第24話 オレと俺の大決戦、急。向き合ったその先で
お化け屋敷から出た後、どちらからともなく一旦休憩しようという話になったので、手ごろなベンチを見つけると早速二人並んで座った。
そして未だ手を繋いでいることにようやく気づき、少なくともオレは一抹の寂寥感を感じながら、どちらからともなくそっと手を放した。
なんだかもどかしい沈黙が少しだけ続いたのち、そんな雰囲気をごまかすように、さっき貰ったキーホルダーが自然と話題に上ってきた。
「……そういえば、さっきのキーホルダーがここにあるわけだが。しかもご丁寧に俺たち二人分、だからほら」
「あ、そういえば」
終斗はズボンのポケットから金属製のキーホルダーを二つ取り出すと、その内ひとつをオレに渡してきた。
断る理由もないので、オレはキーホルダーを素直に受け取る。しかしその見た目に、つい顔を引きつらせてしまった。
「……これってたしか、HANAMI公式マスコットのハナ美ちゃん、だよね……」
遠く銀河の彼方にある花と緑が溢れた平和な星、フラワー星からやってきた自称『愛と平和の魔法少女』。自称なのは、外見がひまわりに目と口を書き四肢を生やした上で、魔法少女っぽい服を着せた謎の生き物。としてか表現出来ない風体なので、客観的な年齢が推定できないからだ。
公式ホームページなどでの発言の節々から、動悸息切れ関節痛といった更年期障害の前触れじみたものを患っていることが分かるので、実は結構お歳を召しているのではないかともっぱらの噂である。
あまり深入りしすぎると、魔法の力という名のなにかで愛と正義を骨の髄まで叩き込まれるらしく、あくまでも噂の域はでないが。
オレたちが貰ったキーホルダーは、その魔法少女(実年齢不明)ハナ美ちゃんのもの……なのは多分、間違いないと思う。そう分かっていてもオレの言葉に自信がなかったのには、一応理由があった。
「だな、おそらくは。ま、言うなれば『ゾンビバージョン』ってところか」
終斗が肯定しながら名づけた、曰く『ゾンビバージョン』は、本来のハナ美ちゃんからかけ離れた容姿と化していたのだ。
一番のトレードマークであるはずの頭のひまわりは、いつもの健康的なレモンイエローではなく腐ったような黄土色に枯れ果て朽ちて。魔法少女らしく夢と希望に溢れていたはずの目も、今は虚ろに白く濁っている。
魔法のステッキは先端が折れてささくれ立ち、可愛らしくフリルで装飾された自慢の衣装もボロボロに破れて、ところどころ見えてはいけないはずの赤黒いなにかが見えていた。無論、グロ的な意味で。
はっきり言って、普通に不気味だ。元のハナ美ちゃんがマスコットらしくデフォルメが効いた姿だったから、まだこうして公の場で晒せるくらいにはギリギリセーフだったけど、そもそもデフォルメされてギリギリと言わざるをえないのがどーなんだという。
なんかあまり眺めていると、気が滅入りそうだ。
オレは手の中にあるマスコットから目を逸らし、萎えた気力を養うため隣の終斗に目を向けた。
すると終斗は無言でスマホを触っていたので、その間に終斗の横顔を眺めて気力をチャージ。しかしすぐ顔を上げてオレの方を向いたために、当然オレと終斗の視線はかち合ってしまった。
わ、わ、わ。オレはつい慌てて顔を俯かせてしまう。
終斗に変だって思われたかな……。
心配になり、すぐに隣をちらりと覗き見てみたら、終斗は終斗で何事もなかったかのように再びスマホへと視線を落としていた。
オレが内心でホッとした直後、終斗がスマホに目を向けたまま言った。
「……さっきのキーホルダーだが、あのアトラクションの限定品だそうで、巷では"キモカワイイ"って結構人気もあるらしいな」
「嘘ぉ……」
さっきからスマホを触っていたのは、それ調べていたからか。ていうかこのキーホルダー、人気なんだ……。
オレとしてはこう、もうちょっと直球で可愛い方が嬉しい。どうせ人気なら、クラスの誰かにでもあげようかな。
「……ちなみにこのキーホルダーはクリア景品でしか手に入らない非売品で、数も思いのほか出回っていないらしく、オクとかだと存外高値が付いているみたいだな」
うん、やっぱりとっておこう。よくよく考えてみれば一応、終斗との初めてのペアルックでもあるし……あまりこれを付けて歩きたくはないけれど。
……と、終斗の言葉でオレは不意にあることに気づいた。せっかくなのでそちらも話題にだしてみる。
「それにしても、数がそんな出回ってないってことは……あのアトラクション、クリアした人そんな多くないってこと?」
「みたいだな。俺たちも見たとおり、クオリティは中々高いし……あと、地味に宝石集めが難しいって――」
終斗に説明してもらっていた最中、唐突に「ギャー!」と遠くから男性の叫ぶ声が耳に届いた。
声の発生源は、あのお化け屋敷。二人してその方向を向いてみれば、マンションから慌てて飛び出してきた男性が。さらにはその後ろから一人の女性が「なに逃げてんのよゴルァァァ!」と威勢良すぎる声を上げて、逃げた男性を追いかけていた。
あ、男の人捕まった……女の人に引きずられて、またマンションに……。
「……世の中って、色々あるんだな」
「だね……」
またひとつ世を知り、終斗とともに大人への階段を上りながらもオレは同じ怖がりとして、そっと名も知らぬ男性に黙祷をささげた。
しかし怖がりの男性もその彼女らしき女性も、遠目から見ていた分にはどことなく楽しそうだった辺り、あれもまたひとつの愛の形、ということなんだろうか。うーん、やっぱり世の中は広い。
思わぬハプニングに中断してしまった会話は、終斗が口を開いたことで再開された。
「ま、今みたいに男でも怖がるほどのアトラクションなんだが……そう考えると、正直意外だったな」
「なにが?」
「怖がりのお前が、こうしてこのキーホルダーを持っていること」
「それって……むぅ」
終斗の言い回しを理解したオレは、つい頬を膨らませてしまう。それを見て、終斗が軽く笑った。
なんか終斗、ジェットコースターに乗って以降、少し意地悪だ。まぁ、振り回されるのもそれはそれで悪くないけど……。
ただこのまま怖がりをネタに弄られ続けるのもなんなので、オレは自分から話題の舵を取った。
「でもオレはずっと手を引かれてただけだし……終斗こそ、よく宝石集められたよね。難しかったんじゃないの?」
「えっ……あー……」
オレの振った話題は何気ないものだったけど、終斗はなぜか言いずらそうな様子を見せる。少しの間を置いてから、終斗の返答が返ってきた。
「……実は、あまり覚えてない。なんていうか、適当にうろついてたら見つかったというか……」
オレから目を逸らした、妙に歯切れの悪い返答だったのは、本当に覚えていないからだろうか。
難しいって言っていたわりに、無意識で探しても見つかるほど簡単だったのかな。はっ、それとも逆にそれくらい適当に探さなきゃ見つからないような巧妙なところに隠して……って少なくとも今日のうちはもうあそこに入ることもないだろうし、考えてもしょうがないか。
話題が途切れ、沈黙がオレたちの間に訪れる。
気心の知れた間柄特有の、心地良い沈黙の中で、オレの脳裏にはある光景が蘇ってきていた。
お化け屋敷、そういえばあのときも……。
――それは3ヶ月も前の話。
今はもう過ぎ去った、夏の日差しの全盛期。オレにとって、終斗が『親友』以外の何者でもなかったときのことだ。
『豊永ランド』という大型レジャーランドに併設されたジャンボプールにオレと終斗と、ついでにオレの家族全員で遊びに行ったことがあった。
そこでも今日みたいに、ひょんなことからお化け屋敷に入ったのだ。しかも、終斗と二人きりで。原因も……おおむねオレが意地を張ったせいだったり。
いつまでも学習しないオレである。
それはそうと、そこのお化け屋敷は"和風"と"水辺"の二つのテーマが混ざり合った、ついでに言えば水着を着てなければ入れないという変り種の代物だった。
でもオレたち二人は、なんだかんだとかなり奥まで進めたんだ。その頃は終斗との恋なんて想像すらしていなかったから、今日と違って手を繋いだりなんてことはありえなかったけど。
オレが手を繋がなくても進めたということから分かるとおり、お化け屋敷は存外怖くなかった。そのせいでオレは油断していたんだ、このくらいなら意外とへっちゃらだって。
だから最後の仕掛け、道中と比べて異様なまでに気合が入ったそれに、オレは腰を抜かしてしまった。無論、恐怖のせいで。
腰が抜けるほど怖がったり、終斗にみっともない醜態を晒してしまったり、あまりの怖がりようにお化け役のスタッフに逆に心配されてしまったうえ、腰が立てるまでの間わざわざスタッフルームに通されたり。
ついでにいえば、水着は嫌々着る羽目になった女子用のワンピース(しかも予算の都合で妹のお下がり)。実はお化け屋敷の前に一度ナンパまでされていた、しかも小学生に。向こうもオレのこと小学生だって思ってたんだと、へっ。
もうほんとそのときは色々とどうしようもなくて、せっかくのプールだっていうのにオレの心はズタボロで。
だからお化け役の人に通されたスタッフルームでついポツリと、弱音を吐いちゃったんだ。家族に心配かけるのが嫌で、親友に弱いところ見せるのが嫌で、ずっと隠していた本心を。
『こんな女っぽい水着着ちゃって、ナンパまでされて……小学生扱いされたし。その上あんなに怖がって情けない姿晒して……これじゃほんとに女の子みたいじゃん……』
女の子みたい、じゃなくてもう女の子なんだよその体は。でもそれすら認めるのも、昔は嫌だった。
だけど終斗はオレの悩みなんてなんでもないって感じで、いつものお前と変わらないって言ってくれて。
そして、最後に約束してくれたんだ。
『それでも変わる事が怖いって言うなら――俺は変わらない。俺はずっとお前の親友でいるから、お前がまた不安になっても『お前はお前だ』って事を証明し続けてやるから。それなら、少しは安心だろ?』
言われたそのときも、実を言えば今だって……素面で言うにはクサいにもほどがある台詞だと思ったし、思っている。
だけど……嬉しかった、安心した。少しどころじゃない、ずっとオレの拠り所となるほどに。
オレの恋を一度は諦めさせた原因でもあったけど……それでも、この約束があって良かった。
――だってこの約束から、オレの恋は始まったんだから。
懐かしい光景を脳裏に浮かべ、懐かしい気持ちを胸から引き出して、オレは今の自分の気持ちを、改めて確認する。
ずっと親友だって言われたから好きになって、だからこそ好きになるのを諦めて、それでもやっぱり諦めきれなかったのは、あいつが親友だったから。親友として終斗と紡いできたたくさんの思い出が、この胸に詰まっているからだ。
親友との約束は大切だ、守るべきものだ。
その気持ちは今でも変わらない。
だけどそれ以上に向き合いたいって、そう思った。
それぐらい強く恋をしている、っていうのも否定しない。好きな人にだって、誠実でありたい。
でもオレにとっては、やっぱり今でも終斗は親友なんだ。親友だからこそ、正直に向き合いたい。約束を破ってでも掴みたいものがあるのなら、なおのこと。
惚れた相手なのに親友だなんて、はたから見たら変だって思われるかも。終斗でも理解してくれない可能性だってある。
それでも、オレは、
「……終斗」
「……始?」
もうとっくに覚悟はできていた。
だからオレは、問いかけた。
「あのさ……覚えてる? ちょっと前にプールに行ったとき、今みたいにお化け屋敷入ったじゃん」
「……覚えてるよ。今日と違って、最後でリタイアしたことも」
普段なら少しムッとするところも、今は思い出を共有できている事実そのものが嬉しくて。
「そっか。それじゃあ……」
一瞬、間が空いてしまう。単純に重要な話だからか、それともこの先を言うのが怖いからかは、自分でも分からなかった。
だけどためらっていたら前に進めない。進めないとたどり着かない。
だから、進むことにした。
「……あのときの約束も、覚えてる?」
わずかに、終斗の瞳が揺れた気がした。肌にまとわりつく空気がいやに重く感じるのは、はたしてただの気のせいか否か。
終斗は口を閉ざし、再び間が空く。
1秒。
2秒。
3秒……終斗が重い口を開いた。
「当たり前だ、『俺は変わらない。俺はずっとお前の親友でいるから』。俺は……たしかに、そう言った」
覚えていて、くれたんだ……。
良かった。素直にそう思うと同時に、先の見えない暗闇を手探りで進んでいるような不安感にも襲われる。動悸だって少しずつ早まってきた。
心の奥からぎゅっと勇気を振り絞って、オレは話を続けた。
「うん……終斗が約束してくれたから、背を押してくれたから、オレはちゃんと変われた……っていうか、その……色々変わったこともあるけど、大事なところはオレらしくいられたっていうか……」
緊張して、言葉が上手くまとまらない。自分の気持ちは分かっているのに、伝えたいことは決まっているのに。
それでも終斗はオレの意思を読み取って、返事を返してくれた。
「……そうだな。あのとき言ったとおりだ。始は始のまま、変わってきている……と思う」
『思う』。
『変わってきている』とあえて断じないその言葉尻から、ほんの少しの"揺らぎ"みたいなものを、オレは感じてしまった。
オレに顔を向けず、どこか遠くを見つめながらその言葉を紡いだ終斗。その瞳がなにを見ているのか、今のオレには分からない。
ここからさらに踏み込むのは、正直本当に怖い。暗闇の先は、未だに見えていないのだから。
恋人ではなくとも親友ではあるはずのに、なんでも言い合えて分かり合える仲だったはずなのに、今は……いや、終斗に恋焦がれる度に、終斗の気持ちが分からなくなって。
それはきっとオレが臆病だったから、恋は"約束を破るもの"だってどこかで罪悪感を抱いていたからだ。だから少しずつ、終斗から後ずさっていた。
だけど、それでも近づきたいって求めたから、隣に立つって決めたから。
たかだか景品ひとつのために、お化け屋敷の暗闇に自分から飛び込んでいく度胸なんてない。だけど今歩く暗闇の先には、本当に欲しいものがあるから。
潰れそうな度胸を決意で支えて、重い口をなんとかこじ開けて、オレは言葉を紡いでいく。
「終斗は……終斗はオレが変わって、良かった?」
言ってから、卑怯な聞き方かもしれないと気づく。
良くなかったと言えば、もちろん今のオレを否定することになる。
さりとて良かったと言っても、反対に昔のオレを否定することにならないか。
オレは……実のところ、この問いの答え自体はどうでもよかった。重要なのは、どんな答えであれオレが終斗の本音を受け入れられるか。一歩踏み出すための、試金石。あと……単純に終斗がオレのことをどう思ってるのか知りたかった、ってのもあるかな。
だけど終斗はそんなオレの心境を知るはずもない。
あいつは優しいから、きっとオレのために悩むだろう。傷つけないためなら本音を隠して、優しい嘘をつくかもしれない。
それは困る。オレは自分が傷ついたとしても、終斗の本音を聞きたいのに。
オレはもどかしさにむずむずしながらも、黙って終斗の返答を待つ。
終斗はまたしても口を開かず、間も空く。
1秒。
2秒。
3秒。
4秒、さっきよりも間が長い。
5秒……ようやく終斗が、口を開いた。
「……始が始のままでいてくれたら、どちらだって構わない。親友、なんだから……」
良いと悪いの中間点、どちらでもいい。
誰も傷つかないその最良とも言える答えは、誰も傷つけない分、本音なのか日和なのかが読み取れない。
ただどちらにせよ、終斗はそれを選ぶんじゃないかって、なんとなく思っていたのも事実である。だって終斗はオレに、そう約束してくれていたのだから。
仕方ないかという諦めと、見えなかった本音へのわずかな落胆を感じていたオレだったけど……終斗の言葉にはまだ続きがあったらしい。
それを言うのにためらいを持っていることを、どことなく感じさせる。そんな間を空けて、終斗の言葉が続いた。
「……そう思っていた、少し前までは」
「っ……!」
無粋な勘ぐりを否定するその言葉に、オレは息を飲んでしまった。
そして終斗は一度口をつぐんで……少しだけ、顔を歪めた。やっぱりためらっているんだ、続きを口に出すべきかどうか。
誰よりも誠実だから、そして聡いから分かるんだ。その言葉がオレを傷つける可能性のある言葉だって。
誰かを傷つけないためにつくのが嘘なら、たとえ誰かを傷つけたとしても伝えたい言葉っていうのは……なに?
本音さえ聞ければ答え自体はどうでもいい。そう割り切っていたはずなのに、胸のざわつきが収まらない。
今にも逃げ出したくなる体を強張らせて押さえ込み、オレは黙する終斗を静かに見守る。
はたして、終斗は言った。
「――今の俺は、今の……女になったお前の方がいい。そう、思っている」
●
「――今の俺は、今の……女になったお前の方がいい。そう、思っている」
口に出した瞬間、始が目を見開いた。それと同時に、思ってしまった。
……ああ、言ってしまった。
どうしようもないくらいに正直な、下劣と誹られても言い返せないほどに、身勝手な本音を。
男の始、女の始。どちらだって俺にとって始は大切な親友であることに変わりはないのも、ひとつの思い……だが、俺が恋したのは女になった始だけなんだ。
いまさらこの気持ちを捨てろなんて、できるはずがない。死ぬほど悩んで、数え切れないほど後悔もして……それでも諦めきれなかったほど、文字通り心の底から始に惚れている。
その覆せない事実が、俺に今の本音を吐かせてしまった。
しかし本音で向き合うと決めたのに、言ってしまってから後悔が押し寄せてくる辺り、しょっちゅう姉さんに被せられている"ヘタレ"の汚名はまだ返上できそうにない。
自分で自分を疑ってしまう。『本音で向き合う』なんて格好つけてはみたものの、結局は自分の都合でしかないのではないかと。
『……オレ、やっぱ今でもいやだよ。女扱いされるの』
自分を否定されるようで辛かった。かつてそう語ったあいつが、よりによって親友の俺に昔の自身を否定される言葉を吐かれて、また傷つかないだろうか。
なんのかんの言っても、始が傷つくところは見たくないという気持ちも当たり前のように存在するわけで。
怖い。その感情に溺れてしまったのかと感じるくらいに、息苦しくて。心臓もいやにうるさいし、胃だって痛くなってきた。
『本音で向き合う』のは、こんなにも怖かったのか。たしかに散々怖がって、逃げていたのだけれども、ここまでのものだとは想像だにしていなかった。
ただの親友でいられた頃は、もっと純粋に思いの丈をぶつけあえていたのに……いや、どうだろう。もしかしたら俺が思っていたほど、ぶつかりあっていなかったのかもしれない。
そうする必要がなかった、そのくらいに波長が合っていた、とも言い換えられるのだろうけど。実際、些細なことで揉めたことはあっても殴りあうような大喧嘩なんて、一度もしたことがなかった。
そういう意味では今が、真に初めて『本音で向き合っている』のかもしれない。ある意味では"親友"という立ち位置よりももっと近くに今、俺はいるんだ。
怖い、心底怖い。だけどここにいたい……いや、もっと近づきたい。だから……。
恐怖と渇望に心を揺さぶられながら、ただ始の返答を待った。
俺の言葉を聞いてから、始はずっとうつむいたままで、俺は表情を窺うことすらできない。
やがて始はうつむいたまま、あまり抑揚をつけず、感情を隠すように語り始めた。
「正直少し……ううん、結構驚いた。本音にしてもそうじゃないにしても、終斗なら『どっちでも変わらない』って、そう言うって思っていたから」
「っ……! それは……」
それは、なんだって言うんだ。
言葉を返せない、かけられる言葉が見つからない。
実際、数ヶ月前の俺なら間違いなくそう言えていただろう、あくまでも純粋な本音として。何週間か前の俺でも、そう言っていたと思う。始のためにと嘘をついて。
だけど今の俺にその選択肢は選べなくて、その結果が今こうして表にでてきた。
言及するということは、驚いたということは、なにかしら心の中で動きがあったということで。それが、それがもし、始に傷をつけてしまったという証左だったら……。
「終斗」
「っ……」
名前を呼ばれ、今度は俺が反射的にうつむいてしまった。始の顔を、視界に入れることができない。
どんな結果だろうと、向き合わなきゃいけない。そのはずなのに……くそっ、俺はどこまでヘタレているんだ。
諦めたくない、頑張ろうって。そう思ったのに、俺はまた……。
ギリリと歯を噛んで、自分の情けなさを呪う。きっと今の俺はひどい顔をしているだろうな、全部自分のせいだっていうのに――
――それは、突然のことだった。
行き場もなく膝の上で揃えられ、無意識のうちに握りこぶしを形作っていた俺の両手が、柔らかく暖かい感触に包まれる。
「え……?」
見ればその感触の、俺の両手に重なっていた物の正体は、俺の手よりも一回り……いや二周りも小さい両手。誰の物かは、頭で考えるまでもなく分かっていた。
「大丈夫、だから」
その声に惹かれて、自然と顔が上がっていく。俺の心を覆っていたはずの恐怖すらも、このわずかな間だけは消え去っていた。
はたして向き合った始の表情は悲しみでも、ましてや俺に対する嫌悪でもなく。
「ありがとう、終斗」
柔らかな、微笑みだった。
俺は一瞬、自分の後悔すらも忘れて『こんな笑い方ができるのか』とすっとんきょうな感想とともに、その笑顔に見惚れてしまった。
始のこんな笑顔は、初めて見たかもしれない。薄らと口を弧にして緩やかに眉尻を下げた、いつもの太陽のような明るい笑顔とは対極的とも言える……それでもどこか始らしさを残した、不思議な笑顔。
しかしすぐに我を取り戻すと、オレの中で雪崩のように困惑が流れ込んできた。
なんで笑っていられるんだ。なんでそんな優しい瞳をしていられる。なんで、礼なんか……。
脳裏に浮かんだ様々な問いが、言葉になることはなかった。
頭の中で色んな感情が、ぐるぐると渦を巻いて混ざり合う。言語化できないそれに翻弄される中でも、始の言葉だけははっきりと捉えられた。
「それとごめん。終斗にとって辛い質問だって、分かっていたのに。すごく悩んでたの、伝わってきたよ」
俺の手を握ったままの始の手に、力がこもるのが分かった。
そうか、見透かされていたんだな……。
いつも考えなしに見えて、いつだって本当に大事なことは見えている。そういうところは、本当に敵わない。
「でも嬉しかった、終斗の本音が聞けて。オレのこと傷つけるかもしれないって悩んだ上で、ちゃんと本音を選んでくれて」
「でも、俺は……」
約束を破ってしまったのに。
罪悪感から、ついその言葉を口に出してしまいそうになった俺だったが、始はそれを遮るように首を横に振ってみせた。
「いいんだよ、変わっても。だって人は変化していくものだって言ったのは、終斗でしょ?」
「それは……そうだが……」
『……始、お前は変わるのが怖いって言ったけど人間は環境や生活、己の成長に合わせて大なり小なり変化していくものだ。こう言ってはなんだが、女になったのもそれと似たような物だろ』
俺は確かにそう言った。覚えている、もちろん覚えているけども、だからと言って……。
未だ割り切れず言葉のでない俺の胸に、迷いを感じさせない始の言葉が届く。
「オレ、まぁ見てのとおりあんま察しよくないから、終斗がなんで『今のお前の方が良い』って言ったのかまでは分からないけど……だけど、オレのことを傷つけたくないって悩む終斗は、やっぱりオレの知ってる終斗だったから」
「……」
こちらを真っ直ぐ見据えてくるその大きな瞳から、俺は視線を逸らせなかった。……いや、逸らしてはいけないって思ったんだ。
ここで始の瞳から……その気持ちから逃げてしまったら、なにかが終わる気がしたから。
迷いと恐怖に揺れながら、それでも目を逸らすまいと真正面を見据える俺の視界の中心で、始の口がまた動いた。
「だから約束なんて、気にしなくていい。辛かったら好き勝手吐いちゃえばいいし、変わりたいなら変わればいい。多分きっと、大切なのはどうやって前に進むかなんだ」
始が言葉ひとつ発する度に、脳内で渦を巻いていたわけの分からない感情がときにそぎ落とされ、ときには研ぎ澄まされていくのを感じる。
視界の揺れが収まってくる。胸のうちの霧が少しずつ晴れてくる。
始が、話を続ける。
「大丈夫、変わることが怖くなってもその度に今度はオレが、ちゃんと終斗は終斗だって証明してみせるから。だからそんな辛そうな顔しないで……終斗が辛いのはオレだって、辛いから……」
「ぁ……」
悲しそうに眉尻を下げる始。その表情に、その言葉に、かつて俺自身が誓った約束が、脳裏を過ぎった。
『それでも変わる事が怖いって言うなら――俺は変わらない。俺はずっとお前の親友でいるから、お前がまた不安になっても『お前はお前だ』って事を証明し続けてやるから。それなら、少しは安心だろ?』
同じ、だったんだ……。
変わることに対する恐怖を、始は知っていた。それが飛び込んでみれば案外怖くないということも。
それに俺が始の辛い顔を見たくないように、始だって俺の辛い顔は見たくないんだ。
どこまでも同じ思いだったのに、それに気づかずひとりで空回りして。
変わることは怖くない。それはかつてひとりぼっちだった俺が始に教えてもらったことなのに、俺は今またこうして教えられている。
自分の出来の悪さに内心で苦笑する中、始はまた楽しそうな笑顔を作りながら喋り始めた。
「それにさ、オレ……自分でも意外だけど、結構嬉しいんだ。今のオレが良いって言われたこと。今まで色々あったけどさ……女になったおかげで、おしゃれとか、料理とか、楽しいこともいっぱい覚えられた。それに、この体になって初めて知った気持ちだって……ま、まぁとにかくさ! オレ、今の生活も結構気に入ってるんだ……だからさ、ありえないことだけど……もしも今『男に戻れる』って言われてもきっとその選択はしない。オレも終斗とおんなじ、今のオレの方が好きみたいなんだ……ってなんかナルシストみたいだな。そういうわけじゃないんだけど……えへへ」
はにかむ始を、変わった自分を誇れる始を見て、俺は胸のつかえがとれたような安心感を覚えた。
それは始が自分らしく在りながらも、笑顔のまま変われたこと……それに変わってしまった俺自身を、始が受け入れてくれたことも。
本当に強いな、始は……こいつは昔から、ずっとそうだった。
人は始の小柄な体やおっちょこちょいな面ばかり見るけれど、その奥底には本当に真っ直ぐでぶれることのない芯が存在しているのを、俺は知っていた。
今またそれを実感して、そして同時に思う。その思いは、無意識のうちに口から漏れてしまっていた。
「そうか……お前はちゃんと前に進めていたんだな。きっと、俺の約束なんてなくても……」
最初から俺が心配する必要なんてなにもなかった。一抹の寂しさは感じるけど、それ以上にそんな始のことを誇らしく――
「それは違うよ!」
俺の感傷を否定したのは、思わずこちらが肩を跳ね上がらせてしまうほどに強く大きな始の一喝だった。
「始……?」
「あ……ごめん、つい。でも……オレが今日こうやって言えたのは、俺が前に進めたのは、今こうしてここにいるのは終斗の約束があったからなんだよ」
「っ――!」
脳が揺さぶられるような衝撃を端に、言葉にならない感情が溢れてくる。
本当に……どこまでも同じだったんだ、俺たちは。
俺が始を支えに変われたように、始も俺を支えにしてくれていた。
自覚して、胸の奥底から込み上げてきたもの。それは今まで始と過ごしてきた全ての記憶であり、感じた思いでもあった。
「終斗が約束を守ってずっと変わらずそばにいてくれたから……だからありがとう、あのときオレと約束してくれて」
その思いが、始の言葉を浴びる度に研ぎ澄まされていく。
『友達になろう』。そう言って手を掴んでくれた始と、嬉しいことも悲しいこともたくさん経験した。気づけば始は俺にとって、一番の"親友"になっていた。
"親友"だから、始の良いところも悪いところもたくさん知っていた。気づけば始のことを好きになっていた。
"親友"だから、始がどれだけ辛いのかも知っていた。俺は始のことを裏切りたくなかった。
"親友"だから、向き合うと決めた。たとえこの思いが過去のそれと同じじゃないとしても……きっと、大切な根幹は変わっていないと信じているから。
「ずっと約束を守ってくれていて」
感じた全てを拾い上げれば、それら全てが収束して、ひとつの思いを形作る。
あいつの隣にいたいという願い。
"親友"の境界線を飛び越えた、その先に在りたいという決意。
「今、約束を破ってでも本音を教えてくれて……そして」
その名前こそ――
「――ありがとう、ずっとオレの親友でいてくれて」
今まで幾度となく見てきた、何度も俺を勇気付けてくれた太陽のように明るい笑顔。先ほど初めて見せた、不思議と惹きつけられる柔らかく優しい笑み。
そのふたつがない交ぜになった、今の始そのものを体現しているような、満面の笑みがそこにはあった。
その瞬間だけ、文字通り呼吸が止まった。ありえないことだけど、心臓の鼓動さえもが止まったんじゃないかって思えた。
「は」と短く息を吐き、ようやく呼吸が再開すると同時に、本当に今まで止まっていたのではないかと疑うほどに、心臓がおかしな速さで脈動を始めた。
――ああ。
今更になって、自覚する。
――ああ、俺は本当にどうしようもないくらい、こいつに恋しているんだ。
惚れている、好きだ、愛している。抱きしめたい――止めどなく溢れてくる衝動をぐっと堪えて、今すべきことを見据える。
俺はなにをするためにここへ来た?そんなの決まっている。始に告白するため、まっすぐ始と向き合って、きちんとケリをつけて……そして"親友"から"恋人"へと一歩を進めるためだ。だったらもう……今しかないだろ!
根拠はないが、今の俺には勢いがある。ならば十分いや十二分だ。
気づけば俺たちを照らす光は、白から朱色へとゆっくり移り変わってきている。横目で太陽を見ればそいつは当然、地平線まであと一歩というところまで迫っていて。
夕焼けやら夜景やらを背景に、観覧車で告白するという当初の予定としても完璧な頃合。
「――始!」
俺は膝に置かれていた手を取り、持ち上げて、始に向き直った。
「しゅ、終斗?」
俺の本当に本当の嘘偽りない本音。真っ直ぐ向き合ってくれた始のためにも、俺自身のためにも。
迷いはもうない、恐れは越えた。俺は始に向かって、叫ぶように真正面から言った。
「大事な話があるんだ! だからっ……今から一緒に、観覧車に乗ってくれないか!? そこでお前に伝えたいことが……伝えなきゃいけないことがあるんだ!」
オレの言葉を聞いて、始の大きな目がよりいっそう大きく開かれた。
しかしこの反応なら想定していた、突然だからな。だけど俺は信じている、この真剣さが伝わったならば始は必ず話を聞いてくれるって――
「あ、あの……」
……ん?
やる気満々な俺の目の前で始は上を向いて、下を向いて、目を泳がせて……もじもじと……おや?この様子は想定外だぞ……?
限界まで伸ばした糸のように張り詰めていた空気が、ぷちんとあっさり千切れて萎えた気のせいだと信じたい、信じた……信じたかった、んだけど。
「その……実はオレも」
「うん」
「大事な話を」
「うん……」
「その、観覧車で、しようと思ってたんだけど……」
「うん?」
うん?
心の声が、数分違わず口から漏れた。
おかしいな、俺の予定じゃこのあと迷いを振り払った俺がついに告白をかます予定だったのに、え。まさか予定がブッキングした?
さすがに観覧車が一周する時間を考えると、お互いの大事な話はどちらかひとつしか話せないだろう。
予定の正面衝突なんて想定外すぎる……想定できるかこんなもん!だが落ち着け俺、そう……俺は『本音で向き合う』ということをもう理解しているはずだ。
少し前までの俺なら引いていたであろうこの場面だが……本当に大事なことだから、俺は引かずに始の説得を試みた。
「……その、なんだ。俺の話は本当に大事なんだ、いや始の話が大事じゃないって言ってるわけじゃないんだがな? だけどこれは多分……いや絶対に俺の方が大事だって断言できるほどだから……すまない、観覧車の前にそれは話して欲しい。だ、大丈夫だ! どんな話だって、俺は絶対に受け入れられるから、ほんと、余裕だから!」
これは一種の妥協案である。始の話を聞いたあとに告白するというのもそれはそれできつい話だが、少なくとも告白ぶちかました後より前の方が精神的に楽だ。
というか告白した後もまともなメンタルを保てているとは、自分自身到底思えないし、始も始で俺から告白されたらその答えがなんであれ、間違いなく混乱してあいつが言う"大事な話"どころじゃなくなるだろう。
そう、だからこれは互いのためにだな――
「…………やだ」
というのに、始は一言で俺の案を蹴りおった。
「なんで!?」
当然俺は食い下がるが、一方の始も譲れないらしく負けじと主張を始めた。
「だって……絶対にオレの方が大事な話だもん! 前からずっと考えて、今日のこれだってその話をするためだし、観覧車で話すって決めてたんだ! だから……ごめんだけど、終斗から先に言って。大丈夫、オレだっていまさらどんな話だろうと絶対にいやな顔しないから!」
ぐっ、そんな真っ直ぐな目で見つめられるとすごい弱い……けれど今日の俺は引かない!引いてなるものか!
「…………むり」
「なんで!?」
「む、無理なものは無理なんだ! でも絶対に俺の方が大事な話だから! 聞けば分かるから!」
「だからそれならオレの方が大事なんだって! 聞けば分かるって!」
「それでも俺の方が大事だ!」
「いやオレのが大事だ!」
おかしい。本音で向き合うとは言ったが、これはなにか違う気がする。
だけどヒートアップした『俺の方が大事だ合戦』は、全く止まる気配を見せない。
俺の脳内では、ここ最近やたら傷跡の増えてきた体で「そ、そろそろ一度冷静になってだな……」と宥める理性と天使のコンビを、逆にここ最近ガタイがやたら良くなってきた本能と悪魔が「うるせぇ!」と友情攻撃で沈めていた。
「俺だ!」
「オレだ!」
感情が高ぶると視界が狭まるのが人間の佐賀もとい性。
今の俺には、意地を貫きとおすことがなによりも大事になっていた。おそらくそれは、始も同じで。
「くっ……お前はなんだってそういつもいつも意地っ張りなんだ!」
「ぐぬぬ……終斗こそなんでこんなときに限って、そんなに意固地なんだよ!」
なにが目的でなにが手段なのか、最早そんな話を判断する理性がきっとこのときの俺たちにはなかったのだろう。
求めたのは相手よりも強い説得力。それがおいそれと抜いてはいけない"伝家の宝刀"ということすら忘れて、俺たちは――
「そんなの決まってる――」
「大体な――」
「「――俺/オレがお前に告白する以上に大事な話なんてあるわけないだろ!」」
「「……………………」」
長い長い沈黙のあとに出たのは、先ほどの熱気に比べるとあんまりにも間の抜けた一言で。
「「…………え?」」
空では「阿呆阿呆」と罵りながら、カラスの群れがのんきに夕焼けを突っ切っていくのだった。




