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第12話 俺と、オレと、文化祭と。後半戦

「……とりあえず、一旦休憩するか。少し疲れた」

「……うん、オレもおんなじ気持ちかも」


 そんなこんなで。

 2階廊下に設置されている自販機の近くで、今オレたちは二人して自販機で買った飲み物に口をつけつつ廊下を行き交う人々をぼんやりと眺めていた。

 手に持ったジュースを口に流し込めば、少し酸味が混ざった濃厚かつ爽やかなぶどう特有の甘味に加えて、ぱちぱち弾ける炭酸が舌に心地よい刺激を与えた。それによって気が紛れたおかげか、さっき射的屋で抱きついてしまったせいで溜まっていた頬の熱も少しずつ引いていく。

 そうしてジュースの感触と味を楽しみながら目の前を通り過ぎる人々を眺めていると、ついつい目についてしまう組み合わせが。

 カップルが、意外と多いのだ。

 腕を組んだり、手を繋いだり。見るからに仲睦まじい男女の二人組みが通り過ぎていく度に、胸の奥がちくりと痛む。

 羨ましい、なんて思ってしまう。

 隣の終斗をちらりと横目で見上げると、終斗も俺の苦手なブラックコーヒーを飲みながら、ぼんやりと景色を眺めているようだ。

 さっき抱きついちゃったこと、気にしてるのかな……。

 最初驚いたときからはもうなにも言ってこないけれど……やっぱり、嫌だったのかな……。

 頭に過ぎるネガティブな発想に引きずられて否応無しに、オレの気持ちは沈んでいく。


 オレにとって『元男』という過去は今、ちょっとしたコンプレックスになっていた。

 今も昔も、オレはオレだ。性別が変わったぐらいじゃきっとその人の根幹みたいなものは変わらないって、オレは今でも思っている。

 でもたかが性別されど性別。それは人間の大事なアイデンティティの一つだ。それ一つが変われば必然的に変わっていくこと、変えざるをえないこと、変わってしまったこと……些細なことから人生が180度ひっくり返るようなことまで、色んな変化が望む望まざるかかわらず起こってしまう。


 ――たとえば、元は同性だった親友に恋愛感情を持ってしまったとか。


 自分の中にあるその思いを知ったのは、そもそもその思いが芽生えていたのはいつからだったのか。それは今でも分からない。

 だけどふと気づけば心に芽生えていた思いを、少し前のオレはどうしたらいいのか分からずに、ただ振り回されることしかできなかった。

 男のときのように終斗と気楽に接することができない。嬉しかったり恥ずかしかったり悲しかったり、色んな感情が表面上の意思とは関係なく溢れてきて。

 だけど終斗はオレのことを男同士だった頃となにも変わりなく接してきて。そんな相手に、同性みたいな扱いの相手に告白されてもあいつだって嫌だろうって思うと胸が苦しくなった。性別が変わっても不変だった関係が嬉しかったはずなのに、それが少しでも辛く思ってしまうとその度に、まるで自分が終斗を裏切ってしまったようで余計に息が詰まりそうだった。

 女になんて、なりたくなかった。終斗のことを好きになんて、なりたくなかった。

 そう思ったのは一度や二度ではない。こんな思いなんて、早く捨ててしまいたいとまで願っていた。

 だから時が忘れさせてくれることに期待した。毎日毎日自分の思いから目を逸らして、入らないおもちゃ箱におもちゃを無理矢理詰め込むように、『好き』の気持ちを押し殺して。

 まぁ結局、オレなんかがそんなにでっかい思いを隠しとおせるわけなんてなくて、ちょっと爆発しちゃったときもあったわけだけど……そのおかげでまひるとも出会えたし、自分の思いに向き合えるようにもなったからよしとしよう。

 そんなこんなでやっとこさ終斗に告白しようと決心して、なんだかんだで今に至るわけだけど……でもそうやって自分の思いに向き合うようになってから、それでも幾度となく頭を過ぎってしまうことがあった。


 もしもオレが元男なんかじゃなくて、生まれたときから性別が変わっていない"普通の女の子"だったら、なんの気兼ねもなく終斗と付き合えていたのかな……。


 そんなこと、考えても仕方がない。オレはオレで、かつては"普通の男子"で今は"普通の元男の女子"である朝雛始以外の何者にもなれない。そんなことは最初から分かっているし、それをオレは受け入れている。

 ただそれでもたまに中々女の子らしくなれず、終斗を振り向かせられる魅力も無い自分に少しだけ、劣等感を覚えてしまうのだ。それにもし"元男"の"親友"でもなければ、もっと別の距離感があったんじゃないかとも……。


 今だってオレは考えてしまっている。

 オレが普通の女の子だったら抱きつかれても嫌がられないのかな。なんて、ありえない妄想を。

 こういうことばっか考えちゃうから碌に告白もできないし、ヘタレってよく言われるんだよな……ん?

 ふと視線を感じたオレは、その方向に顔を向ける。いつの間にか終斗が、オレをなぜかじっと見ていた。


「終斗?」


 オレが名前を呼ぶと、終斗はなんてことのないような表情で返答をした。


「あ、いやべつに大した理由はないんだ。気にしないでくれ」

「そっか」


 本当になんでもないのかな。と少しだけ首をかしげたけど、追求するのもなんだか気乗りしなくてオレは素直に話を打ち切った。

 変に気にされるのもあまりよくないけど、全然気にしてないのもそれはそれでなんというか、少しだけ物悲しい気持ちになるのは贅沢というものなんだろうか。

 それはそうと、あまりうじうじしてるのもよくないな。何事も前向きに行かないと、前向きに。せっかくの文化祭なんだし!

 オレは後ろ向きな気持ちを押し流すようにぐいっと缶を持ち上げて、中身を全部飲み干す。一気にきた炭酸の刺激に一瞬だけきゅっと目をつぶってから、また目を開いて終斗に呼びかけた。


「終斗」


 名前を呼びかけただけでも終斗はオレの意思を汲み取ったようで、コーヒーを一気に飲み干してから答えた。


「よし、そろそろ行くか」

「うん! まだまだ一杯回らなきゃな!」


 オレが景気をつけるために笑顔を作ると、終斗も微笑みを返す。

 ちょっと前までのなんともいえない雰囲気は、もうすっかり吹き飛んだようだ。うん、やっぱり今日は湿っぽいことは忘れて楽しまなきゃ!オレだけじゃない、終斗もそう思ってくれているって信じているから。今日はそれに全力だ!

 こうして休憩を終えた俺たちは二人で文化祭を楽しむために、どちらからともなく再び歩き出した。

 

   ◇


「で、次はどこに行くんだ?」

「うーん、このまま順番に回ってもいいけど、多分時間足りないしなぁ……どうせなら印象に残る感じの……」


 休憩を終えたはいいものの、次に行く場所が思いつかない。

 悩みながら2階を歩くオレたちに向かって、不意に横から活気のある男性の声がかけられた。


「ちょっとちょっと! そこの犬耳のお譲ちゃん!」


 い、犬耳!?誰だか知らないけど見る目がない、これは立派な狼の耳だ!

 その誤った解釈を訂正してもらおうと、突然呼び止めてきた声が聞こえた方向へと振り返ったオレの視界に入ったのは――


「あと伊達男なお兄さんも! せっかくだからウチに寄っていったらどうだい!」

「うわぁ! ど、土星!?」

「というか伊達男って俺のことか……?」


 目の前に立っていた……うん、立っていたそれ・・に驚いて後ずさってしまったオレたち。

 でもしょうがないことだと思う。なんせオレの目に映っていたのは、茶色が主体のマーブル模様を前面に描く球体を薄っぺらい輪がぐるりと一周囲んだ、正真正銘の『土星』だったのだから。

 その土星……正確には、全身茶色のタイツに土星の被り物で首から上を覆った奇怪な仮装をした学生……学生、だよな?仮にも先生がこんな愉快な格好、しないよな?

 とにかくその土星の人は、気持ちも距離も若干引き気味のオレたちに対して特に気にすることもなく近づいてきては、勝手に説明を始めた。あ、よく見たら覗き穴や空気穴みたいなのが空いてる……。


「この準備室では今、天文学同好会によるミニプラネタリウムを上映しているんだ! 狭い部屋だから本格的なことはできないが、しかし狭いからこそのロマンというのもあるとこの天文学同好会の会長たる俺は思う!」

「は、はぁ……」


 惑星なのに彗星もかくやの勢いでずずいと迫りながら熱く語る土星の人の迫力に押され、オレは曖昧に頷くことしかできない。ていうか会長さんなんだ、体張ってるなぁ……。

 それにしても、プラネタリウムか……。

 ちらりと廊下の壁を見れば、たしかにそこには準備室の扉が……今は『ミニプラネタリウム』という文字が宇宙っぽい背景に書かれた張り紙がその扉に貼り付けられているけれど。

 普段の準備室は、授業に使う特別な道具を保管しておくための部屋だ。つまり一種の物置みたいなもので、広さは教室の半分程度もない筈。

 オレのイメージ的にプラネタリウムはだたっ広い部屋で天井や壁を目一杯に使って星空を映し出すもの……なんだけど、そういう意味ではたしかにプラネタリウムとしてはどうしても狭すぎる感じがある。でも土星の人、もとい会長さん曰く『狭いからこそのロマン』があるらしい。

 ……でもなぁ。ここ、一応喫茶店の宣伝で周回したときにちらりと見かけたから(ちなみにそのときは偶然なのか、こんな土星は見なかった)存在自体は知っていたけど、じっと星空を見てるのは性に合わないかなぁって思って周る候補から外してたんだよな。

 気分次第じゃ立ち寄ってもよかったけど、少なくとも今はもうちょっと騒いで盛り上がりたい気分だし、会長さんには悪いけど断ろうかな……あの人が言ってるロマンって意味もよく分からないし……。

 そのときオレは不意にまひると、終斗と夜会でロマンチックがどうのこうのって話したことを思い出した。そういえばあれも暗がりでロマンチックとかって話だっけか……。

 オレの思考を余所に、会長さんのマシンガントークは続く。


「ここは狭いから、一組単位でしか上映ができないし、狭いから解説者もいない! ついでに言えばぶっちゃけ同好会レベルじゃ予算も微々たる物なので、悲しがなただ星の映像を垂れ流すことしかできない!」


 いくらなんでもぶっちゃけすぎだと思ったけれど、会長さんの勢いは止まらない。


「しかし! 狭いからこそ二人きりの空間を演出できる! 解説が無いからこそ思う存分、星を背景に愛を語り合うことが出来る! これぞロマン、これぞ青春! 俺だって送りたかったそんな青春! というわけでカップル二人仲睦まじく、ロマンチックが溢れるミニプラネタリウムに入ってみないか! 通常一人100円のところを今なら二人で100円にサービスだ!」

「「カ、カップル!?」」


 2割の哀愁と4割の慟哭を混ぜ合わせた斬新なセールストーク。そこにさらりと織り交ぜられたとんでもない誤解に、オレたち二人は目を剥いてハモッてしまった。

 カカカカップルとか……そう見える?そう見えちゃうのかな……え、えへへ……。ただの誤解だっていうのに変な恥ずかしさと嬉しさで頬が上がってしまうので、咄嗟に顔を両手で抑える。きゃー。

 だけど終斗は当然誤解を解きたがっているようで、すかさず会長さんに弁明を始めた。


「いや、俺たちはべつにカップルなんかじゃ……」

「いやいや恥ずかしがらなくてもいい。――好きなんだろ、犬っ娘が」

「それこそ大きな誤解ですよ……!」


 うん、大きな誤解だ。オレの仮装は犬じゃなくて狼というのに。

 でも、カップルか……オレと終斗は、本当はまだそんな関係じゃないけど。これからもずっとそんな関係になれないかもしれないけど。でも真似事くらいなら……しても、いいのかな。

 オレはにやける頬を頑張って制すると、両手を顔から下げて、会長さんに誤解を解こうと必死になっている終斗へと話しかけた。


「いや、ですから俺は犬っ娘好きでもなければべつにカップルでも――」

「終斗、終斗」

「ああ始、お前からもなんか言ってくれ。このままだと妙な誤解が……」

「あの、プラネタリウムなんだけど……オレ、入りたい」

「え!?」


 きっとオレが入りたがるなんて予想外だったのだろう。オレの発言に終斗は驚いたけど、一方の会長さんはこの好機を逃すまいと言わんばかりに、即座に反応して景気のいい声を上げた。 


「はいオーダー二名様入りまーす! さぁさ遠慮なく準備室にどうぞどうぞ!」

「は、始……いいのか?」

「……終斗は、いや?」

「……お前がいいのなら。俺も、静かな所は嫌いじゃない」


 それなら良かった。

 早速オレと終斗と会長さんで、ぞろぞろと準備室に入っていく。

 準備室は全方位に暗幕が垂れ下がっており、扉から漏れる光のみがその部屋を照らしていた。


「ちょーっと足元気をつけてくれよな! プラネタリウムの投影機が置いてあるから」


 会長さんの言うとおり、部屋の中央にはサッカーボール程度の大きさと形をした小さな投影機が置かれていた。


「家庭用だから小さいが、雰囲気作りには丁度良い代物さ。それじゃあぱぱっと作動させるから、少しだけ待っててくれ!」


 会長さんは投影機の前にしゃがみこむと、なにやら操作を始める。ほどなくして、投影機の頂点にはめ込まれたレンズが光を放ち始めた。


「それじゃあ10分間経ったらドアのノックでお知らせするから、それまでごゆっくりどうぞー」


 会長さんがドアを閉めると、世界は完全な暗闇に……いや、違う。投影機とそれによって照らされた天井だけが光を放ってる。


「わっ……!」

「これは、思った以上に凄いな……」


 天井を見上げれば、流れていたのは視界を分断するほどに大きな天の川と、その周囲に数え切れないほど無数に散らばる星々の群れ。

 ただの映像だと分かっていても声が上がってしまうほど、天井に瞬く星の煌きは圧倒的で。

 その美麗さと迫力にオレたち二人は並んで息を飲み、しばらくの間ただ黙って星の海に浸っていた。

 ふと横目で終斗を見るとあいつはまだ心地良さそうに目を細め、星空を眺めている。

 微かな明かりに照らされたその端正な横顔に、思わずどきりと胸が弾む。

 もう少し、近くで見たいな……。

 終斗とは大体4歩分くらいの距離が離れている。オレはそっとすり足で音を立てないようにして、終斗に近づき始めた。

 あと3歩分、あと2歩、1歩……と、終斗がオレに気づいたのかこっちを向いてしまった。


「うぉっ、いつの間に」

「え、えへへ。なんか真剣だなーって思ったのでおどかしに、なんて……」

「まったく……しかし見入ってしまったのはたしかだ。正直、わりと本当に欲しいなこれ。値段によっては悩むぞ……」


 そう言うと顎に手を当てて悩む素振りを見せる終斗。どうやらごまかすことには成功したらしく、オレはほっと一息つく。

 そして思い出した。まひると、会長さんの言葉。


『どう、良い感じでしょ。ロマンチックでしょ?』

『ロマンチックが溢れるミニプラネタリウムに入ってみないか!』


 ロマンチック。

 きっとこれが本当の恋人同士ならピッタリな言葉だったんだろうけど……。

 またちらりと横目で終斗を見れば、オレのことなんてお構い無しに投影機の購入についてまだ悩んでいる様子。

 これじゃあ、ロマンチックにはほど遠いよなぁ……。オレは終斗に見えないようにうつむいてから軽く苦笑した。


 ……ま、それでもさ。

 ロマンチックの欠片もないかもしれないけど。オレが勝手に一人で意識してるだけなんだけど。

 それでも――。


「終斗と一緒に周れて、よかったよ……」

「……どうした、いきなり」

「えっ……あ、口にでてた!?」

「でてたな」

「あぅ……」


 なんでこう、オレって人間はいつもうっかりばかりなんだろう。

 心に秘めておくはずだった本音がポロリと漏れてしまったオレは、恥ずかしさでまたうつむくことしかできなかった。

 うう、終斗に変だって思われてないかな……。

 そう心配していた矢先にぽつりと、少しの照れが混ざったような終斗の呟きがオレの耳に届く。


「……俺も……」


 オレはその言葉に反応して少しだけ顔を上げようと……。


「……今日は始と一緒に文化祭周れてよかったよ」

「――――っ!」


 無理だった。うつむいていた顔が上がらない、上げられるわけがない。

 だって、たったの一言。本当に何気無い一言だっていうのに、自分でも驚くほどに頬が熱くなっていたのだから。

 こんなの……明るかったら、絶対に隠せるわけがない。この場所が暗くて本当によかった。


「そ、そっか」


 オレはせめて声だけでも平静を保つよう気をつけるけれど、頬の熱は引かないし口角は上がりっぱなしだし色々どうしようもない。

 ああなんであの一言だけでこんなにも舞い上がっちゃうんだ。これじゃあまひるにちょろいって言われても言い返せないじゃないか。

 でもこれはしかたのないことなんだ。だって終斗もオレと同じことを思っていてくれたんだから。こんなことで一喜一憂しちゃうくらいに好きなんだから。

 ――たとえ、オレと終斗とでは言葉そのものが同じでも、そこに込められた意味が違う。それを分かっていたとしても……。


 オレは片思いしている相手と周れるのが嬉しくて。

 終斗は仲の良い親友と周れるのが楽しくて。


 投影機が放つ擬似的な星の明かりだけが照らした薄暗い空間が、自然と思考を深めていく。

 オレは相も変わらずうつむいたまま、終斗とオレとの間に視線を落とした。オレたちの間に空いているのは、たった歩幅一歩分の距離。

 そして思う。今この時と同じたった一歩が、きっとオレたちの心の距離だと。

 それを一言で表すなら――『親友』。

 とてもとても近いけど、決して触れ合う距離じゃない。近くて遠い、あと一歩。

 正直、この関係は心地良い。お互いがお互いを大切に思っていて、それでいて適度に距離が空いているから過度な干渉もない、本当に心地良い距離感だ。

 男の頃はそれで満足だった。お互いの間に流れる空気を読み合って、一定以上は付かず離れずの距離感で。互いに呼吸が合っていたからこそ、きっとオレたちは親友でいられたし少なくともオレは終斗と一生親友でいたいと思っていた。

 だけどもうそれだけじゃ足りないんだ。今すぐにでもこの一歩を飛び越えたい、もっと近くで……そう、手と手が触れ合うような距離に立ちたい。

 丁度良い空気なんて壊してでも、心地良い距離感を踏み越えてでも、終斗の手を握ってずっと一緒に歩いていたいんだ!他の誰かが終斗の隣にいるなんて考えたくない。たとえ他に相応しい人がいたとしても、オレが終斗に相応しくないとしても嫌なものは嫌なんだ!

 だって本当に大好きなんだ、終斗のことが!

 ずっと親友として一緒にいて、多分あいつの家族以外じゃ誰にも負けないくらいの思い出だって一杯あって、だからあいつの良いところも悪いところも沢山知っていて、だから……だからこそオレは今、あいつに恋をしているんだ。

 そこまで考えて、はたと気づいた。


 そうだ。オレは親友だったからこそ、元男のオレという過去があったからこそ終斗に恋をしたんだ。

 もしオレが最初から普通の女の子だったら、終斗と親友になれていなかったかもしれない。そもそも友達にすらなれなかったかも。

 きっとオレが男だったからこそ終斗との積み重ねがあって、だからオレは今こうしてここにいる。

 その事実に気づいたとき、オレの胸につかえていた小さな棘がとれたような気がした。

 オレは一瞬、隣の終斗をそっと上目遣いで覗き込む。

 終斗は相変わらず黙って星空の景色に浸り続けていた。そこに女子と一緒にいるとか、そういうのを意識している様子は全然感じられない。まぁ終斗にとってオレは女子である前に親友なんだから、当たり前なんだけど。

 でも、今はそれでいいんだ。今はまだ・・、それでいい。

 この心地良くももどかしい距離感も、オレが終斗と積み重ねてきた物の証だから。大切な、オレだけの居場所だから。

 もし普通の女の子だったらとか、もっと魅力的だったらとか、そういう後ろ向きなことを考えるのはもうやめだ。……オレのことだから、またその内うじうじしちゃうかもしれないけど、それはそれとして。

 焦らずにゆっくりとでもいいから、前に進んでいこう。いつかその手を取るために、近づいていこう。


 だからこれは、決意表明の代わりだ。

 オレは顔を上げ、はっきりと終斗の名前を呼ぶ。


「終斗」

「ん、なんだ?」

「今からオレが口パクで単語言うから、当ててみてよ」


 呼びかけに応え顔を向けてきた終斗に対してオレが持ちかけたのは、一つのちょっとしたゲームだった。

 その意図が分からないであろう終斗は「突然だな」とぼやきつつも、付き合ってくれるようで身体ごとオレに向き合ってくれた。


「ま、星ばかり眺めてるのも少し飽きてきたところだしな。さ、いつでもいいぞ」

「う、うん……」


 オレも終斗の正面に向き直る。

 ……ちょっとした思い付きだったけど、いざ実際にやろうってなると緊張するな……。

 出来る限り口パクが終斗に悟られないよう、投影機から少しだけ遠ざかって暗がりに身を隠す。

 大丈夫、本当の告白・・・・・なんかよりずっとずっと簡単だろ……!

 足りない勇気を虚勢で補って、オレは終斗に合図を出した。


「よし、行くぞ……」

「ああ」


 緊張に強張る体、結ばれる口。それらを気合で奮い立たせて、オレは深呼吸の後にようやく口を開いた。


「      」


 空気を震わせない、無音の声を発し終えて、オレは口を閉じる。そして再び口を開き、今度はちゃんと耳に届く声をだした。


「どう、分かった?」

「……いや、正直暗くてあまりよく見えなかった」


 ……良かったー!

 正解言われても適当に誤魔化すつもりだったけど、分からなくて本当に良かった。

 心臓がバクバク音を立てているのを悟られないように、オレはおどけながら終斗に言った。


「あはは。でもほら、それでこそゲームということで」

「それはそうだが、なんだか微妙に腑に落ちない……」


 コンッコンッ。

 唐突にドアから聞こえてきたノックの音に、オレたち二人は会話を止めてドアに顔を向ける。

 するとほどなくしてドアが開き、土星がにゅっと顔を出した。ああそうか、もう10分経ったんだ。


「お楽しみのところ悪いかもしれんが、もう時間だから終了だ! こちらとしては延長もやぶさかでは無いと言いたいが、なにぶん順番待ちもあるのでな。しかしもし気に入ったら是非また来てくれてもいいぞ!」

「ははは……時間も時間ですしまた来ますとは中々言えないですけど、でも本当に綺麗でした。ところで一つだけ聞きたいんですけど、あれって幾らぐらい――」

 

 どうやら本当にプラネタリウムの投影機が気に入ったらしい終斗が、会長さんから話を聞いているのを横目にオレは部屋を出た。

 すると部屋の前には二組の男女が並んでいて、ミニプラネタリウムが意外と盛況らしいことをうかがわせる。あ、並んでる人たちが会長の写真撮ってる……もしかしたらあの土星の被り物も、プラネタリウムの人気に貢献しているのかもしれない。

 そんなことを思っている内に、終斗が部屋から出てきた。会長さんから有意義な話を聞けたのか、心なしか楽しそうだ。


「待たせたな」

「ううん、大丈夫。どうだった、プラネタリウムは。具体的に言うなら値段的な意味で」

「ピンからキリまで、といったとこだけど思いのほか手が届きそうな値段でなによりといった感じか。オススメも教えてもらったし、今度一度探しに行ってみるかな」

「そっか、もし買ったらまた一緒に見ようよ!」

「そうだな……あ。ところで始、結局あの口パクの"答え"は……」

「内緒!」

「えっ」

「内緒ったら内緒だって! その内教えたげる。それよりもさ――」


 オレは終斗の問いを勢いではぐらかし、改めて終斗に向き直る。

 そして困惑の表情を浮かべる終斗に対して、満面の笑みを浮かべて言った。


「今日はめいっぱい楽しもうな! いっぱい遊んで、いっぱい食べて、それで……いっぱい思い出作ろうよ!」


 オレが終斗に恋を続けている限り、オレがその思いを諦めない限り、いつかの未来。オレと終斗との関係は望む望まざるにかかわらず変化が訪れるはずだ。

 それが良い方になるか、悪い方になるかはオレ自身も分からないけど……ならせめて今だけでも、この心地良い関係を全力で楽しみたい。

 また明日から、頑張るために。


「……そうだな、今日はいっぱい楽しもう。なんせせっかくの文化祭だしな」

「うん!」


 優しく微笑む終斗と一緒に、オレは歩き出す。今日この日この時を、全力で楽しむために。

 ねぇ終斗、今はまだ"答え"を教えることははできないけど。

 オレにそれを言う勇気が足りないし、終斗を振り向かせられる魅力もないから、まだ伝えることはできないけれど。



 ――だいすきだよ。



 いつか絶対に、伝えてみせるからね!



   ◇



 この日、オレと終斗は有言実行と言わんばかりにいっぱい遊んで(主にオレが)いっぱい食べて(やっぱり主にオレが)、文化祭を大いに楽しんだ。

 でもまだまだ祭りは終わらない。やがて後夜祭が訪れても上がり続けるテンションは留まるところを知らず(もちろん、主にオレのである)、オレは終斗を引き連れてグラウンドを中心に野外で開かれている屋台をひたすらに梯子しまくっていた。

 なにか忘れているような気もするけど、このテンションの前では些細なことだろうきっと。なんせ祭りは楽しいし、食べるのも楽しいし、終斗と一緒ならもっともっと楽しいのだ。これ以外に必要なものなどあるだろうか、いやありえない。

 グラウンドのど真ん中でごうごうと燃え続けるキャンプファイヤーの灯りを尻目に、オレはまたひとつ発見した屋台へ歩を進める。


「あ、焼きそばだ! ちょっと行って来る!」

「べつにいいが、まだ食うのかお前……そういえば、始はいつもよく食べてるのに全然太らないよな」

「体質なんじゃない? そういえば妹とかには羨ましがられてるな、でもだからといって縦に伸びるわけじゃないってのがな……。まぁでもおかげでいっぱい食べれるんだし今はいいけどさ。すいませーん、焼きそば一つ――」


 オレが向かった一軒の焼きそば屋。そこにいた意外な人物に、オレの声が途中で止まった。


「…………」

「あれ、まひる? こんなところにいたんだ!」


 焼きそばを焼いていたのは、まひるだった。

 長い黒髪はバンダナで覆って、制服の上からエプロンを付けて。慣れた手つきで両手のヘラを扱い軽快に焼きそばを焼く姿は、実に様になっている。きっと彼女のことだからバイトかなにかで経験したのだろう。

 ……でもそのまひるは今なぜかいつもの快活さを潜ませ、なんだか呆れたようにも見える目の細め方でオレに視線を向けて、淡々と聞いてきた。


「楽しそうね」

「うん! あのね、終斗と一緒にずっと文化祭周っててね、それで今だって一緒で――」


 文化祭も楽しかったし、今だって楽しい。そんな気持ちを隠すことなく嬉々として伝えるオレに、まひるが一言。


「で、夜会は」

「あっ……」

「……」

「……」

「……この、駄犬!」

「キャン!?」

文化祭自体はこれにて終了ですが、実はまだまだ延長戦が残っていたり。

始や終斗だけでなく、あんな人やこんな人の視点からの話もありますので、ぼちぼち楽しみにしていただければと。

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