オレンジは秘密の香り
●Scene-40. 2059.06.17. 02:30pm. ススキノ 廃ビル一階
爆風で飛ばされて気を失っていたニナは、ずっと眠り続けていた。
異常な体験が重なって、すっかり身も心も疲れ切っていたのだろう。
目を覚ましたニナは、傍らにずっと付き添っていたシャナの胸元の包帯に触れて、涙ぐんだ。
「ごめんね。痛かったでしょう? 苦しかったでしょう?」
シャナは、微笑んだ。
「大丈夫。傷跡は、皮膚再生処置をして、消してもらうから。またすぐ、見分けがつかなくなる」
「そんなことじゃなくて!」
シャナは、そっとニナの手を取った。
「ニナ……。もし、ニナが死ぬようなことがあったら、わたしは生きてはいられないわ」
「えっ?」
「わたしは、ニナのためだけに生まれてきて、ニナのためだけに生きてるの。これまでも、これからもずっと……」
「シャナ……」
「でも、ニナがわたしのために泣かなくていいように、これからはもっと気をつけるわ」
ニナは、シャナをきゅうっと抱きしめた。
二人の少女は、抱き合ったまま少しだけ泣いて、そして笑い合った。
戒無は、ニナの部屋のドアの前に立ち、ノックの手を上げて逡巡した。
ニナの顔を見るのが怖かった。
追いついてきた寿理が、戒無の横から、トントンと軽快にドアを叩く。
返事も待たずに、カチャリとドアを開けた。
「ニナちゃん。戒無さん連れてきたわよ」
満面の笑みで、寿理は言った。
ニナはベッドに半身を起こし、傍らのシャナと話していた。
戒無と聞いて、ニナがピクリと体を強ばらせたのがわかったが、寿理は気づかないふりをした。
戒無は、戸口に立ち、ドアにもたれかかった。
「どうだ? 気分は……?」
「う、うん……」
うなずいたニナの瞳から、パタパタと大粒の涙がこぼれ落ち、毛布を濡らした。
慌てて涙を拭おうとしたニナの手が、カタカタと不自然に震える。
「ニナ……」
シャナが、ニナの震える手を握りしめた。
ニナの脳裏に、惨劇が蘇った。
銃声と悲鳴が間断なく響き、血と硝煙の匂いにむせかえるようだった、あの、教会での大量殺戮……。
急に吐き気に襲われて、ニナは口許を押さえて身を伏せた。
「ニナ……ごめんな」
戒無は、パタンとドアを閉めた。
「あっ! 戒無さん!」
寿理は、あわてて自分の背後で閉じられたドアを振り返る。
クッと拳を握って、ニナに向き直った。
シャナが、ニナの背をさすっている。
優しい声で、寿理は言った。
「ニナちゃん……。戒無さんの左手、見た?」
ニナは、涙でぐちゃぐちゃになった顔で寿理を仰ぐ。
「紅い、十字架と龍の紋章があるのよ。ときどき……そうね、あんなことがあったりすると、あぶり出しみたいに浮かび上がっちゃうんだけど……。やっと、消えてきたみたい。あの人の手に、また破滅の紋章が浮かぶことがないように、アタシは祈ることにするわ」
「寿理さん……」
ニナはしゃくりあげながら言った。
「わたし、戒無のこと好きなのに、怖くて……。怖くて、怖くて……。どうしよう……。わたし、助けてもらったのに、笑ってあげられない……」
寿理は、ニナに歩み寄り、ふわりとその頭を抱きしめた。
「可哀想に……。辛かったのね。ニナちゃんが、自分を責めることなんかないのよ……。」
「でも……」
「いいのよ……。いいの。あなたはそのままで……」
寿理の言葉は、とてもあたたかくニナの胸に響いた。
ニナは、寿理の胸で少し泣いて、再び眠りについた。
ニナの部屋を出た戒無は、廊下で麗芳に出くわした。
「フラれたの? 酷い顔してるわよ」
廊下の壁にもたれたまま、麗芳は言った。
「おまえは? これからどうする?」
「三日待って、ファランが発症しなければ、出て行くわ」
「どこへ?」
「他人の罪を地獄に持っていくなんて、ばかなことを言う男のいないところへ」
戒無は、うつむいて失笑した。
「臭い、台詞だな……」
「でも、嬉しかったわ。ありがとう……」
ふわっと戒無の唇にキスをする。
戒無の胸元を指先でなぞって、トンと指で胸を突いて体を離した。
「大丈夫。あの子ならきっと、受け入れてくれるわ」
優しく微笑んで、麗芳はひらりと手を振った。
なにかが、彼女の中でも吹っ切れたようだった。
「今度こそ、幸せになれるといいな……リーファン」
「あなたもね」
ポンと麗芳はオレンジを戒無に放った。
戒無は、ゆるやかな放物線を描いて飛んでくるオレンジを、二の腕で弾ませて、左手でキャッチする。
廊下を去って行く長いストロベリーブロンドを、黙って見送った。




