21 : 世界を想う。
溢れ出す感情に名はつけられない。レンはそれを深く考えたことはないし、確かめたことも、調べたこともない。必要がなかったからではなく、そうしたら最後、自分がどうなってしまうかわからなかったからだ。
だからそのなかで、唯一叫びを上げた声に、レンは従った。
生きたい。
愛されたい。
愛したい。
ただそれだけで、微笑む兄レンドルアを、喰らうことに迷いを失くした。
「わたしは許されない……っ」
「なぜ」
「わたしはレンドルアを犠牲にした、レンドルアのための存在なのに、レンドルアを殺した…っ…わたしが、レンドルアを殺した」
微笑む兄は優しかった。
おいで、お食べ、僕を。
僕はおまえのなかで生き続ける。
僕にはおまえを喰らう資格なんてない。
僕はおまえを幸せにするために、いるのだから。
お食べ、僕の半身、僕の片割れ、僕自身。
おまえが僕になるんだ。
僕らは一つに戻るんだ。
「『影』になんかなりたくなかった、喰われたくなかった、ただ……ただふつうに、生きていたかった」
平穏を望んだレンは、けれども誰もそれを許してくれなかった。レンの持つ魔力が、レンドルアのためのものでなければならなかった。
なぜと問うことも、いやだと抗うことも、緩やかな生を望むことも、なにもかも許されなかった。
それでも。
世界は相も変わらず、美しく、レンの前に在り続けた。
このなかに淘汰されていくのも、それもまたいいかもしれない。そう思ったことは幾度もある。淘汰されていくならば、その日まで、悔いのないようせいいっぱい生きようと、決めた。
壊したのはレンドルアだ。
半身であり、片割れであり、兄であるレンドルアが、ぎりぎりにあったレンを、壊した。
それくらい、レンと同じくらい、兄レンドルアもぎりぎりの場所にいた。
あのとき、レンドアルアが選ばなければ、消えるのはレンだったけれども、そうでなくともきっと、レンドルアは選んでいただろう。
『僕をお食べ』
そう言ったレンドルアは、幸せそうだったのだから。
そしてレンは、迷わなかった。
『飛び立て、僕の大切な妹』
『レンドルア……』
『お兄さま、だよ。ね、僕のかわいい……』
口移しで取り込まれたレンドルアの魔力は、レンのなかで一つとなり、レンをヴァントルテの戦神にした。
「わたしは、間違いを、犯した……っ」
「どこが、なにが、間違いだ」
「レンドルアを失って、初めて、世界がどれほど残酷であるかを、知った……っ」
胸に燻る喪失感は、これからもきっと、消えることはない。
あの日、あのとき、レンドルアが壊れてしまったあの瞬間に、レンも共に消えるべきだった。
気づいたときにはもう遅い。
生きたかった、愛されたかった、愛したかった、そんなことは半身を失ったレンを前に無意味なものとなった。
そして世界も、美しいままで。
残酷だった。
「すべてはわたしの…っ…思い上がりだ」
過ぎた望みは絶望を招くのだと、思い知った。
だからこれは罪。
だからこれは贖罪。
レンは望まれるように、戦神で在り続けることを選んだ。
「今、あんたに、それは思い込みだと言っても、無意味なんだろうな。だが、言わせてもらう。あんたのそれは思い込みだ。あんたに罪はない」
「わたしがレンドルアを殺したんだ!」
「おれもエミヤを殺した。家族のため、国のため、護りたいものを護れる力だと言われて、それがエミヤだと気づかずに……おれの罪は無知であったことだ。そして、真実から目を背けたことだ」
あんたの罪はそこにはないだろ、と囁く声に、レンは抱きしめられた。それは真実を明らかにしたレンを受け入れてくれた唯ひとりの、ヒヨリのぬくもりと同じだった。
「ひ、より……っ、うぅ……ヒヨリぃ」
「やっぱりあんたの旦那も招待すべきだった、な」
ぎゅう、と強い抱擁は、それだけですべてを許してくれる、在りもしない夢のようだった。
「おれたち『影』には、生き難い世界だ……どうして神は、人間に『影』の真理を、与えたんだろうな」
「うぅ、う…っ…ヒヨ、リぃ」
「なんで、どうして……っ」
世界を想うことの、なにが、いけなかったのだろう。
「おれたちは、ただ、生きて…っ…護りたかっただけなのに」
人はなにかを犠牲にしなければ、なにも得ることはできないと言うけれど。
望まずに犠牲にして得たものを、ではどうすればよかったのだろう。
他の欲に踊らされたのは、では自分たちの罪なのだろうか。




