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13 : 『影』。





 双子だから細部まで似ていると思ったのに、そうでもないようだな。

 と、エンリが言った。


「育った環境が違いますからね」


 イチヒトは寝台を整えながら、当然である答えを口にする。


「たとえば?」

「わたしは厭世魔術師の晩年に育てられたその弟子、まあ放置されたと言いましょうか。師に教えられたことなどありませんからね」

「ほぼ独学、だったか」

「ええ。厭世魔術師は、両親の知り合いです。もう弟子はとらない、という厭世魔術師に無理やり預けられたので、有言実行されてしまったわけです。ですが、書物はエンリさまも御覧のとおり、たくさんありましたからね。師に教えられる必要はありませんでした。結界術は別ですが」

「ふむ……で、今のおまえが完成した、と」

「わたしが魔術を独学で習得する分には、かまわなかったようでして。教えてくれることはありませんでしたが、褒めることに関しては上手でしたよ。わたしが魔術を使えば喜んでくれるくらいには、わたしにとっては優しい師でした。ですからわたしは、彼女を師と敬います」


 そういえばそろそろ墓参りの季節だな、と思いながら、イチヒトには優しかった厭世魔術師を思い出した。


「かの有名な魔術師アリマ・アマゼンテにも、人を想う気持ちはあったか」

「彼女はべつに、本当の意味で世を嫌っていたわけではありませんよ。ただ疲れてしまったそうです」

「疲れた?」

「わたしはあなたの魔術師としてその立場を擁立していますが、彼女は師団に属していましたからね。魔術と法術が拮抗する師団で、彼女はその人間関係に疲れてしまったのだそうです」

「まあ、おまえを捕まえるまでは、おれも師団の内情は知らなかったが……アリマがなにに疲れたのか、今ならわかるな」


 想像に難くない、と唇を歪めたエンリは、イチヒトが整えた寝台に潜り込む。眠るわけではなく、その位置を会話する場所としたらしい。座り心地を調整し、満足すると組んだ足の上に腕を置いた。


「弟は? ヒョーリは、どこにいた?」


 師をつらつらと思い出していたイチヒトは、その思い出の中に弟の姿を見つける。


「弟がどう思い、どう感じていたかはわかりませんが……ずっとわたしのそばにいましたよ。今でも、そばにいる感じがします」

「さすが双子だな」

「弟は真名を封じられてすぐ、叔母の……イファラント王妃の目についてしまって、特例で王立の学院に入学しました。いくつも年上の人間に囲まれて、幼少期を過ごしたのです。十代も半ばで王城勤めになったのも、律儀にも学院で優秀な成績を残したからで……あっというまに、宰相補佐にまでなりましたね」

「それはなんというか……おれにも分けて欲しいくらいに賢いな」

「賢さはどうでしょう? 本当に賢ければ、弟は王妃の目に留まることなどなかったと思いますよ」


 ヒヨリは確かに優秀だ。賢いと、誰もが言う。けれどもイチヒトは、本当にヒヨリが賢い生きものであるなら、避けるべき王城勤めの仕事などするわけがないと思っている。


「たとえば、だぞ、たとえば」

「はい」

「ふつうに考えれば、王妃の目に留まるというそれは、出世への道だ。宰相補佐にまで上り詰めたのなら、それは王妃に目をかけられたからだと、思うのだが?」


 エンリが言うことは正しい。


「その通りです。ですが、弟はなにを考えていたと思いますか?」

「出世ではないのだろうな、おまえのその言い方から察するに」

「なにも考えていなかったのですよ」

「は?」

「なにを言っても、王妃が後ろにいるから、王妃が擁護するから、王妃がそばにいるから、と……なにをどうしようが弟には王妃のことがついて回るのです。となれば……なにもしないことが一番でしょう」

「諦めていた、と?」

「極端に言えば、そうなりますね。ですから弟は、王妃に媚びを売ったこともありませんし、王妃に目をかけられていることを歯牙にもかけませんでしたし、周りに虐められても嫌がらせを受けても、なにもしませんでした」

「随分な精神力だな……なぜだ? なぜそういられた?」


 なぜ、と訊かれても、そこはイチヒトも、ヒヨリではないのではっきりとは言えない。双子だから、当時ヒヨリがなにも考えていないことくらいはわかったが、その目的までは読めなかったのだ。


「国を出たい、と一度だけ聞きました。おそらく、そのために、待っていたのでしょうね」

「……国を出る機会を?」

「未練などないくらいに、弟にとってイファラントという国は、どうでもよかったのでしょう。律儀な性格が、婚姻を結ぶまで弟をあそこに留めていたのだと思います」

「律儀な、ね……そうは見えんが」

「仕事に関して、ですよ。いくらどうでもいい国だと言っても、その国に暮らす人々がいるわけですから」

「それは……随分と偏った律儀な性格だな」


 偏った、と表現したエンリに、そうですね、とイチヒトも頷き、自分用に整えた寝台に腰かけた。


「しかし……だから賢くないとおまえは言いたいのだろうが、本当にそうか?」

「お疑いですか」

「戦神が誘拐されたその推測を、おれは立てただろう?」

「間違いはないと思いますよ」

「ヒョーリはおれの推測で、納得したようであった。つまり、おれが立てた推測を、ヒョーリも立てていたということだ。それが賢くないと言われる奴だろうか?」

「ごもっともですが、エンリさま、あなたはまだ子どもであられます」

「ぐぬ」

「弟があなたの推測で自身の推測に納得したのは、同じように考える者がいる、という確認を取っただけでしょう。本来なら、その一歩も二歩も先を読み、裏をかかねばなりません」

「偉そうなことを言ってすみませんでした」


 頭を下げた、というより「かっこ悪いうえに恥ずかしい」思いから寝台に潰れたエンリは、やはりまだ少年だ。早くおとなになろうとして、けれども時間がそれを許さなくて、必死に足掻いている子どもだ。

 そんなに焦らなくとも、時間はあっというまに過ぎるのに、とイチヒトは微笑む。

 エンリが子どもらしくいられる時間は少ない。いや、エンリに限らず、子どもでいられる時間は、おとなになってから随分と短い時間だったと感じるだろう。だからエンリの場合、王子という立場から、一般的な子どもの時間を過ごしていられない。子どもでいられるうちは、子どもでいればいいのだと、そう思うのはおとなの一方的なものだとわかっているが、つい願ってしまう。


「エンリさま。弟の問題に深い関心を持ってくださるのは嬉しいのですが、だからといって、平行線上に並ぶ必要はないのですよ」

「子ども扱いするな」

「いいえ、敢えてそうさせていただきます。わたしは……あなたにもっと、子どもらしくあって欲しいので」

「おれはいやだぞ。それではおまえと……その」


 口籠ったエンリが頬を朱に染めたのは置いておき、イチヒトは笑みを深める。


「あなたが理解ある御方であると、わたしは知っています。ですからわたしは、安心して弟の力になれるのです。あなたには迷惑をかけてしまいますが、いつもわたしが振り回されているのですから、かまいませんよね」

「ぬぬ……う、む、いつもすまん」

「いいえ。こちらも、古代遺跡を楽しみにしていらしたところを、申し訳ありません」

「それはかまわんと言っただろう。おまえがおれのこと以外で動くなんて、初めてなんだぞ。つまり初めての我儘だ。ここで寛容でなくて、どうするのだ」


 復活したエンリが、寝台の上で胸を張る。

 そういえば我儘はエンリさまの専売特許でしたね、と思った。


「寛大な御心に感謝いたします、エンリさま」


 頭を下げれば、うむうむ、と少年王子は偉そうに頷いた。

 エンリを乗せるのは得意になったこの頃のイチヒトである。


「我儘ついでにもう一つ、面倒な魔術を発動させたいので、エンリさまにはご協力をいただきたいのですが、よろしいでしょうか」

「面倒な魔術? おまえに面倒と感じる魔術があるのか?」

「エンリさまに協力していただく必要がある魔術は、面倒です」

「ぬ……まるでおれが面倒な生きもののように聞こえるな」

「おや、ご自覚が」

「どんな魔術だ」


 面倒だという自覚があるのかないのか、みなまで言わせなかったのは自覚があってもなくても問題ない、自分の魔術師だ、という思いがあるからだろう。エンリは相変わらずエンリである。


「エンリさまは、弟の妻、ヴァントルテが戦神と、相対した経験がございましょうか」

「幾度かある、な。会話は一度だけだが……最後に逢ったのも、終戦したその年だな」

「憶えておりますか」

「会話か?」

「いえ、魔力です」


 彼女の魔力を憶えているか、そこが重要である魔術は、同じ魔術師になれたであろうヒヨリには協力を頼めない。ヒヨリは真名を封じられているせいで、知識的なもので魔術を理解することはできるが、実践となると無理だ。魔術師なら肌で感じられるものを、真名のせいで感じられないのだ。


「戦神の魔力か……」


 エンリであれば、もとから魔術の才はあったので、たとえイチヒトに及ばずとも、肌で感じられるものがある。

 そう、たとえばその質、その量、その気配だ。


「憶えておりますか、エンリさま」


 重ねて問うと、黙り込んだエンリが、徐々に顔を渋めていく。

 さすがにエンリも、イチヒトに出逢う前に感じることになったそれは、憶えていられなかっただろうか。


「あれは最悪だったな……」

「はい?」

「いや、魔術を覚えたてだったせいもある。戦神は許してくれた。ゆえにおれは悪くない」

「……なんのことですか」


 問いの答えになっていないのだが、とイチヒトは思ったが、そうではないようだ。


「おまえに出逢った頃、おれの魔術の基本はでき上がっていただろう」

「ええまあ、壊滅的でしたが」

「そこは黙っておけ。おれに才があると、おまえ以外に気づいてくれる者がいなかったのだ」

「壊滅的であったのはそのせいでしたか」


 こんなことで、そんな知る必要のないことを教えられても困る。イチヒトが訊いているのは、今よりももっと幼かったエンリが、ヴァントルテが戦神の魔力を感じられたか、であり、今でもそれを憶えているか、である。


「まあ、そういうことだ」

「……。なにが、そういうこと、なのでしょう」

「最後まで言わせる気か」

「いえ、言ってもらわなければ理解できません」


 なにを言いたいのかさっぱりわからない。意味不明な行動を取るエンリはいつものことであるが、今はそれで片づけられないのだ。


「だから、そういうこと、だ」


 言いたくないらしい。

 仕方ない、つまり、と推測してみる。


「挑んで敗退したとか言いませんよね」

「わっ、悪かったな無知で!」


 阿呆だ、と思った。


「可哀想な目でおれを見るな、イチヒトのくせに!」

「いえいえ、まさかそんな……阿呆みたいなことをするとは思わず」

「阿呆で悪かったな! 魔術が面白かったんだよ! 覚えたてだったからな!」


 耳まで真っ赤にして怒鳴ったエンリは、どうやらその過去、覚えたばかりの魔術で、戦の神さまとまで謳われるのは伊達ではない戦神に、挑んでしまったらしい。


「まあ、恥ずかしい過去ではないでしょう。当時であればエンリさまは……終戦直後ですから、六歳か七歳でしょうか」

「六つだ! だが歳は関係ないだろう! あれは……あれは最悪だ……」


 再び寝台に撃沈したエンリは、それくらいその過去を恥ずかしいと、情けないと、思うことのようである。


「しばらく表に出られなかった……戦神がとりなしてくれたから体裁は取れたが、それにしてもそんなことまで戦神にしてもらって……おれ最悪……」


 どうやらエンリが大国ヴァントルテのアレクノ公爵家に過剰なほど驚き、レンドルアという当主が戦神であることを知っていたのは、なにも王子だからという理由だけではなかったようだ。


「子どものすることです。誰もそんなことでエンリさまを馬鹿にはしませんよ」

「おまえ今、阿呆呼ばわりしただろうが!」

「戦神の魔力は噂で聞いています。誰もが恐れるほどのものであると。ですから、よくもまあそんな度胸があったものだ、とは思います」

「仕方ないだろ! 魔術が面白かったうえに、その才女が、戦神が、目の前にいたんだぞ……興味があったんだ」

「して、なにをどう挑んだのですか」


 これは単なる好奇心で訊くことだが、エンリには恥の上塗りだろう。しかし、挑んだことを恥だと思っているようではあるが、魔術が面白かったという当時の思いは今でも持っているものゆえに、特に隠そうとはしない。


「難しいことはしていない。覚えたてだったと言っただろう。その……ただの力比べだ」

「力比べ、ですか」

「どちらが大きな水の塊を作れるか、それをどの程度の時間で作り上げられるか、作り上げたそれをいかに素早く消滅させられるか、だ」

「……基本ですね」

「当たり前だ。おれは手のひらほどの大きさの水塊を想像していた。その通りに作った。だがふと……頭上が曇ったのだ」

「まさか……」

「城一つ包み込むことのできる水塊があった」


 思わず、うわぁ、と声に出してしまう。

 イチヒトも作れなくはない大きさの水塊ではあるが、おそらく時間がかかる。作り上げた時間の倍をかけて、消滅させる。


「作り上げるのも消滅させるのも、一瞬のことだった。おれはそれに呆けてしまって、負けたわけだ」

「当然ですね。さすがにわたしも一瞬というのは……」


 さすがは戦神、である。当時のエンリは、ほかからすれば、とんだ勇者であったことだろう。笑い者にしようと思った者たちも、戦神の魔力に口を閉ざすしかなかったと思われる。


「戦神の魔力は本物だ。あの力比べも、おれは全力であったが、戦神はもう少し力を込めれば町一つの水塊にできると言っていたからな……手加減していたらしい」

「戦神と謳われるだけのことはありますね……そんなところに嫁いだのですか、あの弟は」


 だいじょうぶだろうか、とヒヨリを心配しても、今のヒヨリの姿を見れば必要のないものであるが、そうなるとヒヨリの真名に関して心配になる。ヒヨリの名が大好きらしい彼女は、幾度もきっちりと名を呼ぶらしいのだ。それでも今まで真名が解放されたことがないと言うので、彼女のほうで力を制御しているのは明らかだが、いつその制御が切れてもおかしくはないと思う。


「あのとき、ひとはそれを禍々しいと言ったが、おれはそうは思わなかったな」


 ひょこ、と寝台から頭だけ上げたエンリが、子どもらしい素直な感想を述べてくれた。


「なんというか……純粋、だったな」

「純粋?」

「おれは魔術が好きだから魔力を大切に思っているが、戦神の場合は、なんというか……魔術が好きなわけではないんだ」

「……それは純粋とは言えないのでは?」

「いや、純粋だ。戦神は、魔力があってこその自分だと言っていた。魔力が生命力なのだと、おれは思ったぞ」

「好きでも嫌いでもないから純粋、と言うには……」

「いやいや。生命力なんだよ、魔力は。あるのが当たり前、と言おうか。戦神は、自分にこれだけの魔力があることを驚かれるほうが不思議だと、そういう顔をしていたんだ」

「当たり前なこと……」

「そうだ。それは、純粋、だろう?」


 湾曲しているが、確かにエンリの言う通りかもしれない。

 当たり前だと思っていることを人に驚かれて不思議なら、力があることを純粋に思っていることにほかならないだろう。

 イチヒトも、そういう見方であれば、魔力に対して純粋だ。


「少し曖昧だが……こういう感じだ」


 ふとエンリが、寝台から身体を起こし、這ってきたかと思うとイチヒトに手を伸ばし、イチヒトの手を握る。

 エンリの手から伝わってくるもの、それはイチヒトが面倒だと言った魔術の発動に必要なものだった。


「これが戦神の魔力……」

「おれはあのとき魔力切れを起こしてな。倒れかけたところを戦神に分けてもらったんだ。相性がよかったのか、それとも戦神のものだったからか、あれからおれの魔力が増えた。わかるか、イチヒト」

「ええ……ええ、わかります。これが戦神……彼女が、ヒヨリの……」


 イチヒトは戦神である彼女に一度も逢ったことがない。けれども、エンリを通して伝わってきた彼女の魔力は、それだけて彼女のすべてを見せてくれた。

 愛らしい、騎士とは思えないほど華奢な、それでいて凛々しい姿の、アレクノ=レンドルア・エクトシアだ。彼女がなぜヒヨリに惚れたのか、いやヒヨリがなぜ彼女に惚れたのか、なんとなくわかる。

 彼女には、それしかない。


「護りたいと、思ったのですね……ヒヨリ」


 彼女には、それしか、生きるすべがない。


「支えたいと、慈しみたいと……すべての感情が、惹かれていったのですね」

「イチヒト……?」


 そっと、エンリに頬を撫でられた。ポロリと、涙がこぼれていたらしい。


「エンリさま、あなたのおっしゃるとおりです。戦神は……彼女は、魔力が生命力そのもの、魔力が彼女を構成しています」

「……やはり、そうか」


 彼女にはヒヨリが必要だ。そしてヒヨリにも、彼女が必要だ。互いに互いがいなければならない。


「戦神は、『影』か」

「はい、そうです」

「……未だそんな風習が、残っているのか」


 イチヒトの頬から手を離し、握っていた手のひらも離すと、エンリは忌々しげに顔を歪め、腕を組んだ。


「大国ヴァントルテ……やはり、古いだけのことはあるな。もはや生み出せぬとされた『影』を、こうして脈々と残してみせる……アレクノ公爵家は、その一族であったか」

「よくご存知ですね、古い『影』を」

「おまえこそ」

「わたしがそうされるところでしたので。師から聞かされました」

「おまえの心臓をヒョーリに?」

「いいえ、逆です。弟の心臓を、わたしが、喰らうところだったのです」


 それは可能性の、曖昧で不明瞭な未来ではあったけれども、イチヒトがもし厭世魔術師に預けられることなく、存在を秘されることがなければ、確実に訪れていただろう。

 産まれた当初、イチヒトのほうが、ヒヨリよりも魔力があった。古代の風習を恐れた両親が双子の事実を隠蔽しなければ、今頃ヒヨリは存在しなかった。ヒヨリの真名を封じ、イチヒトの存在を秘することで免れたその未来は、しかしけっきょくのところヒヨリの人生をイチヒトが奪っている。

 それでも。


「弟を、『影』にするところでした」


 喰らい殺す未来を潰せただけでも、よかったと、思う。


「……おまえたちはよい両親に恵まれたな」

「ええ、本当に」


 両親には感謝してもし切れない。半身を殺さなければならない未来にあるくらいなら、半身と離れ離れになっている今が、とても幸せなことだと痛切に感じる。ヒヨリには重荷を背負わせてしまったが、その分イチヒトが試行錯誤して動けばいいだけのことだ。イチヒトのために犠牲になってくれたことに変わりない弟は、ヒヨリは、自分を殺させる運命をイチヒトに背負わせなくてよかったと、笑うのだから。


「戦神は、誰を喰ってしまったのだろうな」

「喰わされたようです」

「……見えたのか」

「これほど純粋な魔力、ほかから禍々しいと思われても仕方ありません」


 エンリを通して伝わってきた戦神の魔力は、それだけで充分なほど、イチヒトに情報を見せた。


「強大な魔力を持っているのだから、戦神でなければならなかったのです……その罪悪感ですね」

「『影』であることが、罪だと? そんなわけがあるか。『影』にされた者たちに、罪はない。『影』を生み出した者にこそ、その罪はあるのだぞ」

「自ら『影』になる者もいます」

「だとしても、戦神はそうではなかった。おまえはそう見たんだろう?」

「はい。ですから彼女には、罪悪感があるのです。喰らってしまった命を、忘れないために」

「……戦神は悪くない」

「ですが、喰らってしまった過去は、消えません。たとえ彼女が、喰われるほうの『影』であったとしても」


 事実は逃れようもなく突きつけられるものだ。拭い去りたくても拭い去れないほどの、それは大きな罪であろう。


「……戦神の口上を、おまえは知っているか」

「いいえ、存じ上げません」

「ヴァントルテが戦神の影、と名乗るそうだ。古い『影』を知らぬ者は、神の御使いと捉えるだろう。だが、違うな……戦神は、古い『影』の意味で、口にしていた。本物の戦神、いや、レンドルアという者が、いたのだろう。その『影』であると、言っていたのだ。そうだろう、イチヒト」

「……レンドルア、とは、彼女の兄のようです」

「兄を喰らわせたのか、アレクノ家は」


 怒りと、悲しみと、複雑な思いを双眸に抱きながら、エンリの赤茶色の双眸が揺れる。イチヒトは否定しなかった。


「『影』は、血族であればあるほど、生み出しやすいのです。わたしが弟を喰らうところであったように」

「同じ血か」

「本来なら彼女が、レンドルアという兄に喰われるはずだったようですね」

「なぜ彼女が喰らうことになった」

「わたしと同じく、レンドルアという兄は妹を喰らいたくなかったのです。けれどもそれは許されなかった。だから彼女が……レンドルアとなるしかなかったのでしょう」

「おまえにはそこまで見えたのか」

「わたしは、弟を『影』にするところでしたから……」

「なんてことだ……っ」


 くそ、と悪態をつき、エンリは拳を握る。

 今さら古い風習をどうにかしようにも、そもそも廃れた風習であり、「影」は生み出されなくなっている。どの国を見渡しても、「影」はもういない。大国ヴァントルテだからこそ、残っていたとしか思えない風習だ。イチヒトに至っても、両親が偶然にもその知識があっただけで、なおかつ国が戦争によって疲弊していたからこそ、避けられたことなのだ。

 もっとも、「影」に倫理観を求めたがゆえにその風習が廃れたのではなく、「影」の風習が横行したことで世界の怒りを買ったのか、「影」を生み出せるくらいの魔力保持者が激減したことで古代遺産となった。国は、人々は、「影」の魔力という質よりも、魔術師という量を取るようになっていったのである。

 大国ヴァントルテ、だからこそ、「影」を生み出せたのだと言えよう。

 六年前までの戦争には最後まで干渉しなかった大国ヴァントルテは、「影」の風習を脈々と残していたがゆえに、戦神を輩出したのだ。


「このことを、ヒョーリは知っているのか」

「知らなければ、弟はあそこまで、必死になりませんよ」


 ともすれば訪れていたかもしれない未来に、妻がいたとヒヨリは知った。そして妻が罪悪感に塗れ、壊れそうになっていることも、ヒヨリは知った。


「……救わなければ」


 エンリのそれは、出逢った当初ヒヨリも思ったことだろう。そしてそれは、同情だけでなく、徐々にいとしさを孕んでいったのだ。彼女の立ち姿は、それだけで、ヒヨリには充分だっただろう。


「戦神をひとりにしてはならない。必ずヒョーリの許に、返してやらねば」


 罪悪感に塗れた彼女がいつ壊れても、おかしくないからこそ。


「イチヒト、おまえが面倒だと言った魔術は、おれのなにが必要なのだ」

「得られました」

「なんだ」

「彼女の魔力です。その質を知れば、辿ることができるのです。おそらく弟もそれを考えていたでしょう。彼女は弟の妻、真名を解放すれば、己れの身がどうなろうとも、彼女の魔力くらい辿れるでしょうからね」

「それを、おまえがやるのだな?」

「弟の真名を解放するには、幼い頃であれば危険も少なかったでしょうが、今となると少々難しいので」

「知識だけで魔術は扱えないものな……わかった。この件に関して、おれはなにも口出ししない。好きなようにやれ、イチヒト」

「もとよりそのつもりです。ご理解、感謝いたします、エンリさま」


 たびたびエンリに感謝しながら、本当に理解ある主人でよかったと思う。よくもまあ存分にイチヒトを振り回してくれるエンリは、だからこそ、イチヒトが振り回してきても文句は言えないのだ。

 エンリの素直で正直な部分を利用するのは気が引けるところであるが、確かな理解を得られてもいるので、イチヒトはただふつうに、感謝を込めて頭を下げたのだった。







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