04 : 小さな体に鎧。
*『01:これは愛だから。』のヒヨリ視点、内容は少々飛ばしてありますが、ヒヨリが考えていたことです。
レンのヴァントルテでの地位は、総騎士団第三部隊長であり、ヒヨリと婚姻を結んでからは公爵だ。公爵領の管理は先代の頃から仕えてくれている家宰と、祖国ではそれなりに優秀だった文官のヒヨリに任せられている。最近では家宰よりもヒヨリのほうが公爵領の管理に忙しく、家宰はヒヨリを立てて補佐に徹していた。
「奥さま、昼過ぎには若さまがお帰りになるそうです」
「ドゥーグ、いつも言っているが、おれはレンの夫だ」
「そうですね、奥さま」
「正しい敬称を使うべきだ」
「わたくしは正しく使っております、奥さま」
ヒヨリの、アレクノ公爵家においての名称は、祖国イファラントにいた頃は「ヒョーリさま」であったが、今では「奥さま」だ。どんなに違うと言っても、性別を無視してくれるヴァントルテの国の者たちは、ヒヨリを「奥さま」と呼び、レンを「若さま」や「旦那さま」と呼ぶ。レンが、ヒヨリを「わたしの妻」と言って憚らないためだ。ヒヨリもたまにノリで自分を「妻」と称するが、それでも未だ抵抗を続けているのは、どうしても違和感が拭えないからだった。
「おれは男なんだが……」
旦那や奥が性別を現わす言葉でないことは知っているが、定着してしまっている概念があるために、そう呼ばれることに抵抗を感じてしまうのは、男としての矜持だろう。一度でいいから「旦那さま」とふつうに呼ばれたい、或いはだまって「ヒョーリ」でいい、と思うヒヨリである。
「そんなに、おれの名前は、呼びにくいのか」
「大変失礼なことではありますが、奥さまのお名前は、とても発音が難しいのです」
「レンは一発でおれの名を発音したぞ」
「若さまですから」
ヒヨリは自分の名前があまり好きではない。祖国ではまともに呼ばれたことのない名だ。ここに来てもそれは変わらない。まともに呼べない名をつけた両親をたまに恨みがましく思うが、両親はそのことがヒヨリを護るのだと言っていた。事実、護られていたと思う。ヒヨリはこの名前のおかげで、祖国で生きていられた。
「守護結界……ね。レンが規格外なだけか」
「はい?」
「いや、なんでもない。レンが昼過ぎに帰ってくるって?」
「はい。東の燻りは、若さまのご活躍により、鎮静化されたようです」
「レンに怪我は?」
「ございません」
「無事か……ならいい」
ほっと、息をつく。
レンが怪我をするようなことは滅多に起きないが、起きたらそれは事件だ。レンは身体強化の魔術を常時展開させているような魔力バカであるが、この魔術を展開させていないときは軟弱なヒヨリよりも非力になる。そのことを知ったのは偶然であったが、今では知っておいてよかったと思う。レンの魔力は確かに強大で、その剣才も天性のものであるが、それがレンのせいいっぱいの虚勢であると、ヒヨリは知っていた。
ヒヨリが知るアレクノ=レンドルア・エクトシアという娘は、本当ならどこにでもいるような娘で、けれどもそうではいられなくなった女騎士だ。
「随分と、時間がかかったな。一月か」
「六年前の戦争は、今もなお、この北大陸を蝕んでいます。嘆かわしいことです。太平の世は、いったいいつ訪れてくれるのでしょうな」
はあ、とため息をついた家宰ドゥーグに、ヒヨリも同じく重い息をつく。
六年前の、北大陸全土に及んだ戦争は、今もなお小さいながら燻ぶりがある。レンの、そのほとんどの任務が、この六年前の戦争に関わるものだ。信じたくはないが、レンの初陣は六年前の戦争介入時で、それからのつき合いである。虚勢を張るしかない娘となったのも、仕方のないことかもしれない。
「……なんで、レンなんだろうな」
「若さまほどのお力を持つ魔術師も、騎士も、おりませぬゆえ」
圧倒的な武力の差、とでも言うのだろうか。女の身でありながらその弱さも見せず戦い、誰よりも勇敢な姿を見せるレンは、このヴァントルテにおいて英雄的であり、いっぽうでその力はバケモノ扱いされている。六年前の戦争の事後処理にばかり走り回るのは、当然だった。
「レンは、ふつうに、少女でいたかっただろうに……」
手元の書類に目を通しながら、しかし、と思う。
レンが武将でなければ、ヒヨリは今ここにいることもなく、祖国からも出られなかった。レンとの出逢いは、ヒヨリには必要なものだった。
「若さまは……レンさまは、あなたさまとご一緒のときは、ふつうの少女に戻られておりますよ」
ハッとヒヨリが顔を上げると、ドゥーグは顔の皺を増やして微笑んでいた。
「レンさまは、あなたさまとおられるときだけは、とても、とても幸せそうです。わたくしはそれが嬉しゅうございます」
「……おれはレンの救いになっているか」
「救いなどではございません。幸福です。あなたさまはレンさまに、幸福をお与えになれる唯ひとりのお方でございます」
レンの救いになるために、レンに嫁いできたわけではない。打算があって、祖国を出るために利用した。だが、支えになるつもりではいたけれども、今ではその頃の思惑がよくわからない。
ヒヨリは、レンと出逢うために、あの国であの場所にいたのかもしれない。
そう思うようになっている自分に、ヒヨリは驚いていた。
「……レンが、帰ってくる。仕事を切り上げたいが、いいか?」
「そうおっしゃってくださるだろうと思っておりましたので、数日前から予定は調整しております。午後からごゆるりとお過ごしくださいませ」
「ありがとう、ドゥーグ」
必要書類はさっと片づけてしまうと、一時間後には手が自由になり、そのさらに一時間後、読書をしながら気を紛らわせていたところに、レンは遠征から帰ってきた。
「ヒヨリ! ただいま!」
輝かんばかりの笑顔に、目を細める。素直になれず開口一番から悪態をついてしまったけれども、逢いたかった、逢えて嬉しいと、全身で訴えてくる小さな体を抱きとめたとき、心から安堵した。怪我がないという報告に嘘はなかった。
「またしばらく一緒にいられるから、毎日一緒に楽しく過ごそうな」
「しばらく続く騒々しさにおれはうんざりするがな」
「ヒヨリの邪魔はしない。だってヒヨリの本読んでる姿……すっごいかっこいいからな!」
「はいはい。わかったから離れてくれ」
「いやだ! 一月も離れ離れだったんだ、同じくらいくっついてる!」
「おまえはおれを殺す気か。というか、苦しい、本気で苦しいから離れろ」
小さな体を、精いっぱいの虚勢で固める鎧は、レンの心そのものだと思う。ヒヨリの目の前で、大切なその鎧を乱雑に扱うのは、ヒヨリにどれだけ心を曝け出しているか、ということの証明にほかならない。あとで侍女に怒られることだが、こうしてヒヨリの目の前で身を固めている殻を脱ぎ捨てていくレンの姿を見るのが、ヒヨリは実は好きだった。可愛い、と思う瞬間でもある。汗臭さも気にしないところなど、淑女たるものは、と説教をする侍女シュナにはわからないだろうが、ヒヨリも気にはならない。
レンはただ、ヒヨリの目の前で、すべてを曝け出して身を委ねてくれている。ヒヨリだから、すべてを預けてくれる。
この喜びを与えてくれるレンを、ヒヨリはいとしいと、想うのだ。
「大好きだぞ、ヒヨリ!」
「はいはい」
ヒヨリは訊かれてもなかなか答えないが、訊かれることもまずないのは、レンが真っ先に言うからだ。
好きだ、と。
いとしい、と。
全身でまず訴えてくるから、それには答えて、ヒヨリはレンを抱き上げる。身を委ねてきたら、レンが武将からただの娘に戻れるように、その頬に口づけを贈る。
「……ヒヨリ」
「なんだ」
見つめられてじっと見つめ返した琥珀色の双眸は、徐々に潤み、揺らいで、ヒヨリの存在を確かめるように瞬きで涙を払う。
ふっと笑って、ヒヨリはレンの頬を撫で、涙を拭ってやった。
「そんなに逢いたかったか」
「逢いたかった」
「泣くほどか」
「ヒヨリがそばにいなかった」
「そうか……おかえり、レン」
「うん、ただいま」
ぎゅっとしがみついてくるレンに、逢いたかったのは自分のほうだと、幸福を与えられているのは自分のほうだと、思いながら抱きしめ返した。
その後、抱きつくために放り投げられたレンの鎧を片づけようと手にしたとき、留め具の破損に気づいてヒヨリは蒼褪めた。慌ててレンの身体を確認したが、幸いなことに傷らしきものはなく、レンはヒヨリの行動にきょとんとしていた。壊れている、と破損部分を見せても、修理だな、と暢気なものだった。
鎧の細かな傷に、ひやりとさせられたのは、これが初めてだった。