懸念
アルセイとラグナを退けてから数日。あれから永劫隊勢力に動きはない。僕の正体が女王の手駒達にバレただけだ。アルセイの動きも掴めていない。手傷は負わせたが、それは僕の目的ではない。情報で王城勢力に負けている。僕が学園に居るうちは手出しをしてこないのだろうか。まあいい。ベルに手を出さないのならばこれ以上あいつらに関わらなくてもいいからな。
学園では噂が広がっていた。僕の所為でベルが怪我をして休学した、という噂だ。その所為で僕はAクラスの人間から陰湿な嫌がらせを受けることが多くなっていく。殴る蹴るなどの暴行こそ少ないが、大変だった。しかしそんな中で変わり者もいたんだ。
「イリス、君はどうしてこんな僕を庇ってくれるんだい?」
昼休み。イリスと二人して学園の屋上からの景色を見る。王都の景色は相変わらず変わらないままだ。
「庇うも何も私が通りかかったら、貴方が馬鹿な真似をされてるんだもの。何となくね」
銀髪の美しい少女、イリス。彼女は僕が嫌がらせを受けている時に庇ってくれることが多い。前の屋上での暴行事件のように。
「君はいいのかい? 僕の所為でベルが傷付いたことは本当なんだ。なのに」
イリスが無表情で応答する。
「貴方が望んで怪我をさせたわけじゃないのは分かるわ。貴方は優しいらしいからね」
僕はきょとんとしてイリスを見る。
「ふふっ、馬鹿な顔。ベルがいつも言ってたのよ。貴方は優しい人だって」
イリスは愉快そうにそう言った。
「僕が優しい、か。それは嬉しいな。ベルがそう言ってくれてるのなら。でも、イリスのAクラスでの立場は大丈夫なのかな」
それが心配だ。
「さあね。元々、あそこは私が選んだ場所じゃない。勝手に決められたクラスよ。私自身が選択して決めたのなら学園だって......」
イリスは俯いて言った。イリスは学園が嫌いなのだろうか。僕は学園なんてどうでもいいと思っているが、嫌いな場所ではない。
「珍しいね。イリスが俯くなんて」
「私だって思うところはあるのよ。悩みだってね」
僕は笑って言った。
「イリスには悩みなんかないと思ってた。イリスは強いから。ベルとは違う強さだけど他人に流されないイリスの強さは羨ましいよ」
イリスは僕に向かって言った。
「なら貴方も他人に流されないようにしなさい。いつまでもベルの後ろに隠れていないで成長すればいいわ。そうすればきっと」
だが、何かを言いかけてイリスはやめる。
「いいえ。これは私が言うことじゃないわ。それこそベルの仕事なのかもね」
僕は不自然なイリスに首を傾げる。
「イリス?」
「私、もう行くわ。もうすぐ授業だし」
隣だって座っていたイリスが立ち上がる。僕は屋上から立ち去ろうとするイリスに向かって言った。
「イリス、ありがとう。いつも僕のことを庇ってくれて。僕の怪我は僕の責任だけどそれでもありがたかった。ありがとうね」
僕の怪我は僕の責任だ。ベルは僕の所為で足に大きな怪我を負った。だから僕はベルの同胞であるAクラスからの洗礼には耐えなければならない。でもイリスの善意は本物だ。ならば礼を言わなければならないだろう。
「前にも言ったでしょ。礼には及ばないわ。私は貴方を助けてるわけじゃないもの」
嘘だ。イリスはこの数日で何度も庇ってくれていた。全てが偶然なんてありえない。
「それでも、ありがとう」
「馬鹿ね。礼を言う意味もないのに」
そう言い残して、少し笑ったイリスは屋上から姿を消す。あの娘には感謝しなければならないだろうな。あの娘の善意が心苦しいがベルの友達と仲良く出来たのは有意義だ。
*****
「ストル、聞いてくれ!」
放課後、学園の廊下。名前も忘れたEクラスのクラスメイトの男が僕に声をかけてきた。
「何かな?」
「俺は脅されたんだ! 従うしかなかった!」
錯乱しているクラスの男。何の話だ?
「脅された? 落ち着いて話して欲しい」
「あ、ああ。お前最近、Aクラスのイリスさんと仲が良かったよな。だからこんな」
青ざめた表情で一枚の紙を手を震わせて僕に見せる男。そこには制服をボロボロにして縄で手首を縛られている満身創痍のイリスの姿があった。イリスは無力化され倉庫のような場所で吊るされている。これは魔力で念写された画像なのだろうか。いったいどうして。
「Aクラスの奴からお前にこれを見せるように言われたんだ。場所は王都近郊のカイ埠頭の第二倉庫らしい。授業を抜け出してAクラスの何人かでこの娘を暴行したらしいって」
混乱する僕に説明してくれるクラスメイト。情報が頭に入ってきて分かりやすい。
「俺は脅されたんだ! それでストルにも来いってAクラスの奴が! 俺はお前に伝えたくなかったんだ。 仮にもお前はEクラスの仲間。でも、すまない。俺には力がなくて」
僕は首を横に振って言った。
「ううん。Aクラスの人間から脅されたら逆らえないよ。それよりありがとうね。この事を伝えてくれて。正直、かなり助かったよ」
イリスの凄惨な姿が映った画像を冷たい瞳で僕は見る。頭の熱が急激に冷めていく。僕はクラスメイトに背を向けて歩き出した。
「ストル! 行く必要はないって! 最近じゃEクラスでもお前が可哀想って感じになってきててな。イリスって娘には悪いけどこれはお前を庇ったあの娘の責任だよ。行ってもお前のステータスじゃ痛い目見るだけだって!」
僕を引き止めてくれるクラスメイト。優しいな。傷の舐め合いかもしれないが弱者にも弱者の絆があるのかもしれなかった。だが。
「それでも、行かなくちゃ。イリスがこんな目にあったのはやっぱり僕の所為だから」
たとえこれからどんな目にあってもいい。イリスがこれ以上怪我を重ねるのは許せない。
かつての言葉を思い出す。
『興が醒めちまったぜ。————お前、ベルさんと仲が良いからって調子に乗るなよ』
Aクラスのメンツから蔑まれた表情でイリスに向けられたその言葉。これはこの日のための暗示だったのかもしれない。Aクラスという優秀なクラスでありながらこの学園の最下層にいる僕を庇い続けるという理解できないその愚行。この世界のルールにおけるイリスの行動は間違っているに違いなかった。だがイリスは人として間違っていない。たとえ僕の責任でベルを傷つけたとしても。虐げられる僕を見かねてイリスは僕を助けるしかなかったのなら。何度でも礼を言おう。感謝の気持ちをイリスに抱き続けるのだ。