11 : 「逃げ」の真実。
フォレス遺跡へは、王都の隣にある大きな町パンペストから、西へと山を進む。徒歩で一週間ほど山道を進むと開けた草原地帯となり、そこからさらに南へと進めば崖下にフォレス遺跡が見えてくる。手前までは簡単に進めるのだが、フォレス遺跡は崖下にあるため急に足場が悪くなり、簡単には踏み込めない。踏み込めたとしても、地盤の弱さ、古代のものであるが故の脆さなどから、その攻略は一筋縄ではいかない。体力知力、共にかなりの自信がある考古学者でもなければ、山賊すらも寄りつかないほどの、実は難所だ。
イチヒトとエンリは、フォレス遺跡で見つかったという古代のものを調べるために、まずは国にそれを知らせてきたパンペストの冒険者組合へと向かった。
パンペストにはこれまで幾度も足を運んでいるので、王都にも負けない巨大な町であっても、迷うことはない。ただ、組合の事務所は花街の一角に近いため、夜の帳がおり始めると少々物騒な界隈だ。それを避けつつ、イチヒトはエンリを組合まで連れて行かなくてはならない。ついて来ただけなのにそうまでするのは、エンリが外見を裏切る残念な性格であることと、王子という身分であるがための危険を回避するためだ。
組合に到着する前には、安くもなければ高くもない宿を取った。幸いなことに、フォレス遺跡で見つかったものに関して、難所であるがゆえに好奇心で集まったのは格の高い冒険者ばかりで、余計な観衆を寄せつけず、空き部屋が多かった。
ただ。
「なんというか、あれだな」
「なにがですか」
安全性を重視して、安くも高くもない宿でも上質な部屋を、警備の都合上一つ押さえたわけだが、それはつまりイチヒトとエンリが一つの部屋に寝泊まりするということで、それに対してエンリが複雑そうにしていた。
「意識されていないというのがこれほど空しいことだとは思わなかった」
「……、なんのことですか」
「伝わらない時点でこの話は終わりだ」
エンリが複雑そうにしている理由などイチヒトにはさっぱりだが、これはいつものことなので気にしない。部屋を別々にして欲しいということなのだろうが、そうするにはエンリの身分が高すぎて、ただでさえ護衛がイチヒトしかいない状態では、聞き入れられない頼みだ。
「町人を堪能したいお気持ちはわからなくもありませんが、ご自身の立場と、それから性格をお考えください。町では、城のように夜でも明るいなどということはございません。真っ暗闇のなか、おひとりで眠れるのですか?」
「そこまで子どもではないぞ」
子どもではない、と言い張るエンリを、思わずイチヒトは上から下まで眺める。三年前からエンリの身長はイチヒトの目線を越えない。
「……いえ、睨まれても困るのですが」
「明らかに子どもだろうが、とその顔に書いてあるぞ」
恨めしそうな顔をされた。
「……自覚がおありのようで」
「斬るぞ」
「どうぞ」
「……。嘘だ」
「でしょうね」
物騒なことを言いながらも、けっきょくはイチヒトを自分の魔術師にしておきたいエンリのことを、イチヒトはよくわかっている。
そうして、軽い憎まれ口を叩き合いながら、冒険者組合の看板が提げられた建物が見えてきたときのことだ。
「……おや」
イチヒトは、ふと見覚えのある姿を、組合の入り口で見つけた。
「どうした、イチヒト」
「随分と懐かしい姿があそこにあるような気がしまして」
「懐かしい姿?」
「はい」
気のせいだろうかと思ったが、組合の建物に近づくにつれ、見覚えのある姿の輪郭が、確実に見知った姿と重なる。
「……なぜこんなところにいるのでしょうね」
と、呟けば、気になるのかエンリも首を傾げた。
「知り合いなのか?」
「弟です」
「はっ?」
「……なぜそんなに驚くのですか」
思い切り驚いて立ち止まるエンリに、そこまで驚かれる意味がわからず、イチヒトは眉を潜める。いくらエンリにビーストと間違われたとはいえ、イチヒトは人だ。血の繋がりくらいある。
「い、いたのか、弟」
「ええ」
「え、まさかほかにも兄弟が……」
「上に兄がふたり、姉がひとり、弟はそこにいるひとりです」
エンリの目が真ん丸になった。赤茶色の瞳が、こぼれ落ちんばかりに見開かれている。
「お、多いな」
「そうですか?」
「聞いてないぞ」
「訊きませんでしたでしょう」
「あんなところにひとりでいたら、天涯孤独かと思うだろうが」
あんなところ、と言われた以前の棲家を脳裏に描く。住んでいた頃は欠片も不便さを思わなかったが、考えてみればあんな山奥、魔術師でもなければ棲み処にできないかもしれない。
「あそこはもともと地元民の狩猟小屋で……とても静かなので読書にはもってこいの場所なのですが」
「……。あの山は直轄の国領だが」
「ですから結界が張られていたのですよ。まあ、わたしが張り直したせいで、あなたに暴かれてしまったわけですが」
「……一つ訊く」
「なんでしょう」
今日は質問が多いな、と思いながら、エンリからその問いを聞こうとしたときだった。
「イチヒト?」
と、声をかけられた。もちろん、随分と懐かしい、と思った弟が、イチヒトに気づいてかけてきた声だ。
「探したぞ、イチヒト。おまえ、なんであの山小屋にいないんだよ。おかげでこんなところまで来ることになった」
文句を言いながら、空色の双眸に怒りと、それを上回る安堵を浮かばせた自分そっくりな弟が、歩み寄ってくる。
「久しぶりですね。出逢い頭に文句とは、ほかに言うことがあるでしょうに」
「……五年ぶり、久しぶりだな?」
年月を感じさせない懐かしさに、知らずイチヒトは感じ入る。同時に、僅かな憎たらしさも込み上げた。
「よくもひとりで逃げましたね」
「逃げ……いや、べつに逃げたわけではないが」
「国を出たいなら手を貸すから、とわたしは言いました」
「それに関しては自力でどうにかするって言っておいただろ」
「異国の姫と結婚することが、自力でどうにかするという方法だったのですか」
弟だからか、エンリがそばにいるというのに、つい遠慮のない失礼を欠いたことをしてしまう。エンリが「なにごとだ」と目を瞬かせていても、その説明も後回しだ。
久しぶりの、五年ぶりの弟に、言いたいことが口を突いて出てきてしまう。
「悪かったよ、報告もなしに」
「悪いとは思っているようですね」
「まあ……おまえには相談すべきだったかと、それくらいは」
「とりあえず言い訳はあとで聞きましょう。よくここにわたしが現われると、わかりましたね。置手紙を読みましたか」
「読んだ。それで王都に向かう途中だった。道中でおまえらしき人物の話を聞いたから、組合でその話を聞いたところだ」
「そうですか。では、説明は要りませんね。こちらが……エンリ殿下です」
漸くか、とエンリが好奇心に満ちた顔つきでイチヒトの隣に並び、イチヒトに並ぶ身長の弟を見上げた。
「わが魔術師の弟と聞いた。弟というだけあって似ているな。ああ、おれはエンリ・ウェンティンだ」
「あなたが……」
「うん?」
エンリを見た弟が、憐れむような視線をイチヒトに寄越した。
「おまえ、ほんとに結界術が苦手だな」
真名を奪われたことを暗に憐れんでいたようだった。察しのよい弟に顔が引き攣る。
「おまえと違ってわたしの名は呼びやすいですからね」
「まあ……でも、おれもレンには一発で暴かれたからな。あるんだろ、そういうの」
「……れん?」
誰に暴かれたって? と眉を潜めて問うと、弟はハッとしたようにわれに返り、イチヒトに一歩、足を進めてきた。その姿は、イチヒトのように常に冷静で飄々としている弟にしては、珍しい焦りようだ。
「おまえを探していたのには理由がある。手伝ってくれないか、イチヒト。レンのほかに、おれの名をきっちり発音できるのは、おまえだけなんだ」
それは弟の、滅多にない頼みごとだった。
だからわかる。
国を出たいと願っていた弟が、そのために手を貸すと言い続けたイチヒトを、そのときに頼らず、にもかかわらず五年ぶりの再会である今そんなことを頼む意味が。
「……なにか、事情がありそうだな」
弟の雰囲気を察してくれたエンリが、場所を変えよう、と提案してきた。
「申し訳ありません、エンリさま。組合で古代遺跡の話を聞くのは、明日でもかまいませんか」
「むしろ明日以降だ。おまえの弟の話のほうが、よほど重要だろう」
「ありがとうございます」
理解を示してくれたエンリに頭を下げ、焦燥を隠すことも忘れたらしい弟を促し、あっさりと来た道を宿に向かって戻ることになった。
「水入らずで話をさせたほうがよいのだろうが、悪いがイチヒトはおれの魔術師だ。そちらの話を、おれも聞かせてもらうぞ」
宿に向かいながらのエンリの言葉に、弟が「どうしたものか」とイチヒトを窺ってくる。弟には山奥の棲家に残してきた手紙があったので、イチヒトとエンリの関係はそこから知っただろう、それは間違いない。エンリが王子という身分にあることを考えているらしい姿から、それは窺える。
「エンリさま、お立場を考えてください」
「おまえの弟の大事だ。おれも聞いてなにが悪い」
「ですから、お立場です。エンリさまは王子殿下であられる」
「おれのその立場が利用できるなら、利用しろ」
「有り難いお言葉ですが、それはなりません」
「イチヒト……おれに最後まで言わせる気か?」
どこにでもいるようなガキ大将の恰好で、けれども王子らしい姿のエンリに、ここでなにを言っても無駄なのだろうと早々に諦めることにして、イチヒトは弟に話の続きを促した。
「仕方ありませんか……わたしにきっちりと名を発音して欲しいようですが、まずはその理由を伺いましょうか」
「封じられている力を使いたい。それだけだ」
弟が言うだろうそれはわかっていたけれども、イチヒトは素直に頷けなかった。
「自分になぜ真名があるのか、忘れたのですか」
「おまえと同じ魔術師だからだ」
「ええそうです。おまえはわたしと同じ魔術師、わたしの分までその重荷を背負わされています。だのに、それをわたしに、頼むのですか」
「必要なんだ」
「なんのために。だいたい、基礎はしっかりと学んだとはいえ、わたしのように自由ではなかったおまえは、それ以上学ぶことはできなかったでしょう」
イチヒトは、エンリに真名を奪われた間抜けな魔術師だが、そもそもイチヒトが魔術師となったのは、弟という犠牲があってのことだ。イチヒトと同じように魔術の才能があった弟を、真名を封じて国に差し出すことで、イチヒトにまでそれに纏わる累が及ぶことのないよう、両親が仕組んだことだった。
よって、イチヒトのように自由に、自分の好きなように、弟は魔術を学ぶことができなかった。基礎だけは学ぶことを許されたが、その力を自由意思で扱えるようにはさせてもらえなかったのである。
「おい、イチヒト。今の話から察するに、おまえはまさか、異国の民か」
「ですからわたしはあなたに、お立場を、と申したのです」
「なぜ黙っていた」
エンリが、ともすれば睨むように、イチヒトを見つめてくる。
もしここで弟と再会することがなければ、一生語ることはなかっただろう。
「わたしはこの力のせいで、幼くして親許を離れました。捨てられたわけではありません。国に利用されないためです。わが祖国は小国、大国ヴァントルテの庇護あってこその国ですから、わたしたちのこの力はただ争いを招くだけなのです」
「そのために?」
「はい。ですから、わたしの血は異国のものですが、この身はエヌ・ヴェムトの民です」
「……そちらの弟は」
「わたしの犠牲となりました。わたしと弟は、同じですから」
「おまえたちの祖国は」
「イファラントです」
「……あの妖怪爺の国か」
「もっとも厄介なことを申せば」
「なんだ」
「王妃はわが叔母です」
「は……?」
滑稽なほど赤茶色の瞳を丸くしたエンリが、その顔でイチヒトと弟を交互に見やる。本当か、と無言で問うてくる瞳に、弟のほうが忌々しげに頷いた。
「おま……っ、外交問題になるだろうが、それは!」
「なりませんよ」
「はっ?」
「言いましたでしょう。この身は、エヌ・ヴェムトの民です。わたしは列記とした、この国の魔術師です」
「……国籍はエヌ・ヴェムトにあるのか」
「ええ。ですが、弟は違います。まあ、四年ほど前に弟も祖国を出ていますから、今わたしたちにイファラントは関係ありません」
「そ……そうか」
明らかにホッとした様子のエンリは、どうやらイチヒトを自分の魔術師としておくための体面的な問題について、厄介なことになった、と思ったらしい。幸いなことにそれはエンリの杞憂だ。
二重の護り、とでも表現しよう。両親は上手いこと事実を隠蔽した、とイチヒトは思う。
「わたしは、わたしの身を案じた両親によってエヌ・ヴェムトの厭世魔術師に預けられ、弟は、真名を封じて祖国に残りました。わたしの存在は秘されていますが、それは双子であるということを隠すことができただけで、弟の存在まで隠すことまではできなかったのです。わたしと弟が争いの種とならないように、それらは両親が考えて決めたことです。間違いではなかったと思いますよ」
「……真名を封じて、ということは、おれがイチヒトから奪ったようなことが、おまえの弟にはできないということか」
「利用できませんでしょう?」
「一方でおまえは、徹底的に魔術を学んだわけか。おれに真名を奪われさえしなければ、確かにおまえは最強の魔術師だ」
「ありがとうございます」
逆を言えば、エンリに真名を奪われるなんてことは、イチヒトにあってはならないことだった。けれどもエンリは、自分のためにイチヒトから魔術を教わっているものの、イチヒトを使って国を、世界を、どうこうしようとは思っていない。自分の弱さを知っているエンリだから、イチヒトも真名を奪われても平然としていられる。
もし、今後エンリが、国の欲のためにイチヒトを利用しようとするのであれば、イチヒトは全力でエンリのそれを阻止するつもりであるし、最終的には自害も厭わないつもりだ。そんな未来は来ないであろうが、そうなったら、という可能性を、イチヒトは考えていた。
「にしても、そうか……イチヒトは、彼と、双子なわけか。どうりで……」
「顔つき以外は似ていませんがね」
「髪と瞳の色も同じだ」
「同じ親から、同じときに産まれましたからね」
「……漸く、イチヒトは人なのだと、実感した気がする」
「ビーストではありませんね」
「それはもう忘れろ」
ビーストなのか、という甚だしい勘違いが生まれるほど、イチヒトの魔術師としての才能は確かなもので、イチヒトもそれは自覚がある。そして、イチヒトと双子である弟もまた、学ぶことさえ許されればイチヒトと並ぶ魔術師になっていただろう。
それを考えると、発音という表現で真名を封じている弟が、その真名を解放して力を使いたいというのは、相当な問題に直面していると考えるのがふつうだ。
イチヒトは、エンリのせいで逃し続けている幸せをこのときは忘れ、深々とため息をついて己れの半身を見つめた。
「今一度、問います。なんのために、真名を解放するのですか」
イチヒトがエンリにいろいろと説明している間に、弟は落ち着きを取り戻したらしく、冷めた空色の双眸が僅かな熱を携え、イチヒトを見つめてきた。
「レンが攫われた」
返ってきた答えは、意外な言葉で、そして簡素だった。
「れん、とは?」
「妻、だ。おれの」
それは、国を出たいと願い続けてきた弟が、自力でそうするために捻り出した「逃げ」の、真実でもあった。
「わかっているのですか。わたしがおまえの名を呼ぶ、という行為は、その力をイファラントに教えるようなものなのですよ」
「王妃はおれの力を知っている。今さら隠し続けても無駄だ」
「……そうまでして助けたいのですか、攫われたという、政略結婚の相手を」
イチヒトは、弟は国を出たいがために結婚などという「逃げ」に走ったと、今日このときまで、思っていた。
だが、そうではないらしい。
「レンはおれのものだ」
熱を抱えた空色の双眸は、確かに、焦がれていた。
「レンは、強い。おまえと同じくらい、もしかしたらおまえ以上に、強いんだ。それなのに、簡単に、あっさり、捕まった。攫われた。あれだけ強いレンが、そんなことになるなんて……考えたこともなかったんだ」
宿屋がもうすぐ目の前に見えてくる頃、夕日が沈みかけた道端で、弟は悔しそうに両の拳を握り、唇を噛み、俯いて立ち止まった。
「……まあ、攫われるとしたら、剣の才能がないおまえのほうが、狙い易いでしょうからね」
「おれの真名を解放してくれ、イチヒト」
助けたいのだと、弟は全身で、訴えてくる。
真名で力を封じられた弟は、残念なことに剣の才能がなく、身を護るすべに欠けていた。イチヒトよりも強いという妻を助けるためには、封じられている力を解放させる以外、弟には確かに方法がないだろう。
気持ちはわからなくもない。
だが、だからといって、簡単に頷くことはできない。
「ばかですね……」
頼ればいいのに、と思った。
そんなに大切な人に出逢ったのなら、その人を護るために、自分を犠牲にして自由を得ているイチヒトを、それこそ自由気ままに利用すればいい。
相変わらずのお人好しっぷりに、ため息がこぼれ落ちてしまう。
「……エンリさま」
「なんだ。まさか、いやだとか言うつもりか。弟の頼みを無下にするのか。妻が攫われたんだぞ。一大事だぞ」
「いいえ、そうではありません」
「ではなんだ」
「暇を、いただけませんでしょうか」
「は?」
イチヒトは沈む夕日に背を向けると、真正面からエンリに頭を下げた。
「少し、目を瞑ってくださると、助かります」
「……どういう意味だ」
「弟の妻の名を、アレクノ=レンドルア・エクトシアと言います」
「え……、ぇえっ? アレクノっ?」
「はい」
「アレクノっていったら、大国ヴァントルテの公爵……そのレンドルアといえば、戦神の、ことで……」
さすがにエンリも王子で、そのあたりのことはよくわかるようだ。
「アレクノ=ヒョーリ・カンナ……なのか」
ハッと、エンリが弟を見つめる。弟は静かに頷いた。
「イファラント王妃が叔母だと聞いた時点で、まさかとは思っていたが……」
「エンリさま。ですから、わたしに暇をください。そして、少しの間、目を瞑ってください」
「……なにをする気だ、イチヒト」
「異国で少し暴れるだけですよ」
顔を上げ、にこりと微笑めば、不気味なものを見たかのような顔をしたエンリがいた。
いつも迷惑や厄介なことにエンリのせいで振り回されているのだから、イチヒトが弟のために少しくらい好き勝手に行動するくらい、たまにはいいと思う。
「少し暴れるって、おまえ……」
「エンリさまに迷惑はかけません。これは、わたしの私情ですから」
さらに深く笑みを浮かべれば、エンリは頬を引き攣らせ、しかしすぐに、諦めたように肩を落とした。
「いい。どうせなら存分に、おれを利用しろ」
「いいえ、これはわたしの」
「おまえは、おれの魔術師だ。おまえがどこでなにをしていようとも、それだけは覆らん」
エンリは関係ない。言ってしまえば身内の問題で、エンリが温情を持つ理由はどこにもない。
けれどもエンリは、イチヒトが自分の魔術師であることを、片ときも忘れていたくないらしい。
「ビーストよりも怖いものに、溢れているかもしれませんよ」
「おまえがいる。それに……ヴァントルテの戦神が攫われるなど、ヴァントルテ国王が黙っているとは思えない。捜索の兵力に問題はないだろうが、協力は多いほうがいいはずだ。そもそも、ヴァントルテの戦神は、六年前の戦争を終結に導いた、北大陸の柱だ。おまえたちだけの、身内だけの問題で片づけられることではないだろう」
「事態を大きくさせないためにも、エンリさまは動かれないほうがよいと思いますが」
「逆だ。おれが動くことで、事態は小さく済ませられる。おれは王子だが、末の王子で継承権はないに等しい。エヌ・ヴェムトからの協力者としては、そんなおれが妥当だろう。この件に関わっておれが亡き者となっても、おれの代用は必要ないからな」
言葉だけ聞けば己れを卑下しているようだが、そうではなく、エンリは協力者として妥当な立場にあると言いたいらしい。
「だいたい、戦神である云々を抜いて、おまえの弟のことだ。おまえがおれの許を離れてまで動くことなら、それだけで大事だ。おれはおまえがなんと言おうと、父上や兄上がなにを言おうと、勝手に動くぞ」
「……勝手に動かれるのは困りますね。おもにわたしが」
「であれば、黙っておれを利用し、おれをおまえたちのやろうとしていることに関わらせろ」
ここまで話を聞いて、なにもしないのはいやだと、そう言うエンリは王子としてどうかと思うが、人としては好ましいと思った。




