26 : 無知が招いたことだとしても。
*26~29までレン視点となっております。
ぼんやりしていると、どれだけ時間が過ぎようとも、景色が変わらないから感覚がわからなくなる。かろうじて、朝か夜か、わかる程度だ。
鳴法石が胸元から離れた場所にあるおかげで身体的な自由は得ることができたけれども、半地下のこの部屋からは出られないようその場所に移動しただけのことなので、近くに鳴法石があることに変わりはなく、レンはほとんど動けない状態にあった。手足の拘束もないことを考えれば、魔力を底上げしてどうにか部屋を脱出することもできなくはないだろうが、半地下であろうこの立地を考えると、まず自身が生き埋めになること間違いなしで、ヒヨリに逢いたいレンにはそんな度胸などなかった。
長い間ぼんやりしていたのは、どうしたって身動きが取れないせいだ。
「……ひより」
小声で呼んでは、いつもの不機嫌そうな顔が脳裏に浮かび、消えていく。今頃どうしているだろうか、と考えて、いつまでもレンが現われないことに怒っているだけかもしれないと思うと、無性に逢いたくなるのと同時に逢うのが怖いとも思った。
レンは、「影」だ。今の「影」が組織される以前の、旧体制の「影」、過去の遺産、そのなれの果て。
ヒヨリに自身のそのことを語ったのは、欲しいと思った直後のことだ。すべてを明らかにしたのは、ヒヨリを欲するがゆえに発生する必要な説明だと思ったから、包み隠さずすべて、ヒヨリに話した。あのときはそうしなければならないと義務感めいたものがあったけれども、今は、正確にはモトエに心理の奥を突かれてからは、明かすべきではなかったことかもしれないと思うようになっていた。
レンは、武将であるから人を傷つける力を持っているが、それ以前に、自身の片割れを死なせてまでも生きたいと、愛されたいと願った、罪深い愚か者だ。そんな自分が、ヒヨリのそばにい続けて、ヒヨリと共に在りたいと望むことは、今さらだが傲慢なことなのだ。
それでも。
それでも、願ってしまう。
縋ってしまう。
「ひより……わたしを、あいして……」
どうしてヒヨリだったのか、レンにはわからない。好きなところは、と訊かれても、正確には答えられない。ただ、あの出逢いは、レンにとってかけがえのないものだ。もう二度と、あんな想いは抱けない。
ヒヨリが欲しい。ヒヨリだけが、そばにいてくれたらいい。
この想いが、無知が招いた喪失感によるものなのだとしても。
「ばかが……いつだって、おれは答えただろ」
「……ひより?」
「おまえがおれを求め続ける限り、おれはおまえと共に在る。おれを外に連れ出したのはレン、おまえなんだから」
ぼやけた視界に、ついに幻覚が現われたらしい。恋しさゆえに、人とは、さまざまな感覚を狂わせることができるのだろう。
「ひより……」
脳裏にばかりでなく、幻覚でも、逢えたことが嬉しい。
ああやっぱり、逢いたくないわけがない。
ここまで誰かを欲しいなんて、願ったことなど一度もないのだから。
「寝惚けるな、おれを見ろ。この程度でくたばるおまえじゃないだろ、レン」
ヒヨリに名を呼ばれている。その声で、自分を叱り、呼び、怒っている。怒っている姿も好きだ。笑ってくれることのほうが少なくて寂しくもあるけれども、どんな姿でもレンはヒヨリが好きで好きでたまらない。
「この……っ、おれを見ろって言ってんだろうが、レン!」
一番に好きなのは、ヒヨリが本に夢中になっているときだけれども。
こうして怒っているときは、そのすべて自分に対するものだから、レンはそれがたまらなく嬉しい。レンのために、ヒヨリは怒ってくれる。
「いい加減にしろ、レインディア!」
そのとき、一気に視界が開けた。
目の前に、幻覚だと思っていたヒヨリの顔が、吐息が感じられるほど近くにあった。
「ひ、よ……り?」
視界いっぱいに広がる、いとしい人の姿。
耳朶を擽る、低い声。
懐かしく香る、古書の匂い。
「ヒヨリ」
「ああそうだ、おれだ、レインディア」
その名は、名がないと言ったレンに、ヒヨリがつけてくれたものだ。
「おれを見ろ、レインディア」
頬に触れてくるぬくもりは、疑いようのない確かなもので。
「よくもおれを振り回してくれたな。この対価は、重いぞ」
押しつけられた唇も、侵入してくる熱さも、そのすべての感触は、欲しいと望んだその人のものだった。
レンは瞠目し、けれどもすぐに、確かにここにいるヒヨリへと腕を伸ばしてしがみついた。
「ヒヨリ、ヒヨリ、ヒヨリ……っ」
「あんまり呼ぶなって、言ってるだろうが……っ」
切羽詰まったような声で、同じように背に回ってきた腕に、レンは抱きすくめられる。
「おまえのせいで、こんなところまでくる羽目になったんだぞ…っ…この、ばかが」
「ヒヨリ、だって、わたし……っ」
「ああ知ってる。魔力に過信したおまえは、いつだって、おれの忠告に耳を貸さないからな。見ろ、攫われてんじゃねぇか」
「ご、ごめ……っ」
「二度めはないぞ」
とても強い力で抱きしめられ、息苦しさを感じても、この現実が嘘でないことがレンには嬉しかった。ふっと抱きしめてくる腕が緩んだと思えば、また唇を塞がれて、息を止められる激しさを味わわされたあと、いとしいヒヨリの双眸に涙が浮かんでいるのが見えた。
「……ひより」
「レン…っ…レインディア」
こつん、と額と額が合わさる。涙に濡れて震えたまつ毛が綺麗だ、と思った。
「おれをひとりにするなよ……っ」
吐き出されたヒヨリの弱音に、レンも、さらに涙が込み上げる。
「おれを外に連れ出してくれたのは、おまえだろ…っ…おれに、嘘のない世界を、見せてくれるんだろ」
「……うん。うん、ヒヨリ」
「レインディア、おれの精霊…っ…おれのいのち」
もう二度とこんな想いはさせるな、と。
呟かれた小さな言葉に、レンは頷いた。
「レン……っ」
再び抱きすくめられ、痛いほどの力に、レンはもうなにも欲しいものはないと、思った。
レンが欲しいのは、ヒヨリだけだ。ヒヨリさえいてくれたら、あとはもう、なにも要らない。
どれくらいそうしていたのか、ふと見上げたそこにいとしい人と同じ顔があって、けれどもレンは驚かなかった。
「……こんにちは、初めまして、弟のいとしいひと」
ああ、この人が、そうなのか。
「あなたが、ヒヨリの……」
「逢えて嬉しいですよ、弟のいとしいひと」
にこりと笑ったその人は、いくらそうでも、やはりヒヨリとは違っていた。




