表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/43

ワルキューレは嗤うのか

●Scene-32. 2059.06.16. 01:02pm. ススキノ 雑居ビル三階


 すっかりニナと話し込んでしまった寿理は、昼過ぎになってようやく事務所に戻ってきた。

 すると、そこへタイミング良く麗芳リーファンが現れた。


「あら、戒無さん、お出かけなんですよ~。どうしましょ?」


 寿理が対応に困っていると、麗芳はにっこり笑った。


「待たせていただけます?」


 断るわけにもいかず、彼女を応接室に通してお茶の用意をしにキッチンへ行くと、冷蔵庫の横で場所をとっている開かずのキッチンストッカーが目に付いた。

 ポケットをまさぐって、昨夜、戒無から渡された鍵を取り出した。

 少しためらって、鍵を鍵穴に差し込む。

 中から異常増殖した自生キノコが飛び出してこないことを祈りながら、寿理は息を詰めて観音開きの扉を開けた。


 中の光景に愕然とした。


 キノコが増殖している以上にとんでもないものが並んでいた。

 そのまま息をするのも忘れてしばし見入った。

 寿理は、目を閉じて扉を元通りに閉め、扉に背中でもたれかかった。

 大きく息をついて、酸素を求めるように深呼吸した。


「なに……これ……」


 寿理は、見てはいけないものを見てしまったとばかりに、うつむいてかぶりを振った。


「戒無さんたら……アタシに、戦争させようって言うの?」


 寿理は、きゅっと唇を噛んだ。


 開かずの収納庫の中には、どうやって集めたのかわからないような火器が並んでいた。

 護身用のハンドガンから、戦車を粉砕できるようなロケットランチャーまでもが、ぎっしりと詰め込まれていた。

 それを使用することによって殺傷できる人数、破壊できる物量を考えると、底冷えがするほどに恐ろしい。


 彼の過去が物騒なものであることは、充分に承知しているつもりだった。

 その彼が、寿理にこの鍵を渡したということは……。


「バレちゃってんのかしら……?」


 寿理は低くつぶやいて、鍵をポケットに滑り込ませた。


 ガスにかけていたやかんが、ピーと鳴った。

 紅茶の缶を戸棚から取ろうとしたとき、いきなり、突き上げるような衝撃がビルを揺さぶった。


 あわてて寿理は、テーブルの下に転がり込んだ。

 嫌な予感がした。


 寿理はキッチンストッカーにちらりと視線を向けると、通りに面した窓際まで身をかがめて進んだ。

 そうっと窓の外を眺望する。


 何台かのワゴン車が通りを封鎖していた。

 その向こうから嫌なものが発射されるのが目に入った。


 迫撃砲だ。


「じょおっだんっ!」


 寿理は急いで窓際から避難した。

 再び三階建てのビル全体が震動する。

 窓ガラスが衝撃で飛んだ。


 寿理は応接室に走った。

 扉を開けると、麗芳が部屋の隅で震えていた。


「リーファンさん! 早くっ!」


 寿理は強引に麗芳の腕を取ると、事務所を飛び出して階段を一階まで駆け下りた。


 ニナたちのいる一階からは、竜巻除けのシェルターに降りられる。

 キッズ・ルームのドアを開け放って、寿理は叫んだ。


「ニナちゃんっ! 大丈夫?」


 しかし、子供たちとニナの姿はない。

 寿理は麗芳の手を引いたままキッチンに走った。

 キッチンのドアを開け放つ。


「ニナちゃん!」


 ちょうど、ニナが、地下室に通じる扉を必死に引き上げようとしているところだった。


「寿理さん……」


 寿理の姿をみとめて、ニナは安堵の表情を浮かべた。


「アタシが開けるから、子供たちと一緒に隠れてて」


 寿理は、ニナと場所をかわると、渾身の力を振り絞って地下シェルターへの重い扉を引き上げた。


「早く!」


 麗芳と子供たちを地下に下ろして、ニナは寿理を振り返った。


「寿理さんも、早く!」


 ニナは手をさしのべる。

 寿理は、うふっと笑った。


「ごめんね、ニナちゃん。心細いだろうけど、ここ、お願いね」

「寿理さん……」


 寿理は、ニナに向かってパチンとウインクした。

 ニナはしっかりうなずくと、地下への階段を下りていった。


 寿理は、重い扉をズシンと閉めた。

 すぐに廊下へ飛び出して、オレンジ色に染めた髪を後ろでひとつに束ねながら三階へ駆け上がった。


 動きにくいので、スリップドレスの脇のスリットを腰まで引き裂いた。

 事務所のキッチンに飛び込み、キッチンストッカーを開け放つ。

 手頃な得物を選んで、弾丸を専用のベルトで腰に吊った。


 そして、死にそうに重い重機関銃に手を伸ばした。

 ガン本体が四十キロ近くもあるシロモノだ。


 寿理は、まず、三本の足で銃を支える台座トライ・ポッド、をベランダまで注意深く運んだ。

 位置を決め、ガン本体をセットした。


 ブローニングのM2マシンガンだった。

 一一○発の弾丸がベルトのように繋がったリンク・ベルトをセットして、銃の後ろで体を伏せた。

 リア・サイトのリーフを倒して、百ヤード照準に切り替える。


 ビルの前の道路はすでにボコボコにされていた。

 ビルの二階あたりにも、何発かくらっているらしい。

 寿理は、両手で銃についている木製のハンドルを握ってサイトをのぞき込むと、迫撃砲に狙いをつけた。


 そうして、ハンドルの上から突き出ているトリガーを思い切り押し込んだ。

 重いトリガーを押し切ると、腕に連続した発射の反動が伝わってきた。


 二十キロもあるトライ・ポッドで銃を固定しているので、反動は意外に小さい。

 ハンドルをコントロールしながら、敵の固まっていそうなところに五○口径から撃ち出される弾丸をぶち込んだ。


 敵は、マシンガンで応戦されるとは予想していなかったらしく、あわてふためいている。

 あわてるということは、戒無の不在と高をくくっての襲撃だろうか?

 少なくとも、彼がレッド・クロイツの劉小龍であることを知っているなら、この程度の反撃は想定済みのはずだ。


 正体不明の不安が、寿理の胸にこみ上げてきた。


 ここを襲う目的はなんだろう?


 そんな疑問を抱いたとき、急に敵の動きが変わった。

 そそくさと撤収しはじめたのである。

 本気でビルを占拠、もしくは粉砕するつもりなら、マシンガン一丁の反撃程度で断念するはずがない。

 寿理は路上に展開していた何者かが引き上げていくのを唖然として見送った。


 残存部隊がいる可能性を考慮して、手軽な武器を携え、屋上に上がってみる。

 屋上から周囲の様子をうかがったが、それらしい気配はない。


 とすると……。


 寿理は急いでとってかえし、一階まで階段を駆け下りた。

 キッズ・ルームに飛び込んで、キッチンのドアの前で立ち止まる。


 息を殺して、気配を伺った。

 寿理は思い切ってドアを蹴り開けた。

 念のために身を低くして銃を構え、壁に寄ったが、敵の気配はない。

 ニナたちは、大人しくシェルターに避難したままのようだ。


 寿理はキッチンに入ると、重い扉を引き上げた。

 片足を振り上げて、扉をガツンとホールドする。

 ロングのスリップドレスの腰まで割れたスリットから、綺麗な生足がすらりと覗いた。


 寿理は、地下室に向かってサブマシンガンを構えた。

 セレクターは、もちろん一発ずつのねらい撃ちも可能なセミオートになっている。


 薄暗がりの地下室から、子供の泣く声が聞こえてきた。

 寿理は胸騒ぎを押さえて、地下に向かって叫んだ。


「出てらっしゃい!」


 その声に導かれるように、麗芳がゆらりと姿を現した。

 階下から寿理を見上げ、ゆっくりと右腕を差し上げる。

 その手には、小型の拳銃が握られていた。


「リン・リーファン……。あんたね? 外の連中に指示を出したのは」


 麗芳はふっと笑った。


「おかしいわね……。マシンガンの雨が三階から降ってきたって言ってたわ。あなた、何者?」


 寿理はキリッと奥歯を噛みしめた。


「ちょっとあんた、なめんじゃないわよ! ニナはどうしたのっ!」


 地下室の奥から、ニナちゃん、ニナちゃんと口々に呼ぶ声が聞こえる。

 ニナの身になにかが起こったことは確かだ。


 寿理は焦れた。

 麗芳は、黙ったままうっすらと微笑んでいる。


「私、本当はシャオロンを哀しませたくはなかったの。ほんとよ……。あの人は、チュンメイの忘れ形見であるニナを、ほんとうに大切に思ってたから……。でも、あなたを殺したら……シャオロンは哀しむかしら……?」


 麗芳の指が、構えた銃のトリガーにかかった。


 タン!

 短い発射音だった。

 驚いた瞳を見開く麗芳の手から、銃だけがはじき飛ばされていた。


「だから、なめんじゃないって言ってんのよ。プロの戦争屋に太刀打ちできると思ってんの?」


「プ……ロ……?」


 麗芳は銃をはじかれて痺れる右手を胸に抱いた。


 五年前、冬宮一誠の息子で、わずか十五歳だった誠流せいるが、突然、出奔した。

 噂では欧州で外人部隊に入隊し、生死は不明だという。

 麗芳の表情が、みるみる青ざめた。


「ま……さか……冬宮誠流……?」


 寿理は不機嫌に鼻を鳴らした。


「そんなヤツ、とっくの昔に死んだのよ。二度と口にしないで」


 麗芳は嗜虐的な笑みを口許に浮かべた。


「そう。冬宮誠流が姿を変えて妹を護ってたの……。羨ましい子。冬宮の家に生まれたというだけで、私とはこんなにも境遇が違う……」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ! それで、世を拗ねて、あんたはなにをやらかそうっていうの!」


 麗芳は、クスッと笑った。


「ステキね。シャオロンと、あなたにとって、最高の演出を用意したわ」


 麗芳がうそぶいたとき、不意に、外から声が聞こえた。


「お~い。生きてるかぁ~?」


 なんとも気楽な声だ。


「あー、もう。遅いですよっ! 戒無さぁぁんっ!」


 寿理はやけくそで叫んだ。

 戒無は、ほこほことキッチンに現れた。

 まずは、寿理の勇ましくも悩ましい格好を見て、ヒュウと口笛を吹く。


「すっげー……。かっこいいじゃん。寿三郎」

「ばか言ってないで、ニナちゃんを早く!」


 サッと戒無の表情に緊張が走った。


「ニナが? どうした?」

「さあ。この人に訊いてください。ニナちゃんになにをしたのか、今から訊くところだったんですから」


「この人……?」


 戒無が首をかしげたとき、豊かなストロベリーブロンドの女が、地下室から階段を上って来た。


「私よ、シャオロン……」

「リーファン……」


 戒無は、その名をつぶやいたきり絶句した。

 麗芳はゆっくりと寿理の傍らをすり抜け、戒無の前に立った。


「ごめんなさい……。また、あなたを裏切ったわ……」


 戒無は黙って麗芳を見つめた。

 戒無はなにかを思い切るように奥歯を噛みしめると、シェルターへ飛び降りた。


 すぐに、地下から子供たちがわらわらと飛び出してきた。

 ニナちゃんが、ニナちゃんが、と口々に訴えている。

 寿理はそんな子供たちに微笑みかけ、安心させるように言った。


「アタシがついてるから、あんたたちは公園に行ってなさい」


 多分、この場から遠く離れた方が、この子たちは安全だ。

 子供たちは互いの顔を見合わせ、少し後ろ髪を引かれるようなそぶりを見せたが、寿理に促されて外に出ていった。


 最後に戒無が、ニナを抱きかかえて階段を上ってきた。

 戒無の腕の中の少女は、ぐったりとして生気がない。

 胸元から流れ出る鮮血が、フリルのついたエプロンをぐっしょりと赤く染めていた。


「ニナ……」


 寿理は、茫然と、戒無の腕の中で眠る少女を見つめた。


「いったい、どういうことよっ!」


 寿理がわめいて、銃口を麗芳の喉元にねじ込んだ。

 麗芳はクスクスと笑い始めた。

 ニナを床に横たえ、止血を施す戒無の背に、言った。


「ねぇ、シャオロン。あなたは、虚しくはないの? 闘っても闘っても同じ事の繰り返し。いっそのこと、みんな滅びてしまえばいいって、思ったことはない?」

「じゃあ、アタシが望み通り、あんたを殺してあげるわよ! ニナが、なにをしたって言うのよ! この子は、ただ、一生懸命生きてるだけじゃない!」


「あなたに私が殺せるの? 私も、もしかしたら、この体で殺人ウイルスを育てているのかもしれなくてよ」

「それがどーしたって言うのよっ! アタシは、ニナさえ生きていてくれたら、世界なんかどーだっていいのよ!」


 寿理は、震える指先をトリガーに滑らせた。


「寿三郎!」


 戒無の厳しい制止の声が飛ぶ。


「今度ばかりは、戒無さんの命令だって従えません」

「よせ! 寿三郎!」


「嫌です!」

「落ち着け! 誠流せいる!」


「……えっ?」


 寿理は、愕然として戒無に視線を移した。


「戒無さん……知って……?」


「おまえは忘れてるかもしれねーけどな、ガキの頃、一度、会ったことがあるんだぜ。俺は同人判別が得意でな。成長しても、性別が変わっても、……わかるさ」


 寿理は、泣き顔になる。


「そんなの……フェアじゃないですよ……」

「悪りぃな。ピュア・チャイルドってのは、最初ハナっから、フェアな生きもんじゃねーのさ」


 寿理は、毒気を抜かれたように大人しくなった。


「大丈夫だ。心臓は、それてる」


 戒無は、妙に優しい声で、寿理に言った。


「……ニナ……」


 寿理は、銃を構えたまま唇を噛んだ。

 戒無は、ニナを抱いてキッチンを出た。


 隣室のソファに彼女を横たえる。

 麗芳を拘束した寿理が続いた。

 戒無は麗芳を振り返った。


「おまえが直接手を下すとはな。懸賞金をかけて大騒動を起こすより、案外、確実だったかもしれん」

「でも、とどめを刺せなければ意味はないわ。冬宮誠流が生きていたなんて……」


「聞かせてもらおうか。アイファンは、なぜ、亜人類保護協会に保護されていたにもかかわらず、フリーダム・セブンの手に渡ったんだ?」


 麗芳は、狼狽した。


「どうして……それを?」

「ルドルフ・アイケは、おまえがたちうちできるような男じゃないぞ。目をさませ」


 麗芳は、ふるふるとかぶりを振った。


「約束してくれたのよ。このバイオ・ボムの正体が明らかになったら、MF22遺伝子は、この世から抹殺されるだろうって。そうしたら、もう、ミンファンのように、利用されて、無惨に殺されるような子は産まれてこないわ」

「そのために、おまえがアイファンを利用するのか?」


「それは……」


 麗芳は言葉に詰まった。

 戒無はため息をついた。

 一刻も早く、傷ついた少女を医者に診せねばならない。


 ふと、予感がして、戒無は窓の外に視線を走らせた。

 時ならぬ砲撃で道がボコボコにえぐり取られている。

 向かいのビルの壁が妙に削れているのは、寿理の放ったマシンガンの傷跡に違いない。


 そのボコボコの道路を、不安な表情で小走りに近づいてくる少女がいた。

 白いフリルのエプロンドレスを翻した、耳たぶが見えるくらいのショートボブの少女だった。


「寿三郎。客のようだ。帰ってもらってくれ」


 戒無は、寿理に顎をしゃくって命じた。


「お客さん? 事務所にですか?」


 寿理は首をひねりながら戸口に向かう。

 キッズ・ルームのドアを開けたところで、来客にでくわした。


「あっ、えっ? シャナちゃん……よね?」


 名前を口にしてから、寿理はすべてを理解した。

 彼女を、ここへ入れてはいけなかったのだ。

 戒無は、わかっていたから客を帰らせようとした。


 同人判別……。

 戒無には、最初から、撃たれたのがニナではないことがわかっていたのだ。


「コンタクトを切らしちゃったからって、わたしが受け取り……」


 エプロンドレスのポケットから、カラーコンタクトレンズの箱を取り出して、少女は寿理に見せる。

 寿理は、己の不明を呪った。

 シャナのコンタクトレンズを買い求めて帰ってきたニナは、ソファに横たわっている血だらけの少女を見て悲鳴を上げた。


「シャナ! シャナ! シャナっ!」


 寿理の脇をすり抜け、ニナは、泣きながら妹の側に駆け寄った。


「な……に? 影武者……?」


 麗芳は、唖然とした。


「シャオロン……。恐ろしい人ね。こんな小さな子を影武者に使うなんて……。


 戒無は、奥歯を噛みしめると、泣きながらシャナにとりすがるニナの頭をポンと叩いた。


「ニナ……。シャナは大丈夫だ」

「どうして? 戒無……。シャナは、わたしの身代わりになったの? カラコンが……なんて、いつものシャナらしくないのに、わたしだけ外に出すなんて変だって気づけば良かった! シャナ! シャナ……!」


「シャナは、この一件の裏を探っていた。いち早く、気づいたんだよ。敵の正体に。それに、耳もいい。危険が迫ってるのを感じたんだろう」


 ニナは、ぐいっと掌で涙をぬぐった。


「早く、お医者さんに診せなきゃ……」

「ああ」


 うなずいて、シャナを抱き上げた戒無は、通りの向こうから赤い髪をした少女が、ぴょんぴょんとスキップしてくるのを窓越しに見た。


 愛芳だ。

 おそらく、仏頂面をしている男もいっしょだろう。


 戒無は、シャナを抱いたまま戸口に向かった。

 が、その途中で、ふと、嫌な予感に苛まれた。


「寿三郎!」


 大声で寿理を呼ぶ。


「はい?」

「仕掛けてきた奴らは、なぜ引き上げた?」


「えっ? 外はあくまでも陽動だから、リン・リーファンが目的を果たしたところでなんらかのコンタクトをとって……」

「確かめたのか?」


 顔色を変えて、寿理は麗芳に詰め寄った。


「あなた、こんなことをしでかして、どうやって脱出するつもりだったの?」


 寿理があわてている意味がわからない様子で、麗芳は、ぱちぱちと目をしばたたいた。


「外へ出ろ! 早くっ!」


 戒無が叫んで、窓へ走った。

 扉を開けて廊下を抜けている時間はない。


 爆音が聞こえる。

 それは、地獄からわき上がるような、腹の底をかき回されるような、重低音の死に神の哄笑だ。


 寿理はニナを抱きかかえ、窓わくを乗り越えさせた。


「ほら! あんたも急いで!」


 寿理は、事態が飲み込めずにいる麗芳を、窓枠の上から強引に引っ張る。

 頭上に爆音が迫っていた。


 戒無は、シャナを抱きかかえたまま、反射的に窓に体当たりした。

 シャナの体がガラスに触れないよう、しっかりと抱き込んで宙を舞う。

 粉砕されたガラスの破片がキラキラと輝いて、飛び散った。


 戒無は、シャナを抱いたまま、地面に背中から着地した。

 半ばパニック状態に陥っている麗芳を寿理が引きずり起こして、建物の影が落ちている場所を選んで走った。


 事務所のある雑居ビルからようやく数十メートル離れた時、背後で巨大な爆発音が轟いた。

 衝撃と爆風が、建物の破片をまき散らしながら襲いかかってくる。

 一瞬で、ビルが、炎に包まれていた。


 戒無が遮蔽物を求めて共同住宅の入り口に飛び込むと、通りを爆風が吹き抜けた。


「間一髪」


 傍らの麗芳はカタカタと震えている。

 そんな麗芳を見て、戒無は感情のこもらない声でさらりと言った。


「ま、こんなのは序の口ってトコか。ヤツらにとっちゃ……」

「ど……うして? 約束したのに……」


 麗芳は、作戦に荷担した自分もいっしょに焼き払われようとしていた現実に、衝撃を受けていた。

 これまで彼女は、常に護られる存在だった。

 バベル・ハザードのときも、東亜細亜連合のエージェント、戒無に与えられた命令は、麗芳の保護であった。

 しかし、今回は……。


「あんまりいじめたかねぇが……、この一件の仕掛け人は、俺らのことなんざ、虫けら以下にしか思ってねぇぜ。おまえも含めてな」


 麗芳は泣き崩れた。

 戒無には、かけるべき言葉はみつからなかった。


 戒無は道に出た。

 あっちからもこっちからも子供たちが顔を出して、わっと戒無の周りに集まってきた。


 寿理とニナも道に出た。


「どうします? 戒無さん」


 炎上するビルを遠巻きに見上げて、寿理は訊いた。


「とりあえず、医者だ」


 腕の中のシャナに視線を落として、戒無は言った。

 子供たちが心配そうに「もう、シャナちゃんって呼んでもいいの? シャナちゃん死んじゃったの?」と口々に言っている。


 子供たちは、シャナに因果を含められていたらしい。

 よく似ていても、いつも接している子供たちがニナとシャナを間違えるわけがない。

 心配そうな子供たちをなだめながら、戒無はハッと大事なことを思い出した。


「アイファン!」


 そうだ。

 あのとき、ビルの正面の通りを、愛芳が歩いていた。


 戒無は、寿理にシャナを預けて走り出した。

 爆風で飛ばされたビルの残骸が、そこかしこに無惨な姿で飛び散っている。


 雑居ビルは、なおもごうごうと燃えさかっていた。


 愛芳がスキップしていた通りに出た。

 廃屋のビルの壁を背に、座り込むような格好で花狼が少女を抱きしめていた。


 少女は頭をトントン叩いて「うー」とうめいた。

 爆風で飛ばされたようだった。

 全身で、ファランが少女を庇っていた。


「おまえ……、その体で……」

「騒ぐな。骨が砕けただけだ」


 戒無は、花狼の強靱な精神力に舌を巻いた。


「ふぁらん?」


 愛芳が、花狼を仰ぐ。


「どこか痛いところはないか?」

「うーん。……ない。ちょっとあたま、くらくらするだけ」


 愛芳の無事に安堵する間もなく、再びヘリの爆音が近づいてきた。

 今度は、攻撃ではなく、低空に降りてくる。

 もの凄い旋風で、燃えるビルの火の粉が通りに舞い散った。


「戒無さぁぁん!」


 寿理が叫んでいる。

 視界を奪われんばかりの旋風の中、戒無はとって返す。


 寿理が、ひざまづき、銃でヘリを狙っていた。

 シャナを抱えての大奮闘だ。


「ニナ!」


 駆けつけた戒無が見たものは、ヘリに乗せられた麗芳とニナの姿だった。


 反射的に、戒無はダッシュした。

 銃撃やら爆撃やらで道路の真ん中で放置されて運転手の居なくなった車のボンネットを足がかりに、車の上に登った。

 上昇しきっていなかったヘリの、ソリ状降着装置(スキッド)に飛びついて、そのまま空中へ舞い上がる。


「戒無っ!」


 ニナが叫んだ。

 桃源楼のおやじが言っていたM107と思われる男が、身を乗り出そうとしたニナを乱暴に奥へ突き飛ばす。

 M107が、半身を乗り出し、ヘリに取りついている戒無の額に照準した。


 その瞬間、M107の額の真ん中に赤い星が穿たれ、M107は戒無の脇をかすめて地表に落下した。

 怪我をしていても、花狼の腕は確かだった。

 戒無は、その隙にスキッドを足がかりにヘリの内部へ転がり込んだ。



「追いかけるわよ!」


 寿理が、通りの向こうに駐車していた車を失敬して、花狼の前で止まった。

 流れ弾でウインカーが割れているが足周りの良さそうな車だ。


「ぐずぐずしないで乗って! ヨレヨレのあんたと、その子、置いてくわけにいかないでしょ?」


 寿理の剣幕に圧されたのか、花狼は素直に従った。

 後部座席に愛芳を乗せ、愛芳の膝枕でシャナを寝かせる。


「なんだってもう、怪我人ばっかなのよう。救急車じゃないんだから~」


 とかなんとかぼやきながら、寿理は、魔法のようになめらかに発進する。

 器用にハンドルを切りさばき、ヘリを追って路地を細かく縫いながら、安定したスピードで走った。


 しばらく走ると、花狼が言った。


「いい腕だ」


 寿理は、笑った。


「戒無さんは誉めてくれた試しがないですけどね」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ