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第22話 オレと俺の大決戦、破(中編)。なでなでなでなで……

 終斗を誘ってから今日までの5日間。

 ずっとずっと、考えてきた。プランも、着る服も、そして……お弁当も。

 終斗はどんな料理なら喜んでくれるのか。オレが自信持って作れる料理とは。遊園地にぴったりな……その他etc。

 足りない頭で色々悩んで悩みぬいた結果が、今日のサンドイッチだった。

 料理としては単純かつ簡単で、並べるだけでも見た目的にはそれなりの形になる。そのわりに中の具はアレンジが効いて拡張性も高いし、おまけに遊びに行くときの食べ物としてのイメージが強く、正しく今日という日にうってつけな一品だった。

 本当は、もう少し凝ったものを作ってみたいという気持ちもあったけれど……自分にできる最大限で勝負する、そう決めたから。今オレが欲張るのは、恋だけでいい。

 でも『自分の腕に見合っていそうだから』という理由で作ることにしたサンドイッチだけど、ネットで調べてみるとそれは予想以上に奥が深くて。オレは膨大なレパートリーの中からあわあわしながらも王道的なものを中心に、なんとか具の候補を絞り込めた。BLTなんかも、このとき初めて知ったものだ。ただの略称なのになんかかっこいいよね、BLT。

 そんなこんなで具材が決まりかけたとき、脳の片隅に転がっていた記憶が蘇った。

 それはまだ中学生……つまりオレが男だった頃の、他愛もない会話だった。


『やっぱ肉といえばさー、牛だよな牛! カルビとか、ロースとか。鳥や豚なんかじゃ味わえない旨さっていうかさ』

『いやいいだろ豚。安いし応用は利くしそこそこ旨いし、なにより安い。……ま、俺はなんだかんだ言って鳥が一番好きかな。ももとか手羽とかササミとか、あれこそ豚や牛じゃ味わえない個性と旨さの宝庫だろう。鳥のから揚げや照り焼きチキンなんかは、鳥だからこその最たる一品じゃないか?』

『それは……一理あるかも。あのぷりっとした食感は、鳥肉ならではだよなぁ』

『だろ?』

『ま……でもやっぱ牛だなぁ。脂身バンザイ!』

『……そんな偏った好みだから、成長しないのかもな』

『なにおう!?』


 本当に他愛もない会話だったけれど、そういうことも人は意外と覚えているらしい。微妙に大事なことなんかは、うっかり忘れたりするのにな……。

 なんにせよ終斗の好みは鳥だってことを俺はこの会話と共に思い出した。だから鳥には、照り焼きチキンにはとびきり力を入れた。母さんには我が家直伝のタレまで教わった。そしてここ3日間ぐらいは朝夕共にエブリディでチキンだった、たまに昼までチキンだった。

 そんなこんなで妹に『鳥とは一週間ぐらい縁を切りたい』と言わせるほどの練習を経て、ようやく形になった照り焼きチキンサンドは、今正に最終目標である終斗の口に入り――。


   ◇


「……すごく美味かった、お世辞なんかじゃなくて本当にな」


 意識する前に口角が上がっていく。今すぐにでも飛び上がって全身で喜びを表したくなる。だけどこんなところではしゃぐのはみっともないし、少し恥ずかしい。文化祭の射的で喜んで飛びついてしまったときにも、周りからの視線が痛かったし……。

 あのときの教訓を生かして、オレは控えめな言葉を選んで口を動かす。


「あ……えっと、ほら、いってもパンで具材挟んだだけだし、まぁ一応、照り焼きは手作りで……と、とにかく美味しいなら良かったかな……あ、そうだ。あれ忘れるところだった……」


 忘れちゃいけない〆があったんだ。

 話題逸らしも兼ねて、オレがバスケットから取り出したのは水筒だった。できる女子はアフターケアもばっちりなのだ。


「そ、粗茶ですが……」

「そ、粗茶ですか……」


 蓋を開ける。麦茶を注ぐ。終斗に渡す。終斗が飲む。

 文字に起こすとそれだけなのに、中身だってただの麦茶なのに、緊張で息が詰まりそうになる。

 ど、どうかな……。


「ふぅ……うん、いいな……」


 終斗がそっと息を吐いた直後、オレもぷはー、と息を吐いて緊張を解いた。とりあえずは一段落といったところか。

 それにしても……。

 改めて思う。恋するっていうのは疲れるな、と。好きな人の行動ひとつひとつから目が離せなくて、些細なことでも一喜一憂してしまう。


 だけどそんなときが、今この瞬間が――すごく幸せで。


 どうしたら終斗が喜んでくれるだろう、終斗に可愛いって思ってもらえるんだろう。ずっとあいつのことを考えながら、ああでもないこうでもないと試行錯誤して、今の穏やかな時間に繋がって。

 それってこんなにも楽しくて、嬉しいことだったんだ。好きな人のために頑張って、それが形になって実を結ぶって、こんなにも幸せなことだったんだ!

 で、でもまだデートはあと半日もあるのにこんなに幸せすぎて大丈夫なのかな……もしかしたら、幸せすぎて死んじゃうかも。

 だってこれから終斗とゴーカートで二人乗りしたり、終斗とジェットコースターで一緒に叫んだり、そして最後には大観覧車で明かり瞬く夜景を背に告白…………うん、告白……?


 ……告白――――!!


 つい理想みたいな現実のせいで理想と現実がごっちゃになっていたけど、そういえばまだオレと終斗は付き合ってすらいないし、そもそもこれ正確に言えばデートじゃない!

 そうだ、告白しなきゃいけないんだ。幸せすぎて死んじゃいそうな現実がここにはあるけど、それでもこれは『恋人』という理想のひとかけらでしかない。

 オレは理想の未来を掴むためにここへ来たんだ、かけらで満足してる場合じゃない。だからせめて『最後に大事な話があるんだ』の一言くらい前もって言って……言って……。

 隣の終斗をちらりと見る。ゆったりと流れる時間に似合う、穏やかな表情だった。

 ……あとで絶対、今日絶対告白するから。だから今くらいは……いいよな、うん。

 そう自分に言い聞かせて、オレも昼食にとりかかる。大口開けて齧りついたBLTサンドが自分で作ったとは思えないくらい美味しいのは、きっと終斗と一緒に食べてるからだろう。

 好きな人と、美味しい食事を共にする。些細だけど大切なこのときは、やっぱり言いようのないくらい幸せで、だけど不意にほんの少し後ろ暗くなってしまうのは、きっとオレたちの関係がまだ"親友"同士だからで。

 また二人でこの時間を、今度は"恋人"として過ごすためにも、告白は絶対に成功させないとな!そのためにはまず……腹ごしらえだ!

 オレは口の中の物をしっかり噛んで飲み込んだあと、エネルギーをしっかり取り込まんとするために再び大口を開けてサンドイッチにかぶりついた。


   ◇


 デートプラン、というものがある。読んで字の如くデートの作戦プラン、オレが夜なべして編み出した必勝策だ。

 当然そんなものがあるのだから、オレはそれに沿う形で今日のデートを主導しており、実を言えば今のところは大体成功していた。


 デートプランその1、フューチャーエリアで汗を流しておなかを空かす。

 デートプランその2、美味しいお弁当で終斗の胃袋と心を掴む。


 実際に胃袋と心を掴めているかは分からないけど、まぁ少なくとも悪い反応ではなかった……と信じたい。

 さて、今のところその2まで進んでいるプランだけど、その最終目標は輝く夜景を背景に、観覧車で終斗に告白……である。だけどまだそこに至るまでのプランはいくつか残っており、無論それらも成功させなければいけない。

 そして次のプランは――


 デートプランその3、ゴーカートでドキッ!?終斗と二人乗り!


 …………二人乗り!?

 わ、わ、わ……い、いや自分で決めたプランに同様、じゃなくて動揺してどうするんだオレ!

 そう、これも作戦なんだ……オレだって着飾れば見た目だけなら多分いっぱしの女の子に見えるだろうし、ゴーカートの座席でか、か、肩が触れ合うぐらいの距離まで接近してオレの姿を見てもらえれば、終斗もきっとオレを女の子として多分そうきっと少しぐらいは意識してくれるんじゃないかというだな……その、べつにオレが終斗に密着したいとかそういうわけじゃ……ないことも、ないけど……。

 とにかく、プランを進めなきゃ!告白するために、成功させるために必要なんだ。だからゴーカートで二人乗りを……二人……触れ合うぐらいの、距離……。


「終斗、その、次は、その……」


 昼飯を食べたあと「次はどこへ行こうか」という終斗。

 その提案に対して当然プラン3を切り出そうとしたオレ。だったんだけど……


「ゴ……ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ」


 口から漏れるのは誘いの言葉でなく、漫画なら地響きの効果音にピッタリであろうゴの羅列。

 当たり前だけど終斗は、いぶかしむように目を細める。


「ゴ、ゴ、ゴ……コ、コ」


 濁点がとれた。終斗はいよいよ眉をひそめて、怪しいものを見るような視線を向けてきた。

 はたして極度の緊張に耐え切れず、俺はつい口走ってしまった。


「コ、コ、コ……コースター! 次コースターに乗ろう!」

「お、おう……? 食ったあとだけど、大丈夫か……?」

「だ、大丈夫!」


 全然大丈夫じゃない、オレのプランが。

 だけどひとつ言い訳させて欲しい。……しょうがなかったんだ!だって二人乗りとか、触れ合うくらいの距離とか!今のオレには嬉し恥ずかしすぎて死んでしまう。

 ほ、ほらそれにジェットコースターでも隣同士で座れば結構距離近いし……。

 だからといって昼飯直後にジェットコースターはどうなのとはたしかに思ったけれど、勢いでとはいえ言ってしまったことはしょうがない。胃の方はきっと……大丈夫、消化の早さには自信があるから。ちょっと思いのほか昼飯の量が多くて、今若干胃もたれ気味だけど。

 ぶっちゃけ終斗が断ってくれればまだ引き返せた……んだけど、色々とアレなオレの内心なんて露知らない終斗は、困惑を浮かべながらも「そ、そうか……ならいいんじゃないか」と了承してしまい、かくしてオレたちはジェットコースターのある『セントラルエリア』に向かうことと相成ってしまった。

 もうあとは、乙女の意地にかけて口からアレをアレしないよう腹を括るしかない。


   ◇


 ハナミパークの左に位置するフューチャーエリアからパークの中央に位置するセントラルエリアまでは、食後の腹ごなしにもならない程度の距離しかなかった。そしてゴーカートやメリーゴーランドなどの、屋外かつ比較的メジャーな乗り物が集うセントラルエリアの中でも、一際メジャーであり遊園地の花形でもあるジェットコースターは当然のようにエリアの中央に鎮座していて、迷うことなく一直線でたどり着けてしまう。

 つまるところ、まだ昼飯という名の爆弾は消化しきれていないということで。

 だがまだだ!まだ待ち時間というチャンスタイムが……と思いきや、


「10分待ちか、ツイてないな……」


 不幸はいつだって連鎖するもの。ネットで調べた30分という平均時間よりも遥かに短い待ち時間が、オレの胃と心に容赦なく圧力をかける。なんだかすでに気持ち悪い気がしなくもない……。


「普通は運良い方だと思うけどな……本当に大丈夫か? べつにやめたっていいんだぞ」


 終斗が心配そうな顔で助け舟をだしてきた。ここで素直に乗船したのち、今度こそゴーカートへ誘ってプランの軌道修正を行うのが、できた乙女だ……が。

 男には引き下がれないときがある……いや、女になった今なら分かる。男女関係なく、人間には引き下がれないときがある。


「……いや、言ったからには乗る! むしろ乗らない手はない!」


 またの名を、ただの意固地という。そんな手は切り落としてしまえと頭の片隅で自分自身にツッコミが入ったが、すぐ頭の外に押し出してリングアウト。無意味でも、いやだからこそ通すのが意地というものだ。通したあとのことは知らない。

 あ、でもオレはそれでいいけど……。


「むしろ終斗だって食後なのに乗っていいの? オレはべつに、ひとりでも乗るつもりだけど」

「連れないな。ま、なんというか……こういうアホなことに付き合うのもある意味醍醐味。だろ?」

「終斗……!」


 やだなにこのイケメン……!

 その友情に目頭が熱くなり、優しさに胸がキュンとする。今ならジェットコースターぐらい恐れるに足らず。恋する乙女は強いのだ、吐き気になんて負けない!




 約20分後。


「あー……」


 ジェットコースター近くのベンチで、背もたれに力なく全身を預けて項垂れている人間がひとり。


「だ、大丈夫……?」


 その前でおろおろと、慌てた様子の人間がひとり。


 あ、見ての通り、事後です。具体的に言えば、腹膨れているのにジェットコースターに挑んだ者の末路です。

 もっと事細かく、正確に言えば――項垂れている終斗と、おろおろしているオレという構図です。

 乙女の胃は意外と丈夫だったらしい。気づいたら普通に胃もたれは消えていたし、気づいたら普通にコースターを楽しめてもいた。

 だけど男子の胃は意外と繊細だったらしい。腹いっぱいの昼飯をコースターにぐるんぐるんかき混ぜられたようで、降りたあとはまぁごらんのありさまというやつだ。

 しかし冷静に考えてみれば、普段からオレの方が終斗よりも食欲が上なわけで。つまりオレの方が胃は間違いなく丈夫なわけで。当然といえば当然の結果とも言える。ああもう変な意地張らなきゃそんなのすぐ分かったのに、オレの馬鹿!


「悪い……ちょっと、水買って来てくれるか」

「は、はい! あ、オレがだすよ。というかださせてください!」


 血の気が引いた顔色でお願いされると、申し訳なさがなによりも先に立ってしまう。

 つい敬語で返事しつつ、財布から金をだそうとする終斗を止めた後、オレは急ぎ近くの自販機に注文の品を買いに行った。

 そしてすぐ戻り、終斗にミネラルウォーターのボトルを手渡す。終斗はこんなときでも律儀に代金を渡そうとしてきたけど、オレは勿論もう一度断った。

 しぶしぶ、といった様子で金を引っ込めた終斗は、フューチャーエリア以降なんだかんだで羽織らずに畳まれたままだったコートのポケットを漁って、手のひらサイズの瓶を取り出す。

 終斗の右に座りながらその瓶を覗き込むと、それは張ってあるラベルに記載された名前を見ただけで、オレでもピンと来る程度には有名な胃腸薬だった。


「そんなの持ってたんだ」

「ん。こんなこともあろうかと、ってやつかな……気休めにしかならないかもしれんが」


 瓶を開けて錠剤タイプの薬を一粒口に放り込み、オレが渡した水をあおる。しばらく休むと徐々に顔の血の気が戻ってきたようだ。

 吐き気も収まり「ふぅ……」と落ち着いた様子を見せた終斗に、オレは謝った。


「ごめん、終斗。オレが無理に付き合わせたせいで……」

「気にするな、実際に付き合うって決めたのは俺だ。これもこれで思い返せば良い思い出になる、かもしれないしな」

「ん……」


 こんなときにまで終斗はいつもの優しい終斗だ。だけどその優しさが、オレの罪悪感を加速させて、またしょんぼりと項垂れてしまう。

 オレは口を開く気になれず、気分が悪いのか終斗も喋らず、そうしてしばらくオレたちの間には無言の時間が流れて……不意に、オレの頭の上になにかが乗ったような感触がした。


「え……?」


 ふと目線を上に向ければ、頭の上に乗っていたのは誰かの右手。

 それをたどれば、その先にいたのは他の誰でもない。まだ血の気の戻りきってないであろう白っぽい顔色だけど、それでも温和な微笑みをこちらに向けた終斗その人で。

 

「え、え、え」


 なぜこんなことになっているのか、わけが分からないまま動揺の声を漏らしていると、終斗の手が途端に動いた。


「ふぁ」


 優しくゆっくりと、頭の上を滑るように撫でられる。脳に直接伝わるようなこそばゆさと気持ちよさに、変な声が上がってしまう。


「ひゃ、あっ……あぅ……」


 撫でられるたび、ぼやけてくる頭で考える。

 これって、あれですか。巷で噂の"なでなで"というやつですか。

 遠い昔、それこそまだ幼稚園とかそこらの本当に小さかった頃。オレは頭を撫でられるのが好きで、よく意味もなく母さんにせがんでいた……ような覚えがある。

 ただ覚えがあるだけで、成長するにつれて"なでなで"という行為をされることに恥ずかしさを感じるようになり、次第にあんなに"なでなで"が好きだった理由も忘れて、大人になるとともに遠い過去へと置き去りにしていた。


 だけど今、オレはそれがおろかな間違いだったと知った。思い出したのだ、"なでなで"は……素晴らしい。


 頭上の手が動くたび、なびく髪にくすぐられる頭皮からこそばゆさにも似た気持ち良さが伝わってくる。

 髪が引っ張られて痛みを感じない程度の緩さで、それでいて頭のツボを優しく刺激するようにしっかりと動く手が、頭をほぐして緩慢な痺れに誘う。

 この手は好きな人の手なんだ。そう思うだけで、全てを委ねられそうな安心感に包まれた。

 これら全ての要素が絶妙に混ざり合うことで、脳をふやけさせるような至高の感触が完成する。これを知っていたからこそ、小さい頃のオレは"なでなで"が大好きだったのだ。

 過去の残滓に思いを馳せつつ、今ここにある"なでなで"に、オレはただ身を委ねる。

 そういえば、なんで終斗はオレの頭を突然撫でだしたんだろう。ふわりと浮かんだ些細な疑問は、撫でる手に払われるかのように、あっという間に外へと追い出されていくのだった。



   ●



 手入れが行き届いているのか、絹のように滑らかでふわりと柔らかい髪。撫でるたびに始の頭からはじんわりと熱が伝わって、俺自身のそれと混ざり合うような錯覚を覚える。

 端的にいえば、とても心地良い感触だった。未だに体調は戻らず不快感がほんのりと全身を覆う中、それでもかき消されない存在感ある心地よさ。

 『惚れた女が乗るというのに、男が引き下がるわけにはいかない』。そんな後先考えない意地を張った結果、未だ調子の戻らない脳は、ただひたすらに手から伝わる幸福感を余すことなく感受し続けていた。

 そういえば、どうしてこうなったんだっけ……ああそうだ。最初は始がやたらしょんぼりしてるから『犬って撫でれば機嫌よくなる気がする』とか考えて、ふと手をだしたんだ。この時点でなにか間違った思考をしてる気もするけど、体調不良だったのだからしかたない。

 それで実際撫でてみたら、予想以上に素晴らしい感覚で、気づけばずっと腕を動かし続けていたんだ。

 ……しかし始、気持ちよさそうだな。目を細めて、ふにゃりと緩い笑みを作って……そんなに良いものなのか?撫でられるというのは。

 たまに漫画である、頭を撫でられた女子が気持ちよさそうにしてたり顔を赤くしているシーンに『いや現実じゃあないだろうこんなの』とか内心ツッコミを入れていたときもあったが、あれはあれでそれなりに理に適っているところがあるのかもしれない。

 まぁ俺は、撫でる方が断然好きだけど。

 なんてしょうもないことを考えながら撫でていると胃薬のおかげか、単なる時間経過か、それともこの"なでなで"で気力がチャージされてきたからか、体調が徐々に回復してきた。


 だが体調が回復すれば、脳も回りだすわけで。脳が回りだせば、精神も安定して正気に戻るわけで。


 俺はなんの遠慮もなく始の頭を撫で繰り回してしまっていたことに、ようやく気づいた。

 気づいて、『まぁいいんじゃね?』とか軽い調子で抜かしてた俺の中の悪魔を背負い投げで急ぎ頭の外に飛ばし、慌てて手を跳ね上げた。


「すっ……すまん! なんか、頭がぼんやりしてて、つい変なこと……」


 始の頭から手を引っ込めつつ、咄嗟に体裁を取り繕う俺の前で、先ほどまで気持ちよさそうにしていた始もハッとして、俺と同じように慌てだしていた。


「あれ? なでなでは……あっ! いや、あの、今のは、その、べつになんでもなくて! こんな歳になって、そんな、なでなでが気持ちよかったとか、子供みたいなこととか全然!」


 そのまま二人で妙にかみ合わない、最早誰に向かっての言い訳なのか分からない言葉のドッジボールを続けること数分。ようやく落ち着いてきた俺たちの周囲には、微妙としか表現出来ない空気が形成されていた。

 どう話を切りだしたものかと考えて、とりあえず改めて謝ることにした。


「その、なんていうか色々すまなかった……もう体調は戻ったから。まぁなんだ、さっきみたいな変なことはもうしないだろう、多分」


 自分で言っといてなんだけど多分ってなんだ俺、再犯しない自信がないのか俺。


「い、いや元はといえばオレが悪いし……あ、あの、正直に白状すると、撫でられるのも結構気持ちよかったので、べつに気にしてないというか……」


 なに言ってるんだお前、そんなこと言われると再犯しない自信なくすぞ俺。


「「…………」」


 二人とも、微妙な空気のまま再び沈黙する。

 しばらくして、次に沈黙を破ったのは始の方だった。喋らないと始まらない、と言わんばかりに捲くし立ててくる。


「あ、あのさ! このままじっとしてても仕方ないし、べつのところ行こうよ! えっと……さっきまでオレが好きに振り回してばっかだったし、今度は終斗が選んでいいよ。はいパンフレット」


 そう言って始はポシェットからハナミパークのパンフレットを取り出して、俺に手渡してきた。

 俺としてはこのまま始に案内してもらってもよかったのだが、断るのも申し訳ないと思い、素直にパンフレットを受け取った。三つ折りのそれを広げて、なんとなしに眺める。

 パンフレットによれば、ハナミパークは大きく分けて3つのエリアに分かれていた。左側のフューチャーエリア、中央のセントラルエリア。そして右側の『ドリームエリア』だ。

 ドリームエリアはフューチャーエリアと同じく屋内のアトラクションが中心のようだが、巨大迷路や爬虫類の展示など、どちらかといえば昔ながらの遊園地らしいものが多いようだ。季節限定のブースやイベントごとも大体はここで行われるらしい。

 正直、個人的には一番興味をそそられるかもしれないエリアだ。だから俺はドリームエリアを中心に、地図を上から下へと満遍なく眺めていく……と、ひとつ。ピンと来る代物を発見した。

 タイトルは『探検!ゾンビマンション』。安直過ぎるくらいに安直なタイトルのおかげで、即座に理解した。お化け屋敷だこれ。

 途端にわき上がってきたのは、思春期男子特有のちょっとしたイタズラ心と下心がミックスしたなにか。本当にいいのか?と俺の中の天使が躊躇するが、それでもこんな機会は滅多にないと、さきほど背負い投げしたはずの悪魔が戻ってきて囁きだす。


 今回は、お前の誘いに、乗ってやろう(字余り)。


 一句作るのに約10秒、その間に俺の気持ちは定まっていた。俺の中では悪魔が天使を背負い投げしていた。

 あとから思えば、このときの俺はまだ平常心を失っていたのかもしれない。間違いなく"なでなで"の一件が、変に尾を引いていたのだと思われるが……なんにせよ、このときの俺がそれを知る由はない。


「始」

「なに? 行くとこ決まった?」

「ああ……このエリアに来て早々で悪いんだが――ドリームエリアに行かないか?」


 ひとつだけ説明しておくと……始は、結構なビビリである。

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