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今日もオレ/俺は恋をする  作者: 秋野ハル
番外編【後日談前編】
33/57

後日談6話 俺と恋心と友情と、四面ならぬ三面楚歌(前編)

 物事は、いつも突然、やってくる。

 五七五でも季語が入っていない場合は、俳句じゃなくて川柳になるんだったか?

 なんてことはどうでもよくて、つまりなにが言いたかったのかといえば……予想だにしない出来事というのは結構な頻度で現れる、というそこそこにありふれた事実ひとつで。

 例えば、1週間前の始がやたら露出度高めだったりとか。

 例えば今、何気なしに買い物から帰って来た俺の眼前に、悠々と3人の女性が立ちはだかっていたりとか。


「……ちょっと用事が」


 しかしまわりこまれた!



   ◇



 あえなく逃走に失敗した俺はそのままリビングの椅子に着席させられた。

 普段は食事くらいにしか使わない大机。それを囲むようにして俺の他にあと3人が座っている……が、なぜか3人とも食い入るように俺を見つめていて。

 今の俺は正しくまな板の鯉、このまま今夜のメインディッシュにされてもおかしくはないだろう。無論、飯的な意味で。


『…………』


 捕食者の視線が三方から、被食者たる俺を苛む。

 なぜよりにもよって自分のパーソナルスペースともいえる我が家で、そんなものに怯えなければいけないのか。帰って来て早々流れ作業のようにこの状況へと持ち込まれた俺には未だ理解が追いつかないが、鼠が猫に食われるときもきっとそんなものなんだろう。捕食者は被食者の都合なんて気にしないものなのだ。

 しかし"窮鼠猫を噛む"という言葉もある。

 鼠だって追い詰められれば牙を剥く。俺だって、追い詰められれば口のひとつくらい開く。


「……あの」

「さて! それじゃあ被告人も来たことだし、始めますか!」


 なんで我が家に大集合してるんだ。そもそもなんで"その組み合わせ"なんだ。

 投げかけようとした質問は、捕食者その1の威勢良い声によって無に帰した。牙を剥こうが口を開こうが食物連鎖の理はそう易々と覆せないのだ。

 というか……被告人ってなにさ。裁判というよりもどちらかといえば取調べに近いアウェー感だろうこれ。いや裁判も取調べも実際に受けたことはないんだが。

 心の中で律儀にツッコミを入れていると、捕食者その1――もとい俺の姉、夜鳥十香が再び口を開いた。


「とりあえず……どうしようか。まひるちゃん」


 姉さんのパスを捕食者その2――始のもうひとりの親友、梯間まひるが受け取る。


「じゃあ……自己紹介でもします? ほら彼、状況飲み込めてないみたいですし。というわけでよろしく初穂ちゃん」


 いやいらないだろ自己紹介、全員・・知ってるし!それよりももっと大事なことあるだろ色々!

 ツッコミはあくまでも心の中だけである、被食者に発言権はないのだ。

 ゆえに黙って見守らざるをえない中、梯間の言葉は捕食者3――始の妹、朝雛初穂へと投げられた。


「自己紹介かー、それじゃあねー……」


 俺からは暴投にしか見えないパスでも律儀に受け取り、しなくてもいい思案を経てから初穂は言った。


「どうも、始の妹代表です」


 代表もなにも、あいつの妹はお前一人だ。

 例の如く心でツッコむ中、なぜか梯間も便乗して続く。


「どうも、始の親友代表です」


 いやそれはちょっと待て。そう意義を唱えたいが今の俺は悲しがなただの被食者でしかない。

 そして最後は姉さん、流れ的に当然といえば当然だが……。


「どうも、始ちゃんの義理の姉代表です」

「いくらなんでもその自己紹介はどうかと思うぞ実の妹の目の前で!」

「私的には全然ウェルカムなんだけどね。もちろん終にいが義理の兄でも」

「その言葉に俺はどう返せばいいんだ……」


 色々と大っぴら過ぎる彼女の妹と実の姉に、ただ頭を抱えることしかできない。俺のコミュニケーション能力程度でこうも立て続けに飛んで来るボケの集中砲火を捌ききろうだなんて、土台無理な話だったのだ。

 ついでにいえば結局、俺の疑問に関しても一切解決していなかった。

 もうこのまま放っておいても、単なる大喜利大会にしかならなさそうだ。だから俺は率直に質問をぶつけた。


「ところで、一体全体どういった理由で三人はうちにいるんだ? そもそもみんないつの間に知り合ってたんだ、俺は全員と顔見知りだが三人の間じゃ接点なんてそんなに…………あ」


 俺の彼女の妹、俺の同級生、そして俺の姉。

 接点はひとつだけ、無きにしもあらず。


「……もしかして、始経由か」


 憶測に答えたのは姉さんだった。


「そうそう、始ちゃんと話してる流れでこちらの妹ちゃんと知り合って」


 続いて初穂が引き継ぐ。


「まひるさんは始と遊ぶため時々うちに来てたから、そのときに私と知り合って」


 最後に梯間が締めくくった。


「それで『今回の件』でまぁなんやかんやあって始を通じて私と十香さんが知り合いになった、と。大体そんな感じかしらね」

「はぁ……」


 知り合いの知り合い同士が、自分のあずかり知らぬところで関係を築いていた。人の繋がりというのは狭いんだか広いんだか。

 だがそれはそれとして気になる単語も出てきた。

 『今回の件』というフレーズ、それに……。


「始を通じてってことは、始もこの謎の状況に関わってる……のか?」

「うーん、関わってる。というか……これって、言っちゃってもいいんですかね」


 梯間が尋ねると姉さんはわずかに逡巡してから「いいんじゃない?」と軽く了承の意を示した。

 それに初穂が同意するのを確認してから、梯間は俺に顔を向けて言った。


「そんなわけで言っちゃうけど、私たちはさ。全員始に頼まれたのよ」

「頼まれた……?」


 この胃に悪い状況、関わっていたどころかあいつが首謀者だったのか。

 え、俺あいつになんか恨み買うようなことしていたか?

 この状況に至る理由が明確にならないまま、自分がなにかやらかしたのではないかという自責路線へと思考が外れかける中、梯間が再び口を開いた。


「そう、『終斗の好みをさりげなく、こっそりでいいから聞きだしてきて欲しい』ってね」


 あいつがそんなことを……さりげなく、こっそり……え?


「……さりげなく?」

「さりげなく」

「こっそり?」

「こっそり」

「……今は」

「さりげなくもこっそりでもないわね」

「人選ミスだろこれ……!」


 そんなことを頼んだ動機はとりあえず置いといて、どうして隠密性が必須な依頼をよりにもよってこの三人に頼んでしまったのか。

 姉さんは見てのとおりちゃらんぽらんで口が軽いし、梯間は竹を割ったような姉御肌。初穂は初穂で朝雛家の血筋なのか、始と同じくよく喋り自分の感情に素直だ。

 改めて具体的に並べてみても、選出を誤った感が半端ない。

 いや、こちらとしては裏でこそこそされるよりやりやすくて良いといえば、そのとおりなんだが。

 なんにせよこうなった理由は分かった、それさえ知れたら話は早い。

 ゆえに俺は三人に向かってはっきりと、声を上げた。


「なんにせよ……あとは俺と始の問題だ。正直に言ってくれたのはありがたいが、これ以上問答を続ける意味は――」

「いやいや意味もなにも、こっちの話はまだ終わってないから。選択権はそっちにないから」

「二人の問題とか言ったって、終にいのことだからぶっちゃけ上っ面は優しい言葉でうやむやにして、最終的にははぐらかしそうな気がするな私」

「分かるわぁ、終くんは昔からそういうところあるから。大体ねぇ、あーたまだ始ちゃんがなんでこんな相談を私らにしたのかさえ、全然分かってないでしょうに」

「ぐっ……!」


 一石で二鳥仕留めるどころか、石を投げたら石だけが三倍になって返ってくるこの理不尽な!

 だが悔しいことに図星なので言い返せる言葉がない。

 あいつがみんなにあんなことを依頼した理由が未だ思い当たらないのは確かたったし、初穂の言うとおり適当にはぐらかすつもりでもあったから。

 いやだってなぁ、自分の嗜好を彼女に押し付けるのもなぁ……あいつ、ただでさえつい8ヶ月ほど前まで男だったんだし。


「さて、そろそろ話進めないとね。それじゃあ初穂ちゃん、例の物を」

「あいさー」


 姉さんの無駄に綺麗な指パッチンに思考を中断されて正面を向くと、初穂が立ち上がってリビングを出ていくのが目に入った。


「おいなんだ、なにをするつもりだ姉さん」


 直後、背筋を駆け抜けた悪寒に突き動かされるように姉さんへと質問を投げたが、それでも彼女は動じないどころか腹立つほどに不敵な笑みを浮かべていて。


「ふふふ、探偵物でも警察物でも、犯人を白日の元に晒すための一番の武器は物的証拠なのよ終くん。それを今から教えてあげるわ」

「は? いや物的証拠って、今の話となんの関係がオアアアアアア!!」

「うわ夜鳥くんでもそういうリアクションするんだ、意外だわ」


 突然叫んだ俺に対して梯間が淡々とそう呟くが、俺に言わせてみればそんなもの意の外でもなんでもない。

 真の意外とはそう例えば自分の彼女の妹が、念入りに隠していたはずのお宝本を何食わぬ顔で抱えてリビングに戻ってきたときのようなことを言うのだ。

 俺は即座に思考を超えた反射をもって声を荒げた。


「こら初穂! 今すぐ回れ右して元の場所に置いてきなさい!」

「って言ってますけどどうします?」

「大丈夫よ初穂ちゃん、基本的に姉の方が弟より偉いんだから。妹は別だけど」

「身内にだって今なら言える、今すぐ死んでこいよもう!」

「今から死ぬ人間に言われても、哀れとしか思えないわね!」

「ほいさ」

「オアアアアア!!」


 初穂の軽すぎる掛け声と共に机の上へと見せしめのように置かれたお宝本に、俺の悲鳴が再び上がる。

 だがそんなものを意にも介さず、梯間が横から首を伸ばしてその本たちを覗き込んできた。

 おいおい待て待て身内やそれに近い人間ならただ死ぬだけだが、同級生の女子にこういうのを見られるのは一種のオーバーキルだ。咄嗟に本を隠すため手を伸ばそうとした俺だが、その前に梯間がこちらを向いて一言。


「あ、こっちのことは気にしないで。あなた来る前にみんなで一回これ見てるから」

「オアアアアア!!」


 事実上のオーバーキル。三度目の悲鳴を上げつつ俺は力尽き、崩れ落ちるように机に突っ伏してしまった。

 俺は明日から一体どういう顔して高校生活を送ればいいんだ!


「だから気にしないでいいってば、言いふらす気もないし。うちの弟もよくこういうの隠してるから慣れてるのよね」

「理屈じゃないんだよこういうのは! だから弟さんの秘密暴くのも止めてさしあげろ!」


 思わずツッコミを入れてしまったが、世の弟というのはどこもかしこも虐げられているものらしい。梯間弟(仮)が健やかに生きられることを、そっと心の中で祈っておいた。


「で、結局のところ終にいは胸が小さい方が好みなの? それとも大きい方?」

「え、そういう意図でやられてたのか。俺から見れば完全にただの公開処刑だったんだが、色々過程すっ飛ばしてないかこれ?」

「確かに、物的証拠はここに全部揃ってるわけですし」

「でもやっぱほら、本人からの自白は欲しいじゃない? えっとなになに、『真夏の貧乳×ビキニ30選――」

「読み上げるなあああ!! そうだよ俺は山よりも海派なんだよ! お前らみたいなそんじょそこらの山々よりも世界にただひとつの雄大な大海原の方が何倍も愛おしいんだよ、悪いか!」


 退くも進むも許されず半ばヤケになった俺の自白に、三人組は顔を付き合わせて口々にコメントを返し始めた。


「イケメンが俗な趣味とか嗜好を持ってるとギャップがあって良いって話をこないだ友達に聞いたんだけどさ、こうして実物見るとときめきもへったくれもないわよね」

「そりゃそうですよ、イケメンなんて基本的に観賞用ですもん観賞用。それにしても今の例え、こうして実際に聞いてもやっぱりないかなぁって思うんだけど」

「うぅ、苦楽を共にして16年。ようやく自分から下心を曝け出してくれて姉さんは感激よ、これから16年分を埋め合わせるように俗な話を語りつくしましょう! あ、それはそれとして今のフレーズはネタとして使わせてもらうわね」

「くっそどいつもこいつも、いいよもう俺は始にさえ嫌われなければ!」


 三方からやまびこのように評価をぶん投げてくる山々。その自然の厳しさに俺の心も自然と荒む、嗚呼あの優しき海原が恋しい……。

 だが俺が一人空しくたそがれていよういまいと、そんなの関係ないとばかりに女性陣は話を進めていく。


「それにしても、夜鳥くんって十香さんの言ったとおり、思いのほかふつーに男子だったわけですが」

「ねー、だから言ったでしょう。基本的にただのかっこつけだからこの子」

「うーんたしかに、これなら"もうひとつ"の方も普通に考えてそうだよね。ねぇ終にい」

「なんだ、まだなんかあるのか……」


 早く一人にさせるかそうでなければ大海原と、始と二人きりにさせて欲しい。

 精神が削られている今はそんなことしか考えられず、初穂に問いかけられても空返事しか返せない。

 だが彼女は気にせず「大したことじゃないんだけどさ」と繋げてくる。

 そのまま文面どおり大したことないような、軽いノリで彼女は言った。


「やっぱ始とエロいことしたいって思ってるの?」


 唐突な不意打ちに全身の力が抜ける。

 返答はできなかったが、代わりにガンッ!と机に頭をぶつける音をひとつ響かせて。

 俺はがばりと顔を上げると初穂に向かって叫ぶように言い返した。


「お前なんでさっきからそんな大っぴらなんだよ色々と! 姉妹だろ始と!」

「普通こんなもんじゃない? どっちかって言えば始が初心すぎるだけだし」

「いや、そう言われるとそうかもしれないが……」

「で、どうなの。ここまでばらされたんだしもう全部吐いちゃってもいいんじゃない?」

「吐けるわけないだろこういう恥ずかしさだって理屈じゃないんだよ!」

「もうこの時点で答え示してるようなもんだけどね」


 梯間の冷静な指摘は正しくそのとおりだが、それでも肯定するのは羞恥が辛く、だからといって否定をでっち上げる気力もない。

 もう好きにしてくれ、どのみち俺には止められない。

 諦めて、再び机に突っ伏す俺。心に描くはただひとつ、蒼き海へと還りたい……。


「あらさすがにいぢめすぎたか。そろそろ駄目っぽいわねぇ」

「ま、大体聞きたいことは聞けたしいいんじゃないですか? ほら私も将来の義兄と仲は悪くしたくないですし」


 姉さんと初穂が言葉に、この不毛な会合の解散する気配を織り交ぜる。

 ようやく、ようやくこの拷問が終わるのか……。

 あとは梯間が諦めてくれればそれで全てが終わる。

 はたして梯間は若干哀れみを込めた目を俺に向けながらも、狙いどおり――


「ちょっと不憫になってきたしね……それじゃ、あとはこの結果を始に報告して――」


 ガタッ!と椅子が揺れる音に、梯間の言葉が止まり彼女含めた女性陣が、俺に視線を向ける。

 他ならぬ俺自身が、もうすぐ終わるはずだった会合に茶々を入れてしまったのだ。

 梯間の言葉がある地点に差し掛かったときに思わず立ち上がり、声を上げてしまった俺。その口から出た台詞は、たったの一言だけだった。


「それはっ、駄目だ……!」

「お?」

「ん?」

「おや」


 例の如く例によって、三方向からぶしつけな視線が飛んで来る。

 一瞬怯んでしまったが、それでも通さなければいけない意地ぐらいは、こんな俺にだってある。

 射抜いてくる視線を受け止めて、前を向き。一度唾を飲み込んでから、俺は毅然と口を開いた。


「その、だな。この際俺のことは置いといてだな……始のことを気遣ってくれたのはありがたいんだ。だけど、いやだからこそというか、えっと……やっぱあいつは俺の彼女だし、俺はあいつの彼氏だし、結局は二人の問題というか……もうここまでみんなに知られてしまった以上は、始だけに隠すなんて無理だってことは分かってるけど、だったら俺の口から伝えたい的な感じで……いや、ほんと、ここまで散々醜態見せておいて何様だって話なのは分かってるけど……うん、まぁ、だから、そんな感じでだな……」


 毅然と、とはなんだったのか。

 つい反射的に啖呵を切ってしまったせいで、結局は言いたいこともまとまらず、口から出るのは支離滅裂でぐだぐだな主張だけ。

 しどろもどろに言い終えたあと、情けなさ過ぎて三度机に突っ伏してしまう。

 そして不意に、訪れる静寂。俺からはなにも見えないが、女性陣は俺の駄目っぷりに何を思っているのだろうか。

 恥ずかしくて情けなくて、すごい顔を上げたくなくて。


「……なんだ」


 静寂を破り、梯間が口にした言葉。俺はそれに落胆の意を感じて身を固くしたが、しかしその言葉の続きは俺が予想していた方向とは違うものだった。


「ちゃんと、分かってんじゃん」

「……え?」


 思わず面を上げた俺の目に映ったのは、なにやら納得したように頷く三人で。

 一体全体どういうことだといぶかしむ合間にも、彼女らは打ち合わせていたかのように一斉に立ち上がって、次々に俺の隣を通りすぎていく。

 すれ違いざまに姉さんが言葉をかけてきた。


「今回はちょっとやりすぎたかなとも思ってるけど、でもまた同じようなことがあれば容赦しないわよ? それがイヤなら、精々素直に生きなさいな」


 その言葉の意図が分からない。問いただそうとするも、しかし間髪いれずに初穂が姉さんと同じく……いや、一度立ち止まってから言った。


「どうも終にい、まだ分かってないところありそうだから言っておいてあげるけど、始が人に頼るのって自分だけで頑張ってもどうにもならないときだけだから。男の甲斐性……とは言わないけどさ、ちゃんと汲み取ってあげなよ? 始だってああ見えて、ちゃんと女の子してるんだし」


 そう言い残して、姉さんのあとを追いリビングを去って行った初穂。

 彼女の言葉を要約するならば、『始は自力で俺の嗜好を聞きだそうとしたが、それに失敗したから三人に頼った』ということになる。

 だがそんなこと、あいつは……と、不意に脳裏を過ぎったのは、つい一週間前の始の様子だった。

 やたらと露出度の高い服装に、少々過激とも言えるスキンシップ。

 確かにあのときの始はいつもと同じ、とは言い難かった。そのときの俺は違和感を気のせいだと見過ごしていたが……。


「それじゃあ夜鳥くん、私ももう――」

「いや、ちょっと待ってくれ……大体は、繋がったと思うから」

「……ここは流れ的に私も続く場面かと思っていたのに。ま、ちょっとくらいなら付き合ってあげるわ」


 通り過ぎようとした梯間を引き止めると、彼女は素直に聞き入れて手近な椅子に座り直した。

 そして俺は梯間へと向き直り、話し始めた。

 なにをって?決まっている。始がみんなに今回のことを頼んだ動機、その答え合わせだ。


「……一週間前、あいつの様子がその……おかしかった。いや、そのときは単なる偶然程度にしか思っていなかったんだが、今考えると……"そういうこと"だったんだな」


 俺の答えに、梯間はため息をひとつついてから言葉を発した。


「やっと分かったか。一応あなたたち二人が付き合うまで始に協力してた立場だから言うけどさ、夜鳥くんって意外と鈍感よね」

「否定は……できないな。始と付き合うまで、俺はあいつが"昔のあいつ"のままだったと、思いこんでいた。今はこうしてあいつを一人の女子としても見ているけれど、それでもどこかにあのときの偏見みたいなものが残っていた……のかも」


 俺が始に"親友としての感情"以外のものを抱いていて、それはあいつも同じで。だからこそ、"親友"という枠を超えて、"恋人"として今俺たちは付き合っている。

 分かっているようで、なにも分かっていなかった。だからあいつの思いにも気づいてやれなかった。

 不甲斐なさから自然と歯を噛んでしまう。


「あのさ……」


 だが不意に梯間の声が耳に届き、自然に俯いていた顔が上がった。気づけばすでに、彼女は口を開いていた。


「実のところ、最初の方で『始の親友代表』って言ったの。あれってあながちただのネタってわけでもないのよ」

「と、言うと」

「ぶっちゃけ、今の夜鳥くんよりも私の方が、"親友"っていう立場には相応しい。そう私は思ってるから」


 親友。俺と始の、恋人以外のもうひとつの繋がり。

 始に協力していた以上、梯間はその事情を知っているのだろう。そしてなんとなくだが、知った上であえて挑発するような言葉を選んだような気がする。

 だが俺は……今の俺は、どうしてもそれに真っ向から対抗する気にはなれなかった。だから静かに返事ひとつだけを返した。


「……そうか」

「む、もうちょい対抗心のひとつでも出てくるかと思ったけど、そうでもないわね」


 俺だって自分自身に正直驚いている。驚いてはいるが、理由自体はもう大よそ掴めていた。


「……"恋人"は、"親友"の上位互換じゃないから」

「お?」


 俺の言葉の意味が分からない、と言うように梯間が首を傾げた。

 それならば……というよりも、自分の気持ちを整理する意味合いの方が強いのかもしれないが、とにかく俺は今の心境をゆっくりと吐き出し始めた。


「俺はかつて、恋心は友情を食いつぶすものだと勘違いしていた。少し前までは、恋心も友情も表裏一体。コインの表と裏のように、片方があるからもう片方があって。二つが重なり合うように存在するものだと思っていた。だけど今は……」

「その、どちらでもない?」

「……前者は絶対に、少なくとも俺にとっては絶対に違う。だが……後者については、正直はっきりと言えるものじゃない、かな」

「はっきりと言えないけど"同じ"だと断言しないってことは、少なくともそうじゃないってことよね」


 一度頷いて、話を再開する。


「今は、恋心と友情はそうだな、例えるなら……その二つには"わく"みたいなものがあるんじゃないかって」

「枠? なんだか言いたいことが分かるような、分からないような」

「その、なんだ。上手い具合に例えが思い浮かばないんだが……こう、両者はある種の枠で囲まれていて二つはある程度重なり合っているけれど、それでもどうしたって重ならないところもあって……それは多分、俺が始にドキドキしてしまうことだったり、始が俺の好みを知りたがったりとか、そういうことなんだと思う……って、こんな説明で分かるかな」


 この定義……と言えるほど上等なものでもないかな。とにかくこの感覚については、俺自身もついさっき自覚したところだ。

 ゆえにしどろもどろな説明になってしまったが、それでも梯間はしばらく考えて……納得したような口調で言った。


「……ま、なんとなくイメージはついたわ。って言っても私、恋愛事なんて小学生だか中学生だかの淡い片思い程度のしょっぱいやつしかしたことないし、実際合ってるかは微妙なとこだけどね」

「イメージがついたなら良いさ。そもそも合否の話で言えば、あくまでもこれは俺の恋愛観なんだから、他の人も同じだなんて保証はできないわけだし」

「それもそうか。んで、それじゃあさ……夜鳥くんの枠は、今どっちなの?」


 梯間らしくド直球に来た、核心を突く問いかけ。

 この流れならばそうなるだろうと身構えてはいたが、それでも……これを口に出すのはためらわれる。

 だけど口に出さなければ、表に現さなければ進めないこともあるから。

 だから、俺は――


「俺の"枠"はきっと――友情よりも恋心に近いんだと思う。だって今の俺は、始の恋人なんだから」


 親友じゃない、とは言わない。あの頃の友情が消えたわけじゃない、それは確かだったから。

 だけど、それが丸々残っている……とも言えない。当たり前だが、親友ならば一々薄着にドキドキしたり……エロいことしたい、だなんて思わない。


「親友として隣にいることと、恋人として隣にいること」


 もっと言えば、いつかの未来……"家族"として隣にいることも。


「それぞれ変わらなくていいこともあるけれど、それでも関係を進めようと、変えていこうと思うならば、多分変わらなければいけないことも色々あって。少なくとも今の俺は、そして……多分始も、変わっていくことを望んでいる。だから――」

「その続きは、後にとっておきなさい」


 一方的に語っていた俺の言葉は、そこで遮られた。

 遮った張本人である梯間は、そのあとすぐに立ち上がってから再び口を開く。


「そんじょそこらの同級生にそんだけ言えるんだから、何年も親友やってた恋人に言うくらいわけないわね。自分の口で伝えるんでしょ?」


 そう止められてしまえば、これ以上話を続けるのも無粋というものだろう。


「……そうだな。ありがとう、おかげで気持ちの整理がついた」


 礼を言うだけに止めると、梯間はニカッと快活な笑顔を見せた。


「いいってことよ。ま、なんせ『始の親友代表』だし」

「……ふっ。そうだな、その称号はとりあえず"預けて"おいてやるか」

「あ、くれるわけじゃないんだ」

「言っておくが、今はあいつの恋人だがそれはそれとして、俺の親友力は今のお前よりも高い自信がある」

「なによ親友力って。ほんと、見かけよりも随分と意地っ張りなんだから……で、親友代表の座を一旦でも明け渡したあなたは、これからどうするのかしら?」

「それはもちろん――『始の恋人代表』として、できる限り頑張ってみるさ」


 そんな軽口を叩きながらお互いに笑いを漏らす。

 今までは接点もそこまでなく、未だ友達の友達くらいの関係だった梯間だが……あの始に引っ張られたもの同士、やはり馬は合うらしい。これからは仲良くできそうな気がする。

 なんて思っていると、姉さんや初穂と同じように梯間も歩き出した。そして今度こそ、すれ違いざまに言葉を投げてくる。


「それじゃ、私もそろそろおいとまさせてもらうわ。彼女持ちの男の家に彼女以外の女が一人で長々と居座るのもなんだしね。始のこと、ちゃんとやりなさいよ?」

「ああ、ちゃんと伝えるさ。自分の口で、な」

「そっか、それじゃあ……」


 はたして梯間はそのまま出てい……かずに、リビングと玄関へ続く廊下とを隔てるドアの前で足を止めると、なぜか振り返って。


「そっか……それじゃあ、そろそろ心の準備のひとつやふたつ済ませといた方がいいわよ?」

「ん? それはもちろん、あとで始と話すつもりなんだし……」

「ああいや、そういうことじゃなくてね」

「は……?」


 まるで俺に見せつけるようにゆっくりとスマホを取り出す梯間。

 そしてそのままその画面をタッチ&スワイプ。一体なにをする気なのかといぶかしむ間もなく操作を終えると、梯間はとんでもないことをしれっと告げた。


「さっきまでの会話音声、ほぼ無修正で送ったから。あとで、なんて言わず今から腹括りなよ?」

「え」


 意味が把握できず、1秒。2秒……3秒目にしてようやく理解し、俺は驚きの声を上げてしまった。


「…………はぁ!? おいちょっと待てそれどこまで送った!?」

「大丈夫よ、エロいことがどうこうって下りからは情けでカットしてあげてるから」

「おい山と海の辺りは」

「もちろん編集なしで送ってあげたけど」

「情けってなんだよ!」

「大人しくドン引きされなさいな、始のことだから案外大丈夫かもしれないけど。それじゃあねー」

「ちょっとおまっ――」


 リビングを出て行く梯間を引き止めようと手を伸ばすも、その手はただ空気だけを掴み。はたして梯間はドアを開けて廊下へと消えていった。

 律儀にパタンと閉められたドアの音、その奥で玄関のドアが開いて閉まる音。そしてようやく戻ってきた静寂、無音という名のBGM。

 それらを一通り聞き終えてから……俺は四度、机に突っ伏した。


「あああぁぁぁ……」


 疲れた、ということを口に出すことすらもう億劫で、唸り声しか上がらない。


「あー……始に聞かれるって分かっていれば、あんなアホみたいなこと言わなかったのに……」


 格好がつかないところも散々見せてしまった。あれらを聞いて、始はなにを思うのだろうと考えると、このあとが怖くて怖くて。

 よりにもよってどうして無修正で送ってしまったんだ。せめて始に聞かれていなければもう少しかっこよく取り繕えるのに――


 pipipipi……。


「ひぃっ」


 ポケットに入れっぱなしだったスマホが突然鳴り出した。

 つい情けない悲鳴を上げながらおそるおそる取り出してみると、着信者名には『朝雛 始』と記されている。

 うわ、すごい出たくない……。

 先ほどあんなことがあったばかりだ、用件なんて当然分かっている。分かっているからこそ居留守でもなんでも使って逃げだしたい、が……。


 ――『始の恋人代表』として、できる限り頑張ってみるさ。


「くそっ、誰だよあんなクサい台詞吐いたのは……!」


 無謀な啖呵を勢いで切ったどこぞの阿呆を毒づきながら、緊張を少しでも発散するように頭を雑に掻いた。

 しかし無謀だろうとなんだろうと、啖呵を切ってしまった以上は、通さなければ男が廃る。


「ええい、ままよ!」


 俺は意を決し、スマホを手に取るのだった。

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