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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

異世界撃滅シリーズ

満洲国、異世界へ遷都す 2 ——帝国騎士団、九二式重機関銃ニテ撃滅セリ——

掲載日:2026/01/28

撃滅シリーズ第六弾

異世界満州の続きです。


昭和二十年八月十日、午前六時三十分。満洲東部国境、東寧とうねい


 遅い夜明けと共に、戦場を覆っていた朝霧が晴れようとしていた。

 だが、そこに広がる光景は、爽やかな朝の訪れとは程遠かった。鼻を突くのは、土と草の匂いではない。鉄錆のような血の臭いと、脂が腐ったような強烈な異臭だった。


「……酷い臭気ですね」

 手拭いで口元を覆った副官の李中尉が、顔をしかめて言った。


 関東軍国境守備隊、第一大隊長の相良少佐は、無言で泥炭地の上を歩いた。

 軍靴が踏みしめるのは、満洲の黒土ではない。緑色の皮膚を持ち、筋肉が異常に発達した亜人――豚男オークたちのむくろである。


 昨夜の戦闘で、相良大隊が葬った亜人の数は二千を超えていた。塹壕の前に築かれた死体の山は、即席の防塁となりつつある。


 工兵たちが円匙シャベルを手に、死体の処理に追われていた。穴を掘って埋めるにも数が多すぎるため、重油をかけて焼却する準備を進めているのだ。


「生存者は?」

「皆無です。彼らは死ぬまで突撃を止めませんでした。文字通りの全滅です」

「恐怖心がないのか、それとも退却を許されない理由があったのか……」

 相良は、積み上げられた死体の一つに目を留めた。


 ひときわ巨大な個体だ。昨夜、九七式中戦車チハの五十七ミリ砲で上半身を吹き飛ばされた「指揮官級」と思われる。

 その残された背中の皮膚に、奇妙なあざがあるのを見つけたのだ。


「李、これを見ろ」

 相良が軍刀の鞘でその箇所を指し示す。


「ただの痣ではありませんね。……焼印、でしょうか」

 そこには、剣と蛇を組み合わせたような、複雑な紋章が焼き付けられていた。

 野生動物の傷跡ではない。明らかに、文明的な道具によって付けられた「所有の証」だ。


「家畜、あるいは奴隷か」

 相良の言葉に、李中尉が息を呑む。


「こいつらがですか? 丸太のような腕で人間を引き裂く化け物が?」

「ああ。恐らくな。昨夜のあの大軍は、野生の獣の群れじゃない。何者かに『飼われていた』猟犬だ。それが、我々を襲うように解き放たれた」

 背筋に冷たいものが走った。


 もしそうなら、この背後にいるのは「飼い主」だ。知性を持ち、組織化された軍隊を持つ、何らかの勢力。


「通信班! 新京からの連絡はまだか!」

 相良が怒鳴ると、塹壕の奥から通信兵が駆け寄ってきた。目の下には濃い隈ができている。


「はッ! 一時間前に受信しました! 総司令部より全部隊へ通達。『満洲全土において、正体不明の武装勢力との接触報告多数あり』とのことです!」


「やはり、ここだけではないのか」


「はッ。北部のハイラル、南の奉天、朝鮮国境の安東……すべての国境地帯で、見たこともない軍隊や怪物との交戦が発生しています。司令部は『現陣地を固守し、状況の解明に努めよ』と……」


「状況の解明だと? 寝言を言っている場合か」

 相良は吐き捨てるように言った。


 満洲国全体が、まるごと異界へ放り込まれた。その事実はもはや疑いようがない。問題は、この世界が我々に対して極めて敵対的であるということだ。

 ソ連軍の侵攻に備えていた関東軍だが、今の相手は共産主義者ではない。もっと根源的で、訳のわからない「何か」だ。


「大隊長殿。弾薬の残存量は全体の四割を切りました。特に重機関銃の弾が心許ない。次の波が来たら、銃剣突撃になります」

 李中尉の報告は悲観的だった。 


 補給線は寸断されている。日本本土からの輸送船など望むべくもない。今、満洲にある物資だけで生き延びるしかないのだ。


 その時だった。

 見張り台に立っていた歩哨が、悲鳴のような声を上げた。


「前方ッ! 動きあり!」

「また豚男オークか!?」

「いいえ違います! き、騎兵です! 整然とした隊列を組んでいます!」

 相良は双眼鏡を奪い取るように構え、荒野の彼方を睨んだ。


 朝霧の向こうから、日光を反射する一団が近づいてくる。

 それは、活動写真や絵本の中でしか見たことのない光景だった。

 銀色の全身鎧プレートメイルに身を包んだ騎士たち。


 彼らが跨っているのは馬によく似ているが、額から一本の角が生え、鱗のような皮膚を持つ六本脚の異形の獣だ。

 先頭には、真紅の生地に金の刺繍を施した巨大な軍旗がはためいている。

 その紋章は、先ほどの豚男の焼印と同じ「剣と蛇」だった。


「……飼い主のお出ましだな」

 相良は双眼鏡を下ろし、覚悟を決めた表情で周囲を見渡した。


「総員、第一種戦闘配置! ただし、こちらからは撃つな! 相手は知性のある人間だ。話が通じる可能性がある!」

 塹壕の中を緊張が走る。


 ガチャリ、と遊底ボルトを引く音が連鎖する。

 九二式重機関銃の射手は、震える手で保弾板を装填し、照準を先頭の騎士に合わせた。


 敵の数は五十騎ほど。


 昨夜の二万の化け物に比べれば微々たる数だ。だが、彼らが放つ威圧感は、泥まみれの豚男とは比較にならなかった。


 洗練された武具。一糸乱れぬ行軍。あれは、訓練された正規軍だ。

 騎士団は、こちらの陣地から五百メートルほどの距離で停止した。


 弓矢の射程外ギリギリといったところか。彼らは、こちらの有効射程が小銃でさえその倍以上あることを知らない。


 一騎だけが、馬を進み出た。

 ひときわ豪奢な鎧をまとい、真紅のマントを羽織った男だ。兜を脱ぎ、脇に抱えている。

 金髪の長髪。彫像のように整った顔立ちだが、その瞳には隠そうともしない侮蔑の色が宿っていた。 


「……行くぞ、李」

「隊長、危険です! 狙撃される恐れがあります!」

「向こうが出てきたんだ。こちらも指揮官が出なければ示しがつかん。それに、情報が欲しい」

 相良は軍刀を吊り直し、拳銃嚢ホルスターの南部十四年式を確認すると、塹壕の階段を上がった。 


 李中尉と、露語・満語に通じた通訳兵の二名を連れ、相良は泥炭地を進み出た。

 背後では、八百名の部下が固唾を飲んで見守っている。

 両者の距離が五十メートルほどになった時、騎士の男が口を開いた。


 朗々とした、よく響く声だ。だが、その言葉は意味不明な音の羅列にしか聞こえなかった。


「#$%&、@*+? %&#!!」

 相良は眉をひそめ、通訳兵を見た。


「わかるか?」

「いえ……露語でも満語でもありません。聞いたことのない言語です」

 やはりダメか。


 相良が身振り手振りで意思疎通を試みようとした、その時だ。

 騎士の後ろから、灰色の法衣ローブを纏った男が馬を寄せてきた。手には歪な形をした木の杖が握られている。


 法衣の男が杖を振り、何やら呪文のようなものを唱えた。

 カッ、と杖の先が青白く発光する。

 瞬間、相良の脳内に、直接鐘を鳴らされたような衝撃が走った。


「ぐっ……!?」 


 頭痛。平衡感覚の喪失。

 李中尉も呻き声を上げて膝をつきそうになる。

 だが、その不快感はすぐに引いた。代わりに、奇妙な感覚が訪れる。

 先ほどの騎士の言葉が、音としてではなく、意味として脳に染み込んでくるのだ。


『——聞こえるか、蛮族どもよ』

 日本語ではない。相手は先ほどと同じ言語を話しているはずだ。なのに、意味が分かる。


 翻訳機などというレベルではない。概念そのものを共有させられているような、気味の悪い感覚。

 これが、魔法か。

 相良は湧き上がる悪寒を理性で抑え込み、努めて冷静に答えた。


「……聞こえている。私は大日本帝国陸軍、関東軍所属、相良少佐だ。貴官の所属と身分を伺いたい」

 騎士の男は、相良が言葉を理解したことに驚く様子も見せなかった。


 彼は馬の上から、虫ケラを見るような目で相良たちを見下ろした。


『ほう、体系的な言葉を持つか。猿にしては上出来だ。

 我は神聖アトラス帝国、第三辺境騎士団長、ガラン・ヴォル・ドレイクである』

 神聖アトラス帝国。

 やはり、ここは「帝国」の領土なのか。


『単刀直入に言おう、蛮族の長よ。

 貴様らは、我が帝国の神聖なる領土に、許可なく汚らわしい土留め(塹壕)を築いた。

 さらに、我が軍の管理下にあるオークどもを、二千頭あまりも殺戮した』

 ガランと名乗った騎士は、芝居がかった仕草で嘆いてみせた。


『あれは貴重な労働力であり、捨て駒だったのだぞ? 調教するのにどれだけの金貨がかかったと思っている』


「オーク? あの豚人どものことか? 我々は自衛権を行使したまでだ。貴国のオークが、警告なしに襲撃してきたからだ」

 相良が反論すると、ガランは鼻で笑った。


『家畜がどこを歩こうが飼い主の勝手だ。それを殺すなど、器物損壊も甚だしい』

 話が通じない。


 彼らにとって、我々は対等な人間ではないのだ。道端の雑草か、あるいは害獣程度にしか思われていない。


『だが、皇帝陛下は慈悲深い。

 貴様らが知能を持つ種族であるならば、償う機会を与えよう』

 ガランは鞘から、装飾過多な長剣を抜き放ち、その切っ先を相良の鼻先に突きつけた。


『武装を解除し、全兵士は跪け。

 貴様ら指揮官級の人間は、帝都へ連行し、見世物……いや、研究材料とする。

 残りの兵卒は、鉱山での強制労働に従事させてやろう。死ぬまで帝国のために働けるのだ、光栄に思え』

 李中尉の手が、腰の拳銃に伸びかけた。

 相良はそれを手で制し、静かに問い返した。


「……拒否すると言ったら?」


『拒否?』

 ガランは本気で理解できないという顔をした。

 太陽が西から昇ると言われたような顔だ。


『ハッ、ハハハ! 拒否だと? この我に? 神聖アトラス帝国の騎士に?』

 騎士たちが一斉に嘲笑した。

 金属同士が擦れる不快な音が響く。


『身の程を知れ、汚らわしい泥人形どもが。

 貴様らが持っているのは何だ? その薄汚い鉄の筒は? その古臭い布切れの服は?

 魔力の一片すら感じられん。貴様らは「無能者ゼロ」だ。魔法を使えぬ下等種族だ』

 ガランの瞳に、加虐的な光が宿った。


『拒否権などない。これは慈悲だと言ったはずだ。

 もし従わぬなら、この場の全員を「浄化」する。我が騎士団のひづめにかけて、肉の一片まで踏み荒らしてやる』

 相良は、深く息を吐いた。

 交渉の余地なし。


 彼らの精神構造は、中世の封建領主そのものだ。いや、魔法という絶対的な力を持つがゆえに、それ以上に始末が悪い。

 彼らは知らないのだ。


 魔法を持たぬ人類が、どれだけの血と鉄を費やして、殺し合いの技術を磨き上げてきたかを。

 科学という名の悪魔が、どれほど残酷で、平等な破壊をもたらすかを。


「……残念だ」

 相良は短く言った。


『何だと?』

「交渉決裂だと言ったのだ。ドレイク騎士団長」

 相良は背筋を伸ばし、毅然とした態度で言い放った。


「ここは満洲国であり、我々関東軍の防衛線だ。一歩たりとも侵入は許さん。

 即刻立ち去れ。さもなくば、実力で排除する」

 一瞬の静寂。

 ガランの顔が、怒りで赤く染まっていく。


『……蛮族風情が、増長したな』

 彼は馬首を返すと、背後の部下たちに向かって叫んだ。


『総員、抜刀! 魔導師隊、防御障壁ぼうぎょしょうへき展開!』

 ジャララッ、と五十本の長剣が一斉に抜かれる。

 後方の魔導師たちが詠唱を始め、騎士たちの周囲に、淡く輝く光の膜が出現した。

 相良たちは背を向け、全速力で自陣へと走った。


「走れ! 『撃ち方始め』の合図まで振り返るな!」

『殺せ! 一匹残らず殺せ! 蛮族の血で荒野を染め上げろ!』

 背後から、ガランの絶叫と、蹄の轟音が迫る。


「突撃ィィィッ!!」

 騎士団が動き出した。 


 五十騎の重装騎兵による突撃。大地が揺れ、殺意の波動が空気を震わせる。

 彼らの速度は速い。馬とは違う、六本脚の魔獣の脚力は凄まじく、数秒で距離を詰めてくる。


 魔法障壁に守られた彼らは、恐怖など微塵も感じていない。矢も、投石も、貧弱な火薬玉も、すべて弾き返す絶対の自信があるのだ。


 相良は塹壕に飛び込むと、泥壁に背を預け、白旗代わりの手拭いを投げ捨てた。

 そして、軍刀を振り上げる。


 距離、二百。

 騎士たちの顔の表情さえ見える距離。彼らは笑っていた。勝利を確信し、獲物をなぶり殺しにする喜びに歪んだ笑みを浮かべていた。


 それが、彼らの最後の表情となった。

「撃てェェェッ(テー)!!」

 相良の号令が、乾いた空気を切り裂いた。

 号令と同時、空間そのものが震えた。


 ダダダダダダッ!!

 九二式重機関銃特有の、低く、腹の底に響く発射音が荒野を支配した。


 それは、中世レベルの文明しか持たない騎士たちにとって、未知の雷鳴だった。

 彼らが展開していた「防御障壁」は、確かに矢や投石、あるいは低位の攻撃魔法を防ぐには十分な強度を持っていた。


 だが、近代兵器のことわりは彼らの常識の外にある。

 重機関銃から吐き出される六・五ミリ弾は、音速の二倍を超える初速で飛翔し、凄まじい運動エネルギーを伴って障壁に激突した。


 パリン、という硬質な音が一度だけ聞こえた。

 直後、先頭を走っていた騎士の胸板で、銀色の鎧がひしゃげ、背中から赤い霧が噴き出した。


『ガハッ……!?』

 声にならない悲鳴。


 一人が落馬し、後続の騎馬に踏み潰される。だが、悲劇はそこで終わらない。

 弾丸の嵐は止まらない。

 重機関銃手は、保弾板が吸い込まれていくのを冷静に見つめながら、引き金を引き続けていた。

 見えない死神の鎌が、横薙ぎに振るわれる。


『ば、バカなッ! 障壁が効かぬぞ!』

『何だこの音は! どこから攻撃している!?』

 騎士たちの顔から、先ほどまでの傲慢な笑みが消え失せた。


 次々と砕け散る青白い光の膜。

 鋼鉄の鎧など、小銃弾の前ではボール紙も同然だ。腕が千切れ、兜ごと頭部が砕かれ、騎乗獣ごとひっくり返る。


 五百メートルの距離は、彼らにとってはこれから突撃を開始する距離だった。

 だが日本軍にとっては、そこは「火制地帯キルゾーン」の中央だった。

『ひ、退けッ! 一度体勢を立て直……ギャアアッ!』

 撤退を指示しようとした副官の首が飛び、鮮血の噴水を作る。


「逃がすな! 一匹も帰すな!」

 塹壕から、数百丁の三八式歩兵銃が一斉に火を噴いた。


 狙撃など必要ない。密集した集団に向けて撃てば、必ず誰かに当たる。これは戦争ではない。一方的な処刑だった。


 わずか一分にも満たない時間。

 硝煙が風に流れると、そこには動く者のない、静寂の死地だけが残されていた。


『……あ、あぁ……』

 死体の山の中で、ただ一人、奇跡的に直撃を免れた男がいた。

 騎士団長のガランだ。

 彼の愛馬はハチの巣にされ、彼自身の下半身を押し潰して絶命していた。


 ガランは震える手で、折れた剣を握りしめていた。

 目の前で起きたことが理解できない。栄光ある神聖アトラス帝国の騎士団が、魔法も使えない蛮族ごときに、指一本触れることもできず全滅したなどと。


 ザッ、ザッ、ザッ。

 軍靴の音が近づいてくる。


 見上げると、そこには深緑色の軍服を着た、小柄な東洋人の男が立っていた。

 相良少佐だ。彼は手に持った軍刀の血振るいをし、冷徹な目でガランを見下ろした。


『き、貴様ら……何者だ……』

 ガランは口から血の泡を吹きながら、翻訳魔法の効果が残る意識で問いかけた。


『悪魔か……? それとも、古代の邪法使いか……?』

「言ったはずだ。我々は関東軍だ」

 相良は軍刀を鞘に納め、衛生兵に顎でしゃくった。

「治療しろ。殺すなよ、尋問きたいことは山ほどある」


 *** 


一時間後。大隊本部天幕テント


 簡易的な手当てを受け、椅子に縛り付けられたガランと、生き残った魔導師一名が、相良の前に座らされていた。

 魔導師は恐怖で震え上がり、ガランは屈辱に顔を歪めている。

 李中尉が、鹵獲した地図を机に広げた。 


「大隊長殿……これを見てください。彼らが持っていた大陸地図です」

 李の声が、妙に強張っていた。 


 相良が覗き込む。羊皮紙に描かれた古めかしい地図だ。中央には巨大な版図を持つ『神聖アトラス帝国』がある。

 問題は、その南東の端だ。

 そこには『呪われし荒野』と記された空白地帯があった。

 だが、その海岸線と河川の形状――。


「……おい。これはどういうことだ」

 相良の背筋に、冷たいものが走った。

 その形は、黒竜江(アムール川)とウスリー川に挟まれた、満洲の地形そのものだったからだ。


「偶然の一致……にしては出来すぎているな」

「はい。まるで、この世界には元々『満洲の形をした空白地』が用意されていて、我々はそこへパズルの欠片のようにはめ込まれた……そんな気味の悪さを感じます」

 李の言葉に、相良は沈黙した。


 もしそうだとしたら、この転移は自然現象ではない。何者かの作為によるものなのか?

 相良は思考を切り替え、ガランに向き直った。

 鹵獲した魔導師の杖を弄びながら、静かに問う。


「騎士団長殿。貴国について教えてもらおうか。なぜ我々を襲った?」

 ガランは鼻で笑った。


『ふん……貴様らは何も知らぬのだな。

 そこは我がアトラス帝国の皇帝陛下が封印していた聖域だ。

 そこに突如として現れ、我が軍の管理下にある豚人オークを殺戮した。侵略者は貴様らの方だ』

「我々は望んでここに来たわけではない。……だが、皇帝陛下とやらは随分と好戦的らしいな。話も聞かずに軍を差し向けるとは」

『言葉を慎め!』

 ガランが激昂した。


『我が皇帝陛下は、悠久の時を生き、全ての種族を統べる絶対者であらせられる!

 貴様らのような短命な種族が理解できるお方ではない!』

 話が通じない。狂信的な忠誠心だ。

 相良は冷ややかに続けた。


「で、その絶対者様は、我々をどうするつもりだ? まさか、たかが辺境の騎士団が全滅した程度で諦めてはくれまい」

『当たり前だ! 帝国の戦力はこんなものではない!』

 ガランは嘲るように叫んだ。

『四方の国境には、それぞれ守護者として「属性竜」が配置されている!

 東方を守る「地竜ちりゅう」、南方の「炎竜えんりゅう」、西の「水竜」、北の「風竜」……!

 さらに帝都には、最強の「古竜こりゅう」が控えているのだぞ!』

 竜。

 伝説上の巨大生物が、東西南北に配置されている。


『地竜は既に動き出しているはずだ。

 貴様らの豆鉄砲など通用するものか! あの方の鱗はオリハルコンよりも硬い。

 貴様らの砦など、踏み潰されて終わりだ!』

 天幕内の空気が凍りついた。


 戦車砲すら弾き返すような怪物が攻めてくれば、この大隊装備ではひとたまりもない。

 まだ見ぬ「地竜」への恐怖が、兵士たちの心を蝕もうとした、その時だ。

 通信兵が、血相を変えて飛び込んできた。


「隊長! 打電です! 緊急入電!」

「新京か? それとも哈爾浜ハルビンか?」

「いえ、違います! 識別信号不明! ですが、使われている暗号は……間違いなく日本軍のものです! 発信源は、北東!」

 相良は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、無線機の前へ走った。


「感度はどうだ! 拾えるか!」

「微弱ですが、なんとか!」

 通信兵が受話器レシーバーを耳に押し当て、鉛筆を走らせる。


 天幕の中に、ツート、ツート、というモールス信号の無機質な電子音だけが漏れ聞こえる。


 相良も李も、息を殺して通信兵の手元を見つめた。

 鉛筆が、猛烈な勢いで紙の上を走り、カナ文字を紡いでいく。

 通信兵の額から汗が滴り落ちる。


「……解読、終わりました」

 通信兵が震える手でメモを差し出した。

 そこに書かれていた文字を目にした瞬間、相良の目が大きく見開かれた。


「……虎頭ことう要塞……第四砲台……」

 相良が唸るように読み上げる。


 虎頭要塞。

 満洲東部国境の最北端、ソ連軍侵攻を食い止めるために築かれた、東洋最大にして最強の要塞だ。あそこも一緒に来ているのか。


「読み上げろ。全員に聞こえるようにだ」

「は、はッ!」

 通信兵が立ち上がり、声を張り上げた。


「アテ、関東軍各隊! 発、虎頭第四砲台!

 『正体不明ノ巨大生物ト交戦……』

 『……要塞砲……四十一糎センチ榴弾砲ニテ、コレヲ撃滅セリ』!」

 天幕内がどよめいた。


「よ、四十一センチ……!? あの決戦兵器を撃ったというのか!?」

 通信兵は、さらに興奮した声で続きを読み上げた。


「『……保護セル現地王族、エクレア王女ノ証言ニヨリ……』

 『……当該目標ハ「地竜」ナル事ガ判明』!

 『……併セテ、敵勢力ノ呼称ハ「魔王軍」ナル事ヲ聴取セリ』……以上です!」


「魔王軍、だと?」

 相良は眉をひそめた。


 ガランたちは「帝国」と名乗っていた。だが、現地で保護された王族は、彼らを「魔王軍」と呼んでいる。


「おい、騎士団長」

 相良はガランを振り返った。


「北の要塞からの通信だ。貴様らが言う『地竜』は、たった今、我が軍の要塞砲によって消滅したそうだ」

『な……っ!?』

 ガランの目が限界まで見開かれた。


『ば、馬鹿な……地竜が? あの方が負けたというのか? 人間ごときに?』

「それから、保護した王族は貴様らを『魔王軍』と呼んでいるらしいな。

 ずいぶんと嫌われているようじゃないか。自分たちでは『神聖』などと名乗っているようだが」

 ガランは言葉を失い、ガタガタと震え出した。


 帝国の四方を守る絶対的な守護獣の一角が、たった一撃で葬られた。

 彼の信仰と矜持は、音を立てて崩れ去った。


「李、聞いたか」

「はい。虎頭要塞は健在。しかも、現地の王族を確保し、敵の正体も掴んだようです」

 李中尉の声には、先程までの不安は微塵もなかった。


「あいつら、やりやがったんだ。東の守護者だか何だか知らないが、あの巨砲で消し飛ばしやがったんだ!」

 相良の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。


 竜がいる。魔王がいる。そして、地図には不可解な謎がある。絶望的な世界だ。

 だが、ここには我々だけではない。

 北の空の下には、あの鉄壁の要塞が生きていて、今もその牙を剥いている。


「李中尉、捕虜を連れて行け。

 彼らは、このふざけた地図の謎と、帝国、そして魔王軍の内情を知るための貴重な情報源だ。徹底的に調べ上げろ」

「了解」

 相良は地図盤の前に立ち、赤鉛筆を手に取った。


「神聖アトラス帝国」と書かれた文字の横に、括弧書きで『魔王軍』と書き加える。


「総員に通達。陣地をさらに強化せよ。

 我々は孤立していない。虎頭も、新京も生きている。

 点と点を線で結び、この満洲くにを、我々の手で守り抜くのだ」

 天幕の外へ出ると、東の空には二つの月が輝いていた。

 

 どこか遠くの空の下で、同じ月を見上げているであろう友軍の姿を思い描く。

 コンクリートの塊の中で、巨大な砲身を撫でている髭面の砲台長の顔が、目に浮かぶようだった。


「待っていろ、魔王とやら」

 相良は軍服のポケットから煙草を取り出し、深く紫煙を吸い込んだ。


日本軍オレたちを怒らせたことを、玉座の上で後悔させてやる」

 昭和二十年の夏。

 世界から切り離された満洲の大地で、彼らの戦争は、まだ始まったばかりだった。


 だが、その結末が「一方的な蹂躙」ではないことを、彼らは確信し始めていた。


(了)



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