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10 : 今ここに自分がいる。

*他視点となります。

 もう一つの物語で、もうふたりの主人公です。


 10~14まで、イチヒト視点となっております。





 進め。

 闇を打ち払い、栄光ある道へと。

 歩め。

 闇を背負い、栄光の彼方へと。

 誰も忘れない。

 誰も失わない。

 あなたがそこにいたという、確かな証。

 あなたは確かに、わたしの傍らにいた。





 自分にどれほどの価値があるかなんてわからないから、自分を試すように毎日、無茶ばかりしていた。その日常を呆れることもあったけれども、無駄になったことなど一度もない。無駄になるようなことはしていなかったはずだ。

 だから、間違っていなかった、と思う。


「イチヒト!」

「なんでしょう」


 目の前の事態から目を背けたくて現実逃避していたわけではないが、ふと考えるのを止めて意識を正面に戻す。


「た、助けろよ、見てないで!」


 少年が悲鳴を上げながらあちこち走り回っている。


「ついて来るだけでいい、と言ったのはあなたですがねえ?」

「助けてくださいお願いします!」


 冒険者を目指したエヌ・ヴェムト国出身の少年王子は、外見は確かに王子さまよろしく秀麗なのだが、如何せん弱い。弱過ぎてうっかり鍛えてしまうことになったのは、もはや三年も前のことになる。

 この三年で、あまりにも弱過ぎた王子は、才能だけは伸ばすことに成功し、だが性格はこの三年間で変わることがなかった。


「倒せるでしょう、これくらいなら」

「見た目が怖くていやだ! いいから助けろよ、イチヒトぉ!」

「……。あなた、それでも一国の主を気取る王サマ候補ですか?」

「おれ末の王子だから! 継承権ほとんどないから!」

「ええ、ですから王サマ候補と言ったのです」

「だったら素直に王子と言……っ、のわぁああ! さっさと助けろよイチヒトぉ!」

「……。師匠に向かって命令とは、いい度胸です」


 はあ、とため息をついて、弱過ぎる王子を助けるべく、仕方なく手のひらに魔力を集める。

 王子を襲っているのは、この国では「ビースト」と呼ばれている獣で、魔という力に感化され侵食されてしまった動物だ。ビーストとなってしまった獣はほぼ例外なく正気を失い、荒れ狂って暴れ回るだけの可哀想な生きものとなってしまう。ときには町にも現われ暴れるビーストは、王子が兼務している職業、冒険者か、或いは狩人によって摘み取られていく。


 今ここで、森の中で王子がビーストに襲われているのは、偶然という必然だ。


「せっかく鍛えても、その性格ではねぇ……」


 はあ、と二度めのため息。


 冒険者になりたいというから、そのあまりの必死さとあまりの弱さに心打たれて鍛えてやったというのに、なんというか生まれ持った性格はどうしようもない。こうして舞台を整え、王子の実力ならこれくらい、といろいろ計算までした環境であるのに、師の期待を一身に裏切る弟子である。


「イぃチぃヒぃトぉぉお!」

「この三年で鍛えられたのは逃げ足だけのような雰囲気で逃げないでください」

「助けろぉおお!」

「はあ……はいはい、仰せのままに」


 まったく、鍛えても鍛え甲斐のない弟子だ。

 仕方ないので、手のひらに集めた魔力を、王子を追いかけているビーストに向かって軽く投げつける。


「燃えなさい」


 呼びかけに応じて、炎がビーストに向かっていく。僅かな時間もかけずビーストは炎に包まれ、耳を塞ぎたくなるような絶叫ののち、あっさりと絶命した。ビーストの身体、今回は狼のビーストであったが、綺麗さっぱり炎に焼き尽くされたので、完全に滅したと判断していい。

 さて王子は、と存命を確認すべく視線を巡らせ、しっかりと炎からも逃げ遂せて木陰に隠れている姿を発見した。


 はあ、と四度めのため息。


「残念です……」


 いともあっさりとビーストを倒せたのは、つまりそれくらいのビーストだったということで、王子でも五分とかからず倒せたであろうビーストだ。それをただ逃げ回ったのは、非常に残念な性格のせいである。


「なんであんなに怖いんだよ、ビーストは!」

「怖くないとビーストなんてやっていられませんよ」

「なりたくてなるものではないだろう、ビーストは!」

「なろうと思えばなれるものでもあります。わたしのことを、ビースト、と呼んだことをお忘れですか」

「昔のことを掘り返すな、イチヒトのくせに」

「ええそうです、わたしはあなたさまの魔術師イチヒト。深淵の闇よりわたしを召喚し、従属を誓わせたのは王子、エヌ・ヴェムト=エンリ・ウェンティン殿下です」


 魔術師イチヒトに家名はない。ただそのまま、魔術師イチヒト、と呼ばれる。そうしたのは目の前の王子、エンリであり、それはあまりの弱さに心打たれてしまったイチヒトの失態だ。


「……過去に戻りたいですね」


 三年前のことを思い出し、イチヒトは顔を引き攣らせる。あの出逢いがなければイチヒトはイチヒトではなかったし、弱過ぎる王子エンリの師となり従属させられることもなかった。

 イチヒトは、エンリに真名を奪われてしまった間抜けな魔術師である。


「は、戻れるのか?」

「あなたに従属させられている以上、できませんがね」

「従属させてなかったらイチヒトに逃げられているところだったのか」

「……。逃げてもいいですか?」

「誰が許すか。イチヒトはおれの魔術師だ」


 はあ、と五度めのため息。


 どうしてあのとき、この弱過ぎる王子エンリを家に招いてしまったのだろう。

 いや、とても暇になってしまって、少しでいいから面白いものが見たかっただけの好奇心の結果であるが。


 とにもかくにも、エンリと出逢ってしまったが最後、イチヒトはどこまでもエンリにつき従わなければならない運命だ。

 誰か助けてくれ。

 と願ったところで、自業自得なのでどうしようもない。


「ところでエンリさま、どこに行こうとしているのですか?」


 ついて来てくれ、と言うから王都の外れの森までエンリの後ろをついて来たイチヒトは、偶然にもビーストに出逢ったので環境を整えエンリを戦わせようとしていたわけであるが、結果は先の通りである。偶然の出逢いを大切にしたのだが、目的はビーストを狩ることではないと言っておこう。


「さまは要らない、エンリだ。もしくはエリと呼べ」

「それで?」

「隣町の冒険者組合だ。フォレスの遺跡で古代のものが見つかったとか、聞いていないか?」

「はて……そういえば兄殿下がそのようなことをおっしゃっておりましたね。エンリさまが調査を頼まれたのですか?」

「志願した」

「無謀は一度死んでからにしてください」

「……。死んだら無謀もできないだろ」

「嫌味が通じない王子ですね……」


 この弱過ぎる王子は、その行動はただ傍観しているだけなら「面白い」の一言に尽きるのだけれども、一度でも巻き込まれてみればよくわかる。

 嫌味皮肉の通じない非常に面白味のない王子なのである。つまり正直で素直な少年なのだ。

 王子としてはどうかと思う。


「兄上は、イチヒトを連れて行くならよいと言ってくれた。無理に頼んだわけではないぞ」

「いつのまにわたしはエンリさまの抑止剤になったのでしょうね」

「イチヒトを連れて行くなら、近衛とか、うるさい連中も黙ってくれるからいいな」

「わたしはただの魔術師で、エンリさまの護衛でも騎士でもないのですが。まして侍従などという、世話係でもないのですが。そして師ですが」

「仕方ないだろ。イチヒトひとりで、近衛十人分にもなるんだから」

「それはあなたが弱過ぎるからです」

「ビーストが怖過ぎるんだよ」


 こうしてイチヒトはいつもエンリに付き合わされる。エンリの子守りをひとりで、なんて、なんて無茶を押しつけるのだとエンリの兄や父に訴えたことは幾度となくあるのだが、聞き入れてもらったことはこれまで一度もない。信頼されている、と言えば聞こえはいいが、単に面倒ごとを押しつけられていると思うのはきっと気のせいではない。


「せっかくいい感じの魔術も使えて、剣にその付加もできて、近衛五人をひとりで片づけられるくらいに成長したというのに……なんて勿体ない王子でしょう」


 残念だ。とても残念だ。世の中には残念な美形もいるというが、エンリはその鑑ではなかろうか。

 ここに残念な王子がいる。

 自分の努力が報われなくて泣けてくるイチヒトである。


「なにを落ち込んでいるのかよくわからないが……まあ、道中よろしく」

「よろしくされたくありません。わたしはついて来るだけでいいと、言われたのです」

「うむ、よろしく」


 はあ、と六度めのため息。


 たかだか数時間でいったいどれだけの幸せを逃したことか。この三年で、幸せという幸せは逃げてしまったように思うのは、絶対に気のせいではない。

 兄殿下、姉殿下、王陛下、妃殿下、なにをどう間違えて末殿下をお育てになられたのですか。ああほら、王子のくせに町のガキ大将にしか見えない恰好に、恰好ばかりの剣、あるのかどうかもわからない危機感の緩んだ顔、詳細な地図と街道があるのに適当な勘だけで前を歩き、十分に一回は獣道へと入ろうとする。


「黙ってわたしの後ろをついて来なさい」

「そのほうが近道になるか」

「獣道が近道だなんて初めて知りました」

「ここ突っ切れば隣町だろ」

「崖から落ちなさい」

「……。そうか」


 家族王族の好いところを受け継げばよいものを、残念な部分ばかり優先的に受け継いだらしい末弟王子エンリは、目を瞠るような才能はあってもイチヒトが泣きたくなる性格である。


「ところでイチヒト、今さらなんだが」

「なんでしょう、エンリさま」

「イチヒトの魔術は、詠唱がないのだな」

「本当に今さらですね。わたしはあなたに詠唱を教えたことすらないのですが。おかげであなたは詠唱破棄の魔術をいくつも使えるはずですが」

「当たり前だと思っていたから疑問にならなかっただけだ。だが詠唱破棄は、随分と気難しいらしいと聞いて……」

「おや……あなたがわたし以外から魔術を教わるとは、珍しいですね」

「ルオメ……第二副師団長とこの前逢ったのだ。イチヒトのこと、未だビースト呼ばわりするあいつだよ。そのルオメが言っていたのだ」

「初めにわたしをビースト呼ばわりしたのはあなたですがね」

「昔のことを掘り返すな!」


 きっ、と睨んでくる王子エンリに、もはや数えるのを諦めたため息が出る。もう幸せなんてこの身には残っていないだろう、なんてふざけたことを考えながら、「それで?」とエンリを促した。


「すごい魔術師だったんだな、おまえ」


 真剣に話を聞こうと思った自分が間抜けに思えた瞬間だった。


「嫌味か皮肉でも言われて腹を立てたのかと思えば……」


 そんな、本当に今さらなことを言われても、嬉しくもなんともない。

 そもそもイチヒトは、エンリが目を輝かせるほど立派な魔術師であるつもりがなかった。魔術が好きで、魔術を使うのも学ぶのも好きで、熱中し過ぎて引きこもりの魔術師となっていたくらいだ。エンリに出逢うことがなければ、今でもきっと引きこもり生活をしていただろう。いっそエンリに出逢っていなければ、などと未練がましく思うくらいには引きこもり万歳であるが、エンリと行動していて不思議とつまらないと思うことがないので、そればかりは幸いだった。

 残念な性格に振り回されてため息は尽きないが。

 この王子と一緒にいると面倒ごとを押しつけられるが。

 厄介なことに巻き込まれることも多いが。

 それでも。

 退屈を感じることはない。


「おれはイチヒトから教わったからともかく……イチヒトは誰に教わったのだ?」

「ほぼ独学ですね。教材は山のようにありましたから」

「ああ、あの家……書物しかなかったな」

「あれだけあれば充分でしょう」

「でも、ほぼ独学、なら……少しは誰かに教わったわけか」

「結界を張るのは苦手だったので、そのために」

「おれ簡単にイチヒトの家まで辿り着いたな」


 ムカッときた。


「悪かったですね、前衛向きの魔術師で」

「おれが得意だからいいだろ」


 ビーストを前にして逃げ回るエンリは、確かに弱いが、そのせいか防御には秀でている。逃げ足は天下一品であるし、逃げ回れるだけの体力もあるので、今まで大きな怪我の一つもしたことがない。末とはいえ王子であるのに、こうしてイチヒトとふたりだけで行動を許されているのも、前提にイチヒトが攻撃に特化した魔術師だからではあるものの、誘拐されたり襲われたりしても逃げ切ることができるエンリだから、という理由がある。

 これまで、王子、という地位から、エンリは幾度か賊に襲われることもあり、出歩けば誘拐されそうになったこともあるが、そのすべて悉く、エンリは逃げ切っている。この三年は常にイチヒトがそばにいることもあって、逃げるばかりではなく返り討ちにして捕らえることもあった。


「それにな、イチヒト」

「なんですか」

「おれはべつに、イチヒトに護ってもらいたいわけではない」


 ニッと、王子というよりも悪戯小僧のように笑ったエンリに、イチヒトは肩から脱力する。


「わたしがいなければ、あなたは今頃ビーストの餌食ですよ」

「ああ。だから、助けては欲しいよ」


 素直に「助けて」と言うエンリは、その自信がどこから湧くのか不明だが、どんなことがあってもイチヒトが助けてくれると思っている。もちろんイチヒトとて、真名を奪われている云々はともかく、退屈を感じさせないエンリのことは、言われずとも助ける心構えだ。出逢ったことを後悔することがあっても、あれからもう三年、愛着や情が湧くには充分な時間を過ごしている。ひとりきりで生きていた頃には、もう戻れないのだと理解していた。


「お、町が見えてきた。イチヒト、町だ。急ぐぞ。陽光がお隠れになる前に組合で話を聞いてしまわないと」

「……仰せのままに」

「古代遺跡、どんなものかな」

「滅んだ文明のものが、現代に役立つとは思えませんがね」

「夢のないこと言うなよ」

「封印されていた兵器だったらどうするおつもりで? 六年前に戦争が終わったばかりだというのに」

「兵器だったらおれが壊すさ」

「……貴重な古代記録であっても?」


 町が見渡せる街道の丘で、エンリは立ち止まる。


「おれたちは前へ進む。そのために過去を知り、過ちを知り、繰り返さぬために考え続ける。よいものは未来へと紡いで行かなければ」


 穏やかな瞳でありながら、強い意志を感じさせる眼をしたエンリは、イチヒトに淡い微笑みを与える。


「その御心のままに」


 エンリと出逢わなければ、今ここで、こうして歩むエンリを見ることも、自分がそんなエンリに夢を見ることも、なかったと思う。


「行くぞ、イチヒト」

「御意」


 エンリとの出逢いを後悔することはあっても、今ここに自分がいることに、後悔はなかった。







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