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第10話 俺と、オレと、文化祭と。本番前

「――俺は変わらない、俺はずっとお前の親友でいるから」



 オレの思いは、もしかしたらあいつに受け入れられないのかもしれない。

 俺の思いは、多分あいつに対する裏切りになるだろう。


 それでも、だからこそオレは自分を偽ったまま、あいつに接したくなかった。そりゃ恋心が我慢できなかったってのもあるけれど……

 それでも、だからこそ俺は本当の自分を定めて、あいつと向き合いたかった。もしかしたらただ未練がましいだけかもしれないけれど……



 ――きっと一番の理由は、オレ/俺があいつと"親友"だから、なんだと思う。



   ◇■◇



「ようし、今日も『朝雛始美少女化計画』を――と言いたいところだけど、今日だけは置いといて……ついに待ちに待った文化祭当日よ、始!」

「おう! 高校の文化祭って始めてだからな。オレも楽しみすぎて普段欠かさず8時間睡眠してるのに、今日は6時間しか寝れなかったよ!」

「一般高校生的にはそれでもわりと寝てる方じゃないかしら! 私なんて普段から5時間しか寝てないわよ! まぁそれはそれとして、頑張って宣伝してきなさいよ『宣伝部長』!」

「部長って言っても宣伝係はオレ一人だけど、頑張ってくるよ!」

「気合は十分ね! それじゃあ今から始の衣装を持ってくるわ!」


 紳士然としたタキシードに、襟が立った漆黒のマント。まるで男性的な装いだけど、黒く艶やかなポニーテールと、胸部を押し上げる二つのふくらみが彼女の性別を分かりやすく主張する。そして血を吸うため口端から伸びる八重歯が、彼女の正体を暗に示していた。

 そう、彼女の正体は夜の世界に潜む神秘の怪物『吸血鬼』――の仮装をした、まひるである。

 そんなまひると制服姿のオレは二人して、テンションを上げて張り切っていた。

 なにせ11月中旬である今日はここ青陽高校の文化祭。高校生にとって体育祭と同等……いや、人によってはそれ以上の一大イベントに、オレたちだけじゃなくクラスの皆、そして学校全体が普段とは比にならないほどの熱気と活気に包まれている。

 無論いつもと違うのは雰囲気だけでない。オレたちのクラスである1-Aだって、既に普通の教室から祭りの舞台へと華やかな変貌を遂げていた。


 シックな茶色や無機質な灰色を主体に構成された学び舎らしい落ち着いた空間は今や、夜闇のように神秘的な黒を配色の中心に据えつつも所々でかぼちゃをイメージさせる明るい朱色があっちこっちを派手に彩り、"それっぽい"雰囲気や華やかさを兼ね備えるちょっとした異空間に。

 勉学の象徴とも言える椅子や机もその姿を変え、机は4つくっ付けたものが黒いテーブルクロスで一まとめに覆われて、その周りを4つの椅子が――勿論周りの雰囲気に合わせて装飾を施されたものが囲う形で置かれている。そんな机と椅子のセットが、教室の中にはいくつか点在していた。

 一まとめになった机の中心に鎮座する、尖った目とギザギザの口がくりぬかれたオレンジ色のかぼちゃ形キャンドルがさり気ない拘りを感じさせる。しかし安全のために室内は普通に電気が点いていて、おまけで火気厳禁ということで火も灯せないけれどそこは文化祭クオリティということで。

 接客を担当するクラスメイトはとんがり帽子に怪しいローブを着込むベタな魔女から、怖さより愛嬌が勝る絶妙に微妙なクオリティのフランケンまで、このクラスの出し物に相応しい様々な仮装を着こんでおり見るからにやる気満々といった面持ちだ。もちろん、普通の制服を着ている裏方の生徒たちも十分やる気に満ち溢れているのは言うまでもない。


 と、ここまで説明すればもう大体分かる気もするけど、1-Aの出し物は『ハロウィン喫茶』。言葉通り、ハロウィンっぽい喫茶店である。

 文化祭の時期自体はハロウィンから若干過ぎているけれど、『だからこそ珍しくていいんじゃないか』『日本じゃハロウィンとか馴染みないからやってみたい』『単純にコスプレが見たい』など、順調にクラスの総意を集めて決まったこの出し物。

 喫茶店そのものはさすがに他のクラスとの被りもあったものの『ハロウィン』というコンセプトはうちのオンリーワンで、しかも個性的かつ派手な行事を題材にしたおかげか結果として普通の喫茶店より装飾や仮装などが凝った物になり、今こうして見渡すだけでも完成度の高さは折り紙つき。初めての文化祭ながら上級生たちにだって負けないんじゃないかと自負できるほどだ。


 クラスで一致団結して作り上げてきたこのハロウィン喫茶、絶対に成功させるぞ!

 そう意気込むオレにも当然、仕事はある。それがさっきまひるの言っていた『宣伝部長』だ。要はここの宣伝係で、看板を掲げてあちこちを歩き回りつつ、ついでにビラを配ったりしてとにかく宣伝しまくる仕事だ。

 持ち前のリーダーシップでクラスの中心の一人としてこの喫茶店の製作を進めてきたまひるに、「間違いなくあんたが適任よ!」と強く押されて引き受けたこの仕事。なんでオレが向いているんだろうと思わなくもないけど、なんにせよ親友に信頼されているのならばやり遂げないわけにはいかない。

 それにしても……宣伝部長も人前に出る仕事ということで人前に出る接客係と同じく仮装することになっているけど、オレの衣装に関してはまひるが「間違いなく似合うの考えてあるから、私に任せなさい!」って言ってたからお言葉に甘えて任せてある。……のだけど、正直若干の心配はなくもない。

 いや、まひるのセンスが良いのは知っているけど、だからこそこないだ着せ替えされたときみたいな可愛すぎるくらいに可愛い衣装を持ってこないか危惧してしまうわけで……ちょっとまだ、ああいうの着て人前歩くのは難易度高めというか……。

 今回は仮装だけあって、普段だと人前で着れないような衣装でも許される雰囲気あるし。それこそホラー要素にかこつけて、動く西洋人形役とか言われてゴスロリ的な物とか持ってこられたら、わりとしゃれにならない。

 オレが自分の嫌な想像で内心冷や汗をかいてしまった直後、さっき衣装を取りに行っていたまひるの声が聞こえた。


「始、衣装持ってきたわよ……って何よその顔?」


 オレの顔を見るなり、まひるが怪訝そうな表情を浮かべた。


「え゛。い、いや、どんな衣装持ってきたのかなーって……」


 オレは咄嗟にごまかしつつも、まひるの持ってきた衣装はどこだとさりげなく視線で探す。

 視線を少し下に落とすと、それはすぐに見つかった。

 まひるが垂らしている右手に掴んでいるのは……なにかふわふわした毛玉みたいなものが入った、袋?

 自身の持ち物を注視するオレの視線に気づいたのか、まひるはそれをオレの目の前に掲げながら説明してみせた。


「ん? ああ、これよこれ。狼男なりきりセット! 予算の都合で安っぽいパーティグッズみたいなのしか買えなかったけどね」


 まひるが掲げる袋をよく見てみれば、袋上部に付けられた長方形の厚紙にはたしかに『狼男なりきりセット』という文字がでかでかと書かれていた。

 その袋は透明で、中身もよく見える。

 ともすれば犬のそれとも思われそうな、こげ茶色の毛に覆われた三角耳の生えたカチューシャ。どちらかといえば縦長で、鋭利な印象を与える辺りが狼っぽいかもしれない。

 他にも同じくこげ茶色の、もこもこな丸い毛玉モドキから五つの白く尖ったとげが飛び出ている謎の物体が二つあるけれど、これは……多分、狼の手を模した手袋だろう。それにしても、なんだか愛嬌があるなぁ。狼的にはどうなんだこれ。

 それともう一つ。耳、手ときたらやっぱり……それらと同色の、ふっさふさの毛を纏い立派に伸びる尻尾も当然のごとく入っていた。ちなみに尻尾の付け根には、細長く目立ちにくいベルトが付いていて腰に巻ける親切設計だ。


「へぇ……」


 オレはどちらかといえば感心する趣の声を漏らしつつ、まひるの持ってきた衣装を眺める。

 安物というだけあって全体的にチープで微笑ましい感じはあるけど、文化祭という意味では逆にそれくらいが丁度良いだろう。

 そう思えば個々のクオリティは及第点。それになによりモチーフが『狼』なのが良い。

 だってかっこいいじゃん、狼って!野性味溢れてて、孤高で気高く、そう言うなれば――


「つまり……狼の"ワイルド"な魅力がオレには似合うってことか!」


 いやー、一度可愛い系着せられたから若干警戒してたけど、さすがまひる!オレが可愛いだけの男……じゃなかった、女だってことを分かってくれたんだな……!

 オレの中にある才覚を見抜いてくれたであろうまひるを輝く眼差しで見つめると、彼女はなぜか聖母のように微笑み一瞬の沈黙を置いてから口を開いた。


「……さ、早く付けなさい。もうすぐ本番よ」

「おっとそうだった。外付けだけだから、手間がかからないのも良いな!」


 一瞬の沈黙に疑問を持ったのもつかの間。

 まひるの言葉で時間が差し迫っていることに気づくと、オレはまひるから袋を受け取って着替え始めた。


   ◇


 頭から飛び出るのは、本来人間にはありえないはずの獣耳。軽くエッジの効いたこげ茶色の三角耳の下にある茶髪は、いつものサイドポニーではなく「こっちの方が左右対称で耳とのバランスが良い気がする」とのことで、両こめかみ辺りの位置で結ばれた二つのサイドポニー……つまりは、俗に言うツインテールに。

 手は触れるともふもふして気持ち良い柔らかな毛と、刺さっても少しだけ痛いぐらいで済みそうな安全に配慮された先端の丸い長爪を備え、スカートと制服の境目辺りからは細長いベルトで留められたふっさふさの尻尾がぴんと立っていた。

 これでオレの仮装は完成である。その名も狼男ならぬ、狼女だ!

 宣伝用のビラが入った鞄も肩にかけたし、あとは同じく宣伝用の看板を掲げればいつでも外に出られる体勢だ。

 いつもよりも3割増しなワイルドさを存分に生かして宣伝するぞ!でもワイルドを生かすってどうやればいいんだろう。

 とりあえず……吠えてみる?


「ワンッ!」

「よしどう見ても完璧なわんこね」


 内容はよく聞こえなかったけど、まひるが後ろでなにやら呟いたことには気づいて、オレは振り返った。


「まひる、なんか言った?」

「いや、似合ってるなって思っただけ」

「えへへ……やっぱこーいうワイルドなのも似合うんだなオレは!」


 むふん、と胸を張ってみせると、まひるはまたなぜか聖母のような微笑みを見せて一瞬だけ沈黙する。

 やっぱり少し気になるリアクションだったけど、次に告げられたまひるの提案でオレの気がかりは脳みその外に放り投げられることとなる。


「……ねぇ始。本番までまだ少し時間あるし、ちょっと夜鳥くんに会ってきたら? んで文化祭一緒に周るように誘ってきなさい」

「しゅ、終斗と!? うーん、たしかに時間が合えば誘おうかと思ってはいたけど、でも肝心の時間が微妙だしなぁ……」


 オレの仕事は宣伝係だ。宣伝のためには定期的に何度も校舎を周ることになるわけだけど、その校舎を周る頻度が大体一時間に一度。それで余った時間は他の人たちの手伝いをしたり、何も無ければ休憩として遊びに行ったり。

 そんな感じなので休憩が不定期だから、終斗の時間が偶然オレの休憩と合わなきゃ一緒に遊びにいけないのだ。

 うーん、せっかくの文化祭。どうせなら終斗と一緒に周りたいのはやまやまだけど、だからといってクラスの仕事を放り出すなんてもってのほかだ。

 まひるの提案はありがたいけど、こっちの時間がどうなるか分からない以上さすがに……と思い額に皺を寄せていたオレに、再びまひるが言った。


「ん? ああ時間のこと気にしてるのか。だったら大丈夫よ、べつにきっかり一時間に一度周らなきゃいけないわけでもないし、休憩したい時間があるならこっちだって融通利かせられるくらいの割り振りはしてあるつもりだし」

「ほんとに!?」


 思わず前のめりになってしまったオレに、まひるが苦笑しながら答える。


「ほんとほんと。ちょっと待ってて、一応委員長辺りに確認だけ取ってくるから」


 まひるはそう言うと、クラス一の癒し系として定評のある1-Aの学級委員長を呼びにオレのそばを離れて……え、なんでかぼちゃ頭に話しかけ……まさかあれの中身、委員長か!?

 すぐに戻ってきたまひるについてきたのは、机に置いてあるキャンドルと似たようなかぼちゃの被り物で顔を隠し、服は制服であるセーラー服というアンバランスかつシュールな格好の女子だった。

 あれ、ほんとに委員長なのか……?とオレは少しだけ疑ってしまったけど、かぼちゃから少しくぐもった委員長特有の、のほほんとした柔らかい声が聞こえてきたことでようやく安堵した。


「話はまひるから聞かせてもらったよー。べつにこっちはいつ休憩したいかの報告さえしてもらえれば全然大丈夫だから、気にせず行っておいで。それにしても、始ちゃんその格好似合うねー」

「ありがと、委員長。それじゃあちょっと行ってくる!」


 委員長にも似合うと言われ、さらに自信をつけたオレはそのままの勢いで教室を飛びだしていった。

 まひると委員長はまだ二人で会話をしているみたいだったけど、オレの脳内は今や終斗を誘うことで一杯だったためにその会話に耳を傾けることはなかった。




「うーん、あの可愛さなら間違いなく宣伝もばっちりだよ。……でも、なんで犬? ハロウィンとは関係ない気が……まぁ宣伝になれば細かい事はいいけどね」

「……対外的になんて思われようが、本人が狼って思ってるし商品名だって狼男って書いてたし、あれは狼よね。うん、私は悪くないわ」

「え、狼? 何が?」


   ●


 振り返ってみればいつだって、時が経つのは早いもので。

 始との関係についてずるずると悩みを引きずりながらも、高校初めての文化祭の準備に追われて慌ただしい日々を送っていたのもつい昨日までの話だ。そう、なにせ今日はその文化祭の本番なのだから。

 高校指定のカッターシャツの上から黒のベストを羽織っただけの、なんちゃってバーテンダー風の格好をした俺は、まだ本番前だというのに少しだけ感慨に浸りながら俺の所属する1-Bの教室を見渡した。


 ……うん、いい出来栄えだな。

 心の中でそっと頷いた俺の視界に映る教室の姿はいつもと比べて……いや、比べ物にならないほど様変わりしていたと言っても過言ではないだろう。

 カーテンによって閉めきられた教室を照らす蛍光灯は、普段勉学に励むときのお硬いイメージが強い純白ではなく、ひと時の安らぎをもたらす優しい朱色の灯りに差し替えられている。

 机と椅子はそのほとんどが撤去され、教室の左側には木材で作ったお手製のカウンターと、それに寄り添って並べられた学校の備品でもあるパイプ足の丸椅子が。

 その反対、教室の右側では撤去されずに整列されたいくつかの机がダーツ道具の置き台として使われており、その机の奥にある壁付近には机と同じ数のダーツの的が立てられていた。

 そんな、もはや教室と呼んでいいのかすら怪しい部屋を制服姿の生徒……だけでなく俺と同じようなバーテンダー風の生徒も交じって、あちらにこちらにと最後の準備に追われているようだった。

 さてここまでの説明で大体分かるかもしれないが、1-Bの出し物は『ダーツバー』だ。


 バーとはいえ高校生だから当然酒類はだせないので、飲み物はあくまでもコーヒーやジュースのように健全なラインナップ。食べ物も人員や予算の都合上、サンドイッチに菓子類などの軽食しかだせない……っていうと、どちらかといえば喫茶店かもしれないなこれ。まぁ所詮、と言ってはなんだが高校の文化祭だ。きっと大事なのは雰囲気そのものである。

 実際、木製のカウンターや色を変えた蛍光灯など、このダーツバーは雰囲気……もっと砕けた言い方をすれば"それっぽさ"を重視している。

 ちなみに俺含む『接客係』に当たる生徒たちがしているバーテンダー風の格好も雰囲気作りの一環だが、とある生徒からでた『バーテンダーは大抵なんかこう、もっと気取ってる感じがする』という曖昧にもほどがある意見が妙に支持を集めた結果、現在の俺の髪は普段の自然体と違ってワックスで軽く髪を散らした活発的な路線で整えられていた。無論、俺にこんなスキルはない。クラスメイトたちにノリノリで仕上げられたのだ、他人の髪型だからって好き勝手弄りおって……。姉さんに見られたらまず間違いなく笑われるな、今日は来れないらしいのでよかったが。


 なにはともあれ本番はもうすぐだ、やるからには気合を入れよう。

 気がかりもいくつかあるが……主に始とか、始とか。せっかくの文化祭なんだ、それも高校初めての。今日は色々忘れてこっちに専念を――


「お邪魔しまーす」


 ……なんか今、聞き覚えのありすぎるソプラノボイスが聞こえた気がするが……きっと気のせいだろう、うん。

 まったく、文化祭に専念すると決めたばかりなのに雑念を捨てられないなんて、情けないぞ俺――


「終斗ー」


 ……いやいや。

 さっきのソプラノに名指しで呼ばれたが、あいつの声を聞き間違えるはずもないと信じたいが、きっとこれも俺の雑念のせいでそう聞こえるだけであって、どうせ実際呼んだのはうちのクラスの女子だとかそんなオチだろう――


「ん。どうし――!?」


 声のした方に振り返った俺は、次の瞬間ぐりんっと首を折るような勢いで顔を背けた。背けざるをえなかった。


「終斗?」


 ……いやいやいやいや!幻覚か!?とうとう俺の雑念がよからぬ幻覚を生み出してしまったのか!?

 そうだ、きっとそうに決まってる。

 始はたしかにそこにいた。それは紛れもない現実だし、この際それはいい。

 だけど……ないだろ!始が犬耳着けてるとか、しかもツインテとか。そうさそんなあざとい景色なんて、現実に存在するわけないだろうははは思春期特有の雑念、いや妄想が見せてしまったひと時の幻影さ。

 現実時間にしておそらく3秒にも満たないであろう短時間に、脳内でそう結論付けた俺はもう一度顔を戻して始を視界に入れた。

 ……うん、いつも通りだ。水晶のように澄んだ瞳も、もちもちと柔らかそうな頬も、俺の胸辺りまでしかない身長も、ぴょこんと飛び出た短めのツインテールも、こげ茶色の犬耳に尻尾に手袋も……


 ――ああもう狙ってるのか!?あざと可愛いなチクショウ!


 なんて、言えるわけないので。


「……いや、気にするな。少し首の運動をだな……それで、どうしたんだ?」


 気合で顔面表情筋を抑えて普段どおりを装い、始に尋ねた。俺自身よく頑張ったと思うので、誰か褒めてほしい。

 俺の様子がおかしいせいかそれまできょとんとした表情で俺を見つめていた始だったが、俺の言葉に納得していつもの明るい笑顔を見せた。

 ちなみに些細な話だが、始と俺の身長差はおおよそ30cmほど。つまり始は俺と話すとき、基本的に見上げる形になるわけだが……男だったときも含めて少し前までの始は身長差が悔しいのかこう、ぐいっと顔を思い切り上げてどこか対抗するように、真っ直ぐこちらを見つめてきていた。が、ここしばらくの始はあまり無理に顔を上げず、そっと目線だけを上げて見つめる……いわゆる上目遣いでよくこちらを見てくるのだ。今も含めて。

 多分、始が最近変わってきたその一環だとは思うのだがそれにしたってなんというか、心臓に悪い。……些細な話だがな!

 一人苦悩する俺の内心も露知らず、始は上目遣いでこちらを見上げつつ尋ねてきた。


「あ、うん。あのさ……今日、終斗っていつから休憩なんだ?」

「休憩? ああ、午前中はずっと接客やってるけど……1時からなら今のところ暇だな」

「そ、そっか! それじゃあさ、その……俺もそのとき休憩取るから、一緒に回ろうよ!」


 おっと、そういうことか。

 ……実を言うと、俺も始と一緒に回ろうと考えていなかったわけではない。むしろ真っ先に考えていた、なにせ親友なのだからむしろ考えない理由がない。

 だがここ最近の俺は、ぼろを出し過ぎている。正直、まだ『俺のやりたいこと』すら分からない状態で文化祭なんて一緒に回ったら、うっかりなにを言ってしまうか分からない。

 そう思った結果、誘うのを断念したが……そうか、よく考えてみれば始の方は俺と違って躊躇なく誘えるよな。あいつにとって俺は親友なんだし。なんて考えると若干悲しくなってしまうが、しかしどうしたものか……。

 始を見ると、水晶に反射した日の光のようにその瞳にキラキラと輝く光が幻視できた。ああ、ものすごく期待されてる……。

 少しだけ考えたあと、俺は答えを決めて口を開いた。


「……そうだな。休憩が合わせられるなら一緒に行くか」

「うん! 行こう行こう!」


 始が瞳だけでなく顔全体を輝かせて喜びを露にした。

 ……こういうとこで断れない辺り、俺はやっぱり中途半端なヘタレなんだろうな。

 内心で自嘲するも、一方でもう1時を楽しみにしている自分がいるのを自覚した。なんだかんだ言っても、始と文化祭を回るのが今『俺のやりたいこと』なんだろう。

 この気持ちが親友と一緒に祭りを楽しめる喜びなのか、それとも惚れた女子と祭りを回れるという嬉しさなのか。なんてことがつい頭を過ぎってしまうが、どちらにせよ腹は括るしかない。

 せっかくの文化祭だ。ぼろは絶対にださないようにしつつ、始に楽しんでもらう……いや、それじゃあ意味がないな。きっと大切なのは……


「始」

「ん?」

「今日の文化祭、お互いに楽しもうな」

「……うん、もちろん!」


 俺の言葉に、始も元気よく頷いた。

 楽しむのなら二人で一緒に。始だったら、絶対そうしたいって思うから……ここ最近悩みは尽きないけれど、それはそれとして俺も今日は文化祭を精一杯楽しもう。

 俺は心の中で新たに決意を固める。一方の始は、教室にかかった時計を見て「あっ」と声を上げた。


「もう時間だ。そろそろ行かなきゃ」

「そっか、それじゃあまた1時にな」

「約束だからな! ……あ!」

「今度はどうした?」


 俺の問いに対して、始は少しためらいがちに問い返してきた。また、心臓に悪い上目遣いで。


「そういえばさ、その……こ、この仮装、似合うかな?」

「え゛」


 さっき腹を括ったはずの命綱がジェット噴射で抜けて星になる。そんな間抜けなビジョンが脳裏を過ぎった。

 俺は咄嗟に口に手を当てて悩む素振りを見せる。ちなみにこれは、うっかり口を滑らせないためでもあった。

 落ち着け、冷静になるんだ俺。そう、たかだか仮装の感想を聞かれただけじゃないか。そんなもの400字詰めの原稿用紙5枚分ぐらいに纏めて、ってだから冷静になれよ俺!多分書こうと思えば書けるけれども!

 俺はなんとか脳内で論点を整理しはじめる。とりあえず今考えるべきはひとつ、始がどんな反応を欲しがっているかだ。そこさえ的確に答えれば始も満足して、とりあえずこの場は切り抜けられるはず……!

 しかし始の反応か……たとえば"可愛い"と言って欲しい?

 ……違う気がする。ショッピングモールのときは確かにまんざらでもなさそうだったが、恥ずかしそうでもあったのだ。しかし今の始はどちらかといえばノリノリで仮装しているように見える。

 それはつまり始が好みの仮装ということで、他人からどう見えていようがとりあえず本人が恥ずかしいような、つまり可愛い系の路線だと思っていないということではないだろうか。

 そうなると、始はこのどう見ても犬にしか見えないこの仮装を、べつのなにかだと思ってるのか……はっ!

 そういえば始のクラスの出し物はたしか『ハロウィン喫茶』!普通、仮装をするなら出し物に合わせてくるはず……もしこれが『コスプレ喫茶』辺りならお手上げだったが、ハロウィン縛りだというのなら……!

 はたして俺はひとつの結論を、始に突きつけた。始が喜んで仮想するような、ポピュラーで迫力に溢れたモンスターの名を。


「ああ、似合ってるな――その、"狼男"の仮装」

「ふふん、正確には狼女だけどさすが終斗。見る目があるな! たまにはこういう"ワイルド"な格好も似合うだろ!」

「……ああ、そうだな」


 たしかwildワイルドとは"荒々しい"や"野生"といった意味を持つはずだが、始にそれが当てはまるのならきっとサバンナには小動物しかいない。

 ……なんにせよ本人が満足してるならいいか。俺だって満足してるしそういう意味ではwinwinだ。うん、俺は悪くない。

 そして満足した始は「1時だからな! 約束だからな! 絶対だからな!」と念に念を押した上からさらに念を被せたような言葉を言い残して、教室へと帰っていった。……本人いわく"狼女"の尻尾を振りながら。

 可愛らしくひょこひょこ揺れる子犬……じゃなくて狼の尻尾を見送りながら、つい俺は呟いてしまった。


「今日持つかな、俺の精神……」


 嗚呼願わくば、なにを言われても括った腹から抜けないような鋼鉄製の紐が欲しい……。

【おまけ:1-Bの愉快な野次馬たち】


始「こ、この仮装、似合うかな?」


「ん? おい、夜鳥と話してる子って誰だ? よそのクラスだよなあの子」

「ああ、朝雛さんでしょ? たしかA組のはずだけど……よく一緒にいるみたいだし、付き合ってるって噂も聞いたけど」

「まじかよ……くそう、結構可愛いって思ったのにあの野郎、スカした顔してやることやりやがって……!」

「これが格差と言う奴か……」「爆発しろ」「滅びよ……」

「モテない男のひがみは悲しいわね。まぁむしろ、夜鳥くんに彼女がいない方がある意味おかしいのかも。かっこいいし人柄もいいし」

「ねー」「あー、やっぱ駄目かぁ」「むしろ外から見ている方が……」

「あれ? でも僕、こないだ本人に直接聞いてみたら『彼女はいない』って言ってたよ?」

「「マジで!?」」

「夜鳥くんフリーなんだ……」「でもイケメンは許さん」「朝雛さんフリーなのか……」「私女だけどどちらかと言えばあの子が欲しい」「というかなんで犬耳?」「あの子犬はどこのペットショップで買えますか」「A組の出し物に関係あるのかな」

「てかあれ何犬なんだろう……?」


「最後の質問には俺が答えよう!」


「お、お前はB組一の犬博士を自称している田中!」「自称してるだけで、実際のところはわりとニワカだという噂もある田中!」「お前ついさっき携帯でなんか調べてただろ!」

田中「文字通り問答無用! それよりもあの柔らかそうでかつほんのり尖った三角耳……そして彼女自身の幼くも愛らしい見た目から推測するに……」

「ロリコンか田中」「その解説はないわ……」「ぶっちゃけキモい」「通報したわ」

田中「お前らだってさっきまで良いとか言ってたくせに! とにかくあれは、きっと芝犬だろう。この俺が言うのだから間違いない」

「うわぁすごいしっくりきちゃった」「田中に納得させられるとか腹立つわ……」「はいはいウィキ乙」「真の神はウィキ先生だったか」

「「……でも、なんで柴犬……?」」


終斗「ああ、似合ってるな――その"狼男"の仮装」


「「お……狼!?」」

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