呉越同舟のなかよしこよし
●Scene-31. 2059.06.16. 10:17am. 新さっぽろ駅 地下二階
かつては巨大なショッピングモールだった新さっぽろ駅のハブターミナルは、瓦礫の廃墟と化していた。
地下に照明はなく、ところどころに落ちている地上からの灯りだけが頼りだった。
もともと地盤の悪い地域だからか、浸水で地下道が水没している所もある。
決して衛生的な場所ではなかった。
そのジメジメした地下道の道すがら、生白い腕が落ちているのを見て、戒無は一瞬、立ち止まった。
「なんだこりゃ?」
無造作に拾い上げる。
マネキンの左腕だった。
軽く指を指すように握られた手首の先が、暗い地下道の奥を示している。
あの日、砂漠で落とした自らの腕を拾い上げたような、気がした。
「おてての、むこうよ」
愛芳は言った。
それで戒無は、迷宮化した地下通路を迷わぬよう、この少女が目印にマネキンの腕を置いたことを知った。
分岐路に落ちている腕を拾いながら、戒無は進んだ。
マネキンの腕を回収したのは目印を残さぬためだったが、それはまるで、あの日亡くした想いを拾い集めているようだった。
一度は切れてしまったあの男との絆……。
ついこのあいだ、殺し合いをしたあの男との間にできた溝が、静かに埋まっていくような、気がした。
愛芳に導かれ、花狼がいるという地下商店街のブティックまでやってきた。
そこはまるで、奈落の底のようだった。
マネキンの散乱した埃っぽい店内に入ると、奥のカウンターの陰で、ゆっくりと体を起こした男がいた。
「ふぁらん!」
少女は男の名を叫びながら駆け寄った。
「きさま……」
あえぐように、花狼は言った。
戒無は、抱えていたマネキンの腕を置くと、とりあえず両手を肩の高さまで上げて停戦をアピールした。
「俺たちはなかよしこよしだからな。お節介、焼きに来たぜ」
花狼は愕然とした様子で傍らの少女に視線を移した。
戒無と愛芳との間でどんな会話がなされたのか、多少は花狼にも想像がついた。
花狼は目を伏せると、のどの奥でクッ……と笑った。
戒無は、「なかよしこよしは楽しいな~」などと妙な節回しで唄いながら、ゆっくりと傷ついた男の側に歩み寄った。
膝を折り、花狼が羽織っているコートの肩口を剥いて見た。
「よせ」
花狼の鋭い目が戒無を射る。
戒無は動じなかった。
「カッコつけてる場合じゃねぇだろ」
戒無は、乾いた血液が固まっている辺りを真剣な目でチェックする。
「どのくらい出血した?」
「焼いてやろうと思う程度には」
「弾は?」
「抜けている」
戒無は花狼の体をそっと横たえ、高架下の闇屋で調達したディスポーザブルのメスを取り出して、戒無は嬉しそうに花狼の眼前にかざした。
「なぁんだ。えぐり出してやろうかと思ったのによ」
花狼は、うんざりしたようにつぶやいた。
「お医者さんごっこができなくて、残念だったな」
憎まれ口をたたく男の表情に余裕がないのは、戒無にもわかっていた。
戒無は採血輸血セットを取り出すと、駆血帯で自分の腕を縛った。
花狼は、かすれた声でささやくように言った。
「だが……、少しばかり、自信がなくなってきた」
戒無はわざと明るく言った。
「おっ。すげぇ。あんたの泣き言が聞けるとは思わなかったぜ」
「茶化すな。MF22のことだ……」
花狼は、固有名詞を使わなかった。
愛芳が傷つくと思ったのかもしれない。
戒無は黙ってうなずいた。
花狼は、例のジーン・クラッシャーの影響で造血機能に障害がある。
大量に出血すると、回復するには時間がかかりすぎるのだ。
戒無は、自分の腕に翼状針を刺して静脈血を採取する。
「うわぁ……」
細いチューブを通ってパックに溜まっていく血液を見て、愛芳が感嘆の声を上げた。
花狼は苦しげな吐息を漏らした。
「護ってくれ、なんとしても……。あのときのような……あんなことは、さすがの俺も、御免だ」
戒無は、一瞬、我が耳を疑って横たわる男に視線を落とした。
二年前のあの日、利用されるだけ利用された少女、明芳を焼き払ったことは、この男にとっても心に消えない傷となって残っていたのだろうか。
この、何者をも畏れることのない冷血で非情な男が……?
だが、そんなことは戒無には充分すぎるほどよくわかっていた。
気づかないふりをしているのがルールだから、そうしていただけだ。
戒無は声のトーンを落として応えた。
「わかってるさ。あんたの気持ちは手に取るように……」
血液製剤が主流になってから、体にかかる負担が大きいのであまりやらない全血輸血。
「だけどな……。まだ、倒れてもらっちゃ困るんだ。速めに落とす。目を回すなよ」
戒無は、花狼の傍らにマネキンを立て、その指に輸血パックをひっかけた。
まずは一単位。
自らの血液を花狼の静脈に送り込んだ。
「あと二単位くらい輸血しよっかなと思うけど、どーよ? 拒絶反応はないだろうけど、きついかな?」
「呆れたお人好しだ。きさまのほうこそ、目を回すな」
戒無は薄く笑った。
「だよなぁ。俺、あんたに、腕、ブッたぎられたことあったよなぁ」
二年前、花狼は東亜細亜連合に寝返った戒無の暗殺を命じられていた。
腕一本ですんだのは、花狼が、セイラン共和国を巡る陰謀の完全隠蔽というさらに重要な任務を帯びていたからにすぎない。
あのあと、戒無は生死の境をさまよい、欠損部位の自己再生治療を受けた。
今、自由に動かすことのできる腕はクローン技術のたまものだった。
「斬り落としたのは、きさまだろう」
花狼は呆れたようにつぶやいた。
確かに花狼の言う通りだった。
戒無は、花狼を制圧するために、自分の腕を犠牲にしたのだ。
「まあ、そうとも言う」
花狼は、目を伏せた。
「あのときは、俺のほうが殺されると思った」
「殺すつもりだったからな」
戒無は、ニベもない。
花狼は薄く笑った。
「そうか……」
戒無は、ついでの世間話のように言った。
「チョウ・ウーハンと話してきた」
花狼は目を細めた。
「無茶苦茶なやつだ。きさまは、自分の立場がわかっているのか?」
「そう言うなって。おまえの無実、晴らしてやろうってんだから、ちったぁ感謝しろよ」
「きさまはいつもお節介だ」
「悪りぃな」
戒無は笑った。
そしてすぐに笑顔をひっこめる。
「ただ……。この一件の黒幕に関しては、違っててくれたら……とは思うがね」
花狼も、暗く声のトーンを落とした。
「だから、きさまは甘いと言うんだ」
「知ってるさ」
パックの中の鮮血が、マネキンの足元に横たわる花狼の血管にゆっくりと送り込まれていく。
その間に、二つ目のパックを戒無は作成していた。
「シャオロン」
花狼が呼びかけた。
「あ?」
「きさまの目的はなんだ?」
「ストレートに訊くねぇ」
「答えろ。はぐらかさないほうがいい」
「怪我人が、マネキンに針で繋がれてんのに恫喝してんじゃねぇの」
茶化すように戒無は笑った。
そして、ふっと遠い目になる。
「俺は、チュンメイと約束したんだ。たとえどんなことがあっても、ジランとピュア・チャイルドの架け橋を護るってな」
「いつから理想を吐くようになった?」
戒無は、照れたように首をすくめる。
「似合わねぇけどな」
「しかし。今の状況に限って言えば、きさまの目的と俺の目的は一致していないでもない」
「だと思った」
戒無は浅くうなずいた。
「で? アレの影響はどうなんだ? 普通に動けるのか?」
アレ……。
アイケに撃ち込まれたジーン・クラッシャーだ。
「どっかのお節介が、培養用の細胞を送って来てから、不自由はしていない。教会でやり合ってわかっただろう?」
「だな。アレで死なれちゃ寝覚めが悪すぎる」
「きさまだって、斬り落とした腕を生やしてるだろう」
「便利なもんだ」
お気楽に言った戒無から目を背けるように、花狼は目を閉じた。
「ねぇ」
黙って成り行きを見守っていた愛芳が近づいてきた。
「それ、あたしにもやって」
「は?」
戒無は驚いて、少女を振り返る。
「ちがたりないんでしょう? だから、あたしからもとって」
愛芳の血液……。
バビロン・クラックに汚染された、最高に危険度の高い感染源だ。
戒無が言葉を失っていると、花狼が愛芳を見て笑いかけた。
「ありがとう、愛芳。献血は、大人にならないとできないんだ」
「えー、そうなの?」
愛芳は不満げに、花狼と戒無を交互に見る。
まあ、嘘ではない。
戒無は、この少女もまた、自分の存在の意味するところを知らぬままに、戦略兵器として使われているのだと、あらためて思い知った。
任務の遂行のためにはどんな非情なこともやってきたはずの花狼が、むきになってこの少女を護ろうとするのも、なんとなくわかるような気がした。
「そうそう。それにな、本当は、血液型ってもんも調べなきゃなんねーんだよ。まあ、俺たちは、なかよしこよしだから、調べなくてもオッケーって最初から知ってるわけさ」
戒無も調子を合わせて笑った。
「ふうん。そっか。なかよしこよしかぁ……」
花狼は苦笑した。
体を動かした拍子に肩に痛みが走って、かすかに顔をしかめた。
戒無は、調達してきた白い錠剤を取り出して、花狼に渡した。
「痛み止めだ」
「怪しげなものを持ってきたんじゃないだろうな」
戒無は、いたずらっぽく笑った。
「原材料は、イチジクだそうだ」
花狼は眉をひそめた。
「……エンドルフィンか?」
エンドルフィンは、エンケファリンなどと並ぶ、脳内麻薬様物質、オピオイドペプチドと呼ばれる強力な抑制作用を持つ物質だ。
ベータエンドルフィンは、痛みの神経回路に作用してモルヒネのような鎮痛作用をあらわすことで知られている。
イチジクの実に含まれるトリプトファンというアミノ酸は、エンドルフィンやエンケファリンの原料になるのだ。
エンドルフィン錠剤などの抑圧系の神経伝達物質は、阿片系のドラッグを服用したときのような心地よい酩酊感を得られることから、現在ではドラッグ・マーケットなどでも売られている。
「ラリるなよ……。まあ、その、暗いセーカクが明るくなるんなら、オッケーだけどな」
「きさま……図に乗るな」
花狼の瞳が殺気を孕んだので、戒無は笑いながら体を引いた。
「いい顔するようになったじゃん。休戦だろ? 休戦」
「いちいちカンにさわる物言いはよせ」
「おまえもな、いちいち凄むのはやめろって。怖くねーぞ」
「ふん」
戒無は、薬を飲むための水の入ったボトルを花狼に押しつけながら、傷の様子をチェックした。
「骨、貫通してるぞ。誰だ? ド下手くそな射撃だ」
「俺は、巧く撃ってやったろう?」
戒無は、自分の腹の傷ををさする。
「ああ。腹ん中、透けて見えるのかってくらい、正確に内臓避けて撃ちやがる」
「プロだからな」
「はぁん。ジランの賞金稼ぎに撃たれたな? シロウトに? びっくりだ」
お気楽に言って、戒無はテキパキと花狼の右腕を固定しはじめた。
花狼は、ぶすっと仏頂面でひとりごちた。
「撃たれた俺が、いちばん驚いてるさ」
「だろうな」
「よかったねぇ、ふぁらん」
無邪気に喜んで、愛芳は花狼に笑いかけた。
花狼はそっと点滴の着いた手を伸ばし、愛芳の頬に触れた。
愛芳は、その手のひらに頬を預け、とても幸せそうに微笑んだ。




