湾岸チェイス
●Scene-21. 2059.06.16. 01:38am. 石狩湾新港
石狩湾新港のカジノ周辺は、大混乱だった。
消防車とパトカーと救急車の鮮やかな回転灯が、夜の闇を毒々しく彩っている。
車をレンタルして、戒無と寿理は野次馬よろしく現場までやってきた。
ハンドルを握るのは、もちろん、寿理である。
「ここって、レッド・クロイツの東京支部だったんですか……」
寿理が、ついこのあいだ、駐車場で花狼と出くわしたカジノのビルを見上げて言った。
地上七十五階。
その、最上階が燃えている。
消火ヘリが、ビルの側面をホバリングしながら放水していた。
「寿三郎」
戒無が、湾岸線に伸びる国道を睨んでいた。
「ファランが追われている」
「えええっ?」
声を裏返して驚きながらも、寿理はすでに車を発進させていた。
今度は、小回りが利いてスピードの出る車ですね~。
とか言いながら彼女が選んだのは、ツーシーターの黄色いスポーツカーだ。
色はともかく、状況を的確に読んでいると言えなくもない。
ついでに、ごったがえす裏通りの事情にも詳しいらしい寿理は、先回りして追われている車の前に出るべく、網の目のように張り巡らされた路地を疾駆した。
カーブミラーに頼らなければ曲がれない見通しの悪い狭い道を、派手にカウンターを当て、タイヤを鳴らしながらふっとんでいく。
赤提灯の屋台を蹴散らし、野良猫の集会所に乱入し、道ばたで逢い引きするカップルを仰け反らせながら、けれども車体には傷ひとつつけずに起用にハンドルを切りさばいた。
戒無は、まるで、伝説の遊園地、花屋敷のジェットコースターに乗ったような気分だった。
かつての帝都東京の下町には、花屋敷という名の遊園地があったのだ。
そこのジェットコースターは、狭い敷地を存分に生かしたもので、ぐるぐる続く急カーブの連続だった。
なにより怖かったのが、隣接する民家に墜落しそうなことだった。
黄色いスポーツカーは、裏路地のジェットコースター迷宮を抜け、国道に出た。
「あら、ちょうどいいポジション。どんなもんです、戒無さん」
嬉しそうにミラーを確認して寿理は胸を張る。
数台の追っ手を従えた花狼のオープンカーが、すぐ後方に見えた。
「やっぱ、おまえの運転は最悪だ……」
げっそりとした表情で、戒無はため息をついた。
「戒無さんに誉められると、嬉しい」
語尾にハートマークをつけて、寿理ははしゃいだ。
どうやら、自分に都合のいい翻訳機つきの耳を持っているらしい。
チュン! と、車の屋根を銃弾がかすめて、反射的に戒無と寿理は首をすくめた。
追っ手の流れ弾だ。
「マジかよ? アイファンに当たったらどうするつもりだ?」
戒無は銃を抜いた。
「細かい事情を知らない賞金稼ぎなんじゃないですか? ああ、でも、賞金稼ぎの暴走にみせかけた組織ぐるみの陰謀だったりして……」
どっちにしても、愛芳が怪我をしないよう、努力するだけだ。
「併走しろ」
短く寿理に命じて、窓を開いた。
黄色のスポーツカーが、すっとスピードダウンして、後方のオープンカーの右側に並ぶ。
戒無は、ひらひらと手を振って、にこやかに運転席の花狼に声をかけた。
「よう、クーデター起こしちゃったって聞いたけど、マジかよ?」
花狼は、露骨に嫌そうな顔をする。
「消えろ、目障りだ」
戒無は、首をすくめた。
「年端もいかないお嬢ちゃんと、おしゃれなデートじゃねーか」
花狼の銀髪が、街灯の明かりを反射してキラキラとなびいている。
「死に損ないには、言われたくはないな」
相変わらずの、かわいげのない物言いに、戒無は苦笑した。
「あー。ふぁらんだー。そっくりね。すごい、にてるねー」
助手席の愛芳が無邪気に戒無を指さす。
身を乗り出そうとした愛芳を、花狼が左手で押さえつけた。
銃弾が鼻先をかすめ、戒無はあわてて車内に首をひっこめる。
「っぶねーって」
ひょいと手を伸ばした。
後ろの車から身を乗り出してハンドガンを撃っている男を撃ち抜く。
車の窓から死体がダランと垂れ下がり、道路に頭を打ち付けながら後方に吹っ飛んでいった。
戒無は、花狼に視線を戻した。
愛芳が、興味津々といった表情で花狼と戒無を見比べている。
戒無は、愛芳に手を振った。
「借り、返そうか?」
にこにこと笑いながら戒無は言う。
「なんの借りだ?」
対する花狼は仏頂面だ。
「おまえの、その髪だよ。俺を助けた代償は大きかったんじゃねーかな、ってさ」
「ふん。腹の傷から腸がはみださんうちに、さっさと消えろ」
「んじゃ、これは俺のお節介ってことで……。ファラン、おまえをハメたのは、何者だ?」
花狼は、ちらりと戒無を見た。
戒無は続ける。
「レッド・クロイツの内部に潜り込んでるのは、どこのネズミだって訊いてんだよ」
「東亜細亜連合が関与を否定するなら、絞り込むのはそう難しいことではない」
「ふーん。なんか、俺、嫌な野郎を思いだしたぜ」
「……俺もだ」
そのとき、後ろの車から撃ち込まれる銃弾が、愛芳の髪をかすめた。
「きゃぁぁ! ふぁらーん、こわいよう。こわいよう。こわいよう」
頭を抱えて、愛芳は泣き出した。
一瞬、戒無も寿理も、そして花狼もゾクリと背筋を凍らせる。
戒無は、怒鳴った。
「ここは俺がくい止める。さっさと行け!」
花狼が、ふっと笑って、アクセルを踏み込んだ。
車間が開いたところで、寿理は車をオープンカーと追っ手との間に割り込ませる。
戒無は、リアウインドウに向けて引き金を引いた。
ウインドウが粉々になって、氷砂糖状の破片が星くずのように後方へ流れていく。
「きゃぁぁ。戒無さん! これ、レンタカーなんですよっ! なんてことするんですかぁっ!」
寿理が泣き声を上げた。
「ごちゃごちゃ言わねーで、しっかり前見てろ!」
「やだもう、また借金がぁぁぁ~!」
寿理の嘆きの声が、夜の湾岸道路に流れて消えていった。




