後日談9話 合同家族旅行、はじまりはじまり。
唐突だが、俺の家族と始の家族との初対面である。いや本当に唐突過ぎるだろ!
9割方なにがなんだか分からないが、とりあえず首謀者二人だけは分かっていた。
「狙い通り驚いてるわね!」
「裏でこっそり手を回していた甲斐がありましたね!」
とりあえず無駄にやりきった笑顔している妹と姉をさっさと問い詰めよう。そう思った矢先、母さんが始の両親に向かって平然と言葉を返した。
「そうですね。2泊3日と短い期間ですが、こちらとしても互いに親睦を深め合いたいものです」
「まさか、母さんは知ってたのかこれ。というか始の両親のことも知ってるのか……?」
完全に初対面ではないその対応に俺が恐る恐る問いかけると、母さんはやっぱり平然と答えてみせた。
「ええ、十香から色々聞いてたもの。旅行のこともだけど……あなたたちが付き合ってるのも、全部聞いてたわよ? だってあなた、そういうことあまり教えてくれないし」
「マジかぁ、そこまで聞いてたのかぁ……」
情報源にギロリと睨みを効かせてみれば、当のそいつはちらりと舌を出して全く似合わないウインクをかましてきた。ただ純粋に腹が立った。
……まぁ遅かれ早かれ話さざるをえなかったんだし、それが早まっただけと思うか……。
内心で諦めて割りきった直後、今度は父さんの声が耳に届く。渋い見た目に似合う重低音の渋い声。
「結」
母さんの名前を短く、静かに呼び捨てる父。
その様子に思わず"亭主関白"。そんな言葉が脳裏に浮かんで……
「……聞いてないぞ」
「もちろんよ。だって言ってないもの、そっちの方が面白いじゃない」
「いや言ってあげろよそこは可哀想だろさすがに」
思わず素でツッコミを入れてしまった。そんな俺に横から姉さんがしみじみと口を挟んでくる。
「うちは見た目亭主関白の中身かかあ殿下だから。終くんはほら、二人と一緒に暮らしてたときはまだ小学生だったしそこら辺知らなくても無理ないけど、これが平常運転よわりと」
「ちょっと知りたくなかった……」
家族の新たな一面と呼ぶには悲しみを感じる事実に項垂れる。なにが悲しいって俺の中に流れる父さんの血を色濃く感じてしまう部分が。
「……終斗」
その父さんが、今度は俺の名前を呼んだ。
「なに、父さん」
「……彼女がいたことも、聞いてないぞ」
「……あー、その……どうにも照れくさくて……なんかごめん」
「さっきから思ってたんだけど、二人とももう少しハキハキ喋れないの? ねえお母さん」
「ふふ。気持ちは分かるけどあれはあれでね、慣れると可愛いものなのよ」
この会話だけで遺伝子の受け継がれ方が嫌というほど透けて見えるな!
一方、そんな会話劇を目の前で眺めていた朝雛一家はというと。
「うふふ。向こうの家族も仲睦まじいわねぇ」
「はっはっはっ、俺たちも負けていられないな!」
などと勝手に燃え上がっていた。つくづくお熱い二人である。
一方で始もようやく我に返ったらしく、柔らかな頬を自分でむにっと摘んで。
「……夢じゃない」
俺の彼女夢みたいに可愛いな……!
口に手を当てて悶えていたら、唐突に背中がパンと叩かれた。「いえーい!」と無駄にテンション高いボイスという無駄なおまけ付きで。
見なくても正体は分かる。振り向きながらじろりと睨む。
しかし正体、つまり姉さんは俺の睨みなんて右から左に流してニヤケ顔をこれでもかと見せつけてくる。
「合同家族旅行計画大・成・功! どう? 驚いたでしょう。初穂ちゃんと二人でね、2ヶ月ぐらい前からずーっと裏で話を進めてたのよ」
「……確かに驚いたが、たちが悪い。サプライズにする必要性がどこに……」
言いかけたとき、アナウンスが頭上から降ってきた。新幹線の到着を知らせるアナウンス。ほどなくして白くシャープなボディの新幹線が線路を滑りホームへと飛び込んできた。
耳にうるさいブレーキ音。鳴り止んだのを見計らって、姉さんの隣にいた初穂が口を開く。
「まぁまぁ終にい。説教はとりあえず新幹線に乗ってからということで」
そう言ってさっさと新幹線に乗り込む初穂。娘のあとを追って朝雛家の両親も新幹線の中へと。
「というか説教なんてしてる場合じゃないわよ。せっかくの機会なんだから、始ちゃんと全力で交流深めなさい。半分くらいはそのために用意したようなもんだし」
姉さんもそれだけ言い残すと、さっさと新幹線に乗ってしまった。
全く、姉さんも初穂も面倒な方向で息が合ってるな……ため息をつきつつ、俺も電車に乗ろうかと思いたったその瞬間。
「終斗ー!」
脇腹辺りを横からなにかに抱きつかれた。思わず「うおっ」と声を上げつつ見てみると、俺を見上げるきらっきらの瞳と目が合った。
「一緒に旅行行けるんだね! オレすっごい嬉しいよ!」
大好きな彼女の大好きな満面の笑みがそこにはあった。これに比べればどこぞのアホ二人のサプライズなんて、単なる些事である。それに……まぁ、不意打ちだったとは言え。
「そうだな、俺も始と一緒に行けて嬉しいよ」
その事実くらいは、アホ二人に感謝してもいいだろう。と、不意に母さんが横から口を挟んできた。
「あら、話には聞いていたけど本当に仲良いのね二人とも」
「わ、わわっ」
始が慌てて離れる。俺もつい頬に熱が集まってしまう。その一連の流れを母さんは楽しそうに目を細めて見つめていた。
「あ、いやこれはだな……」
「いいじゃないそんな恥ずかしがらなくても、仲よきことはなんとやらよ。それより……今更聞く必要もないだろうけど、あなたが始ちゃんね? 私、終斗の母の結よ。よろしく」
「は、はい! こちらこそよろしくおねがいします! あ、あの、終斗とは仲良くさせてもらっているっていうか、そのぉ……」
「いいのいいの、話は大体聞いてるから。……あなたの、身の上についても」
意味深な間を空けて放たれた一言に、俺も始もつい体を強張らせてしまった。
身の上についても。わざわざそう言及されるような節なんて、思い当たる節はひとつしかない。
――反転病。
母さんがあれについて偏見などを持っているとは思わないが、それでも条件反射的な不安はどうしても付きまとう。
少しだけ張り詰めた空気の中、しかし母さんは笑顔のまま二の句を告げた。
「それでね、私……ずっとあなたに言いたかったことがあるの。終斗の親友で、今は恋人なあなたに」
「は、はい!」
しなくてもいいのにビシっと背を正す始。俺も緊張が無駄に激しく背筋を走っている。
一体なにを言われるのか。僅かな不安と多大な困惑を抱える俺たちに向かって、母さんはついに口を開く……。
「――ありがとう、終斗の側にいてくれて」
出てきた言葉は礼だった。なぜ礼なんか?不安はなくなったものの、残る困惑から返事を返せない俺たちに対して母さんが話を続ける。
「私たちはほら、親なのにこの子のことをあまり見てあげられていないし。十香も随分と助けてくれたみたいだけど……それでも終斗が、そして私たちが今こうしていられるのは間違いなく、あなたが隣にいてくれたおかげ。だからあなたが良ければだけど、これからも終斗を支えてあげてほしい」
「母さん……」
どうしよう。話題の中心が我が身のことなのに、ちょっとうるっと来そうになった。
「私と……あと、夫からのお願いよ」
よく見れば母さんの後ろで、父さんが眼鏡を外してそっと目頭を押さえていた。もしや意外と涙脆いのか、父さん……。
「ぁ……」
そして始はほんの小さな声を漏らし、少しだけ間を開けて。
「が、頑張ります!」
堰を切ったように大きく口を開いて言葉を紡ぎだした。
「すごい頑張ります! いや一緒にいたいって気持ちは頑張るとかじゃないんですけど、一緒にいるのは頑張らなきゃいけないしだからいっぱい頑張るし……と、とにかくずっと一緒にいます! 絶対一緒にいます!」
春休み。俺たちと同じ旅行客ももちろん多く、実に賑わってる駅のホームであるにもかかわらず、真っ赤な顔してそう宣言する始は言わずもがな最高だしその愛の重さが最高に嬉しいのと、それを両親+その他周囲の人々に聞かれて注目を集めているのが最高に恥ずかしくて、もうなんか訳の分からない心境の中、俺はとりあえず顔を両手で覆うことしかできなかった。
「可愛いわねぇ、それにとても良い子……」
両手の隙間から外の景色を覗くと、母さんが始の頭をそっと撫でているところだった……と思えばすぐにその両目が俺に向く。
「もしこの子泣かせたら私、問答無用でこの子の側につくから」
なんて宣言だ、気持ちは分かるが。
しかし俺が始を泣かせるヘマなんて犯すはずがない。
「そもそも泣かせるわけないだろ……」
ゆえに両手を顔から下げて、当たり前のようにそれを告げた……が。
「どうだか。あなた父さんの血をうっかり継いじゃってるから肝心なところで駄目っていうか、率直に言って面倒くさいヘタレじゃない」
「うっ」
ドスが刺さるように俺にクリーンヒットしたその言葉は、しかしそれ父さんが肝心なところで駄目っていうか、率直に言って面倒くさいヘタレだって言ってるようなものだがどうなんだ。
よく見れば母さんの後ろでは案の定父さんが腕を組み渋い顔をしている。もう少し自己主張してもバチは当たらないと思うが、俺だって同じ立場だったら多分自己主張できないしなぁ……。
「それに聞いたわよ十香から。始ちゃんと付き合うまで実際面倒くさかったって。本当に大丈夫なのこれから、私心配だわ」
「ぐぅっ」
傷口でドスをぐりぐり回されるように俺の心が抉られる。
よく見れば俺を見つめる父さんの、眼鏡の奥にある鋭い瞳が哀みの色を帯びている。やめろ、あんたにだけはそんな目で見られたくない!俺だって知ってんだぞあんたのヘタレエピソード!
無情な空爆により焼け野原になっていく男たちの心。しかし荒廃した焼け野原には天使の降臨がなによりも似合う。
「だ、大丈夫です! そういうところは終斗の良いところの裏返しみたいなものですし、良いところも悪いところも全部好きですから! それにオレもヘタレってよく言われてるしちょうど良いです!」
なにがちょうど良いのかは置いといて。臆さず言い切り小さい胸を張る始は正しく天使だった。正直泣きそうである。父さんは父さんで、救われたかのように安らかに瞳を閉じてた。
そして母さんでさえも、真っ直ぐな始の言葉に笑みを一層深める。
「ヘタレっていっても、ヘタレ度合いというかベクトルが違うと思うんだけど。それにしても本当に可愛い……私もこんな娘が欲しかったわ」
「娘ならいるじゃないここに、あなたの可愛い可愛い一人娘が!」
なんか馬鹿がひとり、わざわざ新幹線から出てきてまで自己主張を始めたが。
「これから3日間だけだけど、よろしくね? それじゃあそろそろ新幹線乗りましょうか、積もる話はその中でしましょう」
母さんはガン無視。
「……」
父さんもそっと目を逸らした。自然、馬鹿の標的が俺に向く。
「みんな弟の彼女に夢中で私には誰も構ってくれない! しかたないから終くん構って!」
「いや俺だって姉さんと始なら始取るし……」
「どいつもこいつも! でも血は繋がってるから気持ちは分かる!」
「で、なにしに来たんだよ」
「そうそう、ちょうど外にいるんだし駅弁買ってきてよ。朝雛さん家の分もいるから、お父さんでも連れて一緒に。分かったらさっさといけ男衆」
「こういうときばかり男扱いする……」
普段はそんじょそこらの男よりもよほどバイタリティに溢れてるのに、なんとまぁ都合の良い……しかし、ある意味では俺も都合が良いのかもしれない。
少しだけ考えてから、俺は姉さんに了承を返した。
「まぁそれぐらいならいいか。行こう、父さん」
「……ああ」
「あ、じゃあオレも」
「いや、始は母さんたちと一緒に中に入っていてくれ」
「でも……」
「悪いな。駅弁を買ってくるついでに……男同士、こっちもこっちで積もる話があるんだ」
◇
駅弁を買いに行く道すがら、とりあえず父さんに始のことについてかいつまんで話しておいた。
俺の親友だったこと、反転病で性別が変わったこと、紆余曲折あって今は恋人同士として付き合っていること……。
全部話し終えた上で、俺は尋ねた。
「嫌だと言われても別れるつもりはないけれど、この際だから正直に聞く。父さんは俺と始が付き合うこと、どう思う?」
黙って全てを聞き届けた上で、父さんは静かに言葉を返した。
「……普段親として一緒にいてやれない俺たちが、本来お前にとやかく言う資格はないのだろう。自立を強いておきながら口出しだけはさせろなど、虫が良すぎるのだからな」
「そんなこと……」
「……というのは、親という立場としての話だ。……良い相手を見初めたな。俺個人としては、そう思っている」
「……まあね。自分でも、そう思う」
会話はそれっきりで終わり。この沈黙は少しだけ照れくさくあるものの気まずいわけじゃなく、むしろなんだか懐かしくて心地が良い。
淡々と駅弁を買い終えて新幹線へと戻る道中、父さんが呟くように言葉を寄越してきた。
「……あまり、彼女を待たせてやるなよ」
「父さん?」
「昔の俺も、結とこうして一緒になるまでそれなりに時間がかかったんだ」
「あ、はい……」
ごめん父さん、知ってるんだそれ……。
「俺もお前に似てヘ……不器用だったからな。結と付き合ってから結婚するまで5……いや3年くらいはかかったか」
うわぁすごい大胆な逆盛りしてる!事情知ってるのがむしろ申し訳ないレベル!
「大事なところで躊躇っても碌なことはない。俺みたいには……なるなよ」
最後の台詞とその容姿だけ見れば実に様になっているが、あいにくと俺の頭に浮かんでしまったのはいつぞや姉さんから聞いてしまった父さんの秘話だった。
『ああいやいや、そういう話じゃなくてね。Kさんの夫のTさん、告白もプロポーズも一応彼からだったんだけど、これがまた面白くてねぇ。なんとTさんの方はKさんと違って、中学生の頃から恋愛的な意味でKさんを意識してたみたいなのよ』
『え、でも告白したのは大学って……』
『そうそう、どんだけ暖め続けてたのよって話。それだけじゃ留まらず、プロポーズだってしたの28よ28。たしか19だか20くらいから付き合い始めたって話だから、なんと約8年! よ くKさんも待ったって話だわ、ヘタレなのも考えものねぇ。ほんと誰かに横からかっさらわれなくて良かったわ!』
『うわぁ……』
話し終えたあとの姉さんの大爆笑が、未だ頭にこびりついている。嫌だ、夜鳥家のネタ枠だけは嫌だ。
「まぁ、うん、善処するよ……」
経験者からの重い言葉に否応なく考えさせられる。大事なところで躊躇っても碌なことはない、か……。
臨機応変。そんな四字熟語が唐突に脳裏を過ぎった。
そうだ、これはある意味絶好の機会なんじゃなかろうか。なんの機会かって?決まっている、始とキスする機会だ。
事前に考えたプランはご破産になってしまうが、だからこそ俺自身の度胸が試されているような気がした。
『せっかくの機会なんだから始ちゃんと全力で交流深めなさい。半分くらいはあなたたちのために用意したようなもんだし』
姉さんの口車に乗るのは癪だが、始と温泉旅行なんて機会が早々ないのも確かだ。こんなチャンスにキスのひとつもできなければ、俺は一生ヘタレ続けるんじゃなかろうか。
父さんと共に弁当を抱えて新幹線に乗り込む中、俺はひとり決心をする。決めた、俺はこの旅行中に始とキスしてみせる!
やがて俺の決意を乗せて、新幹線は走りだす。こうして楽しい楽しい合同旅行と、俺にとって一世一大の作戦が同時に幕を開けるのだった。




