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15/33

15 : 異様な優しさ。

*15~16までレン視点となっております。





 泥臭さが鼻に突く。言葉に表現しようのない不快感は、けれども泥臭さが原因ではなかった。


「……めい、ほう……せき」


 霞がかった視界に移る透明感のある蒼い石には、小さな銀の杭が打たれ、皮紐が括りつけられていた。鳴法石を首飾りにしているのだと気づいたのは、皮紐が自分の首から伸びていたことに気づいたときだった。

 なぜ、と思う必要はない。

 レンは記憶力がいい。今でも四年前ヒヨリと出逢ったときのことを鮮明に思い出せるし、そのときのヒヨリの反応一つ一つを憶えている。自分が「影」にならざるを得なかった十年前のことも、なに一つ忘れていない。


 十年前のあの日、あのときまで、レンは喰われる側の「影」だった。それ以外の存在意義などなく、ただ喰われるためだけに鍛錬を重ね、淑女の礼儀作法など覚える必要もなかった。

 迎えるべき未来が潰え、それまで考えたこともない未来を前に、レンは途方に暮れた。生きるという意味がわからなくなった。なにをすればいいのか、わからなかった。


 今思うと、レンはヒヨリに出逢うために生き永らえたのかもしれない。


「起きたようだな」


 ふとそんな声が、頭上から聞こえてきた。ゆるゆると視線を上に、どうやら土の上に寝転がらされているらしく、見えたのは夜の闇であったが、近くで火を熾しているのか、レンを覗き込んでいる黒い影の顔はうっすらと窺えた。


「悪いな。あんたに暴れられると、おれたちじゃあ歯が立たない。不快だろうが、こちらも身の安全が第一優先だ、鳴法石を抱えていてもらうぞ」


 美声だ。街道で襲われたときはそんなふうに思わなかったけれども、こうしてゆっくりと聞いてみれば、襲撃者である黒い影は心が落ち着くほど低くて心地のよい声を持っている。


「わたし、に……なにを、させる、気だ……?」

「単なる人質だ、とは思わないのか」

「効率が、悪い……なぜ、ヒヨリを……狙わなかった」


 噂をレンの耳に入れた時点で、狙いはレンだっただろう。しかし、それでも効率を考えれば、レンに歯が立たないという彼らなら、非力なヒヨリを狙っても不思議はない。わざわざ鳴法石を持ち出し、レンがそれをまとっていない隙を狙う時間を考えれば、レンがいない間にヒヨリを攫っていたほうが彼らにはいろいろと都合がいいはずだ。そもそもレンが苦手とする鳴法石は、貴族でも入手が困難とされる法石だ。

 手間をかけてまでレンを連れ去る必要が、彼らにはあったと考えるのがふつうだろう。


「そうだな……目的は達成された。話してもいいだろう」


 黒い影はひとり納得すると、横たわるレンの隣に腰を下ろし、顔が見えるようにとの配慮か、羽織っていた外套の頭巾を取り払った。闇のなかで、それは実に、目立ちもしない。

 黒髪に、瞳はおそらく灰色だろう。肌の色はレンと変わらない。そして男は、予想を覆して優しげな風貌をしていた。今は表情などないが、笑えば世の女性から多くの支持を得るだろう。美声だ、と思ったのも当然だ。男は襲撃者と言うには頼りない。レンに伸びてきた手のひらは剣を握るゆえか無骨だが、ヒヨリのように指が長く滑らかだ。


「なにを……」

「近くにあれば倦怠感はあるだろうし、すぐにその酔いが醒めるわけでもないだろう。食事だ」


 皮紐に括りつけられていた鳴法石が、男の手によって首から離れていく。完全に離れたわけではなく、男は鳴法石の首飾りを手首に巻きつけ、そうして麺麭を一つと椀を一つ、レンの前に差し出した。椀からは湯気が立ち上り、匂いからそれが温かな汁ものであることが知れる。


「食べろ。おれたちはあんたを飢えさせたいわけでも、まして殺したいわけでもない」


 襲撃してきて、その言葉はどうかと思ったが、囚われの身で文句は言えない。脱出の機会を狙うなら、いつでも動けるようにしておくべきだ。

 レンは鳴法石に及ぼされる影響にふらつきながらも、与えられた食事を摂るべく身を起こした。長くその体勢でいたせいで身体のあちこちが軋み、力の入らない身は厄介であったが、レンが苦労して身を起こしているのがわかったのか、男が鳴法石を巻きつけていないほうの手を伸ばしてきて、肩を支えてくれた。要らない世話であったが、身に力が入らないのでは仕方ない。それに、鳴法石はまだ近くにある。たったこれだけの距離で鳴法石の影響から逃れられるわけもないことを、レンは経験から知っていた。


「あんたを狙ったのは、おれたちに必要なのがあんたで、その目的が依頼主と一致していたからに過ぎない。おれたちにはあんたが必要で、依頼主はおまえにあそこから消えて欲しかった、そういうことだ」

「依頼主……」

「お察しのとおりだ」


 男に進められるまま、レンは麺麭を椀の汁に浸しながら、ゆっくりと口に運ぶ。味がしないのは緊張からではなく、これが単なる栄養補給でしかないからだろう。ヒヨリとの食事であれば別だが、今レンの目の前にいる男は正体不明だ。本当なら今頃、ヒヨリと楽しい食事会のはずだった。


「イファラントの、王妃か」

「ああ、そうだ」


 男も食事がまだだったのか、レンがおとなしく食し始めると、どこからか同じような麺麭を取り出して頬張った。気づいたときには酒瓶も片手に持っていて、麺麭を食べ終えると茶器に紫色の酒を注ぎ、レンにも差し出してくる。


「酒は……」


 酒は特に苦手というわけではないが、好んで飲みたいとも思わない。傍らにヒヨリがいたのなら、ヒヨリはそれなりに酒が好きなようであるからつき合うこともあるが、レンは基本的に酒の類いを呑まない武人だ。


「苦手か? 生憎と水分になるものはこれしか持ち合わせてない。今は我慢して飲んでおけ」


 今は、と言って茶器を差し出してくる男に、仕方なく流されて茶器を受け取る。やはり美味そうには見えなくて、水分補給だ、と言い聞かせなければ飲みたくもない。


「一気に飲め。それで、眠ってしまえ」


 ふと、思う。

 男の外見に惑わされているのかもしれないが、この男は思った以上に優しい人間なのではなかろうか。


「こんな状況で、眠れると思うのか」

「だからそれを飲めと言っている。酒に誤魔化されれば、鳴法石の影響があっても多少は気が紛れるだろう」


 男は、飢えさせるつもりもなければ殺すつもりもないと、言っていた。目的があってレンを拉致したと言った。その目的が、イファラント王妃からの依頼と一致していたと言っていた。

 この男の目的はなんだろう。


「わたしに、なにを、させたいんだ」


 食事の手を止めて問うと、男はゆっくりとレンに視線を合わせた。灰色の双眸はなにを考えているのかわからない。


「あんたにできることを。あんたなら……この理不尽を理解できるだろうからな」

「理不尽?」


 男には、レンを襲撃したときのような、レンを小ばかにするような態度は見られない。むしろあのときの態度は、なにかの間違いだったのかと、そう思わせるような落ち着いた雰囲気に包まれている。


「頭目はあんたを捕まえられてあのとおり、上機嫌だ」


 ちらりと、男は背後に目を向ける。男の視線の先には、なるほど、火を囲って酒盛りしている黒ずくめが数人いる。

 ああそうか、襲撃してきたときの黒ずくめでは、ないのかもしれない。美声だと思ったのも、あのとき口を開いた男とは別人だったからだ。


「……わたしは、これから、どうなる」

「おれたちはあんたを手放す気がない。あんたを抑えていられる鳴法石もあることだしな。まあ、帰れるとは思わないことだ」

「わたしは……どんなことになろうとも、妻の許に帰るぞ」

「……国、じゃねぇんだな」

「は?」

「いや、やっぱりあんたは手放せないな。言っただろう、おれたちはあんたの旦那を招待してもいい、ってな」


 ほんの少し、ほんの些細な変化であったが、男は唇を歪めて笑った。気障ったらしい、けれども想像通り優しげで、柔らかな笑みだ。

 不思議だった。この目の前の男が、自分を攫った襲撃者とは思えなくなってくる。


「それは、どういう意味だ?」

「契約違反になって代償は必要になるだろうが、それを厭わないほどに価値がある程度には、あんたの旦那をここに連れてきてもよかったんだよ」

「……ヒヨリはわたしのものだ」

「そう、それだ。あんたの旦那には、あんたを拘束する威力がある。今からでも遅くない、招待してやろうか?」

「目的がわたしなら、ヒヨリには手を出すな。ヒヨリにはわたしよりも恐ろしいものがあるぞ」

「恐ろしいもの? その意味はわからないが……まあいい、どちらにせよおれたちに必要なのはあんただ」


 クッと咽喉を慣らした男は、酒瓶の口から直接酒を咽喉に流し込み、美味そうに嚥下する。そうして、星空が広がる闇夜を見上げた。


「ああ、今日はいい日だ」


 満足そうな男に、レンは首を傾げる。

 イファラントの王妃に依頼され、レンを攫ったのは彼らだ。けれども彼らには、王妃からのその依頼に自分たちの目的が一致する部分があっただけのことで、王妃からの依頼を反故にしてもいいくらいには、ヒヨリのことも視野に入れていた。

 これはいったいどういうことだろう。


「さて……そろそろ思考力が回復してきたな。さっさとそれを飲め。飲まなければ辛いことになるぞ」


 男はレンの食事の手を再開させると、ついでとばかりに酒を強制してきた。飲みたくないと酒を拒絶してみたが、最終的に鳴法石の首飾りを突きだされて、男の手から無理やり飲ませられた。


「そうしておとなしくしていろ。悪いようにはしない」


 男の異様な優しさに、ゾッと寒気がした。しかし、身体を震わせたレンに、男はなにを勘違いしたのか、「寒いのか?」などと言い、仲間に声をかけると毛布を手配し、それでレンを包んだ。


「やめ、ろ……っ」

「ふむ……おとなしくしていれば、武将のあんたも女っぽくなるのか。いや、鎧がないせいか? なんにしても、剣を持たないあんたは非力だ。おとなしくしていろ」


 レンを抱えた男は、忘れることなく鳴法石の首飾りをレンの首に装着すると、そのまま近くの木にもたれかかり、眠る体勢に入ってしまった。


「はなせ……ヒヨリ、ヒヨリ……っ」


 鳴法石の影響と、飲みたくもなかった酒のせいで、さすがのレンも思考が怪しくなってくる。背に感じる温かなぬくもりが、ヒヨリのものであると勘違いしそうで怖い。


「はいはい、おとなしくしときな。おれはあんたの面倒を看るよう言われている。いやでも始終そばにいる人間だ。女の部分はとりあえずおれが護ってやるから、安心して眠れ」


 意識が眠りへと引っ張られかけると、男の子ども扱いする声が妙に響き、居心地が悪くなる。だが、とりあえず武将でも女であるレンを、男はそう扱う気がないというのは伝わってきた。それはまるで、レンという存在そのものが目的であると、言っているようなものだった。


「お、ま……えは」

「ああ、そういえば名乗ってなかったか。モトエ、だ」

「も、とえ……?」


 名を口にしていいのだろうか、と思うのと同時に、聞き覚えのなるような名だと感じた。知っているような、そうでないような、そのもどかしさが不愉快でモトエという男に再度問おうとしたが、そうするには眠気が限界だった。


「……憶えている、わけないよな」


 眠りへと落ちる直前、モトエのその言葉が聞こえ、モトエという名が聞き覚えのある名だということだけに気づいて、レンは意識を手放した。







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