満洲国、異世界へ遷都す 2 ——帝国騎士団、九二式重機関銃ニテ撃滅セリ——
撃滅シリーズ第六弾
異世界満州の続きです。
昭和二十年八月十日、午前六時三十分。満洲東部国境、東寧。
遅い夜明けと共に、戦場を覆っていた朝霧が晴れようとしていた。
だが、そこに広がる光景は、爽やかな朝の訪れとは程遠かった。鼻を突くのは、土と草の匂いではない。鉄錆のような血の臭いと、脂が腐ったような強烈な異臭だった。
「……酷い臭気ですね」
手拭いで口元を覆った副官の李中尉が、顔をしかめて言った。
関東軍国境守備隊、第一大隊長の相良少佐は、無言で泥炭地の上を歩いた。
軍靴が踏みしめるのは、満洲の黒土ではない。緑色の皮膚を持ち、筋肉が異常に発達した亜人――豚男たちの骸である。
昨夜の戦闘で、相良大隊が葬った亜人の数は二千を超えていた。塹壕の前に築かれた死体の山は、即席の防塁となりつつある。
工兵たちが円匙を手に、死体の処理に追われていた。穴を掘って埋めるにも数が多すぎるため、重油をかけて焼却する準備を進めているのだ。
「生存者は?」
「皆無です。彼らは死ぬまで突撃を止めませんでした。文字通りの全滅です」
「恐怖心がないのか、それとも退却を許されない理由があったのか……」
相良は、積み上げられた死体の一つに目を留めた。
ひときわ巨大な個体だ。昨夜、九七式中戦車の五十七ミリ砲で上半身を吹き飛ばされた「指揮官級」と思われる。
その残された背中の皮膚に、奇妙な痣があるのを見つけたのだ。
「李、これを見ろ」
相良が軍刀の鞘でその箇所を指し示す。
「ただの痣ではありませんね。……焼印、でしょうか」
そこには、剣と蛇を組み合わせたような、複雑な紋章が焼き付けられていた。
野生動物の傷跡ではない。明らかに、文明的な道具によって付けられた「所有の証」だ。
「家畜、あるいは奴隷か」
相良の言葉に、李中尉が息を呑む。
「こいつらがですか? 丸太のような腕で人間を引き裂く化け物が?」
「ああ。恐らくな。昨夜のあの大軍は、野生の獣の群れじゃない。何者かに『飼われていた』猟犬だ。それが、我々を襲うように解き放たれた」
背筋に冷たいものが走った。
もしそうなら、この背後にいるのは「飼い主」だ。知性を持ち、組織化された軍隊を持つ、何らかの勢力。
「通信班! 新京からの連絡はまだか!」
相良が怒鳴ると、塹壕の奥から通信兵が駆け寄ってきた。目の下には濃い隈ができている。
「はッ! 一時間前に受信しました! 総司令部より全部隊へ通達。『満洲全土において、正体不明の武装勢力との接触報告多数あり』とのことです!」
「やはり、ここだけではないのか」
「はッ。北部のハイラル、南の奉天、朝鮮国境の安東……すべての国境地帯で、見たこともない軍隊や怪物との交戦が発生しています。司令部は『現陣地を固守し、状況の解明に努めよ』と……」
「状況の解明だと? 寝言を言っている場合か」
相良は吐き捨てるように言った。
満洲国全体が、まるごと異界へ放り込まれた。その事実はもはや疑いようがない。問題は、この世界が我々に対して極めて敵対的であるということだ。
ソ連軍の侵攻に備えていた関東軍だが、今の相手は共産主義者ではない。もっと根源的で、訳のわからない「何か」だ。
「大隊長殿。弾薬の残存量は全体の四割を切りました。特に重機関銃の弾が心許ない。次の波が来たら、銃剣突撃になります」
李中尉の報告は悲観的だった。
補給線は寸断されている。日本本土からの輸送船など望むべくもない。今、満洲にある物資だけで生き延びるしかないのだ。
その時だった。
見張り台に立っていた歩哨が、悲鳴のような声を上げた。
「前方ッ! 動きあり!」
「また豚男か!?」
「いいえ違います! き、騎兵です! 整然とした隊列を組んでいます!」
相良は双眼鏡を奪い取るように構え、荒野の彼方を睨んだ。
朝霧の向こうから、日光を反射する一団が近づいてくる。
それは、活動写真や絵本の中でしか見たことのない光景だった。
銀色の全身鎧に身を包んだ騎士たち。
彼らが跨っているのは馬によく似ているが、額から一本の角が生え、鱗のような皮膚を持つ六本脚の異形の獣だ。
先頭には、真紅の生地に金の刺繍を施した巨大な軍旗がはためいている。
その紋章は、先ほどの豚男の焼印と同じ「剣と蛇」だった。
「……飼い主のお出ましだな」
相良は双眼鏡を下ろし、覚悟を決めた表情で周囲を見渡した。
「総員、第一種戦闘配置! ただし、こちらからは撃つな! 相手は知性のある人間だ。話が通じる可能性がある!」
塹壕の中を緊張が走る。
ガチャリ、と遊底を引く音が連鎖する。
九二式重機関銃の射手は、震える手で保弾板を装填し、照準を先頭の騎士に合わせた。
敵の数は五十騎ほど。
昨夜の二万の化け物に比べれば微々たる数だ。だが、彼らが放つ威圧感は、泥まみれの豚男とは比較にならなかった。
洗練された武具。一糸乱れぬ行軍。あれは、訓練された正規軍だ。
騎士団は、こちらの陣地から五百メートルほどの距離で停止した。
弓矢の射程外ギリギリといったところか。彼らは、こちらの有効射程が小銃でさえその倍以上あることを知らない。
一騎だけが、馬を進み出た。
ひときわ豪奢な鎧をまとい、真紅のマントを羽織った男だ。兜を脱ぎ、脇に抱えている。
金髪の長髪。彫像のように整った顔立ちだが、その瞳には隠そうともしない侮蔑の色が宿っていた。
「……行くぞ、李」
「隊長、危険です! 狙撃される恐れがあります!」
「向こうが出てきたんだ。こちらも指揮官が出なければ示しがつかん。それに、情報が欲しい」
相良は軍刀を吊り直し、拳銃嚢の南部十四年式を確認すると、塹壕の階段を上がった。
李中尉と、露語・満語に通じた通訳兵の二名を連れ、相良は泥炭地を進み出た。
背後では、八百名の部下が固唾を飲んで見守っている。
両者の距離が五十メートルほどになった時、騎士の男が口を開いた。
朗々とした、よく響く声だ。だが、その言葉は意味不明な音の羅列にしか聞こえなかった。
「#$%&、@*+? %&#!!」
相良は眉をひそめ、通訳兵を見た。
「わかるか?」
「いえ……露語でも満語でもありません。聞いたことのない言語です」
やはりダメか。
相良が身振り手振りで意思疎通を試みようとした、その時だ。
騎士の後ろから、灰色の法衣を纏った男が馬を寄せてきた。手には歪な形をした木の杖が握られている。
法衣の男が杖を振り、何やら呪文のようなものを唱えた。
カッ、と杖の先が青白く発光する。
瞬間、相良の脳内に、直接鐘を鳴らされたような衝撃が走った。
「ぐっ……!?」
頭痛。平衡感覚の喪失。
李中尉も呻き声を上げて膝をつきそうになる。
だが、その不快感はすぐに引いた。代わりに、奇妙な感覚が訪れる。
先ほどの騎士の言葉が、音としてではなく、意味として脳に染み込んでくるのだ。
『——聞こえるか、蛮族どもよ』
日本語ではない。相手は先ほどと同じ言語を話しているはずだ。なのに、意味が分かる。
翻訳機などというレベルではない。概念そのものを共有させられているような、気味の悪い感覚。
これが、魔法か。
相良は湧き上がる悪寒を理性で抑え込み、努めて冷静に答えた。
「……聞こえている。私は大日本帝国陸軍、関東軍所属、相良少佐だ。貴官の所属と身分を伺いたい」
騎士の男は、相良が言葉を理解したことに驚く様子も見せなかった。
彼は馬の上から、虫ケラを見るような目で相良たちを見下ろした。
『ほう、体系的な言葉を持つか。猿にしては上出来だ。
我は神聖アトラス帝国、第三辺境騎士団長、ガラン・ヴォル・ドレイクである』
神聖アトラス帝国。
やはり、ここは「帝国」の領土なのか。
『単刀直入に言おう、蛮族の長よ。
貴様らは、我が帝国の神聖なる領土に、許可なく汚らわしい土留め(塹壕)を築いた。
さらに、我が軍の管理下にあるオークどもを、二千頭あまりも殺戮した』
ガランと名乗った騎士は、芝居がかった仕草で嘆いてみせた。
『あれは貴重な労働力であり、捨て駒だったのだぞ? 調教するのにどれだけの金貨がかかったと思っている』
「オーク? あの豚人どものことか? 我々は自衛権を行使したまでだ。貴国のオークが、警告なしに襲撃してきたからだ」
相良が反論すると、ガランは鼻で笑った。
『家畜がどこを歩こうが飼い主の勝手だ。それを殺すなど、器物損壊も甚だしい』
話が通じない。
彼らにとって、我々は対等な人間ではないのだ。道端の雑草か、あるいは害獣程度にしか思われていない。
『だが、皇帝陛下は慈悲深い。
貴様らが知能を持つ種族であるならば、償う機会を与えよう』
ガランは鞘から、装飾過多な長剣を抜き放ち、その切っ先を相良の鼻先に突きつけた。
『武装を解除し、全兵士は跪け。
貴様ら指揮官級の人間は、帝都へ連行し、見世物……いや、研究材料とする。
残りの兵卒は、鉱山での強制労働に従事させてやろう。死ぬまで帝国のために働けるのだ、光栄に思え』
李中尉の手が、腰の拳銃に伸びかけた。
相良はそれを手で制し、静かに問い返した。
「……拒否すると言ったら?」
『拒否?』
ガランは本気で理解できないという顔をした。
太陽が西から昇ると言われたような顔だ。
『ハッ、ハハハ! 拒否だと? この我に? 神聖アトラス帝国の騎士に?』
騎士たちが一斉に嘲笑した。
金属同士が擦れる不快な音が響く。
『身の程を知れ、汚らわしい泥人形どもが。
貴様らが持っているのは何だ? その薄汚い鉄の筒は? その古臭い布切れの服は?
魔力の一片すら感じられん。貴様らは「無能者」だ。魔法を使えぬ下等種族だ』
ガランの瞳に、加虐的な光が宿った。
『拒否権などない。これは慈悲だと言ったはずだ。
もし従わぬなら、この場の全員を「浄化」する。我が騎士団の蹄にかけて、肉の一片まで踏み荒らしてやる』
相良は、深く息を吐いた。
交渉の余地なし。
彼らの精神構造は、中世の封建領主そのものだ。いや、魔法という絶対的な力を持つがゆえに、それ以上に始末が悪い。
彼らは知らないのだ。
魔法を持たぬ人類が、どれだけの血と鉄を費やして、殺し合いの技術を磨き上げてきたかを。
科学という名の悪魔が、どれほど残酷で、平等な破壊をもたらすかを。
「……残念だ」
相良は短く言った。
『何だと?』
「交渉決裂だと言ったのだ。ドレイク騎士団長」
相良は背筋を伸ばし、毅然とした態度で言い放った。
「ここは満洲国であり、我々関東軍の防衛線だ。一歩たりとも侵入は許さん。
即刻立ち去れ。さもなくば、実力で排除する」
一瞬の静寂。
ガランの顔が、怒りで赤く染まっていく。
『……蛮族風情が、増長したな』
彼は馬首を返すと、背後の部下たちに向かって叫んだ。
『総員、抜刀! 魔導師隊、防御障壁展開!』
ジャララッ、と五十本の長剣が一斉に抜かれる。
後方の魔導師たちが詠唱を始め、騎士たちの周囲に、淡く輝く光の膜が出現した。
相良たちは背を向け、全速力で自陣へと走った。
「走れ! 『撃ち方始め』の合図まで振り返るな!」
『殺せ! 一匹残らず殺せ! 蛮族の血で荒野を染め上げろ!』
背後から、ガランの絶叫と、蹄の轟音が迫る。
「突撃ィィィッ!!」
騎士団が動き出した。
五十騎の重装騎兵による突撃。大地が揺れ、殺意の波動が空気を震わせる。
彼らの速度は速い。馬とは違う、六本脚の魔獣の脚力は凄まじく、数秒で距離を詰めてくる。
魔法障壁に守られた彼らは、恐怖など微塵も感じていない。矢も、投石も、貧弱な火薬玉も、すべて弾き返す絶対の自信があるのだ。
相良は塹壕に飛び込むと、泥壁に背を預け、白旗代わりの手拭いを投げ捨てた。
そして、軍刀を振り上げる。
距離、二百。
騎士たちの顔の表情さえ見える距離。彼らは笑っていた。勝利を確信し、獲物をなぶり殺しにする喜びに歪んだ笑みを浮かべていた。
それが、彼らの最後の表情となった。
「撃てェェェッ(テー)!!」
相良の号令が、乾いた空気を切り裂いた。
号令と同時、空間そのものが震えた。
ダダダダダダッ!!
九二式重機関銃特有の、低く、腹の底に響く発射音が荒野を支配した。
それは、中世レベルの文明しか持たない騎士たちにとって、未知の雷鳴だった。
彼らが展開していた「防御障壁」は、確かに矢や投石、あるいは低位の攻撃魔法を防ぐには十分な強度を持っていた。
だが、近代兵器の理は彼らの常識の外にある。
重機関銃から吐き出される六・五ミリ弾は、音速の二倍を超える初速で飛翔し、凄まじい運動エネルギーを伴って障壁に激突した。
パリン、という硬質な音が一度だけ聞こえた。
直後、先頭を走っていた騎士の胸板で、銀色の鎧がひしゃげ、背中から赤い霧が噴き出した。
『ガハッ……!?』
声にならない悲鳴。
一人が落馬し、後続の騎馬に踏み潰される。だが、悲劇はそこで終わらない。
弾丸の嵐は止まらない。
重機関銃手は、保弾板が吸い込まれていくのを冷静に見つめながら、引き金を引き続けていた。
見えない死神の鎌が、横薙ぎに振るわれる。
『ば、バカなッ! 障壁が効かぬぞ!』
『何だこの音は! どこから攻撃している!?』
騎士たちの顔から、先ほどまでの傲慢な笑みが消え失せた。
次々と砕け散る青白い光の膜。
鋼鉄の鎧など、小銃弾の前ではボール紙も同然だ。腕が千切れ、兜ごと頭部が砕かれ、騎乗獣ごとひっくり返る。
五百メートルの距離は、彼らにとってはこれから突撃を開始する距離だった。
だが日本軍にとっては、そこは「火制地帯」の中央だった。
『ひ、退けッ! 一度体勢を立て直……ギャアアッ!』
撤退を指示しようとした副官の首が飛び、鮮血の噴水を作る。
「逃がすな! 一匹も帰すな!」
塹壕から、数百丁の三八式歩兵銃が一斉に火を噴いた。
狙撃など必要ない。密集した集団に向けて撃てば、必ず誰かに当たる。これは戦争ではない。一方的な処刑だった。
わずか一分にも満たない時間。
硝煙が風に流れると、そこには動く者のない、静寂の死地だけが残されていた。
『……あ、あぁ……』
死体の山の中で、ただ一人、奇跡的に直撃を免れた男がいた。
騎士団長のガランだ。
彼の愛馬はハチの巣にされ、彼自身の下半身を押し潰して絶命していた。
ガランは震える手で、折れた剣を握りしめていた。
目の前で起きたことが理解できない。栄光ある神聖アトラス帝国の騎士団が、魔法も使えない蛮族ごときに、指一本触れることもできず全滅したなどと。
ザッ、ザッ、ザッ。
軍靴の音が近づいてくる。
見上げると、そこには深緑色の軍服を着た、小柄な東洋人の男が立っていた。
相良少佐だ。彼は手に持った軍刀の血振るいをし、冷徹な目でガランを見下ろした。
『き、貴様ら……何者だ……』
ガランは口から血の泡を吹きながら、翻訳魔法の効果が残る意識で問いかけた。
『悪魔か……? それとも、古代の邪法使いか……?』
「言ったはずだ。我々は関東軍だ」
相良は軍刀を鞘に納め、衛生兵に顎でしゃくった。
「治療しろ。殺すなよ、尋問きたいことは山ほどある」
***
一時間後。大隊本部天幕
簡易的な手当てを受け、椅子に縛り付けられたガランと、生き残った魔導師一名が、相良の前に座らされていた。
魔導師は恐怖で震え上がり、ガランは屈辱に顔を歪めている。
李中尉が、鹵獲した地図を机に広げた。
「大隊長殿……これを見てください。彼らが持っていた大陸地図です」
李の声が、妙に強張っていた。
相良が覗き込む。羊皮紙に描かれた古めかしい地図だ。中央には巨大な版図を持つ『神聖アトラス帝国』がある。
問題は、その南東の端だ。
そこには『呪われし荒野』と記された空白地帯があった。
だが、その海岸線と河川の形状――。
「……おい。これはどういうことだ」
相良の背筋に、冷たいものが走った。
その形は、黒竜江(アムール川)とウスリー川に挟まれた、満洲の地形そのものだったからだ。
「偶然の一致……にしては出来すぎているな」
「はい。まるで、この世界には元々『満洲の形をした空白地』が用意されていて、我々はそこへパズルの欠片のようにはめ込まれた……そんな気味の悪さを感じます」
李の言葉に、相良は沈黙した。
もしそうだとしたら、この転移は自然現象ではない。何者かの作為によるものなのか?
相良は思考を切り替え、ガランに向き直った。
鹵獲した魔導師の杖を弄びながら、静かに問う。
「騎士団長殿。貴国について教えてもらおうか。なぜ我々を襲った?」
ガランは鼻で笑った。
『ふん……貴様らは何も知らぬのだな。
そこは我がアトラス帝国の皇帝陛下が封印していた聖域だ。
そこに突如として現れ、我が軍の管理下にある豚人を殺戮した。侵略者は貴様らの方だ』
「我々は望んでここに来たわけではない。……だが、皇帝陛下とやらは随分と好戦的らしいな。話も聞かずに軍を差し向けるとは」
『言葉を慎め!』
ガランが激昂した。
『我が皇帝陛下は、悠久の時を生き、全ての種族を統べる絶対者であらせられる!
貴様らのような短命な種族が理解できるお方ではない!』
話が通じない。狂信的な忠誠心だ。
相良は冷ややかに続けた。
「で、その絶対者様は、我々をどうするつもりだ? まさか、たかが辺境の騎士団が全滅した程度で諦めてはくれまい」
『当たり前だ! 帝国の戦力はこんなものではない!』
ガランは嘲るように叫んだ。
『四方の国境には、それぞれ守護者として「属性竜」が配置されている!
東方を守る「地竜」、南方の「炎竜」、西の「水竜」、北の「風竜」……!
さらに帝都には、最強の「古竜」が控えているのだぞ!』
竜。
伝説上の巨大生物が、東西南北に配置されている。
『地竜は既に動き出しているはずだ。
貴様らの豆鉄砲など通用するものか! あの方の鱗はオリハルコンよりも硬い。
貴様らの砦など、踏み潰されて終わりだ!』
天幕内の空気が凍りついた。
戦車砲すら弾き返すような怪物が攻めてくれば、この大隊装備ではひとたまりもない。
まだ見ぬ「地竜」への恐怖が、兵士たちの心を蝕もうとした、その時だ。
通信兵が、血相を変えて飛び込んできた。
「隊長! 打電です! 緊急入電!」
「新京か? それとも哈爾浜か?」
「いえ、違います! 識別信号不明! ですが、使われている暗号は……間違いなく日本軍のものです! 発信源は、北東!」
相良は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、無線機の前へ走った。
「感度はどうだ! 拾えるか!」
「微弱ですが、なんとか!」
通信兵が受話器を耳に押し当て、鉛筆を走らせる。
天幕の中に、ツート、ツート、というモールス信号の無機質な電子音だけが漏れ聞こえる。
相良も李も、息を殺して通信兵の手元を見つめた。
鉛筆が、猛烈な勢いで紙の上を走り、カナ文字を紡いでいく。
通信兵の額から汗が滴り落ちる。
「……解読、終わりました」
通信兵が震える手でメモを差し出した。
そこに書かれていた文字を目にした瞬間、相良の目が大きく見開かれた。
「……虎頭要塞……第四砲台……」
相良が唸るように読み上げる。
虎頭要塞。
満洲東部国境の最北端、ソ連軍侵攻を食い止めるために築かれた、東洋最大にして最強の要塞だ。あそこも一緒に来ているのか。
「読み上げろ。全員に聞こえるようにだ」
「は、はッ!」
通信兵が立ち上がり、声を張り上げた。
「アテ、関東軍各隊! 発、虎頭第四砲台!
『正体不明ノ巨大生物ト交戦……』
『……要塞砲……四十一糎榴弾砲ニテ、コレヲ撃滅セリ』!」
天幕内がどよめいた。
「よ、四十一センチ……!? あの決戦兵器を撃ったというのか!?」
通信兵は、さらに興奮した声で続きを読み上げた。
「『……保護セル現地王族、エクレア王女ノ証言ニヨリ……』
『……当該目標ハ「地竜」ナル事ガ判明』!
『……併セテ、敵勢力ノ呼称ハ「魔王軍」ナル事ヲ聴取セリ』……以上です!」
「魔王軍、だと?」
相良は眉をひそめた。
ガランたちは「帝国」と名乗っていた。だが、現地で保護された王族は、彼らを「魔王軍」と呼んでいる。
「おい、騎士団長」
相良はガランを振り返った。
「北の要塞からの通信だ。貴様らが言う『地竜』は、たった今、我が軍の要塞砲によって消滅したそうだ」
『な……っ!?』
ガランの目が限界まで見開かれた。
『ば、馬鹿な……地竜が? あの方が負けたというのか? 人間ごときに?』
「それから、保護した王族は貴様らを『魔王軍』と呼んでいるらしいな。
ずいぶんと嫌われているようじゃないか。自分たちでは『神聖』などと名乗っているようだが」
ガランは言葉を失い、ガタガタと震え出した。
帝国の四方を守る絶対的な守護獣の一角が、たった一撃で葬られた。
彼の信仰と矜持は、音を立てて崩れ去った。
「李、聞いたか」
「はい。虎頭要塞は健在。しかも、現地の王族を確保し、敵の正体も掴んだようです」
李中尉の声には、先程までの不安は微塵もなかった。
「あいつら、やりやがったんだ。東の守護者だか何だか知らないが、あの巨砲で消し飛ばしやがったんだ!」
相良の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
竜がいる。魔王がいる。そして、地図には不可解な謎がある。絶望的な世界だ。
だが、ここには我々だけではない。
北の空の下には、あの鉄壁の要塞が生きていて、今もその牙を剥いている。
「李中尉、捕虜を連れて行け。
彼らは、このふざけた地図の謎と、帝国、そして魔王軍の内情を知るための貴重な情報源だ。徹底的に調べ上げろ」
「了解」
相良は地図盤の前に立ち、赤鉛筆を手に取った。
「神聖アトラス帝国」と書かれた文字の横に、括弧書きで『魔王軍』と書き加える。
「総員に通達。陣地をさらに強化せよ。
我々は孤立していない。虎頭も、新京も生きている。
点と点を線で結び、この満洲を、我々の手で守り抜くのだ」
天幕の外へ出ると、東の空には二つの月が輝いていた。
どこか遠くの空の下で、同じ月を見上げているであろう友軍の姿を思い描く。
コンクリートの塊の中で、巨大な砲身を撫でている髭面の砲台長の顔が、目に浮かぶようだった。
「待っていろ、魔王とやら」
相良は軍服のポケットから煙草を取り出し、深く紫煙を吸い込んだ。
「日本軍を怒らせたことを、玉座の上で後悔させてやる」
昭和二十年の夏。
世界から切り離された満洲の大地で、彼らの戦争は、まだ始まったばかりだった。
だが、その結末が「一方的な蹂躙」ではないことを、彼らは確信し始めていた。
(了)
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