花の種を配る美女
●Scene-3. 2059.06.12. 02:00pm. 札駅 地下商店街
札幌駅北東方面の地下に広がる大規模な商店街イースト・パセオタウンは闇市だ。
日用雑貨や企業の在庫処分品、出どころのあやしい盗品まがいの品物まで、金さえ出せばなんでも手に入る。
太陽の光が届かない、発電設備も貧弱な薄暗い地下に露店のような店が立ち並び、雑多な人々が行き交っていた。
その、混雑するモールを、銀髪の男が歩いていた。
男の傍らで、赤い髪の少女が立ち並ぶ店を物珍しそうに眺めている。
「ふぁらん、ふぁらん。すご~い。かわいい~。あたし、こんなのはじめてぇ」
はしゃいで、少女は、大きなケージの中でひしめく生き物を指さした。
少女に促され、花狼と呼ばれた男がそれをのぞき込む。
それは、発光遺伝子を組み込まれ、ぽわぽわと淡い光を発しているシマエナガだった。
「きれい~。かわいいね~」
少女は無邪気に目を輝かせると、嬉しそうに男を振り返った。
男は少女にかすかに微笑んで、発光シマエナガ売りの男に視線を向けた。
シマエナガ売りは、眉をひそめて視線を泳がせた。
ちらりと向いた視線の先に、連絡員の張がいた。
男は、シマエナガに見入っている少女をそこに残して、すっと連絡員のもとに歩み寄った。
連絡員は花狼に背を寄せ、視線を合わせないようにささやいた。
「あの娘、賞金がかかっているようです」
「なに?」
花狼は無邪気にシマエナガと戯れている少女に視線を走らせる。
反射的に、周囲へ神経をとがらせた。
そして、低く、訊いた。
「いくらだ?」
「三億五千万。日本円です」
花狼は、一瞬、天を仰いだ。
すす汚れた朽ちかけた天井だった。
「払い元は?」
「海外のダミー・カンパニーが、いくつか噛んでるようです。今、長老会直属のエージェントが探っていますが、すぐには……」
「まさか、調査結果が出るまで、俺に賞金首を連れ歩けとでも言うのか?」
張は申し訳なさそうに首をすくめた。
「もしあの娘が本物なら、催眠暗示などがかけられている可能性もあります。本部に連れ帰ったとたん舌でも噛まれたら終わりですから」
「眠らせるか、拘束すればいいだろう?」
「ささいな危険も排除せよという長老会の決定です。それに、あなたがついていれば降りかかる火の粉は払うだろう、と」
花狼は、舌打ちをした。
「長老会のお歴々の及び腰には反吐が出る」
「言葉に気をつけてください。あなたの存在を好ましく思わない者達もいます。シャオロンさんの一件、お忘れになったわけではないでしょう?」
花狼は、目を細めた。
「シャオロンの話はよせ」
張は、慌てて頭を下げた。
「は。申し訳ありません」
そのとき、ぽわっと蛍色に光るシマエナガを手のひらに乗せた少女が、パタパタと花狼の側に走ってきた。
「みてみて~。もらっちゃった~」
嬉しそうに小鳥を差し出して見せる少女にうなずいて、男はシマエナガ売りを見た。
シマエナガ売りのオヤジは、ひげ面のいかつい顔を歪め、照れたように笑った。
「あとね、これ、むこうのおねーさんから」
少女は、お薬包みになったハトロン紙を花狼に差し出す。
男が注意深くそれを開くと、中には小さく細長い植物の種が入っていた。
「ねぇ、なに? これ、このこのごはん?」
無邪気に訊く少女を見下ろして、男は答えた。
「これは、花の種だ」
「はなのタネ?」
少女は首をかしげる。
「土に植えて水をかけると、芽が出て、やがて花が咲く」
「どんな?」
「さあな」
少女は、興味深げにハトロン紙の中の小さな種に視線を落とした。
地殻変動や異常気象によって自然環境が変化した地上では、花はきわめて珍しい存在だった。
雑草にも見捨てられた瓦礫の街の地下で花の種を配る者の存在を、花狼は奇妙な予感を持って振り返った。
行き交う人波の向こうに、白いコートを羽織った女が立っていた。
長い髪の女だった。
ゆるくウエーブのかかったストロベリーブロンドをした、哀しい瞳の女だった。
「ま……さか!」
花狼は反射的に人波をかき分け、女に向かって身を乗り出した。
女はゆらゆらとかぶりを振ると、寂しく微笑んで花狼に背を向けた。
「リーファン! リーファンっ!」
花狼は叫んだ。
しかし、その声は周囲の喧噪にかき消され、むなしく雑踏に吸い込まれた。
女は二度と振り返らず、長い髪を揺らしながら人の波にのまれて消えた。
――麗芳……。
花狼は、クッと左手の拳を握りしめた。
――あいつは、決して俺を赦しはしないだろう……。
「どしたの? ふぁらん」
疑うことのない無垢な笑顔で、少女は花狼を見上げる。
その瞬間、花狼に向かって微笑んだ少女の背後で、オレンジ色のマズルフラッシュが閃いた。
光を見た刹那、男の反応速度が跳ね上がった。
とっさに少女の体を抱きかかえ、地面に伏す。
羽織ったコートを翻し、ベルトの背に挟んだオートマティックを左手で抜き放った。
二人の背後を運悪く通りかかった通行人の男が、低く呻いて倒れ込んだ。
周囲で悲鳴が上がった。
わけがわからず、顔を上げようとする少女の頭を乱暴に押さえつけて、男は引き金を引いた。
眉間と心臓、正確に、二発。
狙撃者が倒れた。
即死だ。
イースト・パセオタウンはパニックに陥った。
右も左もわからず逃げ出そうとする者。
腰が抜けて動けない者。
我を失い叫び続ける者。
花狼は、目を白黒させている少女を抱きかかえると、先ほどの連絡員に目で合図して、逃走を決め込んだ。
迷うことなく駅区に走って、線路に降りた。
狙われたのは、この少女であることは明白だった。
少女には賞金がかかっているという。
今後も、一攫千金を狙った食い詰め者が襲ってくるのは必至だろう。
花狼は、そいつらを駆逐する番犬になったような気分で、網の目のように張り巡らされた地下鉄の線路を駆け抜けた。