残酷なトリガー
●Scene-38. 2059.06.17. 02:08am. 小樽 F7ビル教会
すさまじい爆発音とともに、爆風が周囲のものを放射状に吹き飛ばした。
バージンロードの中央に、爆薬が仕掛けられていたのだ。
起爆スイッチは、祭壇の十字架にあった。
戒無は、ニナを庇って部屋の隅に身を伏せていた。
飛んできた長椅子が、ちょうど巧い具合に二人を護るバリケードのようになって、すさまじい爆風から身を護ることができた。
ニナは気を失っていた。
だが、怪我をした様子はない。
戒無は視界のきかない室の中央に向かって怒鳴った。
「ファラン!」
花狼は、手すりの陰で爆風をやり過ごしていた。
室全体が吹き飛ぶほどの火薬の量ではなかった。
「きゃぁぁぁぁっ!」
爆風で飛ばされたM107たちのうめき声に混じって、上のほうから少女の悲鳴が聞こえた。
屋上で悲鳴を上げるような人間は決まっている。
花狼は、声のしたほうへ反射的に走った。
崩壊したバージンロードの、ぱっくりと奈落の底へ口を開いた橋へ、少女が落ちてきた。
燃えるような赤い髪の少女だった。
花狼は、少女を受け止めた。
崩壊しかかった橋は、二人の体重をささえきれず、大きく軋みながら中央に向かって崩れ落ちる。
地上七十階からの地獄の滑り台が、二人を奈落の底へと誘う。
メキメキと音を立て、渡り廊下が崩れていく。
花狼は、右手で愛芳を抱き、一縷の望みを賭けて左手を伸ばした。
その左手が床の端をかすめ、空を掴む。
墜ちてゆく花狼の左手の紅い龍を、もう一匹の紅い龍が、がっしりと掴んだ。
「シャオロン……」
花狼が、驚いたようにつぶやいた。
戒無の左手が、しっかりと花狼の左手を握りしめていた。
戒無は、薄く笑った。
「その子が墜ちたら、マジ、やべぇだろ?」
軽口を叩きながら、戒無は二人を引き上げる。
泣きながら銀髪の悪魔に抱きついていく史上最強の生物兵器を見つめながら、戒無はゾクリと背筋が震えるのを止めることができなかった。
「ファラン……」
戒無は、史上最強の生物兵器を抱きしめている男の名を茫然と呼んだ。
愛芳のこめかみが鮮血で染まっていた。
愛芳のこめかみから流れ出た血液が、花狼のコートに落ち、右肩の辺りから染みを広げている。
花狼は、優しく微笑んで愛芳の額を撫でた。
かわいいおでこが覗いて、少女は、いっそう幼く見えた。
「傷は、大したことはない」
「そんな、のんきなことを言っている場合か!」
声を荒げる戒無に、花狼は他人事のように言った。
「そういえば、きさまの相棒がいいものを持って来ていた」
「いいもの……?」
戒無が聞き返したとき、屋上から聞き慣れた声が降ってきた。
「戒無さぁーん! アイファンちゃんがぁ~!」
大穴の開いた天井から、オレンジ色の髪が垂れ下がる。
寿理が下を覗き込んでいた。
「焼夷弾頭を装填して、ロケットランチャーを降ろせ!」
花狼が、上に向かって叫んだ。
「ロケットランチャー……」
戒無の視線が鋭くなった。
戒無を見て、花狼が言った。
「俺の右肩には、プレートを入れた傷がある。派手に動いたので、開いて出血している」
「ああ」
戒無はうなずいた。
愛芳の汚染された血液はすでに花狼の傷口から侵入していると見て間違いないだろう。
花狼は続けた。
「バビロン・クラックの拡散を抑えるには感染源を焼き払うしかない。きさまなら、引き金が引けるだろう?」
寿理の持ってきた焼夷弾で二人まとめて焼き払えと言っているのだ。
「戒無さぁ~ん。どうするんですか~? ロケット砲なんかぁ~」
見事なロープワークでロケット砲を上から降ろしながら、寿理が訊いた。
寿理には答えず、戒無はロケット砲を手に取った。
ズシリと重みが両手にかかる。
花狼を振り返った。
「おまえは……それでいいのか?」
花狼はシニカルに笑った。
「俺は、なにごとにも執着しないように生きてきた。いつ終わりが来てもいいようにだ」
「そうだったな……」
「こればかりは、どうにもなるまい」
戒無は、浅くうなずいた。
「わかった」
戒無は、ロケット砲の発射筒を肩に担ぐと、床に片膝をついてサイトを覗き、照準を決めた。
「望み通り、灰にしてやるぜ」
今までの人生で、何度、こんなことがあったろう。
傷ついた同胞を打ち捨てて進まねばならないとき、潜入した敵地では必ずといっていいほど、傷ついた同胞をこの手で殺めてきた。
情報の漏洩を防ぐには、そうするしかなかったのだ。
同胞たちはみな、黙って目を閉じた。
いつか、自分も彼らと同じ立場になるのかもしれないと、傷ついた仲間を屠るたびに胸に刻み込んできた。
そして、そんな体験を重ね、心を切り離すすべを覚えてゆくのだ。
戦場にあって、峻烈な判断を必要とするとき、非情な行為に身を貶めなければならないとき……。
心を切り離し、なにも感じないようにすればいい。
そうして、引き金を引けばいい。
そうして、喉笛を掻き切ればいい。
戒無は、氷のような無表情でロケット砲のトリガーに指をかけた。
そのとき、花狼に抱きついて泣いていた少女が、ぱっと立ち上がった。
戒無に相対して立ち、男を背に庇うようにして両手を広げる。
額からの鮮血が頬を伝っていた。
そんな小さな体で彼を護っても、弾頭が着弾すればふたりとも炎につつまれるだけのことだ。
「ふぁらんを、うたないで!」
凛とした声で、愛芳は叫んだ。
少女は、彼が死なねばならないのが自分の血液のせいであることを知らない。
「なかよしこよしなんでしょう!」
キッと戒無を睨みつけ、少女は一歩も引かない構えだ。
そんな少女を、背中からふわりと花狼が抱きしめた。
「ふぁらん……。ふぁらん、ふぁらん……!」
細い腕を伸ばして、少女は男にすがりついていく。
その華奢な体を抱きしめて、花狼は静かに言った。
「シャオロン、やれ」
今、引き金を引かなければ、この国は史上最強の病原菌に蹂躙され、その汚染は世界各地へ飛び火してゆくのだろうか……。
明芳を焼き払ったあのときのように、すべてを灰にしなければ手遅れになるのだろうか……。
――ファラン……。
こんな形で、無抵抗なヤツを撃たねばならないとは思ってもいなかった。
今までの因縁は、こんなにあっさりとした、圧倒的な力の前に屈してしまうようなものだったのか。
――なかよしこよし……か……。
戒無は、心の中でつぶやいて、もう一度サイトをのぞき込んだ。
花狼はそんな腑抜けたつぶやきを見透かしたように、静かに微笑んだ。
戒無は息を吸い込んだ。
空気が、痛いほどに張りつめた。
戒無は息を止め、ゆっくりとトリガーにかけた指に力を入れた。
「待ってっ!」
麗芳が駆けてきて、弾道を遮るように立ちふさがった。
「覚えてるでしょう? 私がいるわ。私の体の中のウイルスは、すでに無効化され抗体ができているのよ。だから、私の血を輸血すれば、あの子の体の中のウイルスも感染力を失うわ」
爆風で怪我をした麗方は、痛々しいほどの朱に染まった姿で戒無の前に立った。
戒無は、照準を決めたまま低く訊く。
「それは宿主の場合だろう? 感染者はどうなる?」
麗芳は、あえぐように言った。
「多分、発症する前だったら、大丈夫だと思うわ」
「確かなのか?」
「研究チームで人体実験をしてたわ。感染後、数時間以内に処置すれば」
その麗芳の必死の表情には嘘はなさそうだった。
戒無は、大きく息をついてロケット砲を肩から下ろした。
麗芳は、ホッとしたように戒無にうなずくと、花狼と愛芳に向き直った。
「おねえちゃん?」
愛芳が、驚いたように麗芳を見上げた。
「アイファン……ごめんね……」
麗芳は囁き、愛芳のこめかみの傷に、自分の左腕から流れ出る鮮血をたらした。
雨の降りしきる空が、闇を喰ったように広がっていた。
その曇天は、重く深い群青色だった。




