称号起動
気付けば倒れていた。それが何時間か何分かは分からない。僕は軽く気絶していた。自身の身体に異常は感じない。僕の意識は目の前の光景を見てすぐに覚醒した。そこには重傷を負ったベルの姿があったのだ。
「ベ......ベル......?」
ベルの足から流れる血。上半身は無傷だったが、両足に凄惨な切り傷を受けていた。もうすぐで足の細胞の断面すら見えそうな傷。なんでこんな。ベルみたいないい娘がなんでこんな目に合わなくてはならないんだ。僕の意識は一瞬、混乱する。目の前の現実を現実と認識出来ない。これも十年前の夢だろうと勝手な願望を抱き、結論を急ごうとする。
だが虚ろな表情でベルが僕の頬に手を伸ばした。その質感が何よりもこれを現実だと教えてくれる。そうだ。ケルベロスの攻撃に僕は反応すらできなかった。この十年間。両親を失って、様々な苦労をしてきた。それでももっと努力出来る機会はあった筈だ。ベルの戦闘力のランクはDからBになった。僕はEのまま。優しさが大事だと言い訳をして何も進めていなかった。僕は両親を失って、ベルまで失うというのか。この十年間何をしてきた。何を学んできた。何の為に生きてきた。自分の大切なものを守りたかった。ベルを守りたかった。ベルの手を離さないように生きていたかった。それでも僕はベルの手を離した。僕がベルを守り倒れているならまだ理解できる。だが事態はその逆だ。僕は何なんだ。僕は何の為に生まれてきたんだ。高いステータスの存在には抗えない見せしめ。僕という人間は否定されて淘汰されるしかないのか。僕には力がなかったから。
「スト......ル......? 泣いてるの......?」
僕はベルの手を握る。ベルが僕の頬に置いてくれた華奢な手を元気付けるように握る。僕達の周りには黒炎が蔓延っている。僅かの距離の先に黒い体躯も見えた。だが知ったことか。今はベルの言葉以外何も感じられない。
「ベル......僕は......君になんて謝れば......」
ベルは僕の言葉に少しだけ笑みを浮かべる。
「謝らなく......ていいんだよ......? 私としてはそこは......お礼を言って欲しい......かな」
呂律回らないようにベルが言った。足の痛みを堪えるように気丈な顔をしている。僕はなんで医療魔法を覚えなかったんだ。なんで目の前の幼馴染みのために何もしてあげられないんだ。とりあえず最低限の止血は済ませよう。僕は鞄から清潔な布を取り出し巻く。ベルは一瞬辛そうな顔をするが受け入れる。
「ベル......ありがとう......君には感謝してもしきれない......だから......」
僕はベルの望むままにそう言った。
「まだダ......メだよ......? 笑わなく......ちゃ」
ベルが指で僕の口元を無理やりに釣り上げて笑顔を作る。
「いて......てて......て......」
僕はベルが笑顔を作る時の癖をいつものように僕も受け入れる。
「ほらっ......やっと笑った......」
ベルが愉快そうに笑う。無理やりだなぁ。
「やっぱり......ベルには敵わないな......」
そうだ、だから。
「私ね......ストルと出会えて......幸せだったよ......?」
虚空を見つめるようにベルが呟く。
「ああ、僕もベルと出会えて幸せだ......!! そしてこれからもそれはずっと変わらない。これからも幸せで居続けるんだ......!!」
ベルが儚げに笑う。
「私はもうダメかもしれないけど......ストルは大丈夫だからね。いつまでも変わらないストルだったらどこでもやっていけるから」
ベルは虚ろな表情ではっきりと言った。
「そんな今際の際みたいなことを言わないでくれ......!! ベル......!! ベル......!!」
ベルの名を何度も呼ぶ。大切もの最期でも見るように、ベルは瞳をゆっくり閉じて。
「今までありがとう......ストル」
ベルは、そう言ったのだ。
「僕は......ベル......!!」
彼女の名を呼ぶ。僕は耳を澄ます。ベルの息は、ある。ベルは、まだ生きている。僕はゆっくりと彼女の身体を抱き抱える。
「僕が弱かったから、君をこんな目に合わせたんだ。やっぱり駄目だよ。変わらないままの僕じゃ君の速さには追いつけそうにない」
僕は寂しく笑って眠るベルの頬に触れる。
「グガガガガガァ!!!!!!」
生意気そうな犬が僕に吠える。十年前と同じ姿をした、同じ声をした化け物が吠える。
この腕の中にある暖かさ。失うわけにはいかない。この暖かさが僕の最愛なのだから。
僕は失敗した。戦うことを恐れていた。優しさで自分の非力を誤魔化して笑っていた。力がなくてもこの世界で生きていけると本気で信じていた。それは傲慢であり、驕りだ。
「僕が、間違っていた」
小さく呟く。忘れていた。ジャガードがケルベロスに喰われたようにこの世界は弱肉強食なのだ。強い者が弱い者を支配し征服する。そんなこの世の基本概念を忘れていた。
「優しさだけではこの世界を生きていくことなど到底不可能。そんな事も忘れていた」
僕の丸みを帯びた瞳は修羅のように細く、両親を失った時以来の絶望と悲しみを感じる。ベルの場合は猶予があった。十年は長い。その間に僕が力を得ていればこんな事は起きなかった。少なくともケルベロスの攻撃を反応出来るくらいに強くなっていれば、僕は。
「この世界で一番大切なものは力だ。ケルベロス。————お前もそう思わないか、なぁ?」
僕は歪んだ笑みでそう言った。この力を使えば平穏が消える予感がしていた。しかし今となっては平穏など求めない。僕の平穏はベルが隣にいて初めて成立する。ベルがいない平穏など僕にとって地獄と同義。もう、迷わない。僕には迷う権利すら与えられない。
僕の問いに対する問いにケルベロスからの返答はない。だがケルベロスは僕の言葉に同意するように小さく嘶き、鼻を鳴らしている。
————ああ。なんて生意気な犬なんだ。
僕は自分の力の使い方を思い出す。
「称号起動」
自身で行使した審判を下す者への制限を解除する。僕はいつだって審判を下す側だった。
「審判を下す者、起動」
力の使い方は理解している。この手に抱く幼馴染みの身体を壊さないように、優しく。
「形無武器、展開」
決して形を持たないクリア色の武器を展開する。自身の全能感を認識する。僕の目は細くなり、瞳の色は冷たく輝くように鋭く。
『審判を下す者を解除しました。容姿力以外の全ステータスの変動を確認してください』
自らに知らせるかのようにステータスが僕に告げてくる。僕はケルベロスの前にて無表情で自身のステータスを冷静に確認していた。
ストル・ポロイス
統率力 E
頭脳力 E【LOCK】
容姿力 D【LOCK】
知識力 D
戦闘力 E
【称号】審判を下す者【LOCK】
【効果】統率力、戦闘力、容姿力以外のステータスを四段階上昇 神界の武具を展開可能 統率力、戦闘力に最高ランク経験付与
【ステータス変動後】
ストル・ポロイス
統率力 S
頭脳力 A【LOCK】
容姿力 D【LOCK】
知識力 S
戦闘力 S
【称号】 審判を下す者
【効果】 統率力、戦闘力、容姿力以外のステータスを四段階上昇 神界の武具を展開可能 統率力、戦闘力に最高ランク経験付与
統率力、頭脳力、容姿力、知識力、戦闘力。左から順にランクを並べて【S、A、D、S、S】か。統率、知識、戦闘に関しては最高ランクというのは悪くない。確かに今は頭がクリアだ。身体もいつもより軽い。それに迷いがない。形無武器の使い方も理解できる。
「グガガガガガァ!!!!!」
ケルベロスが無手に見える僕を見て吠える。僕も臆さずケルベロスの瞳を無感動に見る。
ケルベロスの統率力はBランク。僕の現状での統率力は最高ランクのSランクだ。
統率力から繰り出される闘気と闘気のぶつかり合い。ケルベロスと僕の意識がぶつかる。僕の瞳とケルベロスの瞳が重なり合う。
ケルベロスは一歩、足を引いた。僕はそれを見て少しだけ微笑み、右手で剣を持つ。左手に最愛の幼馴染みを抱え、ただ剣を投げる。
クリア色の、他者からは見えない剣がケルベロスの空中に差し掛かり形を変える。
「ベルを早急に癒さなければならない。お前に時間はかけていられない。失せろ」
僕の手掌から放たれた剣は他者を穿つ。
「剣、変更。槍、起動。形無武器、遠隔操作」
淡々と僕は言葉を紡ぐ。クリア色の剣は空中で他者を貫く槍に変わる。形無武器が形を持つことはない。だからこそ型が無く、その武器が形を選ぶことはない。剣は十を超える槍に変わり、ケルベロスへ落る。
「さようなら、ケルベロス」
僕はエルを両手で抱え背後を向く。瞬間、いくつかの時間差をかけて衝撃が降り注ぐ。数十の槍が空中から全方位にケルベロスへと飛来し、貫いて、大地を抉り、大気が震える。
「グガァ! グガ! グガァ! グガァァ!! グギィ!!! グガガガガガァ!!!!!」
断片的に断末魔を上げる、やがて息絶えるケルベロスの声に少しばかりの愉快さを感じて僕は疾走する。僕の手ずからあれを殺さなくても十分だ。あれにはその手間すら惜しい。僕とあいつが元凶なんだ。僕とあの魔物は鏡のような存在だから。だからこそ死に方は無残な方が相応しい。それが弱者の死に方だ。
僕の武具に他者を癒すものはない。ベル......!!