22 : 抗い続ける。
*22~25までイチヒト視点となっております。
アルバナチュードに到着して数刻、原始的に聞き込みをして回ると、とある宿屋の女将がレンと思しき少女が宿泊したことを憶えていた。それを聞いたとたんにヒヨリが走り出したため、足の速いエンリが即座に追いかけ足かけをして転ばせたのは言うまでもない。
「落ち着け、ヒョーリ。聞いたところ、ここを出立して二日と経っていない。焦らずとも追いつく」
「落ち着いていられるかっ」
「では今少し待て。兄上からの応援が追いつかんのだ」
「すぐ近くにレンがいるんだぞ! 行かせろ!」
噛みつくヒヨリに、エンリは冷静だった。
「おまえが一番の足手まといであることは自覚しているか、ヒョーリよ」
「ぐ……っ」
「因みにおれは、性格に多少の難はあれど、魔術師で剣士だ。おまえより役に立つぞ」
「……性格に問題があることは自覚しているのか」
「おれは怖いものが嫌いだ!」
「堂々と言えることなのか、それ」
「生来のものだ、仕方あるまい。まあとにかく、そういうことだからおまえひとりに突っ走られては、困るのだ」
「イチヒトがいる」
「だからこそだ、ばかめ。イチヒトひとりですべてが片づけられる問題ではない。忘れたか、黒の集団は『影』だぞ。精鋭揃いの部隊がいくつも必要なほど、こちらには戦力が足らん」
エンリが正論を述べれば、間違いのないそれにヒヨリが反論できるわけもなく、舌打ちすると不貞腐れたように俯いた。
「案ずるな。兄上は確かな魔術師だ。まもなく到着される。そうだな、イチヒト」
「パンペストを出るときに伝書を飛ばしましたから、早ければそろそろ到着するでしょう」
「ということだ。なに、一日や二日の遅れなど、すぐに挽回できる」
エンリの妙に自信のある言い方は、しかしヒヨリには充分な効力がある。これでもエンリは王族だ。あるだけの権力をかざして、それがどこまで真実であるかわからなくても、イチヒトはエンリがどういう王子であるかを知っている。そのイチヒトが信頼している王子を、ヒヨリが信じないわけにはいかないのだ。
「さて……シュナどの、そちらの『影』はなにか情報を持ってきてくれたか」
情報収集のためにひとり離れて行動していたシュナが、ちょうど戻ってきた。
「目撃証言をいくつか。それから、黒の集団はどうやら、冒険者組合で仕事を請け負うこともあるようです。そこから人物の名を、おそらくは偽名でしょうが、特定することができました」
「ほう、それは重畳」
「そのなかに、一つ、わたくしにも記憶にある名がありました」
「おや……もしそれが偽名でなかったとしたら、ヴァントルテの民ということになるな。その者の名は?」
「モトエ、と名乗っています。真実その者の名であれば、エリシア=モトエ・エクトシアではないかと、わたくしは推測いたします」
おれは聞いたことがないな、とエンリが言ったのに対し、ヒヨリが驚いた様子でシュナを見上げた。
「モトエ・エクトシアだと?」
「ヒョーリ、知っているのですか?」
ちなみにイチヒトにも聞き覚えはない。誰か、と問うても意味はないが、知り合いであるなら注意は必要だ。
するとエンリが、ふとそれに気づく。
「エクトシア、と聞いてヒョーリが驚いたならば……もしや、戦神の関係者か?」
そういえば、とイチヒトも思い出す。戦神の名、つまりレンは、アレクノ=レンドルア・エクトシアだ。考えてみれば、家名であるエクトシアなど、そうあるものではない。
「おれの記憶に間違いがなければ……宰相の弟だ」
「! なんと……宰相の? ということは、アレクノ=ノクティス・エクトシアの弟か」
大物どころか、レンには伯父にあたる人物が黒の集団に関わっているなど、さすがにイチヒトも目が丸くなる。
「いや、しかし待て、宰相の弟であれば、おれも噂には聞いたことがあるぞ。確か随分と遅くに産まれて、若くして落馬の事故で死んだと……もう十年以上前のことだ」
「おれもそう聞いている。あと、宰相の弟だと言っても、母親が違うらしい。エリシア子爵の娘と婚姻を結んですぐ、乗馬中に亡くなったと……」
「ふむ……これはなんと、数奇なことになってきたな」
レンという戦神の影を輩出した大国ヴァントルテが、黒の集団と関わっているわけがない、と思うほうがおかしかった。黒の集団は北大陸全土から集まった『影』にされた者たちのことなのだ。言ってしまえば、彼らに関わりを持たない国など、この北大陸には存在しない。
「もっと情報が必要ですね……エンリさま、兄上さまに情報開示を願えませんか」
「それはすでに頼んでいる。ただ、そもそも黒の集団について、兄上でも実はそれほど把握しているわけではないのだ。おれも名称を知っているくらいだったからな。むしろよくおまえが知っていたものだ」
「エンリさまをお護りするにあたって、わたしには必要な情報が与えられています。黒の集団については、その一つですよ」
「ああ、それもそうか。おれの魔術師だものな。しかし……となると、兄上がお持ちの情報は、おまえも知っているものだな。情報開示を願い出たところで、有力なものは得られんだろう」
「やはりそうですか……」
イチヒトもそれなりにエヌ・ヴェムト国で立場を擁立している魔術師だ。エンリを護るために必要な情報は、自分でも調べることがあるし、その権限も与えられている。黒の集団についても、エンリが知らないことを知っている。今ここでその情報を隠しているわけではなく、そもそも情報量が少ないのだと、エンリが言ったことは間違いない。
「ここで名を明かしても意味はないでしょうが……エヌ・ヴェムトが追っている黒の集団のひとりは、ススキノ・リバリットという女性です。シュナさん、聞き覚えがありますか?」
「今回の調べにその名がありました」
「であれば、彼らは偽名を使っていないのでしょうね……大胆なことです」
「では、モトエと名乗る者は、宰相閣下の異母弟で間違いはないと?」
「高確率で、あなた方が知るその当人でしょう」
「ならば……」
あまり表情を変えないシュナも、ことの重大さに蒼褪めた。エンリもヒヨリも、険しい表情のままだ。かくいうイチヒトも、これはこのまま自分たちだけで解決に導けるものなのか、先が見えなくなってきた。
下手をすれば、六年前に終わったはずの戦争が、再び狼煙をあげることになるかもしれない。各国は、いや各国の王族は、貴族は、それほどの野心を持ち続けたのだ。疲弊した民は、もうついて行けないというのに。だから戦神を、英雄的存在に祀り上げたというのに。
けっきょく、その昔「影」が提唱されたことによって、いくら神職者に糾弾されようとも、人間は知り得た真理を手放せないのだ。
「生み出されぬと安んじたのは、早計だったのだな」
エンリが、少し蒼褪めた顔で、悲しそうにイチヒトを振り向いた。おそらくイチヒトがなにを考えていたのか、察したのだろう。そういうことには敏い王子だ。
「しかも、戦神が世に出た……北大陸の叫びであろうか。もはや戦には耐えきれぬと、血で血を拭うこの地に新しき命は芽吹かぬと……愚かな人間は、永劫的に殺し合いをせよと、われらは愚かなまま進歩がないのだと、そういうことだろうか」
ここはそんなに悲しい地なのか、と呟いたエンリに、イチヒトも俯く。
自分とヒヨリは「影」になり得、両親の愛によってそれは免れたが、そんなことは実は些細なことではないのかと、世界的に見れば自分たちが置かれた状況は小さなものなのではないかと、思っていた心を恥じた。
「抗い続けるしかないだろう」
ふと、地面に座り込んだままだったヒヨリが、土埃を払いながらゆっくりと立ち上がった。
「根絶することができなくても、その悲しみが消えることなく増えていくばかりなら、ただそれを受け流すのではなく、抗い続けるしかないんだ」
これからやろうとしていることは、けして間違いではないのだと、ヒヨリは言った。
「決めた。おれは、受け入れる」
「……ヒョーリ」
「黒の集団はレンの同胞……国と世界と真理に復讐する者たちの、声を聴く」
それは、身を護るすべを一つも持たないヒヨリだからこその、言葉に思えた。
「レンは戦争のために戦神になったんじゃない。その道具として産まれたんじゃない。おれと出逢うために、産まれてきたんだ」
ぐっと、ヒヨリは拳を握る。その力強さに、凛々しさに、イチヒトは目を細めた。
こんなふうに生きてくれる弟ではなかった。レンに出逢わなければ、イチヒトが知る弟は、果てないものへと突き進むどころか歩き出す前に諦め、現状に流されるだけだった。
今は違う。
弟は変わった。愛を知り、悲しみを知り、苦しさを知り、あらゆる感情を揺さ振られて、世界に視野を広げた。
「……倣わなければなりませんね」
イチヒトも立ち止まってはいられない。
弟に負けてはいられない。
「おれとしたことが、絶望的思考に囚われてしまったな……うむ、ヒョーリの言うとおりだ。われらには、われらにしかできんことがある」
キリっと表情を改めたエンリが、ヒヨリに鼓舞されて姿勢を正した。
「おれたちは世界が美しいことを知っている。充分だ」
行こう、と前を見据えたエンリの姿は、眩しいほど力強かった。
ああそうだ、こういう人だから、真名を奪われても自業自得だと、思ったのだ。
イチヒトはくすりと微笑み、そうですね、と返事をしながら、歩き始めたエンリとヒヨリに続いた。




