阿鼻叫喚のキッズルーム
●Scene-4. 2059.06.12. 03:05pm. ススキノ 雑居ビル
戒無は、焼き上がったケーキを持って、雑居ビルの一階に降りた。
ニナとシャナが、スラムの子供たちを集めて簡単な読み書きを教えたり、いっしょに遊んだりしているキッズ・ルームだ。
このあたりの子供たちは、親を亡くしたストリート・チルドレンがほとんどで、すさんだ暮らしを余儀なくされている。
福祉の手など届かない。
少しでも、そんな子供たちの力になりたいという、ニナのたっての希望で始めたキッズ・ルームだった。
端切れで作ったぬいぐるみのマスコットがぶら下がっている入り口のドアを、戒無はゆっくり押し開けた。
「わーい、かいむー!」
戒無の姿を見つけた子供たちが、猛烈な勢いで突進してくる。
目当ては、いつも差し入れているケーキだ。
戒無は、手に持った円形の皿を取りこぼさないようにバランスを取りながら、子供たちの体当たりを受け止めた。
「ねーねー、きょうはなぁに? チョコレートのやつ? いちご?」
「おう。イチゴだ。イチゴ。滅多にお目にかかれない高級品だぜっ!」
子供たちと戯れている戒無は、すっかりガキ大将だ。
わいわいと戒無のケーキにむらがる子供たちの後から、みみたぶが出るくらいのショートボブの少女が近寄ってきた。
「いつもありがとう、戒無」
ニナは、やわらかな笑顔を戒無に向けた。
まだ、十四歳とは思えない慈愛に満ちた微笑みだった。
「ばーか。あらたまってんじゃねーの」
戒無は、ケーキの乗った皿をニナに手渡しながら、いつものようにぞんざいに言った。
「かいむ、ニーナにラーブラブ~」
女の子がはやしたてるように言うと、悪のりした子供たちが「ラーブラブ~」「ラーブラブ~」と大合唱した。
「ちょっとぉ、あんたたちっ。戒無さんは、アタシにラブラブなのっ!」
戸口から、買い物袋を抱えた寿理が入ってきて、子供たちに声を張り上げた。
「あー、じゅりちゃんだー。じゅりちゃん、やわらかくてかわいいから、もっと、いーオトコつかまえなよ」
ませた男の子が、寿理の腰にまとわりついて誘うように言った。
「あら、あんた、アタシに惚れてんの?」
寿理は婉然と微笑み、そっとかがみこんで男の子と視線を合わせる。
「どっかのデリカシー欠如人間とは大違い。もっと言って」
「じゅりちゃん、かわいい」
「あん、もう、アタシ、乗り換えちゃおうかしら!」
寿理は少年をぎゅっと抱きしめて、ぐりぐりと頬ずりをした。
寿理の抱えていた袋からドサドサと荷物が落ちて、子供たちが親切にそれを拾い集めている。
戒無は、そんな様子を眺めながら、傍らのニナにささやいた。
「さっきは、すまなかったな。おまえを危険な目にあわせた」
ニナは、ふるりと首を振った。
「どうして、わたしにだけ謝るの? 特別扱いはやめてね。わたしは、シャナが無事だったら、それで……」
戒無は首をすくめた。
「シャナは……」
「わかってるけど、でも、それでも、わたしにとってシャナは、たったひとりの妹だから」
――たったひとり……。
ニナの台詞に、胸の奥の古傷を抉られたような気がして、戒無は言葉を失った。
戒無が黙り込んだので、ニナは不安に瞳を曇らせる。
「わたし、悪いこと言った? 戒無?」
戒無はふっと笑った。
「シャナにも、謝ってくるか」
ニナは、安心したように、ふわっと微笑んで、ケーキを切りにキッチンへ行った。
そんなニナを見送った戒無の傍らに、ニナとお揃いのエプロンドレス姿のシャナが歩み寄った。
「わたしに、謝罪をしてくださるんですか?」
慇懃無礼な口調で、シャナは戒無を見上げる。
「相変わらず、いい耳だな。シャナ」
「当然です」
シャナは、ニコリともせずに言った。
「僭越ですが……。さきほどの一件ですけど、お遊びもたいがいにしてください。危険すぎます」
「悪ィ。冬宮のじーさんには、内緒な」
戒無は、片手で拝む真似する。
シャナは、ふう、とため息をついて戒無の頬に幼い手を伸ばした。
戒無の頬に残る、ガラスの傷にそっと触れる。
「あなたが、身を挺してニナを護ったことは、認めます」
戒無は、伸ばしたシャナの手を取った。
「おまえ、自分を大切にしろな」
戒無は、シャナの手にポケットから出したあめ玉を握らせながら、ぶっきらぼうに言った。
シャナは怪訝な顔になる。
「どういう意味ですか?」
「自分が犠牲になればいいなんて思うなってことさ」
ポンポンとシャナの頭を叩いて、戒無はシャナにウインクした。
シャナは、手の中のあめ玉を見つめて、とまどったように戒無を見上げた。
男の横顔と後ろ姿を目で追う。
視線をあめ玉に戻して、少し首をかしげた。
戒無は、三階への階段を上っていた。
その後ろをついて登りながら、寿理がペラペラと喋り続けている。
「それがもう、アクション映画みたいにかっこよかったんですよ~。女の子を庇いながら、バンバンって二発。無駄弾は撃たないプロって感じで、もう、めちゃくちゃステキ」
買い出しに行ったイースト・パセオタウンで目撃した事件を、身振り手振りつきの大熱演で説明しているようだ。
「で? おまえは買い物袋抱えて、のんびり見てたのかよ?」
「もちろん。逃げましたよ?」
胸を張って、寿理は言い放つ。
「まあ、それが正解だ」
「でも、あんなところで銃撃戦なんて……。あの銀髪の人はプロって感じでしたけど、仕掛けたほうは……あたっ!」
調子に乗って喋りまくる寿理は、とつぜん立ち止まった戒無の背中に鼻面を思いっきり打ち付けた。
「なんで急に立ち止まるんですかぁ」
寿理は、鼻をおさえて泣き声を出す。
「銀髪?」
戒無は階段の途中で振り返った。
「ええ。サラサラした肩までの銀髪でしたよ?」
「顔は見なかったのか?」
いつになく真剣な戒無の表情に、寿理は戸惑う。
「ええと……。うーん。遠かったですしねぇ~」
戒無は、ふっと肩を落とした。
「そうか」
気のない返事をすると、また、だらだらと階段を上がっていく。
寿理は、そんな戒無の後ろ姿を黙って見つめた。
街で見かけた戒無に一目惚れして、この事務所の押し掛け助手を決め込んで半年、戒無はときおり、なにかにこだわっているような表情を見せる。
普段がお気楽でちゃらんぽらんなだけに、不意に感じる違和感が、寿理を不安にさせていた。
「どうせ、訊いても話してくれないのよね……」
ぽつんと寿理はつぶやいた。