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VERTIGO  作者: 東 砂騎
3/4

INCIDENT-2

「どうしたんですか?」

ぼーっと誓を見下していると、不思議そうな顔で誓はこちらを見返した。

昨日の夕立で埃の落ちた空は、澄み渡っている。今日は風も少し吹いていた。

ほら、あれがうちのE787ですよ、と誓が離陸機を指差す。

格納庫の上を、徐々に高度を上げていくE787が掠めて通過する。

純白の機体。傘のようなレドームを背に生やし、エンジンを全開にして高度を上げていく。

存外に細い翼は先端に向かって僅かに捻り上げられた構造をしており、翼の後部に備わった弁のようなフラップが今は下向きに傾いていた。

翼の周囲を流れる空気がフラップに当たって下向きに流れることにより、機体を上昇させるのだ。

頭上では、着陸するために飛行場の周囲を旋回しながら降下するラプターの2機編隊が、太陽を横切った。

検査が終わって後ろに荷物を積み込む誓は、それを一瞬無言で見つめていた。

「これで全部?」

「全部ー」

あやめと言葉を交わし、誓は後ろのカーゴドアを閉める。

その表情には翳りも負い目もない。

なるべく誓を見ないようにしながら、佐久はアコード海兵隊号の後部座席に乗り込んだ。

腕を組み、サングラスを掛ける。

表情から心を悟られそうな気がした。後ろめたさは、大きくなる。

無事検査が終わって帰るはずなのに、どこかに病巣があるような気分だった。

何事もなかったかのように振舞う誓の、仮面の下にあるものを知ってしまった今となっては、知らなければよかったと思っても遅い。

佐久の立ち入る問題ではないことは、重々承知していた。

ただ、どうしようもなく、腹が立った。

力なきものは死に、あるいは不運なものが弾に当たる。

最後の一線で、計算しきれない確率だけが生死を左右する。

それが戦場の真理だったとしても、その横暴を許容できるほどに達観しているとは思えなかった。

少佐の幻影に縋り、過去に囚われて生きている。


誓を憎めばいいのか、もう分からない。


佐久は黒部大尉の死を、誓は守谷少佐の死を基点に生きている。

同じ弱さを抱え、互いに拒絶し、傷つけあいながらも、同じが故に引き合っている。

誓が憎いのは、誓を通して自分の弱点を見せられるからだった。

それでも憎みきれないのは、共通を見つけることで親しみを抱くのが人間だからだ。

誓で自らの価値を量る姑息。そして黒部大尉の命に見合うことの出来ない怒りと無力。

鏡に向かって拳を振るい続けることにさえ、気付かないふりをしていた。

自らが正誤を定めなければ、何もかもの感覚を逸失してしまう切迫感。

――一体、どれほど誓に自分を投影していたのだろう。

誓はただの誓で、フリオペであり、脅威でも怪物でもない。

佐久は、自らの弱さを恥じていた。




「ターゲット・ポジション、3マイル・ノース、ヘディング・030」

(目標位置3海里北方向、磁方位30度)

誓の指示はいつもどおり平坦だ。

残照が山の尾根をほんのりと朱に染めている。空の裾に熾き火が僅かに燻っていた。

もうじきそれも、濃い空の青と、それに連なる闇に消されてしまうだろう。

先ほどまで夕焼けに縁取られていた機体も、今は宵闇に溶け込んでいる。

模擬緊急信号の発された地点へと、佐久は地面スレスレで飛んでいた。コンバット・レスキューと呼ばれる、敵勢力下での救出活動の訓練だ。

アパッチ自身のレーダーによる視界と、衛星から送られたデータを合成し、佐久の視界は昼間と変わらない。

開闊地に生えた疎らな草さえ、はっきりと見ることができる。

地上2メートルは、通常のパイロットの視界からすれば恐怖感さえ覚えるかもしれない。

機体の後ろを、巻き上がる砂煙が追いかける。

佐久は、設定されたクラッシュ・サイトへ矢のように飛んでいく。

上空から戦場を監視する無人偵察機、グローバル・ホークからの情報が逐次送られてきた。

墜落したと設定されているのは、汎用ヘリ、UH―60ブラックホークだ。

実際にはそこに着陸してあるのだが、その傍にきちんと訓練用の資材が準備されている。

潰れた機体からの救出、そして離脱までもを想定していた。

現在は先行の海兵隊員が、設置された機体の中から要救助者を救助している真っ最中だ。

複雑な工作機械と、地表を動く生者の影が中継されてくる。

隠れる場所のない平地が広がる。それをカバーするために、エイワックスからの妨害電波で敵のレーダーは無効化されていた。

ただしそれも、当然時間制限がある。対抗手段はいくらでもあった。簡単なのは、エイワックスを撃墜してしまうことだ。

佐久は目前に突き刺さるように迫る丘を飛び越え、木々の間を縫う。

機体の鼻先に据えられた赤外線暗視装置から送られてくる映像は、コンマ01秒以内に佐久の視覚に処理される。

コックピットには灯りはないが、慣れ親しんだ感覚で主要機材の操作を行うことが出来た。

左右の手にそれぞれ握った操縦桿も、足を置いているペダルも、どこまでが体でどこからが機体なのか、闇の中で境界を失っている。

闇の中を、アパッチは切り裂いて戦場へ接近する。

通常であれば点灯される、衝突防止灯や右舷灯左舷灯、尾灯など、一切の灯りは消えていた。

本当の影。

戦場が見えているのは、佐久と誓だけだ。

早くもクラッシュ・サイト周辺に集まってきた敵勢力の情報を、誓は転送してくる。

交信の量が少ないのは、何かを要求する前に誓が必要なことを大概済ませているからだ。

映像を開くと、歩兵を乗せた装甲車が、こちらへ接近していた。

土手をスレスレで昇りつめると、目の前に赤外線ビーコンの点滅が現れる。

敵味方の間の真空地帯、散開した海兵隊員が四周を警戒している輪の中で、ヘリの救助活動が行われていた。

要救助者がマーキングの為に使用する赤外線ビーコンの光は、灰色の濃淡で再現された視界の中で眩しいほど白い。

この距離では幻惑されそうになり、救援部隊の周波数に呼びかける。

「ドロシーへアロー89、視認した。ビーコンを停めてくれ」

「こちらドロシー、了解した」

救援部隊のコールサインはドロシーだが、答えたのは野太いおっさんの声だった。

一瞬がっかりするが、次の瞬間にはそんなことも忘れてしまう。

ビーコンの赤外線の光も止み、佐久は接近してくる装甲車を潰しにかかる。

救援部隊を、装甲車の機関銃の射程圏内に入れるわけにはいかない。

ミサイルと機関銃では過不足がある。佐久は左右に設置されたロケット弾を選択した。

誘導能力はないが、5キロの距離ではこれで十分だろう。

少し高度を上げると、ロケット弾用の照準を呼び出す。

物理の法則に従い、弾丸と同じ飛行をするロケット砲の射撃。

勿論、代わりに出るのはレーザーの照射だが、実際に食らえば装甲車は爆発炎上する。

瞬く間に射程内に距離をつめると、佐久は一気に牙を剥いた。

たちまち破壊判定が出て、ターゲットが白い縁でマーキングされる。

ブレードの端が地面を削りそうなほどに機体を傾け、旋回する。夏草が、ブレードの切っ先に触れて粉砕された。ほぼ地面が真横を流れていく。

アパッチは舞い上がり、クラッシュ・サイトの周囲を周回する。

攻撃ヘリが進出した以上、敵はうかつな手出しが出来ないだろう。

更に誓の目は、佐久機のレーダーの範囲外を見通している。敵戦闘機の侵出に対する警戒でもあった。

見下ろすと、挟まったダミー人形を、工兵がカッターで救出しようとしている。

救出活動は長くなる。張り詰めすぎていては神経が続かない。

佐久は、ある程度力を抜いて構えるようにした。

更に別のエリアを監視する、グローバル・ホークも活動している。

時折接近してくるエリア内の装甲車を撃破しながら、その救出が完了するのをじりじりと待った。

彼らが、命を救うものたちなのだ。必ず守り抜かなければならない。

刻々と更新されて行く敵の情報に、とりあえずの不安要素はなかった。

やけにゆっくりと過ぎる時間。口の中が乾き、血液が神経を擦る。気温の低下に伴い、発生した下降気流を操縦に感じた。

工兵は最後の救出を終え、ヘリコプターの爆破処理準備が始まった。

この後は車両に乗り込み、やや後方に待機する輸送ヘリCH―47に乗り込む手筈となっている。それまで敵を抑えるのが役目だ。

夜の闇は、どこまでも地上を包む。ふと見上げた漆黒の空には、星がポツポツと輝いていた。

もちろん実際には行われない爆破処理が完了した旨が無線機に入電し、佐久は無線機の空押しノイズで了解を送る。

数キロ離れたヘリコプターに向けて離脱する幌トラックの後方を守りながら、佐久はやや高度を上げた。見通した地平線の向こう、訓練空域の果て、地平線沿いに都市の光が密集している。

現実と想定は断絶していた。空の裾を明るませる街は、いのちのいとなみを続けている。

絶え間なく索敵を続けるレーダーに神経を集中し、佐久はその地平から目を逸らした。

数分し、輸送ヘリに救援部隊が回収されたことが報告される。大型の輸送ヘリのハッチに、救援部隊を乗せた車両が丸々収容される様子が転送されてくる。

残る危険は、離陸前後だった。輸送ヘリ上空を旋回し、周囲に存在するかもしれない遊撃兵を警戒する。

レーダーの電波で周囲の疎林を浚い、脅威の可能性を排除していく。着陸中もブレードを回し続けていた輸送ヘリは、ハッチを閉じて部隊を収容すると、直ちに離陸準備に移った。その巨体が土煙を撒いてやがて地上を離れ、味方の地域へと飛んでいく。

「アロー・エイト・ナイナー、ディス・イズ・マーシー・トゥー・ワン」

(アロー89へ、こちらマーシー21)

輸送ヘリからの交信が入る。

「ゴー・アヘッド」

どうぞ、と送信した佐久に、輸送ヘリのパイロットが吹き込む。

「ナウ、スタート・アプローチング・ランディング・エリア・フォー・インディビジュアル・ランディング。センキュー・フォー・エスコート」

(現在、単独での着陸のため、着陸地域への進入を開始。掩直ありがとう)

その声はベテランのものだった。ユア・ウェルカムと返すと、空電で返事が返ってくる。

輸送ヘリから離脱した佐久は、着陸地域が空くまで夜空を旋回した。そして、ふと地平の遠く、世界の向こうを探した。



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