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08 : なにをされてもいいと、思った。

*ヒヨリ(ヒョーリ)視点です。





 この四年で通い慣れた道は、ヒヨリにとって思い出も深い。他国から嫁いできたヒヨリは、どこへ行くのにも初めのうちはレンの後ろを歩き、或いは家宰ドゥーグの後ろを歩いた。道に迷わない、なんてことはなかった。ひとりになりたくて邸を飛び出しても、いつも迷子になって、最後はレンに見つけてもらっていた。

 この道は、ロイス翁の家へと向かう道は、最初に覚えた道だ。


「じいさん」

「おう、若奥さまか」

「……おれは男だ」

「なんだ、またひとりか。レンに愛想を尽かされたのか?」

「そしてなんでそうなる」


 闊達とした老爺は、ロイス・デファンという。ロイス翁と呼び慕われ、若い頃はさぞや浮名を流したであろう好々爺だ。相当な歳だと聞いているが、そんなことなど微塵も感じさせない隆々とした筋肉は、若い頃に騎士団に所属していたがゆえの名残だと聞く。今でも身体を鍛えているから、年齢を感じさせないのはそのせいだ。


「レンはあんたが苦手なんだ。知っているだろう」

「わしは大好きだがなぁ」

「はた迷惑な愛情だろうな……」

「乳は大きくなったか?」

「おれにそれを訊くか。そんなだからレンはあんたが苦手なんだよ。レンがそういう会話、不得手だってわかってんだろ」

「いい尻をしとるのになぁ」

「ひとの話を聞け。そしておれの妻をそんな目で見るな」

「おまえさんもそう思っとるくせに」

「ぬ……」

「昨夜はたっぷり楽しんだか?」


 にまぁ、と人の悪い笑みを浮かべるロイス翁に、ひどく顔が引き攣る。

 どうしておれはこの変態爺の家路までの道を真っ先に覚えたのだろう。

 いや、覚える必要があった。

 この変態爺は、レンを、レンに育てた御仁でもある。それだけでなく、レンの話によれば、レンと同じく「影」と称される騎士だったという。それはヒヨリを、ひどく臆病にさせていた。


「レンは、おれのものだ。あんたにレンのことでなにか話す義理はない」

「あれはわしの孫みたいなものだぞ、ひとり占めするでない」

「誰があんたに渡すかよ」


 たとえばもし、レンがヒヨリから離れるとして、それはあり得ないことだとヒヨリは断言できる。けれどもロイス翁なら、それができる。実の両親よりも親らしくレンを育てたロイス翁を、レンは性格的なものを苦手にしているけれども、尊敬しているのだ。


「うむ、日々成長しておるな、ヒョーリよ」


 満足したように笑い直したロイス翁を、ヒヨリは油断なく睨む。不機嫌そうな顔をしていると常から言われるので、睨んでもロイス翁には無意味であるが、食えないロイス翁の思考に対しては警戒を解けない。


「して、今日はなんの用だ?」

「あんたに頼んでた魔具、そろそろ手に入った頃だろ」

「ああ、あれか。ついさっき、届いたところだな」


 ヒヨリが訪問した理由などわかっているだろうに、出し惜しみして問答をさせたことには腹が立つ。ここにレンがいなくて本当によかった。もしいたら、意外と真面目なレンはロイス翁の下世話な言葉にぶっ倒れていただろう。いや、倒れるだけで済むならいいが、通り越して剣を抜きかねない。そうして遊ばれながら鍛えられたのだと、レンが知ったらどうなるだろう。やはりロイス翁に剣を向け、やはり遊ばれるかもしれない。レンが気づくより早くそれに気づいたヒヨリではあるが、気づかせないほうが身のためだろう。あまりにもレンが可哀想だ。


「ほれ、鳴法石に拮抗する鳴魔石だ。加工はしとらんから、あとは自分でどうにかしろ」


 一度背後の家に入り、そうして持ってきた鳴魔石という魔石を、無造作に放り投げられる。馬上にあったヒヨリは、少々身体の均衡を崩しながらも、落とさずにどうにか受け止めた。


「加工まで頼んだだろうが」

「する前におまえさんが来たんだ。おまえさんがどうにかするんだな。ほれ、銀もくれてやる」


 あとから銀の、そちらはすでに加工された細い鎖を、やはり無造作に放り投げられてさすがに慌てる。危うく落とすところだった。


「乱暴に扱うなっ」

「相変わらずおまえさんは身体能力に欠けるなぁ」

「うるせえ」


 細い鎖は、手のひらほどの大きさである鳴魔石と比べ、頼りない。質量的にもそうだが、耐久性も鳴魔石のほうが勝る。それでも、装飾としての役割を果たせるのは銀でできた細い鎖だけで、金では値段が跳ね上がる。いろいろと加味すれば、とりあえず鳴魔石は耐久性があるのだから、細い鎖は壊れたらまた用意するしかないだろう。


「……銀って、どこまで行けば手に入る?」

「そうだなぁ……王都の宝飾店であれば最速で手に入るだろう。加工もしてくれるからな。塊であればセザンドス商会か。加工する前であれば安くも手に入る」


 その商会に都合をつけてくれ、と言おうとして、これくらいなら領主としての権限を使えるか、と考え直した。


「ところでの、ヒョーリよ」


 鳴魔石と銀の鎖を大切に懐にしまうと、さっさとレンを追いかけようとしたヒヨリを、ロイス翁がやけに真面目な声で呼び止めた。


「なんだ」


 振り向けば、表情を引き締めたロイス翁が、目線はヒヨリを捉えているのになにか別のものを見ているような顔をしていた。


「……うむ、消えたな」

「は?」


 ヒヨリを見ながらヒヨリを見ず、少しの間だけ黙したロイス翁は、顎に蓄えている白髭を撫でながら小首を傾げる。なにかの気配をヒヨリから感じたらしいのだが、それが消えたとのことだ。


「気配って……」

「ふむ。おまえさんとレンが別行動しておるのは、おまえさんのその様子から察するに、尾行を撒くためではなかったようだな」


 ロイス翁の言っていることがよくわからなくて、しかし急激に霧が晴れていくように、ヒヨリはハッとする。


「レン……っ」


 まさか、まさか、まさか、と言葉が脳裏に木霊する。

 馬の手綱を引くと、急いで身を翻し、鐙を蹴った。


「昨日の今日だぞ! おれたちがふたりで出かけると、どこからその情報を入手したというんだ!」


 いったいいつから見張られていたというのか。

 気づけなかった自分に腹が立って、怒鳴りながら馬を走らせる。ヒヨリの雰囲気を察してか、馬は相応の要求に応えて思い切り走ってくれた。

 それでも、間に合うかどうか、わからない。

 レンは強い。六年前の戦争に大きく貢献した、英雄的騎士だ。屈強な男でも、レンを前にしてその莫大な魔力に負ける。レンの強さが魔力の大きさと言えるかもしれない。それくらい自然に、レンは魔力を使う。そこに剣才が加わるから、レンは「ヴァントルテが戦神」などという呼び名がついた。

 レンは気づいていただろう。自分たちを見張り、尾行し、機会を窺っていた者たちの気配に。

 ヒヨリはまったく気づかなかった。慣れていないのだから仕方ないと言われてしまえばそれで終いだが、レンが持ち帰ってきた噂でしかない話を聞いていたのだ。警戒を怠ってはならなかった。


「くそっ……こういうときおれの名は不便でならないな!」


 癪に触ってさらに怒鳴れば、背後から馬の駆けてくる音が重なる。


「これこれ、わしを置いて行くな。寂しいだろうが」


 急激に動き出したヒヨリを、ロイス翁は追いかけてきたようだ。相当な歳だというのに、それをまったく感じさせない、まったく見事な馬術だ。全力で来た道を戻っているヒヨリの馬に、あっというまに追いついて見せたロイス翁の腕前は、若い時分から劣ることを知らないらしい。


「あんたと言葉遊びする余力はねえ!」


 ふだんなら飛び出てこない乱雑な言葉が、勝手に出てくる。町で面白半分に覚えた口調がここまで根づいたのは、偏にヒヨリの性格がおとなしくいられないものだからだろう。


「おぉおぉ、口が悪いのう。顔と一致せんからやめんか」

「こんなときまであんたに対して猫被る必要があんのか、ねえだろ!」

「まあそれもそうだな。しかし、レンのためには必要なことであろう」


 ヒヨリはわりと必死に馬を走らせている。だのに、ロイス翁は飄々と、軽口を叩けるくらいには余裕そうに馬を操り、ついにはヒヨリと並走した。年寄りのくせにその腕は羨ましいくらい達者である。


「なにをそんなに焦る、ヒョーリよ。どんな輩であろうと、レンが相手だぞ。レンに敵う人間が、この北大陸におるとは思えん」


 そうだ、いつもならこんなに、焦らない。レンが強いことを知っているから、戦闘において役に立たないヒヨリが駆けつけたところで、邪魔にしかならないと理解している。


 けれども。


「今日のあいつは鎧を身につけてねぇんだよ!」

「! なんと……それはちと、厄介であるな」


 レンは本当に強い。六年前の戦争に対する功績は、誰もが嘘ではないと知っている。どんなことがあっても、レンなら対処できると皆が知っている。

 だがそんな中で一つだけ、レンでも対処できないことがある。


「意外だな。鳴魔石が欲しいと言われたときにも思ったことだが、おまえさん、やはり知っておるのか」

「レンの鎧に特殊な処理が施されているのは、見ればすぐにわかった。あと、あれだけ四六時中、鎧を脱がない姿を見ていれば、疑問にくらい思うだろ」


 レンは、それがまるで象徴か特徴かのように、常に鎧に身を包んでいる騎士だ。ヒヨリの前でも、婚姻が完全に結ばれるまでは、鎧を脱ぐことさえなかった。鎧のせいで体重が倍増されているレンに抱きつかれて、いったいどれほど潰されたことか。少しずつ鎧を身にまとわない姿をヒヨリに見せるようになって、ついにはヒヨリの前で乱雑に脱ぎ捨てるようになったのは、じつのところここ一年くらいのことだった。レンの鎧に特殊な処理が施されていると知ったのも、ちょうど一年ほど前のことになる。


「鎧はどうした」

「修理に出している。今日の帰りに、受け取りに行く予定だった」

「あれは一点ものだからのう……それで原型の鳴魔石か」

「あいつは自分の魔力と剣の腕を過信しすぎだ。鎧のほかに鳴法石に拮抗する鳴魔石がないって、どういうことだ。あんた、なんで持たせなかったんだよ」

「それを知っとるのが、ごく少数だからだよ。戦場においては、鎧を脱ぐなど自殺行為に等しい。男のなかに女が混じっとるのだからな」

「レンの女の部分を隠すために、常に鎧を身にまとわせていたから、だから鎧だけで充分だと判断したのか。知っている者も少ないから、レンの魔力と剣の腕であれば、危険もないと考えたのか。軽率な!」


 湧き上がった苛立ちを、そのままロイス翁にぶつければ、唇を気障ったらしく歪めたロイス翁は馬上で器用に肩を竦めた。


「王陛下はおまえさんに言わなかったか」

「なにを」

「レンドルアを、ただのレンという小娘にしたのは、おまえだ」

「はあ?」


 意味深な言葉だ。

 だが、確かにレンは、ヒヨリの前ではただの少女になる。武将ではいられなくなる。そうしたのはほかでもない、ヒヨリだった。


「誰もが、レンドルアは『影』のまま生きるのだと、思っておったわい。婚姻などは建前だ。レンドルアだからな」

「……意味がわからん」

「おまえさんのことだから、レンから聞いておるだろう。いや、レンは言ったはずだ。ここまでおまえさんを、好いたのだからな。なにより、おまえさんは嫁いできてから一度も、レンをレンドルアと呼ばんのだから」


 いつもの揶揄するような笑い方ではなく、仕方ないな、という苦笑がロイス翁の顔に広がる。


「……本物のアレクノ=レンドルア・エクトシアのことなら、聞いた」

「そうだろうのう。そうでなくば、今頃おまえさんがレンのために走っておることもない」

「レンはレンだ。おれのレンは、あんたらが言うレン……レンドルアではない」

「そうだ。だからわしらは、レンドルアは『影』のまま生きるのだと、思ったんだよ」


 わしのような「影」とは違う「影」として。と、ロイス翁は苦笑に少しだけ悲しみを滲ませた。


「おまえさんと出逢って、レンドルアはレンという小娘になった。わしは、それを喜んでよいのか、正直わからん」

「あんたがどう思おうが、おれの知ったことではない」

「だが、そのせいで、あれは鎧の存在を忘れたのだろう?」

「それは……」

「わしらはレンドルアが『影』のまま生きると思っておったのだ。だから鎧しか、あれには必要なかったのだ」


 責められているのか、そうでないのか、よくわからないまま馬はどんどん道を戻っていく。あと少しでレンと別れた地点だ。


「あんたはレンをどうしたかったんだ、ロイス翁。おれに出逢わせなければよかったと、今さら言うのか」

「いや、変化することは好ましい。あれはレンドルアであってレンドルアではないからのう。だが……『影』のレンドルアが必要であることも、確かなのだ」

「あんたらがレンになにを求めようが、それはあんたらの勝手だ。ただ、それをおれにまで求めるのは、お門違いってやつだろ。おれはレンの夫だ。あんたらとは立場が違う」


 走る馬の歩調を調整しながら、ヒヨリは変わらずロイス翁を睨んでいたが、ロイス翁の表情もまた変わらない。

 後悔しているのだろうか、と思った。

 レンをレンにした己れを、悔いることなどあったのだろうかと思った。


「のう、ヒョーリよ」

「……なんだ」

「おまえさん、あれが好きか」

「は……はあ?」

「レンは、レンドルアとしても生きねばならん。おまえさんはそれを知っておる。知ってなお、あれを妻だと言う。あれが好きか、ヒョーリ」


 なにを突然、と怪訝に思いながらも、ヒヨリは素直な気持ちを舌に乗せ、言葉にする。


「レンはおれのものだ。おれがレンのものなんじゃない。レンが、おれのものなんだ」


 先に惚れたのはレンだ。レンが先に、ヒヨリが欲しいと言った。ヒヨリでなければいやだと泣いた。ヒヨリはそれを利用し、上手いこと祖国を出た。レンを利用したことに後悔はない。


「ヴァントルテが戦神レンドルアは、確かにあんたらのものだろうがな。おれのレンは、戦神でもレンドルアでもない。ただの、レンだ」


 あれはおれのものだ、という確固たるものが、ヒヨリのなかにある。レンにならなにをしてもいい、という意味ではない。レンになら、なにをされてもいいと、ヒヨリが思ったからだ。

 けっきょくのところ、先に惚れたのはレンだろうが、それに負けず劣らず、ヒヨリもレンに惚れたのだ。出逢い頭にあのとき、名を呼ばれたその瞬間に、レンにならなにを奪われてもいいと思ったのだから。


「ふむ……ではわしらは、それを静かに、見守るしかなかろう」


 クッと咽喉で笑ったロイス翁は、馬の速度を上げると睨み続けるヒヨリを追い越して行った。

 どうやら、この話は終わりらしい。

 言いたいこと、聞きたいことを、すべて言わせて聞いたのだろう。それが満足のいくものであったかは別として、収穫はあったに違いない。

 この焦っているときになんたってこんな話を、と思いながら、ヒヨリは手綱を握り直してレンを捜すべく視線を彷徨わせた。







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