前日談1話 変わったオレと変わらないあいつと(前編)
そんなこんなで前日談、はじまりはじまり。
恋愛にしても友情にしても、たとえばドラマや漫画だったら衝撃的な出会いから始まるのが世の常だ。
曲がり角で転校生とぶつかったり、空から美少女が降ってきたり、最初はいがみあう関係なんだけど共闘を経て仲良くなったり、上がる例にはキリがない。
なんせその方が物語は面白いのだ、当たり前といえば当たり前の話である。
とはいえそれはあくまでも空想上の話。現実の恋愛事情なんて周りを見渡しても『ノリで付き合い始めた』とか『メールで告白した』とか、ドラマチックな話なんて早々転がってはいない。
友達にしたってそうだ。とびきり仲の良い友人がいたとして、そいつとの出会いや仲良くなった理由を正確に思いだせと言われて一字一句思いだせる人間が、はたしてどれほどいるのだろうか。
まぁオレはばっちり覚えてるけどね!
……嘘です。気づいたら仲良くなってました。あ、でも出会いに関してはそれなりに覚えてるよ!って言ってもやっぱり大したことないんだけども。
オレが『あいつ』と初めて話したのは、中学校に入学してまだ1ヶ月も経っていないときのことだった。
当時のあいつは中学生の時点ですでに周りよりも背が高くて他の同級生よりも大人びていたくせに、今よりもずっと気弱で影も薄くて。
どこのグループにも混ざらずに、授業が終わるとふらりと消えるもんだから、オレも入学してしばらくはあいつの存在を気に留めることすらなかった。
だけどふと見渡すと、あいつは誰からも放って置かれている教室の花に水をやっていたり、落ちているゴミを拾っていたり、黒板消しを掃除していたり。
なんとなく視界の端にあいつがチラつくようになっていて、いつの間にか妙に気になっていて。そんで気がつけば、あいつに話しかけていた。
ちょっと口数は少ないし臆病だけど、気配りが上手で勉強もできる、ついでに手先も器用な優しいあいつ。
忘れっぽくて喋ることが好きで、勉強が嫌いでついでに不器用なオレとは真逆なのに……いや、真逆だから、かな。
凸と凹がぴったり合うように、オレたちは不思議と馬が合ったのをお互いに自覚して。
それからはもうあっという間だ。いつからかは分からないけど、いつの間にかオレたちはお互いに『親友』と呼び合える仲になっていた。
ほら、本当に大したことない。
いつの間にか手の中にあった拾い物で、世界から見ればあまりにもありふれた代物だろうけど……それでもオレにとっては、かけがえのない大切な絆。多分、あいつにとっても。
それは一生変わらない。たとえ近い将来、進路が離れ離れになっても。遠い将来、お互いに伴侶ができたとしても。
あのときまでは、
オレの体が、性別が変わったあの日まではずっとそう、信じていたんだ――。
◇■◇
突然、本当に突然意識を失いぶっ倒れたのが1週間と4日前。
目は覚めたけれど体は全然動かなくて、なにがなんだか分からないまますぐ眠りについたのが1週間前。
そして再び目が覚めたのが5日前。今度はちゃんと意識があったけど、それでも立ち上がることすら辛いほどの倦怠感がまとわりついていて。だけどその倦怠感すら、一時的に忘れてしまうような衝撃の事実を知らされた日でもあった。
少しずつ倦怠感が薄れてきて、いくらか自力で動けるようになったのが3日前。この辺りから薄味の病院食に飽きてきた、焼肉が恋しい。
そして、今日……。
「ふぅ、すっきりした……それにしても」
一息つきながらトイレを出たオレは、首を曲げて上を向いた。
入り口上部に据えつけられていた看板に描かれていたのは、女性を簡易的に象った赤一色のマーク。それは言うまでもなく、ここが女子トイレであることを示している。
少しだけげんなりしたあと、今度は視界を下に向けて自分の体を見下ろした。
入院患者に貸し出されている素っ気無い水色のパジャマは、首から腰まですとーんと落ちるまっすぐな一本線を描いていた。"性別"と年齢に似合わず凸の欠片も感じられないシルエット……だけどこっちはべつにいい。だって"前"からオレの胸に凸なんてなかったんだし。
でも元々あったものがなくなっているのは困り物だ。具体的に言えば、腰から股の付け根にかけて凸がすっかりなくなってしまったのは本当に辛い。便器に座って用を足すたび、あの凸もといオレの息子がいかに便利な存在だったのかが思い知らされる。あとあれだ、単純になんか物寂しいんだ……。
「はぁ、まだ慣れないなぁどうしても……」
よせばいいのに、"今の自分の性別"がどうなっているのかをつい再認識してしまい、本日何度目になるか分からないため息が出てしまった。
「……とりあえず、病室戻るか」
病気のせいで未だまとわりつく薄い倦怠感とはまた別の原因で足取りが重くなっているのを感じながら、オレはゆっくりと歩きだす。
オレこと朝雛始が反転病に罹ってから……男から女へと性別が変わってから、1週間と4日目の出来事だった。
◇
【反転病との付き合い方】
○はじめに
今この本を読まれている皆さんはおそらく将来に、もしくは近い未来に大きな不安を抱いていることでしょう。しかし、だからこそ最初に覚えておいて欲しいのは『反転病はあなたたちの人生を壊してしまうような恐ろしい病気ではない』ということです。
たしかにこの病気を境に、あなたの人生は大きく変わってしまうかもしれません。ですが正しく付き合っていくことで、あなたの未来をより明るいものに変えることだってできるはずです。
本書では男女の体の違いやそれぞれの生活に必要な知識、慣習などの解説を主に記しています。しかしそれらはあなたに『男らしさ』や『女らしさ』を強制するものでなく、『あなたらしさ』を支える手助けの一環となるよう――
「あー、暇だっ」
病室のベッドに戻り上半身だけを起こしたオレは、『反転病との付き合い方』と表紙に書かれた冊子の1ページ目だけをめくり、しかしすぐに飽きてベッドの上に放り投げた。
5日前に病気の説明と共に貰ったそれは、ご丁寧にもフルカラーかつ100ページ越え。文だけじゃなくてイラストも駆使した実に分かりやすく良い書籍ではあったけれど、だからといってこ入院中に何回これを読んだことだろうか。そしてその度に『女性ってこんなことやらなきゃいけないのか……』ってなって、何度肩を落としたことだろうか。
もうすっかり読み飽きたし読んでいて精神的によろしいものでもないので、オレは冊子をベッド隣の棚の上に置きなおしてから、今度はその棚の引き出しを開けてみた。
そこにしまってあったのは、オレが家族に頼んで家から持ってきてもらった漫画たちだ。オレはそれをしばらく吟味して……
「……どれも飽きたなぁ」
ひとつため息をついて、棚を閉めた。
これらの漫画だって、入院中何度も読み返したのだから当然といえば当然の末路である。
オレはベッドに倒れこみ、病院の無機質な天井を仰いで呟いた。
「暇だなぁ……」
性別が変わった一大事だというのに嘆くのは己が暇ばかり、というのも変な話ではあるけれど正直あまり実感が沸かないというか、まだおかしな夢を見ているような感覚があるのだ。
いや、自分の体が明らかに前と違うのはト、トイレとかで散々自覚してるけどさ……。少しだけ細くなった四肢、やや白くつるつるになった肌、微妙に輪郭が丸みを帯びた気がする顔。どれもこれも前のオレとあまり変わっていなくて、もしかしなくても女になったことより寝たきりで体が痩せたことによる変化の方が大きいんじゃないかってくらいだ。
……でもひとつだけ、股の凸とは別に、すごい変わっていて辛かったこともあった。
なんと――身長が5cmも縮んでいたんだ……去年やっと150cm越えたのに!これは本当に悔しかった、泣きそうなくらいショックだった。
でもそれ以外に目立った変化は今のところないし、特に転校する気もないから大きく生活が変わるわけでもないし。
まだこの体に慣れていない分、当然困ることは多いけれど……だからといって、オレやその周りが大きく変わるのか?なんて言われたら、まだよく分かっていない。結局のところこういうのは出たとこ勝負なのだ、多分なるようになるだろう。
つまるところ『気がついたら性別が変わっていた』なんて唐突な話、今のオレにとっては『箪笥の角に足の小指をぶつけて骨が折れた』くらいの危機感しかなくて。最初の一日二日ぐらいは折れた小指の心配をしても三日目辺りからはそれに飽きて、そうなるともう暇を嘆くことくらいしかやることがなくなってしまうのだ。そして今のオレが大体そんな感じだった。
「ひーまーだー」
声変わりが来る前にその可能性すら失われてしまったため、以前よりもほんの少し高くなった気がする程度の変化しかない声で嘆きながら、右に首を動かす……窓しかなかった。今日も良い天気だった。
「ひまだー」
左に首を動かす……オレと同じく入院中のおじいさんがベッドの上から微笑ましそうにこっちを見ていた。オレは慌てて顔をおじいさんから背けた。
すっかり失念しちゃっていたけどこの病室は6人用で、今もそれなりに人がいるんだ。夜の病室で一人ぼっちにならないのは良いことだけど、常に誰かの目線があるというのは、さすがに落ち着かないもので。
こういうときにスマホのひとつでもあれば暇つぶしが捗るんだけど、あいにく病院内は一部エリア以外携帯は禁止で、従ってオレのスマホも自宅で息を潜めている。
しばらく暇だ暇だと心の中で嘆き続けていたオレだったけど、でもほどなくして。
「……よし!」
人の目から逃れるのと暇つぶしを兼ねる案を、一個思いついた。
そして思い立ったら即行動だ。まだちょっと気だるい体を起こし、ベッドから降りる。
「それじゃ、"外"に散歩でもしに行こうかな」
退院こそまだだけど、病院内に関してはほぼ自由に出歩ける程度に回復している。
無論、病院の外に出るのも許可がない限りはご法度なんだけど、オレの言っている"外"は決してそれを指しているわけではない。
よって許可を取る必要もなく、ゆえにオレは早速"外"へと歩き出した。
◇
オレが足を踏み入れたのは"外"――もとい、病院の隣に作られた小さな庭園だった。
小さな、とはいっても草野球場のグラウンド程度には広い。その全体に人口じゃない芝生が生い茂り、あとは細長い木々と休憩のためのベンチがぽつぽつと点在している、シンプルで見晴らしの良い構成だった。
数歩歩いたそばから穏やかな微風がオレの髪を撫でて去っていく。肩には届かない程度のショートヘアーがわずかに揺れて耳が若干こそばゆかったものの、悪い気分ではない。
しかも現在は6月の頭。6月といえば梅雨の時期だけど、今日はそのことを忘れそうなほどのカラッとした快晴で、しかし夏の日差しにはまだ程遠く人に優しい暖かさだ。
穏やかな風と気温、それに日光。芝生に寝転がって日向ぼっこでもしたら、絶対に気持ち良いだろう。そう確信できるベストタイミングだった。
入院中にそんなことしていいのか、というのは頭に過ぎったけど……まぁきっと大丈夫だろう。いやだってさこの環境、絶対日向ぼっこしろって神が言っているんだよ。うん、間違いないね。
とはいえオレと同じようなことを考えているのか、はたまたそうでないのか。とにもかくにも存外人が多くて、静かにゆっくり寝転がるには少々窮屈で騒がしい。
ベンチで談笑するカップル、木陰で涼む青年、二人で鬼ごっこを楽しむ少年たち……あ、芝生で横になって寝ているおじいさんもいた。ほらやっぱり、そのために作られてるんだここは。
各々に穏やかな時間を過ごす人々を横目に、オレは良いポジションの探索に目を光らせていたんだけど……その視線がふとあるところで止まった。
庭園に点在する木々の一本、その枝へと手を伸ばしている幼い少女だった。
俺からは後姿しか見えないけれど、背伸びまでしているあたり結構頑張っているらしく。そうなれば年上としてとる行動はひとつであり。
「ねぇそこの君、何やってるの?」
「あ……」
振り返った少女は見た目から察するに、まだ5、6歳前後のようだ。オレと違って普通の服を着ているから、入院患者ではないみたい。
少女は知らない"お兄さん"に話しかけられたせいか最初はおどおどと戸惑っていたけれど、オレが少女の目線に合わせて屈み軽く微笑むと、少女は警戒心を解いて口を開いた。
「あのね……紙飛行機が、引っかかっちゃったの」
眉を八の字にして、少女は木の枝の先端近くを指差す。
立ち上がって少女の指の先を辿ると、そこには木の枝とそこから生えた葉に絡め取られて救援を待つ一機の紙飛行機があった。
「あれか……」
幸いにもかなり下の方の枝に引っかかっていて、あれならオレでもなんとか届きそうだ。
「よし、それじゃあオレが取ってやる!」
オレの言葉に、少女はぱぁっと花開くような笑顔を見せて言った。
「本当!? ありがとうお姉ちゃん!」
「お、おね……!?」
お姉ちゃん、お姉ちゃんと言ったか今。
悲しいことに間違ってはいない。生物学上間違ってはいないんだけど……いやでもほら、ぱっと見あまり見た目は変わってないんだし、つまりそれって元々のオレが……よそう、この話は弱った肉体に触る。
オレは少女の言葉に若干顔を引きつらせながらもなんとか愛想笑いで返して、そのあと頭上の紙飛行機に目を向けた。
……やっぱり、ジャンプすればギリギリ届きそうな位置だ。
オレはそう見積もると紙飛行機の真下に立つ。そして軽く屈んで腕を振り、全身で勢いをつけて――飛んだ!
「えいやっ!」
ジャンプの頂点に合わせて、掛け声と共に右腕をぐっと伸ばす。
大きく弧を描いたその腕は、はたして見事紙飛行機へと吸い込まれ……なかった。
すかっ、と効果音で表せそうなほど手を見事に空振らせて、オレの体だけが地に落ちる。
両足から落ちたオレの体を地面がしっかりと受け止め、そよ風がそっとオレの背を撫でた。
わずかな静寂を挟んで、少女が言った。
「……お姉ちゃん、無理しなくて良いんだよ?」
こんな幼い子に気遣われた!?
「い、いや無理なんてしてないし!? 今のは準備運動みたいな物だから! 後10cm……いや5cm高く飛べば届くから!」
いや本当に惜しかったんだって! くっそう入院で衰えてしまった体力と男のときの身長があれば絶対に届いたのに! あー身長があればー!!
だからといってこんな幼い少女の前で易々と諦めるなんて、オレのプライドが許さない。
その後もオレは少女の不安げな視線を背中に受けながらも、負けじと幾度となくトライしたんだけど……紙飛行機には未だ届かず。
「お姉ちゃん頑張って!」
「はぁ、はぁ……あとちょっと……!」
まだ体力が完全に戻っていないからか、思いのほか早く息が上がってきた。
それでも、いつの間にか拳を握り締めて応援してくれている少女の為にも、オレ自身のプライドの為にも絶対にあの紙飛行機を取ってみせる!
俺は全身に残っている力を全て振り絞り、軽く助走までつけてから……再び大地を蹴って飛びあがった!
「てえええい!」
千切れそうなほどに伸ばしたその手は今度こそ、紙飛行機に触れて……か、掠っただけ!?
カサッと音を立てて揺れた紙飛行機だけど、しかし枝からの脱出には至らず。
それどころか後先考えず全力で飛んだオレは、肉体の疲弊も相まってか着地の瞬間ふらついてしまい、ついにはバランスを崩して後ろに倒れこんでしまう。
「あ、やば――」
このままじゃ――!
地に打ちつけられる痛みを覚悟した次の瞬間、俺の背中をなにかが支え、直後に懐かしい声が俺の耳へと届いた。
「全く、お前はいつ見ても危なっかしいな」
首だけで振り返ると、一人の青年がオレの体を半ば抱えるように支えていて。
そこはかとなく知性を感じさせる細めの目とすっと伸びた鼻立ち。適当に櫛で梳いた程度の整えられ方をしている、長いとも短いともいえない適当な長さの黒髪。そして今、オレの顔がそいつの胸辺りに収まっている程度には高い身長。
それら全ての特徴を併せ持ったその青年のことを、オレはよく知っていた。
だから声を聞いてすぐ確信した。振り返ってすぐ理解した。1週間と4日ぶり程度じゃ忘れるはずのない"親友"の名前を、思わずオレは呼んでいた。
「終、斗……」
「久しぶり、始」
終斗はいつもどおりのクールな、だけど優しげな笑みを浮かべている。でもオレとしては『なんでここにいるのお前?』って疑問が当然真っ先に出てくるわけで。
オレがそのわけを尋ねようと思い立つと同時、先んじて口を開いたのは終斗の方だった。
「ん? 始、お前……」
終斗がなにか妙なものを見たような顔をした。
あ、そういえば終斗には今のオレが性別変わったことをまだ言ってないんだ。
でもこんだけ近くで見て触れて、そしたらオレの体が前と違うことくらいには多分気づくだろう。なんせ親友なんだし。
察しの良い終斗のことだから、もしかしたら性別の変化にも気づくかもしれない。そうなったら……どうしよう。
終斗なら、今のオレでも受け入れてくれる……と信じてはいるけれど、それでもほんの少し、言い知れない不安が片隅に隠れていて。
どうする?どうなる?緊張に体を強張らせて二の句を待つ。一拍置いて、終斗が言った。
「……背、縮んだか?」
「真っ先に気づくのそこかよ!」
「あと前よりも軽くなった気がする、ちゃんと食べてるか? 病院食が味薄いからってあまり残すなよ」
「余計なお世話だし、出されたものは全部食べるのがポリシーだし!」
人の心配をよそに、しょうもないところばかりに気づく察しが良いんだか悪いんだか分からない親友に対して、オレは逆にヤキモキして怒りのツッコミを入れた。
いや性別変わったことに気づいて欲しいかって言われると微妙なところなんだけど、だからといって気づかれないのもそれはそれでもどかしいというか……。
「ああ、それと……」
「なんだよ!」
オレは怒りのままにキシャーと牙を剥いた。だというのに終斗は気にせず微笑みを見せて。
「……うん、わりと元気そうでなによりだ」
「え……」
さっきまで小馬鹿にしていたはずなのに、急にどうした。そう思ったときには、オレの体から支えが抜けていた。
軽くよろけながらも立ち上がり、終斗はどこへ行ったんだと辺りを見回して……見つけた。あいつはオレがさっきまで取れなかった、枝に引っかかっている紙飛行機の真下に立っていた。
そのまま掛け声ひとつすらなく、ただ背伸びしただけで、終斗の手はいとも簡単に紙飛行機を掴んでみせた。
「んがぁっ」
恵まれている人間は、恵まれていない人間の苦労を何食わぬ顔で踏みつけていくんだ!
悔しさと妬みと切なさからおかしな声を上げたオレのことなどつゆ知らず、終斗は少女の下に戻り彼女と同じ目線になるよう屈むと、紙飛行機を差し出して微笑んだ。
「少しだけ後ろから見てたから、大体分かったよ。君のなんだろう?」
イケメンの零距離スマイル、その威力は一体どれほどのものだろうか。
少女は子供らしい丸い目をさらに丸くして終斗を見つめ……しばらくしてからはっと我に返り、次にぶんぶんと首を縦に振りながら紙飛行機を受け取った。
終斗の手が紙飛行機から離れたあとも、少女が終斗を見つめる視線はそれはもうぴっかぴかに輝いていて。
だけどその視線に一切気づかないまま、終斗は立ち上がってオレにその体を向けた。時には純粋無垢な子供心すら無意識で弄ぶ、イケメンとはやはり罪な存在だということを改めて認識した瞬間だった。
「とりあえず積もる話もあるし、お前の病室にでも戻らないか? こんなところにいてもまだ入院中なんだろう」
「たしかにそうだけど……」
出番を取られたせいで消化不良ではあるけど、とはいえこれ以上外を出歩く気分になれないのも確かだった。暇つぶしの相手も来たことだし。
オレの同意を聞きだすと、終斗は未だ視線をキラキラさせている少女へと振り返って言った。
「それじゃあ、俺たちはもう行くからな。また引っ掛けるんじゃないぞ」
「はい! ありがとうございました、かっこいいお兄ちゃん!」
めっちゃ元気いいねきみ。これ完全にオレのことアウトオブ眼中ってやつじゃね?
なにはともあれやることは終わったので、オレたちは少女に背を向けて歩きだした……けど。
「あ!」
と大きな声が後ろから上がったので、一体なにごとだと二人して振り返ると、少女がぱたぱたと小さい手を可愛らしく振っていて。
「小さい"お姉ちゃん"もありがとー!」
「んなあっ!」
純粋無垢な言葉のナイフを最後に投げて、少女はオレたちと反対方向へと駆け出していった。
相手に悪気はない、悪気はないんだ……!
高校生として、無垢な幼子に怒りを向けるわけにはいかない。やり場のない悲しみにただ肩を震わせながら耐えるオレに、終斗が苦笑を向けてきた。
「悪気はないってのは逆に怖いな……まぁ、なんだ、気にするな」
「終斗……」
「お前はただでさえ童顔だし、今は長い入院生活で随分と痩せて肌も白くなってるから初見で性別を見分けるのは確かに困難だが、それでも俺はお前が男だって分かってるから」
「終斗ぉ! フォローする気あるのかないのかはっきりしろよ!」
「ははは、それにしても始も入院すると大人しくなるんだな。いつもだったら『オレは男だー!』って訂正しに追いかけるくらいはしてただろうに」
さすがというべきか、終斗の意見もごもっともだ。オレだって本当はそうしたい、したいんだけどなぁ……。
事情を知らない終斗をよそに、オレはがくりと項垂れた。
「生物学的には、もう間違ってないから……」
「……は?」




