と顔を見合わせる。向こうとも目が合い、つい笑みがこぼれた。視界の中でも彼女が笑みを見せていた。
「とりあえず、旅行の続きしよっか」
「そうだな」
そうしてしばらくぶらついていると、一件のコンビニが目に留まった。
本来、それは温泉街にはそぐわないはずの近代文明の象徴……だが、外観への配慮がしっかりされているおかげで意外と違和感はなかった。
まずこの系列のコンビニ独特の明るい暖色中心のデザインが影を潜めている。目に眩しいペイントは一切なく、建物の一部も木材で覆われており、極めつけには瓦屋根。
「うわすっごーい、こんなんあるんだ」
「面白いな、一枚撮っておこう」
パシャリとシャッター音を鳴らしたあと、始が言った。
「コンビニ見たらトイレ行きたくなってきた……ちょっと待ってて」
「ん、分かった」
見た目以外は現代文明仕様らしい。開いた自動ドアの向こうへと歩いて行く始を見送りながら、俺は物思いに耽る。
結局始にあげるもの、決まってないな……。
得られた情報は始の守備範囲(飯的な意味で)が思ったより広いということだけ。アンティークショップもつい抜けだしてしまったし……さてどうしたものか。
困りつつぼんやりと街を眺めていたら、ふと目に留まったのはコンビニのすぐ向かいに立っている雑貨屋だった。
始の家にも似たような、つまり普通の一軒家じみた外観だったが、ここは古風な温泉街。普通の町並みなら近所に紛れても違和感のないその建物も、だからこそこの温泉街だといくらか浮いてしまうらしい。しかしそのおかげでこうして目に留まったわけだし、浮くのも悪いことばかりじゃないようだ。
一度コンビニへと振り返るが、始はまだ戻ってこないようだ。いわく女子のトイレは長いというし……少し、見ていくかな。
そんな気まぐれで店に入ると、「いらっしゃいませ」と若い女性の店主がカウンター越しに声をかけてきたので会釈で返す。
店内は、それこそうちのリビングと大差ない程度に小ぢんまりとはしているものの、売り物が基本的に小さく物の配置も整然としているので、商品を見る分には不自由しなさそうだ。
どうやら客は今のところ俺一人らしいので、適当にぶらついて棚に並べられた商品を眺め始めた。
アクセサリーやら、手のひらサイズの動物のぬいぐるみやら、どちらかと言えば女子向けの物が多い気がするな……お。
「これは……」
パワーストーン、いわゆる『不思議な力を持つ(と信じられている)石』を使って作られたアクセサリーを取り扱う棚にそれはあった。
俺の目を留めた物の名はムーンストーン。直訳すると月の石。銀の指輪に嵌めこまれたそれは、その名が示すとおり月のような乳白色だった。
「それ、光に当てるとちょっと青っぽく光るんですよ」
後ろから唐突に投げかけられた声に、少し驚きながら振り返る。視界の先で微笑みを見せていたのは、先程までカウンターに居た女性店主だった。
「すみません、驚かせてしまって」
「いえ、お気になさらず。それよりも……少し試してみても?」
「ええ、どうぞ。こんなところに売ってる安物ですから、そんな目立たないですけど」
遠慮なく指輪を持ち、窓の外から差し込む日光に当ててみる。すると言われたとおり、ひとつの変化が起こった。
太陽光を受け取ったムーンストーンのつるりと丸い乳白色の表面が、うっすらと青い光を放ちだしたのだ。
「あ……」
本当に薄く淡い、それでいて優しげな輝き。不意に、始の言葉を思い出す。
『月が、終斗に似てたから。淡くて、儚くて、優しくて。静かに寄り添うような光が、なんとなく似てるって思ったんだよ……』
「月、か……」
「……石言葉って、知ってます?ムーンストーンの」
店主にそう聞かれたが、あいにく石には詳しくない。なので俺は素直に聞き返す。
「石言葉? そんなのがあるんですか」
「花言葉みたいなもので、その石の効能を端的に表したものですね。ムーンストーンの石言葉は……『純粋な恋』。昔からその石は、恋の象徴として扱われた経歴もあるんですよ。恋人たちの石、とか言われたりして」
「純粋な、恋……」
俺はもう一度、太陽の光を受けて輝く石を見た。
恋を意味するその石は、『終斗に似ている』。そう始が言ってくれた月の名を冠する石でもある。
俺が探していたのは始の好みだ、始が喜んでくれるものだ。だがこれを渡すのは……一種の自惚れなんだろうか。いや、どうせこれの後にやるのは……もっと自惚れたようなことだ。だったら少しくらい自惚れていた方がちょうど良いのかもしれない。
……決めた。
はたして俺は店主に言った。
「すみません、これひとつください」
ちなみに、値段的にもちょうど良かった。
カウンターで買い物を済ませて商品の入った紙袋を受け取るとほぼ同時、またも後ろから声が投げられた。
「終斗、こんなところにいたんだ」
「うぉっ……は、始か」
「あ、なんか買ったんだ」
「ん。大したものじゃない、ちょっとした置物だよ」
いつの間にか後ろに立っていた始。当然、彼女に買い物の中身を知られるわけにはいかないので適当に煙に巻く。
「ふーん……まぁいいや。それじゃあ行こっか」
始もあっさり納得してくれたようで、俺たちはすぐに店を出た……ところで、始が思い出したように言った。
「あ、そうだ。オレもさっきの店でちょっと気になったものがあったから少し買ってきていい?」
「べつにいいが……なんなら一緒に見てくか?」
「いいよ、終斗はもう見たでしょ? それにすぐ済むから」
「そうか、んじゃあ外で待ってる。ところでなにを買うんだ?」
俺が何気なしに尋ねると……始はなぜか内緒だとでも言うかのように、唇へと人差し指を寄せてから口を開いた。
「終斗と同じ。ちょっとした、置物だよ」
◇
ついに、この時が訪れた。
姉さんと初穂は朝からずっと、梯間と遊んでいると聞いた。夜飯も彼女と一緒に外で食べるらしい。大人たちはもうひとつの部屋に集まり、大人らしく飲み会を開いているそうだ。
ゆえに子供組の部屋は二人きり……いや、始が1階の露天風呂で入浴中だから今は俺だけしかいない。
一足先に風呂から上がった俺はホテル備え付けの浴衣姿に着替えてから、広々とした和室の中央にでんと置かれてる大机……ではなく、窓際に置かれている木製の椅子に座って始を待っていた。向かいにもうひとつ椅子が空いているが、あれは始のために用意したものだ。
左袖のたもとに仕込んだ指輪の箱に時折右手で触れて、感触を確かめる。外を見れば静かに波打つ夜の海と深い藍色の空。そして昼に見た絵画のように、夜天でぽっかりと輝く満月が一望できた。
心臓は確かにどくどくと大きな鼓動を響かせているのに、頭の中は不思議と冷静だ。もう少し緊張するものかと思っていたが……。
「終斗」
ガチャリと扉が開く音、続いて俺の名前を呼ぶソプラノボイス。
振り返れば、部屋には浴衣姿の始が立っていた。白地に濃い青の菊模様の浴衣は、いつぞやの夏祭りの浴衣ほどではないがよく似合っている。湯上がりで火照りうっすらと赤みを帯びた肌も、珍しく素のままで降ろされたストレートの茶髪も。彼女の立ち姿から感じる非日常感に、緊張とは別の意味でドキリとしてしまう。
つい始の立ち姿を堪能してしまっていた俺だったが、視界の中で彼女が恥ずかしそうに身をよじらせたことでようやく我に返った。
「終斗、視線がちょっと……」
「あっ、いや、これは……すみません」
自分でも弁解の余地がないぐらい不躾にガン見してしまった自覚はあるので、ここは素直に頭を下げるしかなかった。これからキスしようっていうのに、これじゃあ格好がつかないな……。
しかし始はへこへこと謝る俺に怒るわけでなく、くすりと一度だけ笑って、俺の対面の席へと向かいながら口を開く。
「水着のときと同じだ。最近の終斗はこう、変に遠慮がなくなってきてるよね」
「よもや返せる言葉がない……」
「ううん、それでいいよ。やっぱ恥ずかしいとか、人目を気にして欲しいとか、そう思っちゃうときもあるけど……オレのこと好きなんだって分かるのは嬉しいから」
などと俺的にも嬉しいことを言いながら、始が空席を埋めた。二人きりで向かい合う形に、心臓の鼓動がぐっと早くなる。頭の方だって『意外と冷静だな』なんて気取っていても、こうして実際に向かい合ってしまえば緊張でどうにかなりそうだ。
さりげなく袖のたもとに視線を落とす。再び手を入れて、指輪の箱にぎゅっと触れる。
……今しかチャンスはない。これを渡すのも、キスをするのも。
本当はきっと、俺たちが別れない限りチャンスなんていくらでもあるのだろうけど、それでもあえて不退転を言い聞かせて自分を奮い立たせる。
「ねぇ」
呼ばれた声ひとつだけで心臓が飛び出そうになりながらも、それを悟られぬように努めながら面を上げた。
俺と違い、始には緊張の気配すらない。リラックスした全身を椅子に預け、外の景色に目を細めていた。俺も合わせて外に目を向ける。先程見たときと変わらない満月は、やはり変わらず綺麗だった。
「すごいね、外。こんなときじゃなきゃ見れない景色だ」
その穏やかな声音につられ、少しばかり緊張がほぐれた気がする。とりあえず、少し落ち着かなければ。俺は軽く息を吐き、始に返事を返した。
「そうだな……でも明日でお別れだ。2泊3日、あっという間だったな」
「本当にね。美術館に博物館、ビーチに温泉街……色々巡ったけどまだ全然足りないや。あー、まだ帰りたくないなー」
ぎぃ。木の軋む音に視線を向ければ、始が先程よりも深く椅子にもたれかかって天井に顔を向けていた。よほど帰りたくないらしい。
そんな彼女の様子を見ていたら、緊張の中にあっても自然と笑みが漏れる……お。
ふっと頭に浮かんだ提案を口にしてみる。
「だったら……またそのうち、二人で行くか」
うん、それがいい。またバイトでもしてお金を貯めて。夏になるか、秋になるか、はたまた冬になるかは分からないけど……始と一緒なら、いつだって楽しいはずだ。
なんて一人で納得していたら、始が俺と目を合わせてぽつりと言った。
「二人で、なんだ」
言及されてようやく気づく。頬がかぁっと熱くなる。
「二人で、かぁ……えへへ。うん、また来ようね。二人で」
「あまり強調しないでくれ、ほとんど無意識だったんだ……」
「つまり自然とそうやって考えてたってことだよね」
にへっと頬を緩める始の視線はなんだか生暖かく、えも言われぬ恥ずかしさがこみ上げてくる。
それにしても、ガン見したことに気づかれてしまったり、自分の思考が駄々漏れになったり。こういう恥ずかしさというのは、いつになったら慣れるものなんだろう。
つい目を逸らしてしまった俺に、始が笑いかけた。
「終斗は恥ずかしがり屋さんだなぁ」
「自覚はしている……」
「それでもオレのことを好きだって言ってくれた。水着の好みだって教えてくれたし、オレのことをいっぱい見てくれるようにもなった。恥ずかしがり屋な終斗が、それでも色んな自分を見せてくれるのがオレ……すっごい嬉しいんだ。だから……もっと恥ずかしいことしても、いいんだよ?」
視線を戻せば、くりっと丸い両の瞳が俺のことをじっと見据えていた。
まるでなにかを待っているような……そう思ってしまうのは、俺が”恥ずかしいこと”をやろうとしているからだろうか。
なんにせよ……今しかない。なんとなく、そう直感したから。
不退転の決意を思い出す。
「……分かった」
恥ずかしいことをやるぞ宣言。改めて、目の前に座る彼女の名前を呼ぶ。
「始」
「なに?」
「……受け取ってくれないか」
俺は袖のたもとから小箱をひとつ取り出して、始に差し出した。
藍色の四角いリングケース。それにそっと手を伸ばし、受け取る始。
「開けてみてもいい?」
「ああ」
始は箱を静かに開けると、すぐに「わぁ……」と声を出した。
「コンビニの前にあった雑貨屋、実はあそこで買ってきていたんだ。ムーンストーンって宝石の指輪らしい。とはいえ雑貨屋で売ってるもの、そんなに高級でもないが……初めてのバイト代なんだ。初めて自分で稼いだ金で、お前になにか贈りたかった」
俺が説明を終えると始は面を上げて、満面の笑みを見せた。
「ありがとう。こういうの貰ったの初めてだけど、本当に嬉しいよ」
「良かった……」
どうやら上手くいったらしい。
贈り物ができて良い雰囲気も作れた、あとはキスするだけだ。頭の片隅でタイミングを計りつつ、俺は言葉を続ける。
「自惚れてるかもしれないけど、お前が俺のこと月みたいだって言ってくれたから。それと、石言葉が――」
「”純粋な恋"、だったよね」
俺の口から出てくるはずだった言葉が、なぜか始の口から出てきた。
つい驚いて瞳を瞬かせる。一度閉じた視界が開けた次の瞬間、そこに映っていたのは……満面の笑みでなければ安らかな微笑みでもなく、どこかいたずら好きの少年を髣髴とさせるニヤリとした悪い笑み。リングケースを椅子の肘掛けに置いて、彼女は言った。
「オレからも、プレゼントがあるんだ」
「は……?」
唐突に始が椅子から体を起こし、体をぐっと近づけてきた。よく見れば袖のたもとに手を入れているようだったが、そんなことを気にしていられる場合ではなかった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て。なにを……」
「待たない」
座ったままの俺に向かって一歩を踏み出して体を、そして顔をぐんぐん近づけていく始。普段は身長差の都合で俺が見下ろしている形なのに、今は彼女に見下されていて。それがまた妙な威圧感を助長させるのか、結果として俺は椅子から立ち上がることができなかった。
キスを意識していたせいか、自然と唇に焦点が合う。小ぶりながらもぷりっと柔らかそうな血行の良い唇……ま、まさかプレゼントは自分とかそういうアレか!?
声も出せないほどの焦燥。その間にも始と俺との距離はどんどん縮まってしまう。だというのに、ヘタレな俺の体はそこから一歩も動けず固まってしまうわけで。
こんなの嫌だ、違うキスが嫌なわけじゃない。それでも嫌だ、だって俺から先にしたかったんだ。今まで全部始に引っ張られてばかりで、先を越されてばかりで、それなのにこんな――
「――はい、プレゼント!」
「……へ?」
正しく俺の目と鼻の先。
そこにあったのは始の唇……ではなくつい先程俺が渡した物と同じ、藍色のリングケースだった。
●
少しでもインパクトを与えようと、ぐっと近寄ってから出した甲斐があった。
目と鼻の先で突然俺が差し出したリングケースに、終斗が目をぱちくりとさせている。その様子に手応えを感じながらオレは言った。
「サプライズ大成功、だね!」
「え、え、え」
「普通に取り出すよりも、じらした方がなにをするか分かんないって感じで緊張感あったでしょ? 受け取って!」
「あ、はい……」
終斗は目を丸くしながらケースを受け取り、開ける。中身を見た彼は、また目をぱちくりとさせた。それもそのはず、なにせケースの中身は。
「これは……」
「オレのバイトの初給料で、終斗とのお揃い! 本当は普通になにかプレゼントするつもりだったんだけど、アンティークショップで互いの誤解を解きあったときに気づいたんだ。終斗も同じこと考えてるんじゃないかって。だから雑貨屋で店の人に買った物を教えてもらって、一緒のやつを買ったんだ。それでサプライズにもなるかなーって思ったからこうやって後出ししてみた。驚いたでしょ!」
「は、はは……確かに驚いた」
いつもキリッと澄ましている終斗にしては珍しい気の抜けた表情と、緊張から開放されて力も抜けたことが一目で分かるほど椅子に深く沈み込んだ体。
まさかこんな露骨に驚いてくれるとはちょっと予想外だったけど、効果があったのならそれでよし。満ち足りた気分で胸を張るオレに向かって、終斗が口を開く。
「それにしても……お揃い、なんだな」
「昔はプレゼントあげるときさ、よくオレの持ってる物とおんなじのあげてたなーってのを思い出して。ゲームとか、テニスのラケットとか……あのときはそっちの方が一緒に遊べるからだったけど、今は……好きだから。お揃いでなにか持っていたかったんだ、自分勝手かもしれないけど……でも、なんとなく終斗もお揃いの方が気に入ってくれるかなって思ったし……オレも、自惚れてるのかな?」
「……いや、嬉しいよ。本当に嬉しい」
ケースを閉じ、瞳も閉じて感慨深そうな声音を発する終斗。どうやらサプライズだけじゃなくて、プレゼントの方もしっかり成功したらしい。
「やったね! これでちょっとは終斗もオレのことを見直したかな」
「見直す?」
「だって終斗、オレのこと女っていうよりかは子供みたいに見てる節あったし……でもこれでオレだって、彼女として成長してるって分かったでしょ?」
オレの言葉に終斗は返事を返さず、ただぽかんと口を開くばかりだった。む、想定だとここで褒めてくれる感じだったのに……。
「むぅ、そんなにおかしいかなぁオレがこういうことするの。そりゃ終斗にはいつもご飯作ってもらったり勉強手伝ってもらったり、オレからなにかしてあげたことってあまりなかったし、二人で遊ぶときだってやることは親友同士だった頃とあまり変わってないことなんかも自覚してるけどさ……オレだって日々彼女らしくなろうって努力してるんだよ! だからこう、これを期に人を食欲魔人みたいな扱いするのは控えて……」
「……ふ、ふふっ……」
「んなっ」
目の前の彼が唐突に漏らす笑み。オレがショックを受けている間に、それは堂々と口を開いた大笑いに変わっていた。
「ふふ、ふ、あははははっ! そっか、お前はそういうやつだよな!」
「むー! そんなに笑うことないじゃんか! なにさ、オレだってオレなりに……」
オレの頑張りをまるで馬鹿にされたようで。頬を膨らませて結構真剣に怒ろうとしたオレに向かって、終斗は目尻に溜まった涙を拭いながら謝ってくる。ていうか泣くほど笑ったの!?んもー!
「ごめんごめん、決して馬鹿にしたわけじゃないんだ。サプライズも、お揃いなのも、お前の努力も、本当に本気で嬉しくて……あー、なんなんだろうな。これ」
「こっちが聞きたいんだけどそれ! とにかく終斗はオレのことをいい加減見直して――」
「もう、とっくに見直してるよ。何度も何度も、見直している」
さっきまであんなに笑っていたはずの終斗はいつの間にか目を細めて、だけどさっきまでの大笑いじゃなくて彼らしい、オレの大好きな優しい微笑みを顔に浮かべてオレのことを真っ直ぐ見つめていた。
その表情の変化に思わず言葉が詰まるオレに対して、終斗は言葉を紡ぎ続ける。
「俺の彼女はいつだって誰よりも魅力的で、いつまでも魅力的になっていく。ずっと俺は、それに驚かされて振り回されてばかりだったんだ」
「なにさ、さっきまで笑っていたくせに。説得力がないんだけど……」
かっこいい顔で真面目なこと言っても、つい数十秒前の大笑いを思うと素直に受け取る気分にならない。あれ地味に傷ついたんだ、乙女心は繊細なのだ。
唇を尖らせてぷいとそっぽを向くオレに、だけど終斗は気にする様子も見せずまた言葉を続けた。
「それでも本気で思ってる。そうじゃなきゃ……」
オレの頬に手が添えられる。男の人の、終斗の大きい掌。
気づけば終斗は中腰で立ち上がっていた。
そっぽを向いていたオレの顔は、その手にこもった軽い力によって勝手に向きを変えられた。
ぐるりと動く視界。目と鼻の先に現れたのは他ならない終斗の顔。
「しゅう――」
一体なにをするつもりなの?
その問いが声になることはなかった。理由はたったひとつだけ。
――オレの唇は、終斗の唇によって塞がれていた。
●
キスをする。そう決めてから何ヶ月もかかったはずなのに。ありったけの勇気と決意、それこそ告白のときと同じくらいのものを振り絞ってここにいたはずなのに。
俺を驚かせようとしてきたそのいたずら心も、お揃いのプレゼントも、なにより俺の彼女として頑張ろうとしてくれているその想いが愛おしくて、それはもうどうしようもなく愛おしくて。
格好つけたりとかそれっぽい雰囲気作りとか、そんなのはどうでもよくて……きっと本当に必要なのは、この想いだけだったんだ。
脳よりも早く、心がそれを理解した。同時に俺はただ己の衝動に身を任せていた。
唇と唇が触れ合い、離れる。1秒足らずの短いキスだった。
だと言うのに唇にはほんのりと甘い痺れのような感覚が残り、脳には始の柔らかな唇の感触がしかと刻まれていた。
……これは、世の恋人たちがハマるわけだ。
頭の片隅でしょうもないことを考えながら顔を少し離し、今一度始を視界に入れる。
俺の愛おしい彼女は顔を赤くするわけでも慌てふためくわけでもなく、ただただキスされた瞬間の驚きの表情のまま固まっていた。
どうやら自分の身に起こったことをまだ把握できていないらしい。そんなところでさえ愛おしく思いながら、俺は彼女の頬に添えていた手を離し、それを頭に乗せて撫でつつ笑いかけた。
「これで俺も、ちょっとは彼氏として成長できたかな」
一瞬で、始の顔が耳まで真っ赤に染まった。潤む瞳に震える唇。始の照れ顔は今まで何度も見てきたが、今日のそれはとびきりだ。
よもや声すら出せないようで、小さい口を小さく開いてまた閉じてを繰り返すばかり。その口の動きが愛らしくてまたキスのひとつでもしたくなったが、これ以上は始が保たなさそうな気もするのでぐっと我慢する。
それに……今すぐ言いたいことが出来たのだ。いや、正確にはキスという一線を踏み越えたおかげでようやくそれを言う決心がついた、というべきか。なんにせよ開く口を、この想いを止めるつもりはもうなかった。
「やっと、始よりも先に行けた」
「さ、き……?」
始の唇からようやく掠れた声がひとつ漏れた。
俺はもう一度、彼女の柔らかい頬へと手を滑らせる。髪を掻き分けてその下の滑らかな肌を、確かにそこにいる彼女の感触を確かめる。
愛おしい。湧き上がるその感情だけに任せて、また口を開いた。
「俺はお前にずっと……それこそ女になる前、初めて会ったその日からずっと、手を引っ張られてばかりだった。だから俺はずっとお前に憧れていて、でも自分じゃ同じことはできないって思っていて。昔はそれでも良かった、お前が側にいてくれたから安心できた……だけど、もうそれじゃあ満足できないんだ」
出会いも友情も、そして恋さえも。
思い出の中でいつも追いかけていたその背中を追い越したい。恋人になってからやっとそう思うようになって、ようやく一度は追い越せた。俺からなにかをすることができた。
だけど一度だけ引っ張って終わるつもりはない。
今日も、明日も、これからも。
「今まで驚かされてきた分、振り回されてきた分。お前のことを何度も何度も可愛いって感じて、恋をしてきた分だけ……いや、もっともっとたくさん、お前のことを引っ張っていきたいんだ」
始に目線を合わせるために半端に屈めていた腰を上げて、それから始をおもむろに抱きしめる。
背を伸ばしてから抱きしめたことで、始は俺の胸の内にすっぽりと収まった。まだキスの衝撃が抜けていないようで、彼女は身動ぎひとつしてこない。
……抵抗してこないなら、受け入れてくれるなら。
窓の外から月だけが覗きこむ中、二人きりの部屋の中。俺は始の耳元でそっと告げた。
「こんなことひとつ伝えるのにここまで時間がかかるほど情けない俺だけど、それでもお前の手を引っ張りたいって思い続けてるワガママな俺だけど。まだ世間もろくに知らなくて、この先の将来だってどうしたらいいのか全然分かっていないガキだけど、それでもお前が受け入れてくれるなら……俺にお前の手を、握らせてくれないか?」
俺の想いを聞き終えた始は……頷くわけでもなく、声を上げるわけでもなく。
ただぎゅっと、俺の体を強く抱き返してきた。




