27 : 夢を現に、現を夢に。
「さて、せっかくの再会に水を差すようで悪いが、今後のことを考えて脱出できるよう対策を取らせてもらうぞ」
ヒヨリとの抱擁が落ち着くと、ヒヨリと同じ顔をした人の隣に、見憶えのある少年が並んだ。
「……エンリ、殿下?」
「おう、戦神。久しいな。こんなところで再会とは奇異なものだが、まあそれはあとにしよう。奴らが気づかぬうちに、な」
つかつかと歩み寄ってきたエヌ・ヴェムト国の末王子に、レンもヒヨリも互いを見やったあとに首を傾げる。場所を譲ってくれと言うから、ヒヨリがエンリにその場を譲り、しかしそばにはいてくれた。
「王子、なんのことだ?」
「そもそも、なぜここに、エンリ殿下が……」
ヒヨリが助けに来てくれるなんて夢のようだと思っていたレンは、ヒヨリが自身の双子の片割れたるかの魔術師を頼ってくれたことにはホッとしたが、そこになぜエヌ・ヴェムトの末王子エンリまでいるのか、さっぱり状況が読めない。
「戦神のために少しだけ説明しよう。そこにいる魔術師イチヒトはな、おれの魔術師なのだ。その関係でここまでついて来た。あとは察してくれ」
察しろ、などと難しいことを言ってくれるエンリは、確認するようにレンを覗き込んだあと、手を取ってきた。
「憶えているか、戦神」
「え……?」
「あのとき、おれはおまえに魔力を分けてもらった。おれが魔力切れを起こしたからだ」
「……あの、とき?」
「ああそうだ。力比べをしただろう」
憶えている。エンリのことを知っているのも、数年前のあのとき、エンリと魔術で遊んだからだ。純粋に魔術を楽しむエンリは、レンの魔力に興味を持っていて、逢うたびきらきらした眼差しを向けられたので、力比べをしよう、と言ってきたエンリにレンはつき合ったのだ。
結果的に言うと、エンリがあまりにも楽しそうな顔をするものだから、レンは喜んでもらえるならと、あまり人に見せてこなかった大きな魔術をエンリに披露した。だが、それはエンリに魔力切れを起こさせてしまい、レンは慌てて自分の魔力をエンリに分けたのだ。
「あのとき、おまえのおかげでおれはすぐに目覚めることができた。魔力切れは身体に悪いからな。おまえが魔力を分けてくれなかったら、おれは一月は寝込んでいただろう。あのときは助かった、礼を言う」
感謝されるほどのことはしていないが、確かにあのとき、レンが咄嗟に魔力を分けていなかったら、エンリは回復までの一月ほど寝込むことになっていただろう。成長途中の幼い時分に魔力切れを起こすのは、その後の成長を妨げる可能性が大いにあって危険なのだ。それゆえ、レンが咄嗟だったとはいえエンリに魔力を分け与えたのは、間違いではなかった。
「あのときとは比べものにならんが、あれのおかげで、おれは今おまえにしてやれることがある。奴らはそれに気づいておらん。だからおれたちはすんなりここまで来られたのだ」
エンリにぎゅっと、手のひらを握られる。そこから、僅かだが、ハッとするような新鮮ななにかが、いや魔力が、レンに流れ込んできた。同時に、自分のなかで淀んでいた魔力が、流れ出て行く。
「おい、ヒョーリ。ここにはまだ鳴法石があるぞ」
「あ……扉に」
「イチヒト、粉砕して外に放り投げろ。ヒョーリ、鳴魔石の加工は済んでいるな? それを戦神に」
エンリの指示で、扉の取っ手に引っかけられていた鳴法石がさらに遠ざけられ、そして首にはヒヨリから、鳴魔石を中心にした銀細工の首飾りが提げられる。ヒヨリを見やると、頬を朱に染めたヒヨリが視線を逸らした。鳴魔石の首飾りはヒヨリからの贈りものだった。
「戦神、具合はどうだ。少しはよくなったか」
「……少し」
「ふむ、やはりな」
「やはり?」
「どうやらおれとおまえは魔力の質が似ている。魔力切れを起こしたあのときも思ったのだが、おれがあれだけ早く回復できたのも、おそらく魔力の質が似ていたからだろう。まあ言ってしまえば、こうして魔力を繋ぎ合わせることができる、ということだ」
徐々に身体が楽になっていく感覚に、知らずホッと息が出る。緊張していた魔力が解れていくようで、落ち着かなかった心も平静さを取り戻しつつあるようだ。
だが、エンリの言うとおりなら、一つ問題がある。
「繋いで、いるなら……今わたしは、魔力が乱れて……」
今エンリと魔力が繋がっている状態なら、分け与えたときは違って、魔力がレンとエンリを循環している。分け与えたときは一方的に吸い取られるだけで、魔力がほぼ無尽蔵にあるレンには問題なかったが、そうではなくレンの乱れた魔力を調整するためである今の場合は、エンリにまでレンの状態が及んでしまう可能性があるのだ。
これくらいまで回復できればもう動ける、とレンはエンリと繋いだ手を離そうとしたが、エンリは不敵にニッと笑った。
「案ずるな。おれはな、なんと治癒術が使えるのだ」
「治癒術が?」
「ああ。それもおまえのおかげだぞ。あのときのあれは、己れの無知ゆえに最悪なことではあったが、その後はえらく誇らしいことが続いてな。魔力量が増えただけでなく、治癒術まで使えるようにさせてくれたのだ」
あのときの咄嗟の判断は、その後エンリの役に立つものになったらしい。
「それは、なんというか……」
「レンさまさまだな、王子」
レンとエンリが手を繋いでいるそれを面白くなさそうに見やったヒヨリが、それでもレンの体調を慮りながら言う。エンリはやはり笑った。
「おう。おれは戦神に感謝しているぞ。おまけにイチヒトを捕まえることもできた。おれの人生は素晴らしいな」
「こんな状況でよくそんなこと……」
「言えるとも。今ここで戦神を万全な状態に回復させておけば、いざというとき、ここから逃げられるからな」
「そういえば、自ら危険な場所に飛び込まないどころか、そういうのを回避できるんだったか」
「おれの強運を甘く見るなよ、ヒョーリ」
「実践してくれ」
なんとなくヒヨリとエンリの仲がよさそうに見えるのだが、気のせいではないのだろう。ヒヨリはシュナを供につけて来てくれたようだが、エンリとの軽口のようなものをシュナとするまで、それなりに時間がかかったくらいには人見知りをする。もちろんシュナに遠慮がなかったがゆえにかかった時間だが、エンリともそんな時間を過ごしたのなら、納得できる態度だ。
「さて、戦神の魔力の淀みがおれのほうにも溜まってきたな……そろそろ集中したい。なに、ほんの一時だ。その間、黒の集団には気づかれぬようにな」
真顔になって瞼を伏せたエンリは、さらに手を強く握ってきた。流れてくる魔力も、流れ出ていく魔力も、同時に増える。心地よさが増えてレンの顔色が回復していくと、エンリの顔色は悪くなっていった。だがエンリは、治癒術を並行して展開すると、数分でその作業を終えた。
「よし、これでだいぶよくなったと思うが、どうだ?」
「……はい、ありがとうございます、エンリ殿下」
「なに、礼を言われるまでもない。おまえはヒョーリの伴侶、いずれおまえを姉と慕う日も来よう。ああいや、妹かな?」
「は……?」
「イチヒトはおれのものだからな!」
にっかり笑って胸を張ったエンリは、本当に身体には異常がないらしく、気づけば顔色もよくなっていた。
「おれのもの」発言をされたかの魔術師、イチヒトを見やれば、疲れたような顔をして呆れている。エンリには言われ慣れているようだ。
「ああいえ、まあ、うん……こういうお人なので」
気にしないでください、と言ったイチヒトは、エンリに対して達観していた。
「それよりも、今後のことを。エンリさま、逃げる気があったのですね」
「おれは怖いものが嫌いだからな」
「そうですよね、あなたが危険に飛び込むわけがありませんものね。となると……エンリさま、どのようにして逃げ遂せるつもりです? 言っておきますが、わたしはあなたを逃がすことができればいいので、残るつもりですよ」
「残る? なぜ残るのだ、イチヒト」
「彼らの目的を、理解できないわけではないからです。潜入、とも違いますね……彼らに加担するつもりはありませんが、見守る義務はあるかと思っています」
「ふむ……おまえが必要だと判断するなら、おれも残るぞ。そもそもおれたちの、エヌ・ヴェムトの本意は、彼らの保護だからな」
「エンリさまを危険に……いえ、回避なさるでしょうが、それでも渦中に置いておくことはできません。それに彼らは、あなたが王子であることを知っています。今後どう転がることか」
ここに来るまでどんな状態、状況であったのか、囚われの身であったレンにはふたりの会話が理解できない。けれども、レンのことをきっかけにふたりが、王子であるエンリが動いたのは確かだろう。
「説明を……なぜ、ここにエンリ殿下がおられるのか、あと、わが国はどうなっているのか」
「おお、そうであったな。実はな、戦神、われらはヴァントルテの国王が『影』を振り切って、ここまで来ている。そして、おまえを拐した連中だが、黒の集団とわれらは呼んでいる。エヌ・ヴェムトはその集団を追っていてな、おまえが囚われたので、おれはそこのヒョーリに協力を申し出た。結果は今の状況だ。ここにヴァントルテの援軍は来ない」
あれからどれくらい時間が経っているのか、感覚が多少ずれているレンには把握できないが、祖国ヴァントルテが動き出すくらいにまでは時間が経っているのだろう。正確な日付けをヒヨリに確認すれば、レンが囚われの身になってから今日まで、ちょうど半月だという。
そうか、とレンは顔をしかめ、俯いた。
「レン?」
「ごめん、ヒヨリ……こんなことに、なってしまって」
「? 意味がわからん」
レンと同じように顔をしかめたヒヨリに、レンはどうしたらいいものかと、拳を握る。
「……戦神よ、おまえ、なにをヒョーリに謝る?」
レンの様子を訝しんだのはヒヨリだけでなく、エンリにも問われた。
「黒の集団……エンリ殿下、あなたは、ご存知なのでしょうか」
「それは、彼らがなに者か、という意味か」
レンはちらりとヒヨリを窺い、そうしてエンリに頷く。
「この状況を見て言え。知らぬように見えるか?」
「……いいえ」
状況的に考えれば、エンリは、そしてイチヒトは、黒の集団と呼ばれているモトエたちがなに者であるかを、知っている。それはつまり、レンが、彼らと同じであることを知っている、ということでもあった。
「わたしが……『影』であることを、もはやご存知なのですね」
「それがどうした」
「……、え?」
「なにを驚く。おれは言ったな? この状況を見て言え、と。おれはおまえを助けようとするヒョーリに協力し、ここまで来たのだ。その過程でおまえが『影』であることは知った。だが、それがどうした? おまえが『影』であることは、なにか状況的にまずいのか?」
わけがわからん、とエンリは怪訝そうにする。エンリは、レンが「影」であろうがなかろうが、そんなこととは関係なく、ただヒヨリに協力しただけだと言っているのだ。
「わ……わたしが、彼らを手引きしたとか……」
「だから、状況を見てからものを言え。ここにいるイチヒトはな、おまえの居場所を探るために、そのときの状態まで見ている。おまえが置かれていた状況は、もとより把握しているぞ」
エンリは、ことの発端はイファラント国の王妃だろう、とまで言った。レンが説明する必要なくそこまで把握しているエンリに、レンは驚いた。エンリは本当に、ヒヨリの言葉を信じてここまで来たらしい。
「なあ戦神……いや、ここはヒョーリに問おう。なあヒョーリ、おまえはどうしたい? どうする? 戦神はこのとおり無事に戻ってきた。おまえの手許に。今後のことは考えているか?」
エンリの問いが、ヒヨリに向けられる。ヒヨリは一瞬戸惑うような素振りを見せたが、すぐにいつもの不機嫌顔に戻った。
「どうもこうも、おれはレンを迎えに来ただけだ。あとは帰るだけに決まってるだろ」
「うむ、そうであろうな。では戦神、おまえに問おう。おまえのその微妙な顔つきはなんだ」
すぐに戻ってきた自分への問いに、レンは唇を噛む。
ヒヨリが助けに来てくれた。迎えに来てくれた。武術はからっきしなのに、真名で魔力を封じられているのに、双子の片割れを頼って、エヌ・ヴェムトの末王子の協力までもぎ取って、ここまで来てくれた。それは泣くほど嬉しい。嬉しくて嬉しくて、そして幸せだ。
けれども。
「このままでは、利用されます」
幸福なまま、ここから帰ることはできない。
夢が現になったのなら、現を夢に戻すことはできない。




