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水道工事も楽じゃない


●Scene-1. 2059.06.12. 11:25am. ススキノ 共同住宅


 空と地面を繋いで、糸を垂らしたような雨が降っていた。


 地震、噴火、台風、洪水、戦争と、あらゆる災厄に蹂躙されつくした日本の六月は、それでもやっぱり、梅雨だった。


 竜巻一過の梅雨空は、ススキノ一帯に雨といっしょに鉄パイプを降らせた。


 パイプ工場が竜巻の進路にあったのだろう。

 太いもの細いもの、大小さまざまな金属パイプがドカドカと降ってきて、そこらじゅうがハリネズミのオブジェになった。


 この異常気象にも慣れたもので、怪我をするような間抜けな住人は少なかったが、建物も、路上駐車の車も、道路までもがボコボコになった。



 オレンジ色に染めた長い髪をきりりと後頭部でくくったハリウッド女優みたいなグラマラスな美女が、ビニール製の作業エプロン姿で慎重に洗面所の蛇口をひねった。

 パッキンがすり減った音をたてて蛇口が開かれたが、水は細くチョロチョロと流れるばかりで今にも止まってしまいそうだ。


「あら、やだ。おっかしいわねぇ~」


 蛇口を全開にして、美女は、背後から彼女の手元を覗き込んでいる老人を振り返った。


「全室がこの調子なんじゃよ。いやはや、困ったもんじゃて」


 老人は哀れっぽくため息をつき、荒れ果てた室内を片づけている面々を見渡した。


 ほうきを手に、散乱した窓ガラスを掃き集めているショートボブの女の子、十四歳のニナと、窓を突き破って飛び込んできた鉄パイプを拾い集めている、ニナの双子の妹のシャナ。

 二人はいつも同じデザインの服を着ていて、同じ髪型をしている。

 瓜二つだが、シャナのほうは光彩の色が左右で異なるオッドアイだった。

 左目が、青い。

 いつもはニナに合わせるようにカラーコンタクトレンズを入れている。


 蛇口をひねりながら、自分の首もひねっているスラリと長身の寿理ジュリは二十歳で、すっかり成熟した色気を放っていた。


 そして、助手の可愛い女の子たちに働かせ、一人でソファの上であぐらをかき、収穫した鉄パイプをコンコン叩いているのが、藤堂戒無とうどう かいむ、年齢不詳。

 おそらく二十代半ばだろう。


 彼らは、竜巻後の片づけ作業を請け負って小銭を稼いでいるフレキシブル・スイーパーだ。

 フレキシブル・スイーパー、早い話が、建物の修理もするし、落ちてきたものも拾って地見屋の真似ごともする何でも屋である。


「戒無さん、やっぱり、上みたいですよ?」


 洗面所からオレンジ色のポニーテールを弾ませながら寿理がきて、やる気のなさそうな戒無の手から鉄パイプをひったくった。


「ささ、行ってみてくださいね。貯水タンクがやられてたら、アタシたちの手には負えませんからね」

「おまえ、行けよ、寿三郎じゅさぶろう


 面倒くさそうに言って、戒無はポリポリと首の後ろをかいた。


「だから、その名前で呼ばないでくださいっていつも言ってるじゃないですかっ!」


 スーパーモデルのようないい女が、腰に両手を当て、ソファの上でだらけている男を説教する。

 お尻が見えそうなマイクロミニから伸びるスラリとした足は、一級品だ。


 だが、彼女の名前は郷田寿三郎。

 戸籍の上では正真正銘の男の子、なのである。


「いいえ。屋上に上るなんて、男の仕事ですっ! さあ、さあ、さあ、さあ!」


 寿理に追いたてられて、戒無は仕方なく腰を上げた。

 膝のすり切れたビンテージもののGパンのベルト通しに指をひっかけて、だらだらと歩く。

 いつも、姿勢が悪く、飼い猫のトロツキーに勝るとも劣らない猫背だ。

 ひょろりと背が高く、手足が無駄に長い。

 シャキッとすれば、それなりに女の子にモテそうな風貌だが、いまのところ言い寄ってくるのは、乙女心を持った男の子の寿理くらいのものだった。


 戒無は、ドアの出口で大あくびをして、のろのろと廊下に消えた。

 寝癖の長髪がむさ苦しかった。


「んもう。なんで、あんな、ぐーたらで、すーだらで、ぼーっとした男に、アタシは惚れちゃったのかしらっ!」


 戒無の手から奪い取った鉄パイプをぐりぐりとねじ曲げながら、寿理は我が身の不幸を嘆いた。


「寿理さん……、パイプ……」


 寿理の悲憤慷慨する様子を唖然と見ていたニナが、寿理の手の中の可哀想なパイプを指さす。


「えっ? あっ! ……やーねー、アタシったら……」


 細身のステンレスパイプは、姿に似合わぬ寿理の怪力で、ほんのりと歪んでいた。



 非常階段から屋上に伸びる、今にもボッキリ折れそうな老朽化して錆の浮いたハシゴを登り、戒無は屋上に出た。


 糸のように天から垂れ下がる雨が、まるで、この町を牢獄に押し込めているようだった。


「あ~~~~~ぁ?」


 塗装の剥げた、巨大なクリーム色の貯水タンクを下から上に見上げながら、戒無は絶望的な声を上げた。

 お誕生日ケーキのローソクよろしく、タンクの上と言わず側面と言わず、固そうなパイプが突き刺さっている。

 その、刺さったパイプの先から、ぴゅーぴゅーと四方八方に水が噴出していた。


「これを、俺に、どーしろと?」


 思わずひとりごちて、戒無は、屋上に散乱した鉄パイプを踏み分けながらタンクに歩み寄った。

 試しに、タンクに刺さった手近なパイプを掴んでみる。

 その先からちょろちょろと水が流れ出て、戒無のすでに雨で湿った右腕を濡らした。


「しゃーねーな」


 戒無はパイプを肩越しに担ぐような姿勢でタンクに背を向け、前に体重をかけて引き抜いた。

 渾身の力をかけたにもかかわらず、拍子抜けするほどのあっけなさで、スカッとパイプはタンクから抜けた。


 勢い余って、戒無は屋上のコンクリートの床につんのめる。

 屋上に転がり、したたかに膝を打ち付けて悶絶しているところに、パイプの抜けた穴から水が勢い良く噴き出して、戒無の頭を直撃した。


「あだだだだ!」


 水の突き刺さった後頭部を押さえてタンクを振り仰ぐ。


 と、その瞳に、あり得べからざる光景が飛び込んできた。


 みしっ。ぎしっ。


 不穏な音が重く辺りに響き、強大な水圧に耐えるはずのタンクにヒビが走っていった。


「嘘だろ」


 五十トンのタンクが破裂する?


 絶望がその場を支配した。


 タンクは、ひび割れたジグザグのラインに沿って水を吹き出しながら、まるでスローモーションフィルムを見ているように下ぶくれていった。

 頭をショットガンで撃たれたら、多分、こんな音を聞きながら昇天するんだろう。

 そんな破滅的な音とともに、貯水タンクは弾け飛ぶ。


「ぎゃうぉぐわー!」


 わけのわからない悲鳴を上げながら戒無は必死で遁走し、さきほどよじ登ってきた頼りないハシゴにしがみついた。

 屋上に散乱した鉄パイプが五十トンの水とともに土石流のごとく押し寄せてくる。

 七階から押し流されたら、速攻であの世行きだ。

 ハシゴにつかまって水圧に耐えていると、耳の横を小さくて固いものがかすめた。

 かすかな痛みが走ってギョッとしたが、その小さいものの正体はすぐにわかった。


 ビシッ! ビシッ! メキメキメキ!


 老朽化したハシゴは水圧と戒無の重みでいとも簡単に止めてあったビスを飛ばし、下に向かってめくれ始めた。

 滝のように流れ落ちる水が、戒無の掴まったハシゴを容赦なくビル壁から剥がしていく。

 のけぞるように垂れ下がったハシゴは、七階の非常階段から屋上に向かって伸びているだけのもので、とてもそれにつかまったまま地上へ降りられるほどの長さはない。


 ほどなく、上から順に剥がれ続けるハシゴのいちばん下を止めていた金具が、無情にも弾け飛んだ。


「でぇぇい!」


 かけ声一発。

 気合いを入れて、戒無は振り子のように体を振って、飛んだ。

 狙ったのは、五階の窓だ。

 どばどばと降り注ぐ水圧に押されて、目測が狂いそうになる。


 鉄パイプの雨に割られて素通しになっていた窓枠から室内に飛び込んで、戒無はG難度の降りワザを決める体操選手のように、器用に体をひねって着地した。

 思わず決めポーズをとる。


「あらやだ。戒無さんたら、どこから入ってくるんですか? ここ、五階ですよ?」


 寿理が、驚いた目を丸くしてずぶぬれの戒無を見やった。


「あらぁ、凄い雨になっちゃいましたね……。スコールみたい」


 のほほんと言いながら、寿理は拾い集めたパイプを段ボール箱に押し込んだ。

 戒無は、膝に両腕を突っ張って体を折り、息を整えた。


「戒無」


 シャナが、なにか言いたげな表情で戒無を振り返る。

 皆の耳に、低く地の底に潜む魔物が吼えるような音が聞こえてきた。


 しかし、それは、地の底からなんかではない。


「やべっ! みんな! 柱に掴まれっ!」

「え~?」


 寿理が怪訝な顔で戒無を見た瞬間、天井が悲鳴のような音をたてて軋んだ。


「ニナ!」


 戒無は、オーバーアクションで驚いている寿理の横をすり抜け、玄関脇の燃えないゴミ入れにガラスを片づけているニナのもとへ走った。

 ソファにかかっていたカバーをひっぺがし、それで戸惑うニナを頭からすっぽりとくるむ。

 華奢な少女を全身で庇って、Gパンから下げていたキーホルダーを玄関の鉄製のドアにひっかけた。

 戒無のキーホルダーは、登山用の金具カラビナだ。


 その瞬間、天井が抜けた。


 轟音とともに室内に水が溢れ、一同はジューサーの中に放り込まれた野菜のようにぐるぐると攪拌された。

 砕けた天井の建材や室内の調度品や鉄パイプなどといっしょに、水流に翻弄される。


 すぐに水は吹き飛んだ窓から押し流されて行った。

 時間にすれば、ほんの三十秒ほどだ。


 しかし、ぽっかりと灰色の空を臨めるようになったおんぼろアパートの五階は、さながら爆撃のあとであった。


 窓枠に、ソファが斜めになって引っかかっている。

 そのソファのクッションに押しつけられ、すんでのところで五階からのダイブを免れた寿理が、ペタンと床にへたりこんだ。

 自慢の髪がぐちゃぐちゃで、化粧もドロドロだった。


 戒無の腕の中で、ニナが身じろいだ。

 戒無はニナの全身を覆っていたカバーをはがし、泣き顔の少女の髪を撫でてやる。


「大丈夫か?」


 うるうると瞳を潤ませながら、コクコクとうなずき、ニナは室内を見回して叫んだ。


「シャナ! シャナっ!」


 キッチンの床下収納庫の扉が押し上げられた。

 そこから、無傷の少女が現れる。


「シャナ!」


 ニナは泣きながら飛んでいって、収納庫から出てきた妹を、ちからいっぱい抱きしめた。

 急に抱きしめられたシャナは、驚いて身を固くしたが、すぐに甘えたような表情になって姉の背に回した手に力を入れた。


 戒無は、腰のベルトのカラビナを外し、深いため息をついた。

 カラビナは、D型に丸められた金属の輪の一部が、外側からの力によってのみ開き、カシャンと鎖のようにジョイントできる金具だ。

 ほんの掌サイズのもので、五百キロもの重量を支えることができる。

 戒無のそれはチタン製で、煙突掃除などの仕事をするときの命綱として重宝していた。


「なによう。もう、なんなのよう」


 ペタンと座り込んだ寿理が、さめざめと泣き出した。

 戒無は、まさか、自分が一本のパイプを引き抜いたがための惨事だとは告白できず、ただ黙って攪拌されたときにガラスでできた腕の傷を、ペロリと舐めた。



 二十一世紀、地球規模の異常気象は急速に砂漠化を深刻化させていった。

 地域紛争で使用された各種のケミカル・ボムやバイオ・ボムの影響は、いつしか、種の存続が危ぶまれるほどに出生率を低下させ、生態系をパニックに陥れた。


 そこで、ヒトとしての種を保存するための緊急避難的措置として各国が秘密裏に工作したのが、法律で禁止されていたはずのヒト・クローンによる人口増加計画だった。

 しかし、人口増加というのは政府のお題目にすぎなかった。

 各国の軍部の技術者たちは、ヒト・クローン作製の際に、遺伝子を加工しトランスジェニック化する研究を続けていた。

 それは、あくまでも難病の遺伝子などを無効化するといった人道的な発想から始まったものだが、いつしか、身体能力を向上させた超人を創るという、悪魔の錬金術にすり替わっていった。


 創り出されたトランスジェニック・クローンたちは、無交配児童、ピュア・チャイルドと呼ばれ、バイオ・ウエポンリストに登録されて管理されることとなった。


 そんな闇の計画が着々と進行していた頃、地球は遂に人類を見限った。

 気候は変動し、熱波が各地を襲った。

 かと思うと空の底が抜けたような集中豪雨。

 大規模な地殻変動が地球をゆさぶり、復旧のめどがたたないうちに次々と被害は拡大していった。

 政府が政府として機能しなくなった国もあった。

 そうして、世界秩序は崩壊していった。


 混乱の中で、非合法組織や秘密結社が暗躍する社会構造が確立し、瓦礫の街にルールがうまれた。

 しかし、それは血と恐怖によって保たれる、かりそめの秩序であった。

 国家は、国家としてのメンツを保つことだけに躍起になったが、その内情はぼろぼろだった。


 そんな時代、闇の秩序に対抗しうる体力と組織力を持った団体は、もはや、巨大コングロマリットしかなかった。

 日本の最大手の複合企業であった冬宮ふゆみやグループの総帥冬宮誠志郎は、当時、全世界規模で展開、残存していた組織力を結集し、日本を中心に、中国、モンゴル、韓国、台湾等を含む東アジアを束ねる東亜細亜連合を立ち上げた。

 それを事実上の企業による国家の乗っ取りだと囁く声もあったが、表舞台に現れた闇組織に抗するには、人々は、いや、国家さえもが、東亜細亜連合に一縷の望みを託すよりほかなかった。


 一方、軍部が研究開発していたピュア・チャイルドに執着していた組織があった。

 中世ヨーロッパの混沌の中で錬金術を信奉し、キリスト教から異端とされてきた秘密結社がそれであった。

 カトリック弾圧下の英国で結成され、二十世紀初頭のドイツの危険思想団体と結んだその組織、朱紅十字団は、英語と独語をミックスさせた発音で、レッド・クロイツと名乗り、武装秘密結社として勢力の拡大を続けてきた。

 組織のメンバーは、体のどこかに、先端が鋭い剣になった逆十字に龍が絡んだ緋色の紋章を刻んでいるという。


 その後、レッド・クロイツは地殻変動によって崩壊したヨーロッパから活動の拠点を広大な中国に移し、中国マフィアとも結んで武装秘密結社としての地位を不動のものにした。


 朱紅十字団レッド・クロイツの現総督は皇飛龍ウォン・フェイロン

 世界最初のピュア・チャイルドである。


 さらに北米大陸では、瓦礫の中から生まれた七つの自治区域セクト連合ユニオンし、新国家が誕生していた。

 彼らはフリーダム・セブンと名乗り、着々と発展を続けている。


 二○五九年。

 世界は、危ういパワーバランスの上で、一触即発の状況にあった。



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― 新着の感想 ―
うう… 洗練されてるというのは、こういうことをいうのかと、そう思わされました。
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