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いつか、灰塵に帰す日が来るとしても


●Scene-18. 2057.07.07. 07:07pm. セイラン共和国・国境


 異民族支配とそれへの抵抗を繰り返してきた民族があった。

 彼らは、スルディンと呼ばれていた。


 十一世紀にはセルジューク朝の支配下に置かれ、十四世紀にはオスマン帝国の領土に組み込まれ、十九世紀になってやっと認められた独立のための条約も、時のT国の指導者によって一方的に破棄された彼らは、遂に安住の地を得ることがなかった。

 彼らは迫害され、相次ぐ戦争や内乱の犠牲になり、難民キャンプに身を寄せ暮らしていた。


 迫害と抵抗の歴史の果てに、スルディンたちは、ついに自治区域を獲得するための秘策を得た。

 地域住民だけを根こそぎ排除してしまうことのできる秘密兵器を獲得したのだ。


 それは、民族紛争としては史上最悪の、静かなる大虐殺の始まりであった。

 だが、これが実は民族紛争であったことは歴史には残らなかった。

 紛争の事実、攻撃の実体が明らかにならなかったからだ。


 伝染病の蔓延(パンデミック)によってひとつの国が滅びた。

 それだけのことだった。



 その国、セイラン共和国には、神話の時代、バベルと呼ばれる塔が建設されたという。


 人々は、この事件を後に、バベル・ハザードと呼んだ。




 二年前……。


 セイラン共和国は、砂漠と山脈に囲まれた石油資源に恵まれた国であった。

 その首都にごく普通の観光客として潜り込んだ明芳ミンファンは、街角で交通事故に遭って病院へ運ばれた。

 ちょっとした切り傷と打撲程度の事故だった。


 それが始まりだった。


 バビロン・クラックの潜伏期間は二日から五日。

 全身の細胞が腐り果てて死亡するまでは七日から一ヶ月と個人差が大きい。

 事故現場に居合わせた者たちや救急隊員、治療にあたった医療従事者から感染は広まり、異常な事態に気づく頃には、手のほどこしようがなくなっていた。


 連絡を受けたWHO(世界保健機関)やCDC(米国疾病管理センター)の専門家が派遣され、WHOの特別部署のエージェントたちによって、ウイルスの国外伝播防止措置がとられた。


 セイラン共和国は、完全に封鎖された。


 一方、かすり傷程度のケガしかしなかった明芳は、鉄道を使って国境近くまで南下した。


 最初の患者が発症する前に姿を消した少女の足取りを追う者はなかった。



 その頃、彼らはセイラン共和国の隣国シャルクアインの国境地帯にいた。

 互いの国の国境警備隊の兵士たちが鼻面をつきあわせている場所だった。


 やがて、バイオ・ハザードという言葉がささやかれ、セイラン共和国から国外へ通じる道路が封鎖された。

 セイランの国境警備隊員たちが、事態を把握しようと躍起になっているのが、隣国にあっても手に取るようにわかった。


 そんな最前線へ東亜細亜連合とレッド・クロイツからの派遣員として潜り込んだのが、藤堂戒無とうどう かいむ劉花狼リウ・ファラン林麗芳リン・リーファンであった。


 当時、フリーダム・セブンが保護していた明芳がスルディンの革命政府に売り渡され、この謀略に利用されたのだ。

 長きに渡り流浪の民族であったスルディンがセイランへの居住権を獲得する見返りとして、フリーダム・セブンへ相応の石油利権が譲渡されるという密約であった。


 フリーダム・セブンの暗躍は、難民キャンプを抱える国々にとっても都合のいいことだった。

 それまで、中東の国々に分散する形で居住権争いを繰り返してきたスルディンが難民キャンプから出、独自の国家を形成する土地を確保することは、周辺の国々の急迫する財政不安を解消する契機となるのだ。


 そもそも、今回ターゲットにされたセイラン共和国は、テロ組織の治める独裁国家であった。

 セイランは、しばしば侵略戦争を仕掛け、国際社会から制裁を受け続けていた。

 かつて、世界の警察と呼ばれた大国の暗殺者が、独裁者の抹殺に躍起になった時期もあったが、ついにそれは果たせなかった。


 紛争仲裁の名目で空爆を行った際にも、紛争の首謀者は狡猾に逃げ延び、罪もない一般市民だけが犠牲になった。

 同じ犠牲を払うならば、確実に標的はらねばならない。


 しかし、派手な戦闘行為を続行するには大義名分が足りなかった。

 世論の反発の声を無視することはできない。

 軍事行動を正当化し、各国の支持をとりつけるには手間がかかりすぎた。


 公に邪魔者を殲滅するのが無理ならば、事は秘密裏に運ぶしかない。

 セイランの場合は、ウイルス兵器を使う実験地区としての地理的条件にも恵まれていた。

 無論、病原体の感染ルートが特定できなければ完全犯罪も可能であった。


 セイラン共和国の壊滅は、誰一人として悪者になることなく、不幸な事故として伝染病発生記録に残るだけだ。

 この謀略は、複雑な国家背景と民族問題、覇権を求める国々のエゴなどが絡まり合った、全世界的な犯罪だったのかもしれない。



「そろそろ、だな……」


 花狼ファランは、国境監視所のモニター室でつぶやいた。

 モニター室には、国境に接する道路とその周辺に設置されたカメラからの映像がリアルタイムで送られてくる。

 もっともそれは、過去の分断国家の象徴、ベルリンの壁のような、国外逃亡者のための監視体制ではない。

 セイラン共和国は隣国に対して何度となく武力侵攻を繰り返してきたので、国境の監視は怠れないというだけのことだ。


 花狼は席を立った。


「風に当たってくる」


 不安な表情の麗芳リーファンが、ドアを出ていく花狼の背中に訊いた。


「私たち、あの子を保護するために来たのよね?」


 花狼は肩越しに女を振り返り、浅くうなずいて廊下に出た。


「シャオロン……」


 麗芳は、モニターを見ている戒無の横に歩み寄った。

 このころは、戒無は日本人名を名乗っていたが、レッド・クロイツ時代の彼を知る者は皆、小龍と呼んだ。


「ファラン、なにか隠してる」

「フリーダム・セブンが、なぜ出てこないかわかるか?」

「えっ……?」


 麗芳は驚いたように戒無を見上げた。


「この惨劇の仕掛け人が、どうして後始末に来ないのか……。そして、やつらにハメられた俺たちが、やつらの尻拭いをするのはなぜか……」


 麗芳は、困ったように首をかしげた。


「レッド・クロイツは、フリーダム・セブンと結んだのさ……」


 麗芳は、声にならない悲鳴を上げた。


「な……んですって? そんな……」

「フリーダム・セブンは、アジアで自由に動ける駒が欲しい。レッド・クロイツは、東亜細亜連合を追い落とすための組織力が欲しい。利害は一致するわけだ」


「だって、あなたたちもジーン・クラッシャーの実験台にされたんでしょ? なのに……」

「フリーダム・セブンは、様々なイデオロギーを持つセクトの集合体だ。同盟関係を結んだ組織の集まりにすぎない。アイケのセクトは、今はフリーダム・セブンに寄生している小さなものだが、独立できるだけの組織力を蓄え、じきに分裂していくだろう」


「ルドルフ・アイケ……。第七帝国なんて、ファシストの妄想だと思ってたわ」

「その、妄想で、俺も花狼も死ぬところだったわけだ」

「じゃあ、ファランはどんな命令を受けているの?」

「多分、証拠隠滅、だ」


 さらりと言ってのけた戒無に、麗芳は掴みかかりそうな勢いで言い放った。


「ちょっと待って! あなた、なにか勘違いしてる! だったら私が派遣される必要なんかないでしょ? 私しかあの子を救えないから、だからこうしてここに来ているんだわ!」


 戒無はそんな麗芳を見下ろして、ささやくように言った。


「ミンファンも救えて、セイランの国民も助かる? ……だったら、いいんだけどな」


 麗芳は、ふるふると首を振った。


「あなたは、ファランを誤解してる……。あの人は、本当は、とても優しい人なのよ……」


 戒無は、低く笑った。


「まあ、そいつを否定する根拠はねーけどな……。優しい人間だろうがなんだろうが……、ヤツは、プロだってことさ」


 麗芳はキッとした目で戒無を睨んだ。


「それは、あなたもプロだってことね? あなたも東亜細亜連合から証拠隠滅を命じられてるの?」

「命令には優先事項がある……。その証拠隠滅も、いくつかの命令事項には含まれているかもしれんが、それに勝る事項があれば、そちらが優先される」


「具体的じゃないのね」


 戒無は笑った。


「悪りぃな。一応、プロには守秘義務があるんだ」


 そのとき、監視カメラの一台が、とぼとぼと道を歩いてくる人影をキャッチした。

 戒無はカメラの倍率を上げ、麗芳に画面を示した。

 すす汚れたTシャツにコットンパンツ姿の、髪の短い少女だ。

 その短い赤茶けた髪が、風になびいていた。


 麗芳は息を呑んだ。


「ミンファン……!」


 麗芳は用意していた救急キットを胸に抱くと、パッと身を翻した。

 戒無は、他のカメラの端に映っている銀色の髪の男の装備に視線を走らせ、小さく舌打ちすると、麗芳を追って室を出た。



 外は夕闇に包まれていた。

 国境の警備隊員には、待機命令が出されている。

 この非常時における待機命令がなにを意味するのか、現場の司令官はよくわかっていた。


 東アジアの有力組織から派遣されてきたエージェントのすることには、一切、関知してはならないという特命が降りているに違いなかった。

 その禁を破れば彼らに将来はない。

 つまり、これからここで起こることは、公式記録には残らないということだ。


 麗芳が、長い髪を翻しながら、国境をまたぐ道路沿いに駆けてきた。

 国境地点から二百メートル弱。


 そこにはすでに花狼がいた。

 花狼の持った武器を見て、麗芳は愕然とした。


 それは、長い発射筒の先に巨大な弾頭をセットした、ロケットランチャーと呼ばれるものだった。


「ファラン! どうして、こんなもの……!」


 麗芳は悲鳴のように叫んだ。


「下がっていろ」


 感情を抑えた冷たい声で花狼は言った。

 麗芳は、花狼の背中を拳で叩くようにして身を寄せた。


「言ったじゃない! あの子を保護しに来たって。私になら、あの子のウイルスを無効化することができるのよ! だから、私が一緒に来たんでしょう? ウイルスが感染力を失うまで、三日でいいのよ。そうしたら、あの子を連れて帰れるわ! 私が責任を持つから……。ファランっ!」


 道路の向こうに、肉眼でも人影が視認できた。

 腕に巻かれた白い包帯が痛々しい。


 明芳だ。


 花狼は麗芳を見ずに言った。


「明日、緊急措置を発動させる。もう、三日は待てない」


 麗芳は泣きながら花狼に抱きついた。


「お願い。あの子を殺さないで。あの子は私よ。もしかしたら、今、国境を越えてこようとしているのは、私だったかもしれないのよ!」


 花狼はかすかに眉をくもらせたが、なにも言わなかった。

 麗芳は、きゅっと唇を噛んだ。


「もういいわっ! あの子は、私が助ける!」


麗芳はパッと花狼の側を離れ、道路を国境に向かって駆けだした。


「ミンファン! ミンファンっ!」


 麗芳に気づいたのか、向こうから歩いてきた明芳も走り出した。

 二人の距離が縮まる。


「リーファン! 危険だ! 退けっ!」


 花狼が叫んだが、麗芳は耳を貸さなかった。

 花狼はロケットランチャーを肩にかつぎ、地面に片膝をついた。

 サイトを覗き、小さな影に照準する。


 ――リーファン……!


 神を呪うような気持ちでトリガーに指をかけた。

 その瞬間、麗芳は小さな悲鳴とともに地面に倒れ込んだ。

 戒無が彼女を止めたのだ。


「ファラン!」


 サイトを覗く花狼の耳に戒無の声が届いた。

 戒無は麗芳を地面に伏せさせたまま、左手の親指を宙に突き上げた。

 事実上のGOサインだった。


「やめてぇっ!」


 押さえつけられた麗芳が、声を限りに叫んだ。

 花狼は、ためらうことなく引き金を引いた。


 ロケット弾頭が一直線に明芳めがけて飛んで行った。


「いやぁぁぁぁぁっ!」


 麗芳が悲鳴を上げた。

 弾頭は、狙い違わず、駆けてくる明芳に着弾した。

 対人目的では使用を禁止されている、焼夷弾だった。

 一瞬にして炎が立ち上り、人影は炎の中に沈んだ。


「ミンファン! ミンファンっ!」


 泣きながら叫ぶ麗芳を、戒無はきつく抱きしめた。

 力を緩めると、炎に向かって飛び込んでいきそうだった。


「ど……うしてっ! あなたが言ってた命令って、これなの!」


 麗芳は、戒無の胸を拳で打って、声を荒げた。

 戒無は無表情に答えた。


「俺の任務の最優先事項は、おまえの命を護ることだ。ファランは、ミンファンといっしょにおまえを焼き払うことをためらわないだろう」


 パシッと戒無の左の頬が鳴った。


「なにが任務よっ! あなたも、ファランも、許さないわ!」


 麗芳は、泣き崩れた。


「どうして? どうしてなのよぉっ!」


 麗芳は取り乱し、炎の中で焼けこげていく妹を睨んだまま泣き続けた。

 戒無はそっと麗芳の肩に手を触れた。

 麗芳はその手を振り払った。


 戒無は黙って花狼を見た。

 ロケットランチャーを肩から下ろし、花狼も戒無を見た。


「シャオロン……」


 花狼が呼びかけた。

 戒無には、花狼の考えがわかっていた。


「邪魔なんだろう? 俺が」


 泣き叫ぶ麗芳が、ビクッと反応した。


「な……んですって……?」


 戒無と花狼の空気が、次第に緊張していくのがわかった。

 花狼は、腰に差した日本刀をスラリと抜きはなった。


「あの謀略による別れがなかったとしても、いずれ、闘うさだめにあったのかもしれん」


 花狼がつぶやいた。

 レッド・クロイツの総督候補として育てられた同じ遺伝子を持つピュア・チャイルド。

 総督の椅子は、ひとつだ。


「俺は、昔も今も、椅子になんぞ興味はねーよ」


 戒無は、ぞんざいに言って口の端で笑う。


「……俺もだ」


 花狼は、似合わないほどの優しい目で戒無を見た。

 二人の視線が絡まる。

 互いに自嘲の笑みを漏らして、目を伏せた。


「やめてよ! やめて! いったい、あなたたち、なんのために闘うって言うの? 殺し合えば満足なの? 誰も救わずに、殺し合いがしたいだけなの?」


 麗芳が叫んだ。


「当たってるかもな」


 戒無はシニカルに言うと、ベルトに挟んだ銃を抜いた。

 遮るもののなにもない砂漠の国境地帯に、砂嵐が吹き始める。


「リーファン、下がってろ」


 戒無が厳しい声で命じた。


 同時に、花狼は素早く間合いを詰めた。

 砂の嵐を斬り裂くように、白刃が一閃する。


 戒無は、紙一重で切っ先をかわし、仰け反りながらトリガーを二度、引き絞った。

 戒無の前髪が散り、花狼の翻ったコートに大きな穴が穿たれた。


「やめてぇぇ!」


 麗芳の悲痛な叫びは、砂にかき消される。

 急に激しさを増した砂嵐に、目がかすみ、肺の中は砂で埋まってしまいそうだった。

 視界もきかず、風の音のせいで相手の気配も読めない。


 野生の勘だけが頼りだった。

 

 戒無は、花狼が動くのを待った。

 初太刀をかわすことができれば、確実に仕留める自信があった。


 横風が体を打った瞬間、銀色の輝きが下から迫った。

 反射的に戒無は身をかわした。


 が、風の勢いが強かった。

 風側に体をかわしたはずが、ほんの数センチ、押し戻された。


 ガツッという、脳天に響く音がした。

 骨が鋭利な刃物で切断された音だった。


 痛みは感じなかった。

 ただ、棍棒で殴られたような衝撃があっただけだ。


 戒無は、花狼が斬り上げた刀を、左の脇で受けていた。

 手応えは、花狼も感じているはずだ。

 このまま腕を封じられ、動きが制限されれば勝ち目はない。


 戒無は奥歯を噛みしめた。

 腹の底に力を入れ、獣のように吼えた。

 右手でGパンの前に挟んであった銃を抜きながら、前へ踏み込んだ。


 骨を割り、肉を裂いた刃に、なおも腕を食い込ませる。


 自らの腕を斬り落とす痛みは、想像を絶した。


 銃を握ったままの戒無の左腕が、砂の大地に落ちていく。


 砂嵐の切れ間にその衝撃的な映像を見た麗芳は、気も違わんばかりの悲鳴を上げた。


 間合いを詰めた戒無は、右手に握った銃を花狼の額に突きつけていた。

 戒無の肩口から、おびただしい量の鮮血が吹き出している。


「痛てーんだよ、殺るならひと思いにやれって」


 喘ぐように、戒無は言った。


「無茶なやつだ……失血死するぞ」


 花狼は刀から手を離した。

 抵抗する意志はないようだ。


「もうやめて! 狂ってるわ! どうして、こんな……っ!」


 麗芳が泣き叫んでいる。


「殺せ」


 花狼は、静かに言った。

 まるで、初めからそう望んでいるようだった。


 戒無は、苦しげに息をついた。


「……そうしたいのはやまやまだがな……。まだ、残ってるだろう、仕事が。この国を焼き払うっていう悪魔の所業がな。……行け」


 戒無は、銃口を花狼の額から外し、「行け」というように銃を右に振る。


 花狼は、武器を拾い、ゆっくりと後ずさった。

 戒無の、銃を持った腕がカタカタと震える。

 花狼はくるりと身を翻し、そのまま次の任務のために姿を消した。


「シャオロン! シャオロンっ!」


 叫びながら駆け寄ってくる麗芳の姿を見ながら、戒無は砂の大地にくずおれた。



 吹きすさぶ砂嵐の中に、赤々と燃える明芳の炎だけが、鮮やかに揺らめいていた。



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