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第11話 俺と、オレと、文化祭と。前半戦

 オレの身長よりも高い看板を掲げて、すれ違う人たちに声かけしたりビラを配ったり。戻ってきたあとは、喫茶の店員なんかも手伝ったり。

 宣伝部長は思いの他重労働だったけれど、それでもお祭り騒ぎに混ざって仕事するのはそれこそ思っていたよりずっと楽しかったし、これからもっと楽しいことがあるんだって思えば疲れなんて全然でなくて。

 気づけば、終斗との約束の時間である午後1時はもうすぐそこだ。

 オレはなんとかその直前に本日4回目となる校内周回を終えて、校舎3階に位置する1-A……ではなく1階の、今は1-Aが借りている『生徒指導室』に戻ってきた。

 普段は強面で有名な生徒指導担当の教員が学校の問題児に1対1で愛の鞭を振るう、生徒にとっては地獄みたいな扱いを受けているここだけど、今日ばかりはその地獄も店じまいしており、今は1-Aの控え室として使われている。

 休憩や準備のため出入りするクラスメイトたちをよそにオレは、椅子に座って水の入ったペットボトルを片手に休憩していたまひるへと駆け寄った。


「ただいまー!」

「戻ってきたわね、お疲れさん。それじゃ、始はもうあがりね。ま、あんたにとってはこっからが本番かもしれないけど」

「そんなことないって、こっちはこっちで本番だったよ! まぁあっちはあっちで本番だけど……でも、ほんとにいいの? 1時からはずっと自由時間って……たしかに融通して欲しいって頼んだのはオレだけど、でも宣伝係って定期的に回った方がいいんじゃ……」


 そう。オレが終斗とのことをまひるに話した結果、まひると委員長との相談の末に『それまで働いてくれれば、1時以降は自由時間で良い』という条件が文化祭の開始前に成立していたのだ。

 そのおかげでオレはめでたく終斗と文化祭を周れることになり、仕事の原動力にもなっていたのだけど……しかし宣伝部長を任された身としては責任感もあり、そのせいで今更になって申し訳ない気持ちが沸々とわきあがってしまっていた。

 だけどそんなオレにまひるは『気にするな』とでも言うように笑ってみせた。


「いいのいいの。実際あんたが派手に宣伝してくれたおかげで、もう客足も知名度も十分だから。ま、それにどのみち首から小さい看板ぶら下げてもらうんだから、周ってるだけでも宣伝してるようなもんだし」

「たしかに……」


 自由時間で文化祭を周るときは仕事で掲げた看板とはべつに作られた、宣伝用の小さい看板を首から下げて周ること。これも自由時間確保の条件だ。

 それならたしかに歩きまわってるだけでも効果はあるし、まひるの言うとおりすでに十分宣伝されているのだとしたら、もうあとはその程度の宣伝でも良いのかもしれない。

 それは理解したけれど……「派手に宣伝してくれた」ってどういうことだろう。

 そんな特別、人目を惹くことをやった覚えはないんだけど……オレがやったことといえば、大きい看板をもたつきながらも頑張って掲げたり、一生懸命晴れやかに笑ってビラ配ったりしたり……あとは狼の仮装ぐらいか。

 ……まぁいいや。いずれにせよ、宣伝になったのなら万事オーケーだ。

 こうしてまひるの言葉に納得したオレは、狼の手袋をはめた両手をもふりと合わせ気持ちを切り替えて、終斗のところに向かうことにした。


「そっか。それじゃあ折角用意してもらった機会だし、早速終斗のところに行ってくる!」

「行ってこい行ってこい。……あ、そうだ。あんたついでに夜鳥くんを、後夜祭の『夜会』にでも誘ったらどうよ?」

「夜会? というか後夜祭ってなんぞ」

「そっからか。んじゃ簡単に説明すると、この学校って文化祭が終わったあとの夜にもまたお祭りやるみたいでさ、それが後夜祭。文化祭は外部の人も参加できるけど、後夜祭はこの学校の人だけしか参加できないのが大きな違いかしらね。こっちは自主参加だし学校で大っぴらになにかやるわけでもないから、まぁあんたみたいに知らない人がいても無理はないか」


 後夜祭……ああ、そういえばそんなものがあるって話は、ちらっと聞いたような。夜のお祭り、もしくは文化祭延長戦とでもいうべきか……そっちも、終斗と周れるといいな。

 オレがまだ見ぬ後夜祭に思いを馳せる中、まひるの説明は続く。


「そんでもちろん後夜祭でも生徒有志の出店は開かれるんだけど、一番の目玉はそっちじゃなくて後夜祭の間ずっとグラウンドで行われている派手なキャンプファイヤーと……もう一つ、生徒会が体育館で主催する『夜会』ね。それで夜会が一体なにをするのかっていうと、結婚式とかでよく見るような……いわゆるビュッフェ形式とか言われる立ち食いでのバイキングと……」

「おお!」


 立ち食い……そういうの、あまりやったことないから面白そう!それに生徒会主導の料理ってのにも興味が惹かれる。

 食い気に釣られて目を輝かせたオレに、まひるは呆れた視線を向けた。


「本番はこっからだってのに、あんたって相変わらずねぇ……」

「えへへ……でも本番って?」

「バイキングのあとに、任意参加でフォークダンスの時間があるのよ。人工の照明を消して、キャンドルの淡い光のみが照らす室内。心落ち着くクラシックをBGMに、仲睦まじく踊り続ける男女二人……どう、ロマンチックだと思わない?」


 まひるにそう言われて想像してみれば、たしかにロマンチックな光景ではある。ダンスとはいえ学生だから踊る姿は華やかなドレスでなくいつもの制服だろうけど、だからこそ青春の1ページって感じがでてそれはそれで趣きがある気もする。

 とはいえ……。


「うーん。そういうのって、オレには縁が無いしなぁ」

「このニブチン! この場合、男女二人って言ったらあんたと夜鳥くん以外にいないでしょうに」

「お……おお!?」

「分かったらもう一回想像してみる!」

「う、うん……」


 ほの暗い体育館で終斗と二人……あいつが差し出す手をそっと取り、流れるBGMに合わせてオレたちは一歩を合わせ――あ。


「どうしようまひる! オレ、今こけちゃったよ!」

「ええい夢の中でもおっちょこちょいか己は! いいのよどうせ学生なんだから、こけない程度にそれっぽくやってれば。大事なのは雰囲気よ雰囲気」

「ふいんき」

雰囲気ふんいき

「雰囲気……」


 まひるの言うとおり、ふいんき……じゃなくて雰囲気を大事に、こけないように踊るオレたちを想像しなおしてみる。

 ……。

 …………たしかに、なんか良いかもしれない。ロマンチックだ、まごうことなきロマンチック。

 その想像に軽く頬を緩ませたオレを見てか、まひるが尋ねてきた。


「どう、良い感じでしょ。ロマンチックでしょ?」

「たしかに。なんか、こう……すごくそれっぽい!」

「よぉし、んじゃあその勢いで夜鳥くんを誘いなさい! いつもの特訓とは方向性が違うけど、良い雰囲気があれば良い感じに距離も縮まって、向こうも意識してくれるかもしれないわよ!」

「なるほど……分かった! オレ、文化祭終わったら終斗を夜会に誘ってみるよ!」


 そうして新たな決心をしたオレは、生徒指導室を出ていくと早速終斗の下に向かった。

 本来は休日であるはずの土曜日で、その上一般開放もされている今日の青高文化祭はこれ以上無いくらいの大賑わいだ。

 普段の校舎ではありえないほどの老若男女が入り乱れた人の波に飲まれないよう気をつけながら、階段を1段飛ばしで駆け上がりあっという間に2階を越えて、1年生の教室が並ぶ3階へ。

 1-Bの教室にたどり着き、文化祭の喧騒に耳を傾けながら待つこと数分。バーテンダー風の姿のまま教室から出てきた終斗にオレは声をかけた。


「終斗!」

「始……悪い、待たせたな」

「ううん、全然。オレもちょっと前に来たばかりだから」


 オレが首を横に振ると、終斗は「そうか」と納得して微笑んだ。

 まぁ本当は少し待ったけど、たかだか数分でああだこうだ言うほど器量の狭い女ではないのだよオレは。……どちらかといえば、楽しみすぎて些細なことなんて気にしていられないのが大きいってことは、ここだけの話。

 逸る気持ちをはばかることなく表にだして、オレは終斗を急かした。


「それよりも、早く行こう! 文化祭は待ってくれないんだぞ!」

「それはいいが……着替えなくてもいいのか?」

「終斗は着替えたいの?」

「いや、べつに俺は上着ちょっと変えただけだからべつにいいんだが……」


 それじゃあオレのこと気にしてるのかな。

 とはいえ別段動きにくいわけでもないし、気にするところなんて……あ、もしかしてこの胸にぶら下げてる看板のことか?


「これなら大丈夫、遊ぶついでにクラスの宣伝できるようにぶら下げておくだけだから」

「いや、そっちじゃなくてい……狼の方……」


 ああ、狼の仮装こっちか。でもこっちはこっちで、外すつもりはない。なんせ――


「これ付けてればワイルドさが上がるからな! 今日は可愛がられるだけのオレじゃないぜ!」


 普段は小柄な体と童顔のせいで子供っぽい扱いだの犬猫みたいに可愛がられたりだのしているオレだけど、好意そのものはともかくそういう扱いばかり受けるのはちょっと不服だ。まぁ終斗になら、可愛がられてもいいかもだけど……。

 それはそうと、せっかく仮装ができるんだから今日くらいはワイルドな格好を存分に楽しませてもらおうと思っている。まひるも委員長も似合うって言ってくれたしね!

 オレがドヤ顔で言い放つと……終斗は一度深く息を吸って、普段の5割ぐらい深みが増したような微笑みを見せた。


「ああ、そうだな。それじゃあ行こうか」


 どうやら終斗もオレの説明に納得したらしく、ちゃんと同意してくれた。やはり仮初めの淑女力より天然のワイルドということか。

 でもすぐに出発を促してきた辺り、きっと終斗も早く文化祭を周りたいのだろう。オレも同じ気持ちだからよく分かる。


「うん行こう行こう! それじゃあどこからにする? 2-Dのケーキバイキング? 3-Bの駄菓子屋? それとも野外でやってる、1-Dの焼き鳥屋とか野球部のたこ焼き屋とかどうかな!」

「なんで全部食べ物なんだ。というかなんか詳しいな」

「えへへ、気になるもの挙げたらつい……詳しいのは宣伝であっちこっち周ってたからな! もう今日の案内だって任せてもいいレベルだよ!」

「そうか。ならお言葉に甘えて、今日の行き先は始に任せようかな」

「よし、任された! まずは、そうだな……3階ここから周るか! 順に降りてく方が楽だし、向こうのコンピューター室じゃPC部が昔の名作ゲームの試遊台みたいなの出しててさ――」


 先導する形で終斗の前を歩きながら、時折振り返りつつ解説も織り交ぜて。

 終斗に楽しんでもらい、そして自分も全力で楽しもう!そんな燃え盛るやる気に背を押され、オレは終斗と校舎内を周り始めた。


   ◇


 軽く足を広げて地面を踏みしめ腰を据え、火縄銃に似た外観を持つコルク銃の引き金に右手の人差し指をかける。ちなみに狼の手袋はさすがに脱いだ。

 左手で銃口を支えて4メートルほど向こうの机に乗ったキャラメルの箱に狙いを定め、軽く息を吸って吐く。


 ――ここだ!


 意を決して引き金を引けば、ポン!と軽快な音を合図にコルクが照準に向かって一直線に……あ、外れた。


「あー、惜しいっ! あとちょっとだったんだけどなぁ」


 教室の奥で横並びにされた机とその上に陳列された景品たちを見て悔しがったオレに、後ろから順番待ちがてらに見ていた終斗が声をかける。


「狙いは悪くなかったと思うが、弾の方から逸れていったな。元々そういう癖があるんじゃないか?」

「なるほど……よし、まだ弾は1発残ってるし今度は当ててやるぞ!」


 オレは隣の机に置かれたコルク弾を一つ掴むとコルク銃の銃口に再び詰めて、商品の4メートルほど手前に引かれた白線ぎりぎりに立った。この線を越えて撃ってはいけないのがここの射的のルールだ。

 そう、射的。3階を周り終えたオレたちは今、校舎2階にある2-Cの教室で開かれている射的屋に立ち寄っていた。

 こう言ってはなんだけど祭りの射的屋なんかは商売である都合上、様々な工夫により見かけよりも結構難易度の高い作りになっている。オレのお小遣いだって幾度となくあれの犠牲になっているのだ。

 でもここはあくまでも高校生の文化祭。弾は2発で50円しかしないし、並ぶ景品も当てさえすれば倒れるようなものばかりだ。その代わりその景品は元手も安い菓子類ばかりだけど。

 実際射的をしている人たちを見てみれば、どうやら景品はそこそこ簡単に取れるらしく「じゃあオレたちもやってみるか」ということで、こうしてやってみているわけだけど……。


「うぁ、また外れた……」


 これが思いの他上手く行かないもので。

 どうしてもコルク銃の威力が弱いのか、商品の少し手前で狙いよりも右下の方に逸れていくのだ。

 うーん、さっきよりも景品と弾の位置は近かったからなぁ。狙いは良くなっていると思うんだけど……。

 とはいえもう弾も尽きてしまった。オレはうなだれながら、後ろの終斗に銃を渡して交替する。


「頼む終斗、オレのかたきを撃ってくれ……」

「善処はする。しかしこういう射的は祭りでもよく見かけるが、ああいうのははな・・から取れないものだと思っていたから、実はこれが初めてなんだ……お、コルク銃って意外と重いんだな」


 そのさり気ない一言が誰かを傷つけることってあると思うの……。

 それはそうと本当に射的は初めてのようで、終斗はひとしきりコルク銃の重さや質感を確認してから白線の縁に立ち、慣れない手つきで弾を銃口に詰めた。

 オレや周りの人たちの見よう見まねらしく、若干ぎこちない挙動で体勢を整えて静かに照準を定める……でもなんだか様になってると思っちゃうのは、ひとつの贔屓ひいきというやつだろうか。

 果たして終斗は引き金を引き……放たれた弾はオレがさっき狙っていたキャラメルの箱の頭上をあっけなく通過していった。


「む……なるほど中々難しいな。さっき後ろで見てたときは下に落ちていったから上を狙ってみたが、そう上手くはいかないか」

「いや、でも少し上過ぎただけだしもうちょっと下を狙えば当たるんじゃない?」

「たしかにな。撃ち方も少しは分かったし、次はもう少し下を狙ってみるか……」


 そんなわけで終斗のリトライ。

 さっきよりも少しだけぎこちなさが消えた体勢で照準を定めて、あいつは引き金を引いた。

 銃口から飛ぶ弾が、今度は箱目掛けて真っ直ぐ飛んでいく。

 これは当たるか――と思いきや弾は思いのほか下方に逸れていき、机の側面にぶつかって力なく跳ねるだけだった。

 その結果を見届けた終斗は机に銃を置いてから振り返る。その表情はあまり変わってなかったけど、それでもやっぱり外れたのが悔しかったらしく、その口調からは一抹の名残惜しさを感じとれた。


「少し下を狙いすぎたか。悪くないと思ったんだがな……」

「まぁ弾のずれ方もばらつきあるみたいだし、しょうがないよ。よっしゃ、次こそオレが当ててやる!」

「まだやるのか? 負けず嫌いだな」

「諦めが悪いのがオレの取り柄だからな、よーく見てろよ!」


 オレ自身と終斗の射的、計4回も弾の軌道を見れば大体の癖は分かる。そろそろ当てれそうな感触があるのに、ここで引くわけにはいかないだろう。

 コルク銃と弾の置き場所でもある机の上に乗っていた、料金箱代わりのぶた型貯金箱に50円をチャリンと入れて、オレは再び銃を手に取る。


「今度こそ……」


 ぶれないようしっかり構えて、でも肩に力を入れすぎないように……。

 散々撃っても不動の構えを解く気配のないキャラメルの箱、その上部ギリギリに狙いを定める。

 一発目――。

 引き金を引く、弾が飛ぶ。そして箱の手前で予想通りに緩やかな下方を始める。

 それも加味しての上部狙い、このまま進めば丁度真ん中に直撃――はしなかった。わずかに箱を掠めながら、弾はその右側を通り過ぎていったのだ。

 あと1、2cmでも箱に近ければ当たっていたはず……もしかしたら、倒せた可能性もあったのに。オレは半ば叫ぶように悔しがった。


「おっっしぃ! あと本当にもうちょっとだったのにー!」

「今のは、当たったと思ったんだがな。ままならないものだ」

「次だ! これで本当に終わらせてやる!」


 オレはそう宣言しながら、再び銃を構えた。

 今の言葉は『次こそ当ててやる』という意味合いもあってのものではあるけれど、実は時間的にもこれ以上はかけていられなかったりするのだ。

 文化祭はまだまだ見れていないところが多い、こんなところで時間を投げ捨てるわけにはいかないんだ!

 そういう意味でもオレは「これが最後だ」と自分に言い聞かせながら、慎重に狙いを定める。

 縦の狙いはさっきと同じ高さでもいいけど、さっきの外れ方を考えると横の狙いは少し左にずらした方がいいな……。

 …………よし、これで決める!

 果たして定まった照準。箱の上部ぎりぎり、中央より少しだけ左を狙って――引き金を、引く!


 放たれた弾は宙を跳ね、風を切り、徐々に徐々に放物線を描いて下降しながらも吸い込まれるように箱へ飛んでいく。

 ほんの一瞬、時の流れが鈍くなった気がして――オレはたしかに見た。箱の中央にコルク弾がぶつかって、キャラメルの箱が押し飛ばされる瞬間を。


 コトンッ。

 キャラメルの箱が落ちる音で、オレは我に返った。


「あ……当たった……?」


 追いつかない理解に呆然と呟くオレに、終斗が肩をそっと叩いた。


「おめでとう、始。見事だったな」

「あ……」


 終斗を見る。落ちた景品を見る。もう一回終斗を見る。優しい微笑みを浮かべていた。

 ……初めて、初めて射的で景品に当てた。

 文化祭のだから散々苦渋を舐めさせられてきた祭りのものとは別物だと分かっていても、その事実が嬉しくて。

 だからオレはじわじわと溢れる喜びに突き動かされ、気がつけば衝動的に終斗に向かって飛び込んでいた。両腕でその体に抱きつくと、細身のわりに存外がっしりしていて安定感があった。


「やった、やったよ終斗! 初めて射的で当てれた!」

「は、始っ!?」


 驚く終斗の声で、オレは自分がついやらかしてしまったことにようやく気づいてしまった。

 当然ながら目の前には終斗の胸が。抱きつく腕と押し付けていた顔には終斗のぬくもりが。え、えへへ。自然と頬が緩む……じゃなくて!


「ご、ごめんっ!」


 漫画なら『ポンッ!』と効果音が出ていることだろう。

 そのくらいの熱が頬に集まっているのを感じつつ、オレは咄嗟に終斗から離れた。


「いや、べつに謝るようなことでもないが……」


 離れてから終斗を見ると、オレから顔を背けて恥ずかしそうに頬を掻いている。

 その終斗の姿に、少しだけオレの頬から熱が引いた……引いてしまった。

 ……終斗にとってオレはまだ"男友達"だから、やっぱ抱きつかれたりするのって嫌なのかな……。

 そんなことをつい考えてしまったオレだったけど、その思考は周囲の視線に気づいたことですぐ霧散する。

 景品一つで無駄に騒いでいたオレたちには、当然のことながら周りの視線が集中していた。こ、これはこれでまたべつの恥ずかしさが……!


「と、とりあえず次行くか……」

「う、うん……」


 周囲の視線に耐えられなかったのか、それとも抱きつかれたことに思うところがあるのか……まだオレから目を少し逸らしている終斗の提案に、オレは素直に頷いた。

 そしてオレたちは景品であるキャラメルの箱を急いで受け取ると、なぜだか妙に生ぬるい感じのある視線の中を二人してそそくさと退散するのだった……。



   ●


「……とりあえず、一旦休憩するか。すこし疲れた」

「……うん、オレもおんなじ気持ちかも」


 そんなわけで。

 2-Cの射的屋から逃げだすようにでた俺たちは、2階の廊下に設置された自販機で飲み物を買ってそこで一旦休憩することにした。

 ちなみに先ほど「すこし疲れた」と言ったが、実を言えばすこしどころの騒ぎではなかったりする。

 つい数時間前、俺は精神の心配をしていたが……そのときの俺はまだ考えが甘かったと今では思う。

 精神の前に心臓が、物理的にもたない……!

 先ほど始に抱きつかれたときから、俺の心臓は狂ったように激しく脈を打ち続けているのだ。


 ……どうでもいい話だが、始に抱きつかれた瞬間に花を連想させるような、ふわりと柔らかく甘い香りをほんのりと感じた。あれは……ま、まぁどうでもいい話だがな!


 とにかく俺はなんとか気持ちを落ち着かせようと、買ったばかりの缶コーヒー(無糖)に早速口をつけた。

 突き抜けるような苦味と香ばしいコーヒー豆の香りが、脳にほど良い刺激を与える。なんとなくだが若干気が紛れて、心臓も落ち着いてきたようだ。

少しずつ平静を取り戻してきた俺は壁に軽くもたれかかると、暇つぶしがてらコーヒーをちびちび飲みつつ周囲の景色を適当に眺めてみた。

 俺の目の前を、老若男女色んな人々が行き交っている。その中にちらほら妙な衣装を着た奴が混ざっているが、おそらくうちの学生だろう。


 ……うちの文化祭、結構力はいってるよなぁ。

 祭りに賑わう人々を眺めながら、俺はそんなことをぼんやりと考えていた。

 他の学校の文化祭がどれだけのものかは分からないけれど、とりあえず俺の目から見れば、今まで回った所は大体クオリティが高かったように思う。それこそ結構自信があったはずの1-Bのダーツバーと比肩するところもそこそこあるぐらいに。

 しかしよくよく考えると、うちのダーツバーは凝った分それなりに予算がかかっていたような……まだ見ぬものも含めて他の所も同レベルのクオリティということは、総合的に見てこの学校は文化祭に相当金をかけてるのか?

 そういえば9月の体育祭も近くの競技場貸切って行っていたし、2年の修学旅行は毎年海外に行ってるという話もある辺り、もしかしたら青高は市立ながらも祭り事にかなり力を入れているのかもしれないな。なんにせよ、賑やかなのは良いことだ。

 景色を一通り眺めたあとは、隣の始になんとなく目が向いていった。

 ぶどう味の炭酸ジュースをその小さい両手で包むように持ち、俺と同じように行きかう人々をぼーっと眺めているみたいだった。

 ふと、思いうかぶ。ちょっと前までの始だったら缶ジュースを飲むときはこう、片手で持ってぐいーっと一気に飲み干してたような気がする、と。

 わざわざそんなところまでつぶさに観察したことはないから、単純にイメージの話でしかないが……それを抜きにしたって、ここしばらくで始は随分変わったと思う。俗な言い方かもしれないがが"女の子らしくなった"とも。


 ただ、それでも……。


「終斗?」


 俺の視線に気づいた始が、首をかしげて見つめ返してきた。

 しまった、ついじろじろと見すぎていたか。


「あ、いやべつに大した理由はないんだ。気にしないでくれ」

「そっか」


 適当に誤魔化して顔を再び廊下に向けると、始もそれ以上追及することはなかった。

 俺は視線を廊下に向けたまま、しかし頭の中では相も変わらず始のことを考えていた。


 始は変わった。

 小柄ながら男だと分かる程度に角ばっていたはずの体は、いつの間にか緩やかな丸みを帯びて。"少年"と呼ぶのがぴったりだったはずの顔付きだって、特徴自体は大きく変わっていないのに、もうどこからどう見ても愛らしい"少女"のそれだ。

 気づけばちゃんと内股で座るようになってたし、髪だって女性にしてはそんなに長くないが男だったときに比べれば大分伸ばしている。始が髪を結んで初めて、俺はあいつの髪がそこまで伸びていたことに気づいた。

 可愛い服だって着るようになって、迷走してはいたが女らしい仕草を自分からしようともしていた。

 始は変わった、そしてきっとこれからも変わっていくのだろう。

 それでも……それでも始はいつだって始のままだ。少なくとも俺はそう感じている。

 出会ったときからずっと俺が見下ろせるくらい小さいし、あの頃からずっと童顔のままだし。ついコンビニでゲテモノやネタ商品を衝動買いしてしまう、そんな好奇心旺盛さも相変わらずだ。

 そして俺が今まで出会った誰よりも明るく真っ直ぐで、いつだって一生懸命で。

 そんな始は昔も今も、変わらず俺の親友として隣にいる。


 その事実を思い返し、俺の気持ちが自然と和らいだ。

 始が女になっても始のままだったから、そして始が今でも変わらず親友たからこそ、今まで散々悩んできたわけだが……それはそれ、これはこれ。

 惚れた腫れたの問題がどうであれ、そもそも大前提として始は俺にとって大切な親友なんだ。今どれだけ悩んでいても、今まで始が俺の親友である始のままでいてくれたことは心の底から嬉しく思うし、むしろそれ以外の始なんて考えられない。


 そこまで考えて俺は気づいた、自分が始のことを自然に"親友"として考えられていることに。そしてそれに安堵を覚えた。

 ……よかった。始に恋をしていても、まだ俺の中にある友情は消えてないんだ。

 しかし……始は変わったけど、それでも変わらず始のままでいる。それじゃあこうやって一々始との関係で一喜一憂している俺はどうなんだろう。

 本当に変わってしまったのは、むしろ――。


「終斗」


 名前を呼ばれて、思考に没頭していた俺の意識がようやく現実に浮上する。声のした方を向くと、始が俺を見上げていた。

 始が名前を呼んだ意味は聞かなくても分かる、もうそろそろ休憩を止めようということだろう。

 だから俺も思考を切り替える。

 そうだ、親友だの恋だのなんてものはあとで思う存分悩めばいい。

 今やるべきは、俺がやりたいことは、始と一緒にこの文化祭を楽しむことだ。きっと始もそれを望んでいる。

 俺はまだ少しだけ残っていたコーヒーを飲み干してから始に言った。


「よし、そろそろ行くか」

「おう! まだまだ一杯回らなきゃな!」


 始はニカッと口を大きく広げて笑い、威勢よく声を上げる。

 その姿が一瞬、男のときのあいつと重なって見えた……そんな気がした。

 そして俺たちは二人で文化祭を楽しむために、どちらからともなく再び歩き出すのだった。

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