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今日もオレ/俺は恋をする  作者: 秋野ハル
番外編【前日談】
48/57

前日談12話 わんこな彼女と私の始まり

 "私"の一日は、まず犬たちの散歩から始まる。

 朝早く、時期によってはまだ太陽も登らない頃から我が家の愛犬4匹全員を連れて馴染みのルートをぐるりと一周。たまに気分を変えて寄り道したり、通りすがりの広場でしばらく遊ばせたりもする。

 散歩が終われば犬たちに餌を与えて、それからは弟二人妹二人計4人の弁当作りだ。

 とはいえ手作りする時間はないし、自分自身そこまで料理が上手いわけでもない。大抵はレンジでチンとか昨日の夕食の残りとか、手間のかからない物で済ませることが多かった。

 そこら辺まで大体終えた辺りで家族たちが起きてくるので、そのタイミングで主に年長者の弟二人をひっ捕まえて一緒に洗濯物を干したり掃除をしたり。

 なんだかんだであっという間に登校までの時間が差し迫ってきたのに気づくと、我が家に常備してある惣菜パンを牛乳と一緒に胃へと叩き込んで、遊んで欲しそうに尻尾を振る犬たちをちょっとだけ構ってあげてそれから家を出る。

 そのあとは清く正しい高校生として学校生活が待っているのだが……自分で言うのもなんだけど、私は結構人に頼られる方の人間だと自負している。

 友人の、やれ彼氏がなんだの親がなんだのという『ハイハイ』と適当に流して済ませられるような愚痴聞きから、先生のちょっとした雑用を手伝ったりまで幅広く色々とやったりやらされたりしているのだ。

 部活にも生徒会にも入っていないのに高校での時間は妙に目まぐるしく過ぎていき、放課後はあっという間にやってくる。

 さぁ学生の花形、待ちに待った放課後だ……て言っても私はバイトを、それもいくつか掛け持ちしているからそっちに時間が割かれることも多かった。ちなみにバイト代の一部は犬たちの世話代に充てられている。当然だけど生き物の世話には結構お金がかかるのだ。

 そんなこんなでバイトによっては夜の7時だか8時だか。勤労と学業でそれなりに疲れた体で家に着けば、今年で中二になった一番上の弟が料理を作って待ってくれていることも最近は多い。

 昔は家事なんて知るかと言わんばかりに遊び呆けていたやんちゃ坊主だったはずなのに、いつの間にか成長してくれていてお姉ちゃん嬉しいよ。

 兄妹揃って夕食を済ませたら、あとはやり残していた家事を今度は下の妹二人まで巻き込み兄妹総出で捌きつつ、ようやく帰ってきた両親(うちの両親は共働きで夜遅くなることも珍しくない)を労ったり犬たちに夜の散歩をしてあげたりして、それらが全て済んで始めて本当に自由な時間が訪れる。

 撮り溜めてたドラマの消化とか、ファッション雑誌なんかをベッドに寝転がってゆっくり読むとか、後は愛犬たちと戯れるとか。

 そうしているうちに今日という日が終わりそうになるけど、明日もまた早いのだ。

 時計が1週する前にはベッドに潜って眠りについて、こうして私の一日は終わりを迎える。


 これが私、梯間まひるの一日だ。

 ……なんてことを誰かに話すと、大抵は驚かれるかそうでなければ同情まがいの目を向けられるか。よく言われる感想第1位は「そんなに頑張って疲れない?」、2位は「あまり無理しないでね?」だ。

 まぁ、言われてみればそれなりに忙しいのかもしれない。

 それでも私は今の生活を嫌だと思ったことなんてないし、むしろそれなりに気に入っている節さえある。

 なんでと聞かれれば、多分好きなんだと思う。お節介や世話を焼くのが。

 それは昔から5人姉弟の最年長として、忙しい両親の代わりに兄弟の世話をしてきたせいなのかもしれないし、もしくは逆に元来世話好きだったからこそそんなことができたのかもしれない。

 卵か先か鶏が先かなんて分かりゃしないけど、とにかく私は昔からずっと誰かのためになにかをして、それで誰かが楽しんでくれたり喜んでくれたりするのが好きだったんだ。

 ああそういえば私は犬好きでもあるんだけど、多分そういう性格に起因しているのかもしれない。あの子らは愛情を持って正しく育ててあげれば、ちゃんと態度で返してくれるし。

 ……犬好き、そう犬好きだ。

 今思えばそんな私があいつと――天真爛漫って言葉がぴったり当てはまるほど素直で明るくて、そのくせ変にへこみやすいし危なっかしくてほっとけない。どことなく小型犬っぽい"あいつ"と出会ったのは、ただの偶然ってわけでもなかったのかもね……。



   ◇■◇



 その日私がその川原を通りすがったのは、本当にただの偶然だった。

 今日は珍しくバイトも友人たちとの予定もなく『じゃあ久しぶりに犬たちをお天道様の高いうちに散歩にでも出してやるか』と意気込んでみた。強いて言ったとしても理由なんてそんなものだった。

 元は全員捨て犬だから実際の犬種なんて分からないけど(おそらく)柴犬と豆柴っぽいのと(多分)コーギーと(きっと)ヨークシャテリアそれぞれ1匹ずつ、計4匹の小型犬を繋ぐリードを右手に握り、フンの処理セットや犬用の遊び道具を詰めた小さいバッグを左手に引っ掛ける私は、歩道と車道の区別もついてないような道をのんびり犬たちと一緒に歩いていく。

 いつもの散歩ルートだから歩き慣れたもので、やがて私も犬たちも迷うことなくその公園に辿り着いた。

 遊具も少なく『この辺にしてはわりと広い』くらいの特徴しかない寂れた公園だったけど、その無駄な広さと人気のなさが犬たちを遊ばせるには都合が良い。つまりここは私と犬たちにとってお気に入りのスポットだった。

 うちの犬はみんな良い子だ、この私が躾けたんだから当然だけど。

 もちろんリードを離したって勝手にどこかへと逃げることはなく、ゆえに私は躊躇なく犬たちのリードを離して開放してやる。

 そう、私と犬たちはこんな紐がなくったって、絆というリードで結ばれて――


 ――リードを離した途端、豆柴の『マメ』が早速駆け出した。それはもう、びゅんと音でも鳴りそうな勢いで。


「……っておい! 嘘でしょあの野郎!」


 小さいゆえにそこまで速くはないけれど、それでもリードをずるずる引きずりながら公園の入り口に向かって猛ダッシュを始めたマメ。私は他の犬たちのリードを右手で掴みななおしたあと、当然急いで追いかけ始めた。

 うちの中でも一番小さくて、一番新しく拾った子犬。あいつがやんちゃ坊主であることは前々から知っていたけれど、それでも躾はちゃんとしてある自信があったしこんなあっという間に逃げ出したのだって実際初めてだ。

 マメが急に逃げたことに疑問を持ちながらも、絆というリードを実にあっさり引きちぎられたことに地味なショックを受けながらも、とりあえずはマメを追いかけて公園を出る。

 するとマメが道路の向かいにある河原へと消えていくのが見えた。なんだ?あっちの河原も気分を変えるため、たまに遊んだりするけれど……実はそんなに気に入っていたの?

 内心で首を傾げつつ、私もマメを追いかけて道路を渡り河原へと降りる。

 その斜面には名も知らぬ背の低い雑草ばかりが生い茂っていた。見渡せるのは穏やかな川の流れと対岸で群れる閑静な住宅街ぐらい。そんなごく平凡な河原に降りた私は、逃げやがったあんちくしょうの姿を河原の奥の方でようやく捉えた。


「あ、いた。マメ! あんたどこまで――」


 視界に映る茶色の体毛に小さい体。先程まであんなにワガママしていたくせに、今は妙に大人しくおすわりしているマメに駆け寄ろうとしたところで、私はようやくマメの隣にいた"彼女"の存在に気づいた。

 視界に映る茶色の髪の毛に小さい体。なぜか膝を抱えて、やたらと大人しいマメと見つめ合っているその少女を私は多分知っていた。


「って、あなたは……」

「え……?」


 マメから視線を外して面を上げた少女。目を赤く腫らしたその表情は初めて見たけれど、そのくりくりした丸くて大きい瞳を私はやっぱり知っていた。


「……朝雛さん?」


 私は彼女の名前を呼んだ。

 クラスメイトの中でも一際小さくて、男女両方に人気があって(おおむねマスコット的な意味でだけど)、B組の夜鳥くんとよく一緒にいて、あとは……反転病で女になった元男の子。そんな彼女の名前を。


「……えっと」


 犬っぽい。なんとなくだけどそう思った。

 大きな瞳をぱちくりと瞬きさせて不思議そうに私を見る彼女は、クラスメイトである私のことを覚えているのか。それとも覚えていないのか。どっちでも構わない、なぜなら私から踏み込めばいいだけの話だから。


「その子、うちの犬なんだ。マメって言うの」

「マメ……」


 朝雛さんはもう一度マメに顔を向ける。一方のマメは相も変わらず妙に大人しく朝雛さんを見つめて、その尻尾をゆらゆらと揺らしていた。

 小さい体に茶色の毛。一人と一匹の共通項を眺めていると、やっぱり朝雛さんは私の好きな小型犬によく似ている気がした。

 そんな彼女、よく見ればマメに向かってちょっとだけ手を伸ばしかけては引っ込めてを繰り返している。いじらしいその動作に私はくすりと笑みを浮かべるのを自覚しつつ、彼女に言った。


「触ってみる? 人馴れしてるししつけも自信あるから大丈夫よ」


 犬っぽいのに兎みたいに赤くなっている目を見開き、朝雛さんは喜びを露わにした。


「え、えっと、それじゃあ……」


 朝雛さんはおそるおそるマメへと手を伸ばした……触れる。撫でる。マメが気持ち良さそうに目を細める。


「わ、柔らかい。えへへ……」


 随分と可愛らしい笑い方をするなこの子。

 知り合い程度の仲で知った口を聞くつもりもないが、夏休み前の彼女はああいう笑い方をしなかったと思う。なんていうか……そう、もっと男の子っぽかったはずだ。 

 一夏の経験が人を変えるとか最初に言い出したのは誰なんだろうか。彼女が夏休みを経て変わった理由こそ分からないものの、なんにせよどこか変わった彼女をこのときの私が気になり始めていたのも確かだった。

 それとは別に気になるところがもうひとつ。明らかに泣き腫らした目だ。

 私はわりとお節介である。裏路地で捨てられて雨に打たれる子犬を見捨てられない程度のお人好し。

 そしてなによりただ犬が好きだった。

 犬っぽい彼女が捨て犬じみたオーラを纏ってそこにいる。だから見捨てられなかった。

 半々の同情と好奇心。それこそ私が今朝雛さんの隣に座って自己紹介をしている理由だった。


「知ってるかもだけど私、同じクラスの梯間まひる。こうして朝雛さんと面と向かって話したことって多分あまりないよね」

「うん……今更だけどオレ、朝雛始です。えっと……」


 朝雛さんが向けた視線の先では、マメと違ってリードを掴まれたまま3匹の犬たちがちょろちょろと動き回っていた。


「……梯間さんは、犬好きなの?」

「まぁね。生き物だから面倒なこともいっぱいあるけど、世話やしつけさえ真面目にしてやれば行動で返してくれる素直なところとか……ほらみんな、おすわり」


 命令すれば3匹は揃ってその場におすわりしてくれた。うん、今日も良い子たちだ。


「わぁ……」

「あとはほら、やっぱ単純に可愛いし。朝雛さんも犬好き?」


 朝雛さんは、こくりと小さく頷いた。


「……こいつらも、触ってみる?」


 さっきよりも、ちょっと大きく頷いた。

 私がリードを引っ張って犬たちを朝雛さんの方に誘導すると、好奇心旺盛な犬たちはすぐに初めて見る朝雛さんの下へと寄っていった。

 やがて戯れ始める小さなわんこたちと、それよりも大きな朝雛さんわんこ。うん、悪くない光景じゃないか。

 朝雛さんは出会い頭よりもかなり緊張が解れてきたようで、表情も大分明るくなってきていた。

 ……今なら、いけるかな。

 頃合いを見計らって、私は会話を切り出した。


「あのさ、朝雛さん」

「え?」

「えーっと、言いたくなかったらべつにいいんだけど……その目、どうしたの?」


 先程まで楽しそうだった彼女の顔がいきなり曇る。


「っ……」

「ごめん、つい気になって。ほんとに言わなくてもいいんだけどさ……ただなんていうか、吐き出せることなら吐き出しておいた方が楽かなって思っただけで」


 優しく言葉をかけてみると朝雛さんの口がわずかに開きかけて、また閉じた。……そりゃあそうなるか。だって朝雛さんにとって私はただのクラスメイト以上でも以下でもないのだから。

 でも……どうだろう。多分、私にとっては。

 やがて口を結び黙ってしまった朝雛さん。その頭を私はリードを握っていない左手でそっと撫でた。


「……?」


 突然のことにきょとんと疑問符を浮かべる彼女に対して、私は右手のリードを手放して両手を空ける。そして――


「は、梯間さん!?」


 そっとその背を抱き寄せてみた。昔よく、今でもごくまれに泣きじゃくる弟妹をあやすときと同じやり方。

 急に抱き寄せられたせいか、それとも胸に顔が当たっているせいか声を上げて慌てた朝雛さん。

 私も私で同級生に、しかも数ヶ月前まで男だった子にこうするのはさすがに気恥ずかしかったけど……まぁ今は女の子だし。彼女同級生とは思えないほどに小さいし。


「私、長女なんだ。下は3人もいてさ、一番下はまだ小学3年生」


 静かに背中を撫でながら、私は優しく語りかける。腕の中で、朝雛さんが身動ぎを止めた。


「両親は共働きだから、自然と私がみんなの纏め役になってた。ついでに言えば、どうにも捨て犬ってほっとけないのよ。実はうちの子たちって全員捨て犬なんだ」


 年長者だから、自分が拾ってきたから責任持って面倒見る。

 人は『大変だね』と言うけれど、私はそういうことが嫌いじゃない。それどころかわりと好きらしい。


「昔から面倒なことは慣れてるし、友達にもそれなりに頼られてるの。口の固さも自信がある。だから……愚痴を吐くには優良物件だと思うのよ、自分で言うのもなんだけど」


 は。

 微かに漏れる息の音と、身動ぎ一つ。


「これは私がしたいからしてること。だから好きにすれば良いよ。言いたいなら言えばいいし、言いたくないならそれでいいし。こうされるのが嫌なら離すし、嫌じゃないなら離さないし……」


 脇腹にそっと両腕が回されたけど、それだけだった。私が背中を撫でている間、朝雛さんはなにも言わずされるがままで。

 だけどあるとき不意に、ぽつりと呟くような声が聞こえた。


「……ずっと、諦めたいって思ってた」


 脈絡のない言葉だった。だからこそ彼女の思いが詰まっているような気がした。


「だけどずっと諦めきれなくて、そんな自分が嫌で嫌で、本当に嫌で……!」


 吐き出される言葉に、回された腕に少しずつ力がこもる。


「だけど、今でもまだ諦めたくなくて。嫌なのに、どうしようもなく嫌なのに」


 漏らすような小さな声が、振り絞るように大きくなっていく。呟きから叫びに変わる。嗚咽から号泣に変わる。


「嫌だ、やだ。でも、でも、まだオレ、終斗のこと……う、くっ……うぁぁぁぁぁ……!」


 朝雛さんが泣き続ける間も私はずっと、背中をさすり続けていた。

 そうして彼女の悲しみに寄り添いながらも、頭の冷静な部分で私は『終斗』という名前について考えていた。

 彼については一応知っている。朝雛さんとよく一緒にいるB組の男子、たしかいわゆる親友的ポジションだったはずだ。そういえば夏休み前まではいつも二人一緒にいたはずなのに、それ以降はあまり彼と一緒にいる姿を見かけない気が。

 俗な詮索ではあるが……理由はいくつかでっち上げられる。ま、とりあえずは朝雛さんが泣き止んでからかな。

 しばらくの間思う存分泣きじゃくり、やがて涙も枯れた朝雛さんは自分から私の体を離れていった。

 また一段と瞳を赤くして、それでも朝雛さんは"一見"すっきりしたような笑顔を私に見せた。でも……。

 脳裏にちらつくのは彼女が泣いている間に行った俗な詮索の結果、導き出された答えのひとつ。

 どことなく、目の前の少女の笑顔が歪なものに見えた。


「ありがとう、梯間さん。おかげでちょっと立ち直れた。だから……大丈夫、これでもうちょっと、頑張れるようになったから」


 大丈夫。頑張れる。実に前向きな言葉ではあるけど、その前向きさがやはり今は歪みとしか思えない。

 朝雛さんが今なにを考えているのか。先程の詮索が正しいと仮定すれば、推察は難しくない。

 ただ……赤の他人がこれ以上踏み込んでいいものか。友人A(仮)いわく『まひるは竹を割ったような性格してるけど、時々竹を砕くレベルのこと言うよね』と言われる私でも、さすがに躊躇くらいできる。

 けれど……うん。さっきは好きにしていいとか言ったけど、それはそれとして半端なところで放り捨てるのは主義じゃないから。

 私はさらに一歩、踏み込んでみた。


「……夜鳥くんのこと、諦めるつもり?」

「……!」


 朝雛さんが息を飲む。未だ瞳に溜まっている涙も揺れ動いた。ビンゴだ、ちょっと心配するくらいに分かりやすい子である。


「ごめん、ちょっとカマかけた。余計なお節介なのも分かってる。ただ……本当に、それでいいの?」


 直球で問いかけると、僅かな逡巡を置いて答えが返ってきた。


「いい。そうじゃなきゃいけないから」


 『そうしたい』じゃなくて『そうじゃなきゃいけない』と彼女は言った。迷いのない答えは、真っ直ぐに歪んでいた。

 ゆえにもう一歩。あえて挑発的に、ぐっと踏み込んでみる。


「もうフラれたの? 例えば元男なんかとは付き合えないってこっぴどく――」

「違う!」


 それは今までのものとは明らかに違う、怒りのこめられた声だった。

 怒れるんだ、彼のために。驚いたような、ほっとしたような気持ちを抱く私に対して朝雛さんは堰を切ったように語り始めた。


「終斗は……終斗はそんなんじゃない。あいつはそんな心ないやつじゃない。オレが全部悪いんだ、オレが……」


 その苦しそうな表情を見ていると、自分から踏み込んだくせに罪悪感がどうしてもわいてしまう。


「……なんどもごめん。なんも知らないのに適当言い過ぎた」

「こっちこそ怒鳴ってごめん。でも、本当に終斗のせいじゃないから……」


 身勝手に踏み込んで身勝手に謝った私にも、朝雛さんはわざわざ謝り返してくれる。

 ……本当に素直で良い子だ。

 また密かに好感度を上げる私に、朝雛さんは再び語りだす。


「あいつはただ、約束してくれただけなんだ」

「約束?」

「――オレがどんなに変わっても、ずっと親友でいてくれる。そんな約束」

「……そう」


 ぼんやりとだけど、察したことがいくつかある。んでもって『やっぱり踏み込みすぎたか』とまた少し後悔した。

 反転病。それは自分の性別が変わる奇病……と一口に言ってしまえばそのとおりだが、男と女はある意味別の生き物のようなものだ。自分の体だけじゃなく、たとえば感性までもが変わっていくことだってあるのではないか。自分の中身が少しずつ塗り替えられていく、その恐怖というのはいかほどのものなのか。

 そんなときずっと側に居てくれた親友が、交わしてくれた約束がどれだけ支えになったのか。

 その親友に恋をしてしまった彼女の苦悩と葛藤も。

 生まれてからずっと女だった私に、特別深く付き合った親友のいない私に、恋の一つも経験してない私には、理解するには遠すぎて。

 今の朝雛さんの考えはきっと駄目なものだ。そう思う私は確かにいる。

 だけど自分になにが言えるのかわからない。二の句が告げられない。そんな私がいることも確かだった。

 躊躇する私に向かって彼女は再び笑いかけた。笑いたいから笑っているわけじゃない。悲しみを押し殺すために作られた笑顔だってことは、知り合ったばかりの私にさえすぐに分かった。分かったのに……。


「だから……梯間さんがオレのことを心配してくれるのは嬉しいけど、それでもオレは終斗を裏切れない。でも吐いてスッキリしたから……本当に大丈夫」


 大丈夫なもんか、そんなのただの一時しのぎに過ぎないのに。言ってやりたいのに口からはなにも出てこない。


「オレは頑張れる。いつかこの恋だって忘れて――」


 ――ワン!


 彼女の言葉を遮るようにひとつ、甲高いながらも猛々しく吠える声がした。

 私と朝雛さんの二人が思わず同じ方を向くと、そこにいたのはうちの愛犬でも一番小さい末っ子のあいつ。

 マメだ。たった一度だけ吠えてから、そのつぶらな瞳で朝雛さんをじっと見つめていた。

 そういえばこいつが真っ先に朝雛さんのところに駆けつけたんだっけか。似た者同士、なにか感じ取ったのかも。もしかしたらただの気のせいかもしれないけれど。

 ただどちらにせよ、マメが吠えたのを境に私の中である思いがふつふつとわき上がってきていた。

 ……そうだ。理解できるできないの前に、私はこの子の話を聞いてしまった。思いを知ってしまった。だから、


「きっちり責任は取らなきゃ……ってね」


 自分に言い聞かせるようにそっと呟き、そして決めた。


「え?」


 朝雛さんが私の呟きに疑問を持つのも構わず、私は真っ直ぐ彼女に視線を合わせた。


「まだ本人から話、聞いてないんでしょ?」

「でも、約束が……」

「関係ない」


 朝雛さんのために、朝雛さんの思いを即座に切り捨てる。

 多分お節介ってそういうものだから。ゆえに私は迷わず二の句を告げた。


「約束一つでそんな泣きじゃくるんなら、さっさと破っちゃえばいいのよ」

「駄目! 駄目だよ! だって大切な、親友との――」

「じゃあその大切な親友は、なんであなたに約束してくれたの? あなたが辛い思いをしないためじゃないの? それなのに約束に縛られて、今こうして泣いてるあなたの姿は、本当に夜鳥くんが望んだこと?」

「それ、は……」


 思うがままに言葉をぶつけているうちに、朝雛さんの勢いが徐々に弱まる。


「何度もぶしつけなことばっか言って本当にごめん。でも……納得いかないから。なんていうか私、親友とか恋人とかそういう深い繋がりにちょっと憧れてるのかも」


 視界の中で、朝雛さんの瞳が揺らいだ気がした。


「だから今から言うのは単なる私の理想かもしれない。だけど……それでも私はまぁなんていうか、そういう仲なら勝手に相手を思って勝手に一人で悩むよりも、言いたいことはちゃんと言っておいた方が良い関係になれるんじゃないかって思ってる」


 朝雛さんの瞳が今度ははっきりと開いて、しかしすぐに俯いてしまった。表情はよく見えないけれど、多分もうちょっとで届きそう。私はさらに言葉を重ねようとした……けれど。


「お互いの妥協点っていうか納得っていうか、つまりえっと……思いつくまま言ったから回りくどい感じになったけど、要するになんて言えばいいんだろう……」


 自覚していなかったが、私は私でそこまで冷静じゃなかったらしい。熱に任せて口を動かしていたからか、半端なところで言葉が詰まってしまう。

 参ったなぁ。こんなにヒートアップすることなんて今まであまりなかったし、他人の世話を焼いても自分の心境をここまで前のめりに口にしたことだってなかったから、いまいち上手い表現が思い浮かばない。

 カッコつけて偉そうなこと言おうとしたくせに、これじゃあ収まりがつかないじゃん。

 どうしたものかと言いあぐねていると、不意に朝雛さんのかすれるような声が耳に届いた。


「……向き合う」

「あ、そうそんな感じ! って、朝雛さん……」


 静かにゆっくりと、面を上げた朝雛さん。その表情に笑顔はなかった。しかし悲哀も消えていた。

 彼女はただ、真っ直ぐ前を見つめていた。


「なんで忘れてたんだろう。ずっとそうしてきたはずなのに。まずは頑張る、そう決めてたはずなのに」


 瞳を閉じて、自分に言い聞かせるように朝雛さんは呟く。

 やがて彼女は瞳を開いた。

 誰から見ても泣き腫らして真っ赤になったのが一目で分かる不格好な瞳は、それでも強く輝いていた。


「約束してくれたとき、終斗が教えてくれたんだ。変わりたいなら変わればいいって。大事なものさえ忘れなきゃ前に進めるって。オレは……まだ前に進みたい」

「んじゃ、行けるとこまで行ってみればいいんじゃない?」

「うん……って言えればかっこいいんだろうけどさ、正直まだ迷ってるところはある。だけど……今度こそ、自分の中でケリつけるために頑張ってみようと思う」


 そう言ってはにかむ朝雛さん。押し殺すような感情も見えない、憑き物が落ちたような顔。そして今度こそ真っ直ぐな"頑張る"。

 これならもう、彼女は大丈夫だろう。なんて偉そうな言葉を浮かべてみたものの……最後は彼女自身が決意した辺り、私が行ったのは結局余計なお世話というやつだったのかもしれない。まぁ立ち直ってくれればなんでも良い。お節介なんてそういうものだ。


「ありがとう梯間さん。オレ……梯間さんがいなかったら、大事なことに気づけなかったかもしれない」

「そりゃどうも。でも私は精々愚痴聞いてあげただけだから。礼ならこの子にいいな、河原で黄昏れてるあなたの下に真っ先に駆けつけたのはこの子なんだし」


 私を彼女と引き合わせた立役者であるマメは、そんなことつゆ知らずとばかりにのんきに体を伸ばして、あくびまでかましていた。


「そっか……ありがとな、マメ。でもよくよく考えれば偶然ってすごいよね」


 朝雛さんが屈んでマメを撫でると今まで空気を読んで好き勝手遊んでいた他の犬たちも、『撫でて撫でて』とせがむように朝雛さんへと寄ってきた。

 彼女は笑顔で犬たちに構いながら、感慨深そうに言葉を紡ぐ。


「たまたま梯間さんが散歩してて、マメがオレに気づいてくれたから今こうしていられるんだし。そもそも今日オレがこの河原に来なかったら……あれ、オレがここに来たのって……」


 気づけば朝雛さんの顔で真っ赤なのは瞳だけで、肌全体は血の気が引いて真っ白になりやがってた。

 おいおいなんだどうした、このまま爽やかに終われるんじゃなかったのか。


「なに、どうしたの」


 静かに立ち上がり私に体を向けてから、彼女はぽつりと呟いた。


「ラブレター」

「は?」


 もちろん単語は分かるが、今その単語が出てくる意味が分からない。

 露骨に疑問を浮かべた私に、白い顔のまま朝雛さんが説明する。


「終斗にラブレターが届けられていて、そのショックに耐え切れなかったからオレここに来たんだ……え、それじゃあ今更決意してもアフターフェスティバル……」

「あ、あー……いや、ほら告白受けるとは限らないしまだワンチャンあるって……」

「ワンチャン……」

「いや、うん、まぁワンチャン……」


 若者言葉による空々しい励ましが澄んだ青空に虚しく響く。

 一転して葬式ムードになった私たちだったけど、しばらくして不意に朝雛さんがスマホを取り出した。着信かメールでも来たのだろうか。

 彼女は虚ろな目で画面を見やり……しかし瞬間、大きな目がさらにくわっと大きく見開いた!

 表情もみるみる明るくなっていき、こっちがなんだなんだと驚く中で、すっかり生気を取り戻した彼女が叫ぶように言った。


「終斗……告白、断ったって!」


 後の祭りかと思いきや、まだまだ祭りは終わっていなかったらしい。

 朝雛さんの報告に私までテンションがぐっと上がり、人目も気にせずガッツポーズまでかましてしまう。幸い人気のない河原だったので、通りすがりのお爺さん一人に胡乱な目を向けられただけで済んだ。


「ようしマジでワンチャンあったぁ! やったじゃない!」

「やった、やったよワンチャンあった!」


 そうして私たちは青空が夕焼けになるまで、女二人だけど姦しく喜びを分かち合っていた。

 そんな中で、私も私で"あること"を決めていたのだった。


   ◇


 次の日。いつもどおり登校してきた私を待ち構えていたのは、その小さな体と小さな両腕で大きな紙袋を抱える朝雛さんだった。

 抱える紙袋で顔を隠し、ふらふらと危なっかしくこちらに向かって歩いてくる様には『新手の妖怪か』と一瞬身構えたものの、


「おはよう梯間さん!」


 元気な声とともに紙袋の横からひょっこり覗いた童顔にほっとして、次に疑問を抱いた。


「一体どうしたのそれ?」

「昨日のお礼!」


 言うが早く、彼女はやっぱりふらふらと私の席まで移動してからそこに紙袋を下ろした。

 教室入ってすぐに襲撃されたためにまだ自分の席へと着いていなかった私も、朝雛さんについていく形で移動して、それから机に置かれた紙袋の中身を拝見させてもらった。


「お、犬用の遊び道具に……ドッグフード? しかも結構良いとこのじゃん。え、ほんとにいいの?」

「あんま詳しくないから手当たり次第に買ってみました! 煮るなり焼くなりお好きにどうぞ!」

「なんか悪いわね。ま、でも突き返すのもおかしな話だし、ありがたく貰っておくわ」


 貰って嬉しい代物なので遠慮なく貰っておくが、しかし貰って嬉しい代物だけに『ちょっと言いづらくなっちゃったなぁ』と勝手なばつの悪さを感じてしまう。

 昨日のお礼代わりに云々とか切り出せれば自然かと思ったんだけど、まさか先制されるとは……。

 私の内心もつゆ知らず、朝雛さんは満足そうに胸を張ってから言った。


「オレがしたかったから勝手にしただけだし気にしないで。それでこっからが本題なんだけど……オレ、終斗に告白しようと思うんだ」

「おお……結論早いわね」


 なんともまぁアクセルの踏み方が極端な気もするが、それもそれでまた彼女らしいんじゃないかと思う。そういう思いきりの良さがやっぱり好ましいとも。


「ちゃんと向き合いたい。だから向き合ってみることにした……って、向き合いたいから向き合うのは当たり前なんだけど、それを改めて自覚したというか。オレ、頭悪いから上手く言えないけど……」

「……なるほどね。いいんじゃない? 頭悪いくらいでちょうどいいよ、朝雛さんは」


 昨日から今日にかけてこうして会話を重ねてみて、分かったことがひとつある。

 朝雛さんは正直だ。それも頭に"馬鹿"がつくほどの。

 だけどまぁ、そんな馬鹿だったり正直だったりするところが彼女の魅力なようで。そんな彼女だったからきっと、私は。


「そ、それちょっとひどくないかな梯間さ……」


 朝雛さんは私の苗字を呼びかけて、ためらって……それからひとつ尋ねてきた。


「……あのさ、『まひる』って呼んでいい?」


 不意打ちの直球に、私は一瞬だけ口を開くことすら忘れてしまった。

 なぜならそれは、私も言おうとしていることだったから。ひいては私、梯間まひるは朝雛始という少女と友達になりたかったのだ。

 あちらこちらに首を突っ込んできた関係で、人付き合いはそれなりに多い。多いのだけどそれはあくまでも首を突っ込んだ"流れ"で出来たものであり、私自身は人間関係というものに対して『来る者は拒まず、去る者は追わず』とある種ドライな見方さえしていた。

 だから自分からこんなことを思ったのは記憶にある限りこれが初めてであり、ゆえに少しだけためらって……。


「……もちろん。それじゃあ私も名前で呼ぶわね、始」


 名前を呼ぶと同時、ほんのり全身がむず痒くなるような気がしなくもない。

 一方の朝雛さんは視界の先で、ぱぁっと花開くような笑顔を見せた。


「わぁ……これからもよろしくね、まひる!」

「おう、こっちこそよろしく」


 ん、中々悪くないじゃないか。

 名前で呼ばれたら改めて思った。自分はこの物珍しいくらい真っ直ぐで小さくて、どこか犬っぽい彼女のことを存外気に入ってるらしい。

 しかし……友達になりたいと言い出せなかったり名前ひとつで一喜一憂したり、そういうキャラじゃないよな私。

 なんだか気恥ずかしくなったので、さっさと話を切り替えるために目先の話題へと手を伸ばした。


「ところで、告白はいつするの?」

「えーっと、それは、そのぅ……」


 朝雛さん……じゃないか。始は俯くと、もじもじこちょこちょ両手を絡めて指を弄くって。そのまま歯切れ悪く言葉を並べた。


「実のところ、告白するとは決めたものの、まだちょっと心の準備ができてないというか……練習するの、付き合ってくれない?」

「おい」


 甘えるような上目遣いは可愛いが、それ同性には通用しねぇからな。とかなんとか思いつつもまぁ……。


「……拾ったのは私、か」

「え? 今なんて……」

「いいよ、バイトないときでいいなら付き合ってあげる」


 ちょっと前まで笑顔をみせていて、ついさっきまで気まずそうにしていた始は今また満面の笑みを浮かべている。

 本当によく笑う子だ……これが本当の始ってやつか。


「ありがとう、オレ頑張るよ!」

「おう、頑張れ頑張れ」


 いつの間にか自分自身も彼女につられるように笑みを浮かべていたのを、私はそのときようやく自覚するのだった。



   ◇



 私が一人の少女と友達になってから半月が経った。

 その部屋の漫画本を適当に読み漁りつつ、部屋の主に呆れを込めた目を向ける私は、間違いなく笑顔からほど遠い表情をしていたことだろう。

 私の目に映る景色は、A4サイズまで引き伸ばされた一人の男子高校生の写真。そしてそれが貼り付けられた壁に向かって告白の練習を行う馬鹿一人だった。

 よく考えなくても頭の悪い光景に眉をひそめた私は呆れを一切隠さず声に乗せた。


「――で、あんたいつ告白すんのよ。つうかそろそろイメトレぐらいは脱却しなさいよせめて」


 声の向かう先は練習中の馬鹿もとい、この部屋の主である朝雛始だ。

 耳まで真っ赤にしつつ夜鳥くんの写真に向かって告白しようとしては失敗を繰り返す始。彼女は私の声が耳に届くやいなや必死そうな形相をこちらに向けた。元々が見てるだけで気の抜けるような童顔だから、緊迫感もなにもあったもんじゃないけど。


「ひ、日に日に態度が冷たくなってく! 最初はもっと親身で優しい感じだったじゃん!」

「向き合いたいから向き合うだっけか。あれから何日経ったよ、言ってみ?」

「正直かっこつけすぎたと反省はしています。だけどね、今日こそこの顔写真に告白してみせるよ!」

「ねぇなんでそんなしょっぱいこと堂々と宣言できるの。目標は本人だってこと忘れてない?」

「忘れてないけど小さい目標をこつこつと積み上げることだって大事なんだよ! それじゃあ見ててよ、行くぞ……」


 大丈夫かよこいつ……大丈夫じゃないな多分。

 幾度となく思い浮かべ、悲しいことに見事的中してしまった思案をまた思い浮かべつつも、私はしかたなく漫画本片手に始を見守る。


「あ、あの、終斗! お、お、お、オレ、えっと、結構前から、っていうか、ほらあったじゃんプールのとき。あの、あれがわりときっかけっていうか、あの」

「はいカットカット! 話の着地点が迷子だから!」


 ほらやっぱり大丈夫じゃなかった。

 とはいえ一応、写真を目の前にすると石化したように固まっていたときの頃と比べれば確かに成長してるわけだし、この調子なら……あともう半月後かなぁ。告白出来るようになるのは。

 あとから振り返ってみればその見積もりは実に甘かったと言わざるをえないのだけど、少なくともこのときの私は当然そんなことも知らずに、ただ目の前で頑張る友人に苦笑を向けるのだった。

【おまけ:朝雛さん家の大会議。下】


 空も赤く染まった頃。暗くなる前にまひると分かれて帰路についた始は、これからのことについて考えながら歩を進めていた。河原に向かうときには涙で濡れていた顔も、今ではすっかり晴れ晴れとしていた。

 なぜならもう、答えはほとんど出ていたから。

 脳裏には未だかつての約束が、祭りの夜がこびりついている。"元男"としての劣等感だって消えたわけじゃない。

 まひるに言ったとおり、始はまだ迷っていた。自分の思いは終斗に拒絶されないだろうか。あいつの"親友"として、この思いを抱くのは許されるものなんだろうか。

 それでも、迷いながらだとしても、まずは一歩。進んでみなければ始まらない。

 だから……地面を踏みしめるように一歩一歩しっかりとした足取りで歩きながら、始はある決意を固めていた。

 ゆえに家に帰ってから真っ先に、一葉にそのことを伝えた。あの夜、車の中で泣いた自分を唯一見ていた人。優しい母はだからこそ今まであの夜のことに触れてこなかったけど、きっと自分のことを誰よりも心配していただろうから。


「お母さん。オレ、やっぱり終斗のことが好きだ」

「……そう」


 元々相変わらずの笑顔だった一葉は、しかし確かに見て取れるほどにぐっと笑みを深めた。それを見て安心しつつ、始は言葉を続けた。


「うん。だから――告白、しようと思う」


 それは前に進むために決めたこと。

 まひると話したおかげで気づけた……いや、思い出した事実がひとつある。それ自分がどうしたって、終斗のことが大好きで仕方ないんだという単純な事実。恋の相手としても……親友としても。

 だから隠し事なんてせず誠実な自分になって、"親友"として胸を張って終斗の隣に立ちたい。そしてありのままの自分を、終斗の親友としてずっと一緒に過ごして終斗に恋した自分を見て欲しい。その上であいつと"恋人"になりたい。

 だからまずは伝えることから始める。その結果がどう転ぶかは分からない、分の悪い賭けかもしれない。それでも始はすでに覚悟を決めていた。

 真っ直ぐに一葉を見つめて伝え終えると、一葉は感慨深そうにそっと瞳を閉じる。


「そう。それじゃあ…………今夜は赤飯ね!!」

「……え?」

「やぁっと腹括ったかぁ、もーほんとヘタレなんだから始は!!」

「え?」


 急にやたらめったらテンションを上げだした母。どこからともなく唐突に飛び出してきた妹。一瞬で消滅したシリアス。

 その全部にクエスチョンマークを浮かべつつも、始はとりあえず突然話に割り込んできた初穂を問い詰めようとした……が。


「ちょ、ちょっと待ってなにしれっと入ってきてんだお前。なに、オレが終斗好きなこと知ってんの?」

「いやーもう始がウジウジしてるだけで家の中はなんかピリピリしてるし、特にお父さんとかもう妙に静かでヒヤヒヤしてたんだから! あ、そうだお父さん! 早く連絡しとかなきゃ!」


 無視である。というかお父さんまで知ってたの?

 さらにクエスチョンマークが追加される始を置いてけぼりにして、話ばかりが進んでいく……唐突に両肩をぐわしと掴まれた。

 今度はなんだと思うより早く、ずずいと母の顔が視界いっぱいに広がった。


「そんなわけで予定より回りくどくなくなっちゃったけど、家族一同あなたの恋を応援してるから……しっかり終斗くんのハート掴んできなさいよ!」

「え、あ、はい、頑張ります……」


 家族全員に秘めたる恋心を知られていた。こんな状況、普通は羞恥心で死にそうになってもおかしくないが、色々と話が早すぎて困惑ばかりが先に立つ。

 しかし。

 困惑の中でふと思い浮かぶのは、知り合い未満だった自分の思いを親身に受け止めてくれた一人のクラスメイト。

 目の前には自分を応援してくれると言ってくれた家族たちがいる。


(とりあえず……人には恵まれているなぁ、オレ)


 最後に、一人の男子高校生の顔が浮かんだ。


(本当に……恵まれている。オレはきっと、幸せ者だから)


 あいつと出会ったことも、二人で過ごした時間も大切な宝だ。

 それを『恋心を押し殺す悲しさ』なんかに邪魔されたくない。あいつとの出会いもその思い出も自分から否定して後悔したくない。この先なにがあったとしても、あいつとの全部を好きでありたいから。


(ちゃんと決着けりを着ける)


 両の拳をぐっと握って、始は一人決意を固めた。

 ごく普通……というには物珍しいかもしれないが、さりとて言うほど希少でもない程度にはありふれた恋物語。

 それでも少女にとっては一生に一度しかない、大事な大事な初恋の物語はこうして始まりを――


「で、いつ告白するのさ始。やっぱ決めたからには明日とか?」

「え゛」


 始まりを……


「いや、まぁ、その……」


 始ま……


「…………まぁ、ほら、心の準備とかあるし、一週間後ぐらいかな……」

「ちったぁ歳上らしく扱ってやろうと思った私の気持ちを返せこのヘタレ!」


 そのうち、始まる予定である。



―――

まるで終わったような雰囲気ですがもうちょっとだけ続くよ前日談。

そんなわけで次回、前日談最終話です。

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