17 : 罪の在処。
*17~18までイチヒト視点となっております。
「戦神を、レンを攫った者は、エヌ・ヴェムトが追っている黒の集団かもしれません。悪というわけではありませんが、ただ彼らは、自分たちをそうした者たちを、ひどく怨んでいます。それを行動にしてしまったゆえに、彼らは追われる身となりました」
エヌ・ヴェムト国王太子からの手紙は、ヒヨリが読んでも理解できない。そのためイチヒトは、説明することでヒヨリからの理解を得ることにした。
「黒の集団……」
「通称です。彼らは名乗りません。ただ、そうであることを、告げるのです」
「なに者だ。なんでレンを狙った」
「わかるでしょう、おまえなら。わたしも……わたしたちも、知られたらそうなっていたかもしれないのですから」
答えたイチヒトに、ヒヨリは蒼褪めた。まさか、と唇が震えている。
「レンのほかに、『影』にされた者たちが、いるのか」
はあ、とイチヒトは息をつく。
「……残念なことに、このエヌ・ヴェムトでも、禁を犯した貴族がいます。かの貴族は黒の集団の標的を知り、わが王に助けを求めました。もちろんかの貴族は爵位剥奪のうえで永蟄居となりましたが、殺されるよりマシだったのでしょう。貴族ではなくなっても、永蟄居により、生き永らえることはできますからね。おまけに、黒の集団の標的となっている以上、国は彼らを捕縛する目的で待ち伏せすることができます。かの貴族は国に護られることになりました」
「護るのか、そんな奴を……『影』を作り出した下劣な人間を」
「『影』が負の遺産であることは認めましょう。しかし、黒の集団を保護するためです。このことは、大国ヴァントルテからの助力もあります。まあ、まさかそのヴァントルテが、レンのような『影』を作り出していたとは、さすがにわが王も知らなかったでしょうが」
「レンのことなら王は関知していない。あれは公爵たちが……宰相と王妹が勝手に、国のためと称してやったことだ」
憤りを露わにしたヒヨリは、義理の父母となった先代公爵夫妻を、あまり好ましく思っていないようだった。
「さらに言えばイファラントだ。あの妖怪爺は、おそらく『影』を作ろうとは思っていない。『影』が欲しいと思ったことはあるだろうが、そのために必要な人材が揃わないのだからな。揃ったとしてもこのとおり、おまえたちの存在は秘された。しかし……王妃は違った」
身支度を整えたエンリが、近くの椅子にどっかりと腰かけ、アレクノ家侍女のシュナが運んできた食事に手を伸ばしながら口を開いた。とても食事する気にはなれないヒヨリとは違い、そのあたりは王子であるエンリは、二つのことを同時に同じくらい考えていられる。食事しながら考察し、考察しながら結論を導き出すことくらい、王子として当たり前のようにやる。
「ヒョーリ、おまえは言っていたな。王妃はおれの力を知っている、隠し続けても無駄だ、と」
「……ああ」
「王妃はおまえが『影』なり得たることを知っている。そうだな?」
「おそらく、だが。兄さんと姉さんに一度も手出ししなかったことを考えると、明言はできない」
「いや、それでいいのだ。王妃は、おまえが『影』となり得たかもしれんと、そういう思いがあるだけだろう。イファラントは小国だからな。つまり、だ。イファラントに古い『影』はいないのだ」
「……だから?」
「察しろ。今回、戦神の誘拐はイファラントの王妃が発端かもしれんが、それだけでない可能性もある」
エンリの言いたいことはわかる。妥当だ、と考えた犯人は、しかし真の犯人ではあっても実行犯ではない可能性もあるのだ。イファラントの王妃は「影」が関わっているとは思っていないかもしれない。
「エンリさまは、王妃がこの件に深く関わっていないだろうと、そう思うのですね?」
「そうだな。逆を言えば、王妃は黒の集団の正体を知り、それらの目からヒョーリの存在を逸らせるために、ヴァントルテ戦神が影と公言する彼女を狙わせた可能性もある」
「その場合、理由がヒョーリのことだけでは、成立しませんが」
「それこそ簡単な話だ。王妃はヒョーリに執着している。戦神には消えてもらいたいはずだ。戦神が黒の集団と共に行動するようになれば、戦神の立場はどうなる? この場合、黒の集団の正体を知らなくとも理由は成立するぞ」
言い終えると、エンリは深々と息をつく。少し止まっていた食事の手を再開させると、あとはなにも語らなかった。おそらくそれがエンリの導き出した答えなのだろう。
「エンリさまの推測はほぼ間違いないでしょう。ヒョーリ、おまえはどうですか」
「……つまり王妃は、レンの英雄的な評判を陥れるためだけに、黒の集団とやらを嗾けた、と?」
「その可能性は否定できない、ということです。どちらにせよ目的は不明、レンが攫われたという事実は、わたしたち以外に知る者がいません。さらにヴァントルテ国王は、戦神が不在という事実をしばらく伏せるとのこと。長引かせてよいことではないのは確かですね」
「さっさとレンを見つけ出せ、ということか」
「それも内密に」
「……協力するとか言いながら、所詮はその程度か」
「ヒョーリ」
舌打ちしたヒヨリは、もはや取り繕うのも面倒なのか、自国の王となったヴァントルテ国王に対してまでも悪態をつく。
「なるほど、ロイス翁が言ったように、確かに攫われたのがおれでなくてよかったな」
「……なんのことですか?」
ふとおかしなことを言うヒヨリに、イチヒトは首を傾げる。
「おれが連れ去られることがあったなら、レンは半狂乱になるどころか、狂い壊れるだろうとロイス翁は予測した。おれもそう思う。おれが攫われても……王は動かないだろうからな」
思い浮かぶ言葉もない、それは事実だった。
「まあそもそも期待なんぞしてない。あんな人間の兄だ、ろくな奴じゃない。王がどう動こうが、おれの知ったことか」
「……自国の王をそんなに軽んじては、あとが面倒になりますよ」
「レンを『影』にされても、妹可愛さに処罰も考えなかった王だ。おれは知らん」
「……おまえがヴァントルテ王を嫌うのはわかりました。しかし、ではどうすると? ヴァントルテ王を無視するわけにはいきませんよ」
もはや身内だけの問題では済まされないのだ、と言うと、エンリが「心配するな」と口を挟んできた。
「ヴァントルテ王のことは兄上に任せろ。エヌ・ヴェムトはもともと黒の集団を追っている国だ。一任されてもいる。イチヒト、おまえがこの件に関わることについて、不思議はない」
「……わたしとヒョーリの関係を伏せていてくださるのですね」
「当然だ。明かしてはおまえたちが秘された意味がない。むしろ、黒の集団によって、わざわざヴァントルテ王に秘密を明かす必要がなくなった。これまで以上に自由に動けるだろう」
因みに、エヌ・ヴェムト国王太子からの手紙には、黒の集団が関わっている可能性はないのか、と問われただけのことである。王太子は、ヴァントルテの戦神が「影」と公言している意味を、随分と昔から考えていたらしい。そこからエンリが、そしてイチヒトが、戦神が本当に「影」であったと知ったから、ここまでの考えを導き出した。ここで話し合われたことは、今後どの国にも語られることはないだろう。
「……シュナ」
「はい、ヒョーリさま」
「口を噤め。誰にも語るな。クレナには、王の指示に従えと伝えろ」
「御意。しかし……」
「おれは勝手に動く。おれはレンの……妻だ」
「では、わたくしはヒョーリ奥さまの指示に従います」
「勝手にしろ」
「御意」
ヒヨリに命じられて、侍女シュナは一礼ののち部屋を出て行く。それからヒヨリは漸く朝食に手を伸ばしたので、イチヒトもさっさといただくことにした。
「一つ、言い忘れていました」
「……なんだ」
「レンの居場所はかろうじて突き止められます」
やることはきっちりとやってから、と思ったので、イチヒトは食事が終えてからそことをヒヨリに伝えた。もちろんエンリには昨夜伝えていることなので、驚いたのはヒヨリだけだ。
「で、できるのか、やっぱり」
「やはり、と言うことは、試そうとしていましたね、ヒョーリ」
「魔術師は魔力の流れを読む。できないことはないと、理論上では説明がついた」
「理論上できたとしても、程度の問題ですよ。レンだから可能性があるのです」
「レンだから?」
「戦神と謳われるだけのことはある魔力、そうそういてもらっては困ります。そういうことですよ」
「レンの魔力がとんでもないものだから、その魔力を辿れるのか」
「ええそうです。おまけにヒョーリ、おまえは彼女に真名を与えました。たとえ彼女の魔力が辿れずとも、その真名があれば、辿れる可能性が生まれます」
ものは例だな、とエンリが言い加える。
その通りだ。もしかしたらまったく魔力を辿れないかもしれないし、上手く辿れたとしてもはっきりとした居場所を知る手がかりは得られないかもしれない。
「シュナさんが戻ってきたら、行いましょう。わたしはシュナさんに魔術師としての力量を疑われていますからね」
「……シュナは魔術に詳しくないからな」
「その分、暗器には詳しそうですね」
「よくわかったな」
「……よく嫁ぎましたね、ヒョーリ」
「むしろ、だから安心して嫁げたんだが」
「なるほど、程度の問題ですね」
妻を妻にしたとき、その周りから殺される心配はしなかったらしいヒヨリは、むしろを安心材料にしていたようだ。怖いもの知らずとはよく言ったものである。
それからすぐ、ヒヨリの伝言をどうやったのか伝え終えたらしいシュナが戻ってきたので、食事の席を片づけると宿の裏庭に移動した。
イチヒトは、詠唱や魔法陣を必要としない魔術師であるが、まったく使わないわけではない。ひどく集中力を必要とするものや、魔力を過分に浪費する場合には、安全を考えた魔法陣を足許に描くことがある。それでも滅多に使われることがないものであることに変わりはなく、今回は少々時間をかけて地面に魔法陣を描いた。
「ヒョーリ、陣のなかに。エンリさまもお入りください」
「ヒョーリはわかるが、おれまで必要か?」
「エンリさまは戦神……レンの魔力を憶えていますので」
「ああ、そういうことか」
今この場に必要なのは、戦神レンの魔力を知る者と、その魔力を補完するためのヒヨリが知るレンの真名、である。
魔法陣は地面に枝を使って描いたものだが、使用目的が達せられるまで雨が降っても消えないので、エンリとヒヨリが適当な位置に立っても、魔法陣は消えることがない。すでにイチヒトの魔力が込められているのだ。
「では、どちらもレンのことを考えてください。間接的な魔術となりますので時間はかかりますが、退屈を感じない程度でレンのだいたいの居場所を特定できるでしょう」
イチヒトは陣の中央に立ち、エンリとヒヨリに向き合うようにしてふっと息をつく。
イチヒトにとって魔術は想像力に等しく、おそらく無意識に脳内で詠唱や陣を描いているので、わざわざ表に出す必要がないだけだ。
さて、戦神レンはどこにいるだろう。
少しずつ、索敵の範囲を広げていくように、特別な魔力を探る。連れ去られることになったヴァントルテ国内アレクノ領地は、真っ先に脳裏に浮かんだ場所だ。しかし、そこに戦神レンの姿はない。
「どちらに向かったか……」
黒の集団はレンを連れ去った。どこへ、なんのために、なにがあったのか。
脳裏に浮かぶ光景は取り止めのないものばかりだ。ただ、緑が多く見られる。おそらく人目を避けて彼らは行動しているのだ。追われているという自覚があるのだろう。町は見えない。彼らは山道を歩いている。
「……っ」
「イチヒトっ?」
急に視界がぐらりと揺らぎ、イチヒトは体勢を崩した。慌てて腕を差し伸べてくるエンリを制止し、とにかくレンのことを考えろと促す。途中でこの魔術を放り投げるわけにはいかない。
「おそらくレンは具合が悪いのでしょう。魔力が安定しません。辿っているだけのわたしにも影響するほどに」
「……やはり鳴法石を使われたか」
「そのようですね」
眩暈はなかなか治まらない。イチヒトにまで影響するほど魔力の乱れがひどいということは、魔力の流れを乱されている戦神レン本人は、もっとひどい状態にあるだろう。
これは、一刻も早く彼女から、その魔力を乱す原因を取り除かなければならない。このままでは、彼女の身体が先に壊れてしまう。
「猶予がありませんね……」
魔力そのものが生命力であり、魔力で構成されている戦神レンにとって、源をぐちゃぐちゃにかき回されているようなものだ。魔力の乱れは、それが一日だけのことであれば回復も早いが、数日間同じ状態にあれば精神も狂いかねない。ふつうの魔術師であれば、三日もその状態が続けば確実に狂っている。これは戦神レンだから耐えていられることだ。それでも、それもあと数日が限界だろう。
「取りなさい……っ」
思わず、口走る。
「レンから離しなさい……同じだとわかっているのなら、彼女の状態は見過ごしてよいものではありません……っ」
「イチヒト……?」
「レンを傷つけたいわけではないでしょうに……っ」
地面に膝をつき、頭を抑えたイチヒトの訴えは、向こうには届かない。わかっていても、どうにも我慢ならなかった。
「イチヒト、レンは……っ」
見ていられなくなったのだろうヒヨリが、膝をついたイチヒトに駆け寄り、同じように膝をついて肩を支えてくれる。エンリを制したのにヒヨリを許したのは、この状態でもヒヨリならレンのことしか考えないからだ。
その瞬間、町が見えた。
「……アルバナチュード」
憶えのある宿場町だ。
「アルバナチュード? エヌ・ヴェムトにいるのか?」
エンリにももちろん憶えのある宿場町だ。アルバナチュード、エヌ・ヴェムト国の冒険者組合本部が置かれている、ここからでも馬で二日とかからない町だ。
それがわかったとたん、魔術が効力を失う。同時に、回るばかりであった視界が落ち着いてきた。つまり、戦神レンは、その周辺にいるということになる。
「盲点でしたね……てっきりイファラント王妃の許へ、一度は連れて行かれると思ったのですが」
「レンはここに、この国にいるのか!」
「落ち着きなさい、ヒョーリ。あと、わたしを揺らさないでください。彼女の魔力に中てられて、今ひどく気分が悪いので……」
使用目的が達せられた陣が消え去ると、イチヒトはその場にへたり込み、気持ち悪さを落ち着かせるために幾度か深呼吸する。ヒヨリが結果を知りたくて苛々し始めたが、まずは休ませて欲しい。
「終わったか……イチヒト、だいじょうぶか」
「そう見えますか」
「む……そうだな。とりあえず……シュナどの、冷たい飲みものをイチヒトに頼めるか」
少年王子は誰にそれを頼めばいいかわかっている。頼まれたシュナは、おそらくイチヒトの魔術師としての力量を知ったであろうが、冷静に頷くと宿に走っていった。すぐに戻ってきて、茶器に注がれた水を差し出してくる。
「ありがとうございます」
礼を述べ、一気に水を飲み干すと息をつく。水分が身体に浸透していく感覚が、ひどく心地よかった。
「戦神に中てられて、ということは、戦神は鳴法石で拘束され続けているのだな」
「ときおり、様子を見て外してはいるようですが、ほぼ身に着けている状態にあるでしょう。ふつうの魔術師であれば、すでに狂っていてもおかしくありません」
「それは猶予がないな。……待て、ヒョーリ」
ずでん、と間抜けな音が響く。走り出そうとしたヒヨリを、エンリが足を掴んで転ばせた音だ。
「なにしやがる!」
「おまえをひとりで行かせるわれらではない。今少し待て」
「待てるか! レンが近くにいるんだぞ」
「そうだ、近くにいるからだ。おまえ、忘れたわけではあるまい。黒の集団は古い『影』たちなのだぞ」
「だからどうした」
「彼らに罪らしい罪はない」
「レンを攫った」
「彼らにとって戦神は同胞だ」
「だが人を殺している」
「それは国の罪だ。作り出された彼らが負うべき罪はない」
「目を瞑れと言うのか!」
「言ったはずだ。エヌ・ヴェムトは、捕縛という名目で彼らを追い、本来の目的は保護することだと。彼らを作り出した者を、彼らが罰するのではなく、国が罰せねばならないからだ」
理解しろ、とエンリが王子らしく威圧を込めて命じれば、ヒヨリは悔しそうに拳を握り、しかしエンリの言いたいこともわかるらしく、飛び出していくことはなかった。
「……すまんな、ヒョーリ」
「いつになったらレンはおれの許に帰ってくる」
「待たせはせん。兄上に連絡を取り、イチヒトが回復し次第、アルバナチュードへ向かう」
ひとりではなにもできない、けれども想いはそれを上回る。ヒヨリがどれほどもどかしい思いをしていることか、考えるだけで胸が苦しくなる。
「行きましょう、エンリさま」
「まだ早い。もう少し休め」
「アルバナチュードへは、馬でも二日はかかります。それだけの時間があればわたしには充分、それよりもレンが心配です」
「……本当に、だいじょうぶだと、言い切れるのか?」
「ええ。伊達に、あなたの魔術師ではありませんので」
今少し足許に不安は残るが、同じ魔術を連続で使うことさえなければ、半日もあれば充分に回復する。馬上の人となろうとも、一日もあれは充分だろう。
イチヒトはふらつきながらも立ち上がると、ヒヨリに手を伸ばした。
「計画立てねば、黒の集団に立ち向かうことはできません。考えるだけならできるでしょう、ヒョーリ」
「……レンを攫った連中を、仲間だと思えと、そういうことか」
「わたしたちも『影』にされるところだったのですよ」
彼らの罪は別のところにある、と告げれば、不満そうながらもしぶしぶ、ヒヨリはイチヒトの手を取って立ち上がった。




