翻る陥穽
●Scene-20. 2059.06.15. 11:20pm. ススキノ 神社跡
ススキノ界隈の裏路地は、崩れたビルの瓦礫が放置されたままだった。
倒壊した神社の脇に石畳の遊歩道が残されていて、ビル街とビル街を繋ぐ近道になっている。
戒無は、ポケットに手をつっこんで歩いていた。
寿理はロングのスカートを翻して、戒無から三歩下がって歩く。
風がひゅるりと吹いてきて、カラコロと音をたてながら空き缶が転がってきた。
「あら……?」
寿理は、ヒールにぶつかってきた空き缶を拾い上げた。
「液体肥料から缶ジュースまで、世代を問わずアピールしてますね……」
寿理は戒無に追いついて、拾った缶を渡した。
戒無は立ち止まって缶に視線を落とした。
「すごいわねぇ……。三億五千万円~っ!」
自分の出した声のあまりの大きさに、寿理は自らの口を片手でふさいだ。
戒無に「この、ばか」という目で睨まれて、申し訳なさそうに首をすくめる。
「でも、これって、桁間違ってません? ぜったい、間違ってるわよう~」
首をすくめたままブツブツいう寿理は、この賞金首の情報を見たすべての者の気持ちを代弁していた。
周囲を徘徊する浮浪者の目が二人に集まったので、二人は足早にその場を立ち去った。
いったい、どこの誰がそんな高額の賞金を払うのか。
あるいは……。
仮にその少女を仕留めても、賞金稼ぎに金を払う必要がないということか……。
確かに、バビロン・クラックに感染したら、賞金を受け取るどころではなくなるだろう。
戒無は、最悪のシナリオを想像して苦く口許を歪めた。
戒無は、缶をかかとで踏みつぶして、神社の折れた鳥居に無造作に腰掛けた。
赤毛の少女……。
今は豪華なストロベリーブロンドだが、麗芳も幼い頃は、赤い髪がとても恥ずかしかったと言っていた。
「まだちょっと信じられないですよ。その、民族爆弾の話。指向性ウイルスだなんて、ナチスもびっくりって感じ……」
「復讐……ってところが、どーも引っかかるんだよな……」
戒無は首をひねった。
「復讐って、二年前のバベル・ハザードの、ですか? 誰が、誰に復讐するんです? スルディンの人たちは土地を得て独立国家を作って万々歳。……しいて言えば、セイラン共和国の生き残りがテロ組織に利用されてる……って感じですか?」
「スルディンはコーカソイドだ。だからモンゴロイドであるセイラン人に対してバビロン・クラックを使ったんだ。もちろん、あのへんは人種の混血が進んでいて、発症する確率はスルディンにとってもゼロじゃないが、リスクは低い。だが、今は、国を離れていて生き残ったセイラン人がアジアの各地に点在している。アジアで再びバベル・ハザードを起こすことは、自分たちの死をも意味するはずだ」
「確かに、なんか変ですねぇ~……。でも、宗教が違えば、自爆テロみたいなものもアリだから……」
戒無は、十年前、Isis原理主義テロ組織アシファ・ナスルの自爆攻撃と闘ったことを思いだした。
確かに、彼らは死を畏れはしなかった。
「だが、バビロン・クラックは厳重に管理されていた。仕掛けたやつは、あのウイルスを持ち出すことが出来、しかもアイファンを使えるほどの組織力を持っていなければならない……」
寿理は、うーん、と唸った。
「ネオIRAとか、大きな過激派組織があるじゃないですか。そういうところがバックアップして、ですね……」
戒無は、やれやれと頭を振った。
「おまえ、少しは世界史を勉強しろよ。そもそもIRAはイギリス国教会に弾圧されて武装したカトリック教徒だ。イシスの教えとは相容れないだろうよ」
寿理は、ぺろんと舌を出して照れたように身をすくめた。
「最初は賞金稼ぎ……。そして、次からは飛沫感染もアリだ。気がついたときには、国ごと焼き払うしかアジアを滅亡から救う手だてはない……。バビロン・クラックを使うからには、モンゴロイドを根絶やしにする覚悟があるはずだ」
「じゃあ、自分は絶対大丈夫っていう血統の持ち主が仕掛けたってことになりますよね」
「てなことは、アウトラインが読めているやつなら誰でも考える。木を隠すなら森の中、犯人を隠すなら被害者の中、ってこともあるしな」
寿理は、ため息をついた。
混乱している様子の寿理に、戒無は気楽な声を出した。
「とはいえ、あいつが側についてるなら、そんじょそこらの賞金稼ぎには手出しできねーさ。しゃくに障るが、その点は安心だ」
「あの人、見てると、なんだか切なくなっちゃいますよね……」
ポツンと、寿理が言った。
「あぁ?」
戒無はあからさまに嫌な顔をする。
「何度、あいつに殺されかけたと思ってやがんだ。ったく、情け容赦なく、人の体、穴だらけにしやがって……」
「でも、弾は抜けてるし、傷口を塞いでおけばすぐに動ける場所を狙って撃ってるじゃないですか。なぁんか、妬けちゃうんですけど」
「かんべんしてくれ」
戒無は、よいせ、と椅子にしていた鳥居から立ち上がった。
「ああっ。戒無さんたら、なんてばちあたりなところに座ってるんですかっ!」
思わず鳥居を撫でさすった寿理を見て、戒無はシニカルに笑った。
「壊れた結界は……、護ってくれやしねぇぜ?」
「壊れた結界?」
「地殻変動で、ここいらもぐちゃぐちゃになっちまって、神域もなにもあったもんじゃねぇってことさ。殺人ウイルスを防ぐ結界なんざ、ねぇしな」
戒無は、先に立って、かつて神社だったところの石段を下っていった。
「降りるなら、今のうちだぞ?」
寿理は、首をすくめて笑った。
そうしていると、とても男には見えない美女だった。
「戒無さん、アタシの愛を試してるでしょ?」
やれやれと、戒無はかぶりを振る。
寿理は、そんな戒無の反応を愉しむように戒無の表情をのぞきこんだ。
「腕……。腱鞘炎だなんて言って……。再生手術後のリハビリだったんですね。アタシ、戒無さんのどこが好きかわかってます?」
戒無はとりあわず、寿理に背を向けたまま石段を進んだ。
寿理は戒無の態度になどおかまいなしで、楽しげに指を折りながら話し続ける。
「男前なところとかー。腕の筋肉とかー。ケーキ作りが上手なところとかー。子供に好かれるところとかー……。でも、いちばんメロメロなのはね……。人を殺しても、へーぜんとしてる非情なところ」
さらっと言って、寿理は無邪気に笑った。
戒無は足を止め、呆れたような顔で振り返った。
「あら? 怒らないんですね?」
「おまえの戯れ言に、いちいちつきあってるほど暇じゃねーよ」
寿理は、ツンと唇を尖らせた。
「んもう。真面目に聞いてくれないんだから……。せっかく、共犯になってもいいって愛の告白してるのに……」
戒無は、首をすくめた。
そのとき、携帯が、震動で着信を伝えた。
シャナだった。
戒無は、画像と音声をオープンにしたまま、通話スイッチを弾いた。
「どうした?」
『レッド・クロイツの東京支部が、爆破されました』
戒無の目に緊張が走った。
『テレビで、新港のカジノが炎上している映像が流れてます。冬宮からの情報では、アイファンを手に入れたファランがクーデターを計画したとのことですが……』
「冗談だろ?」
そんなことがあるわけがなかった。
クーデターどころか、黙っていれば総督の椅子が転がり込んでくる立場だ。
それに、あの男を知る者ならば、誰が考えてもわかる。
あの男は、確かに、世界を力で支配できるほどの能力を持っているかもしれない。
だが、権力志向とは縁遠いところにいる。
自分にとって脅威となりえる存在である戒無を、何度対峙しても殺さないのがその証明だ。
『裏を探ります』
戒無の表情を読んだようにうなずいて、シャナは電話を切った。
戒無は、寿理を振り返った。
「うわ。戒無さん、お腹の傷、塞がりきってないってこと、忘れないでくださいね」
馬の耳に念仏とか、暖簾に腕圧しとか、糠に釘とか、蛙の面に小便とかいうことわざが、ぐるぐると寿理の脳裏を渦巻いた。
早い話が、こんなときの戒無には、言っても無駄だということだ。




