邂逅・銀の戦士と赤の少女
●Scene-00. 2059.06.12. 05:46am. 琴似 地下道
竜巻のメッカ、札幌。
その日の早暁、今年、何十回目かの竜巻警報が市内に鳴り響いた。
薄暗いオレンジ色の非常灯が、数メートル間隔で地下道を照らしていた。
廃線になった地下鉄東西線。
今はホームレスや、怪しげな商売のゴロツキたちの住処になった線区だった。
真っ赤な髪をした少女が、線路の上を走っていた。
薄汚れたぶかぶかのランニングシャツと迷彩柄のハーフパンツから伸びる、棒のような手足が頼りない。
ときどきつんのめりそうになりながら、荒れた線路を、必死に逃げていた。
数人の人相の悪い男たちに追われている。
ザッ!
と風が舞った。
銀色の光が宙を一閃し、少女を追っていた先頭の男の首が飛んだ。
首はあとから追いかけてくる男たちの手に、ラグビーボールのように収まった。
「うわひゃあああぁぁぁ!」
動転した男たちは、その首を持て余してファンブルする。
首を斬られた胴体の方は、そのまま数歩走って前のめりに倒れ込んだ。
後ろがざわめいたので、赤い髪の少女は立ち止まって振り返った。
喉がカラカラで、心臓が壊れそうに打ち続けていた。
目もかすんで、地下鉄の非常灯のオレンジの灯りがにじんで見える。貧血で倒れる寸前だった。
その揺れる視界の中で、銀色の髪の男が、左手に日本刀を携えて、追っ手と戦っていた。
それを見て、少女は、ぺたんとその場にへたり込んだ。
銀髪の男は、黒いコートを翻して男達の間をひらひらと縫うように駆け抜けた。
武器を持った男たちの手が、ぽたぽたと線路に落ちる。
いっしゅん遅れて、悲鳴の合唱がわき上がった。
正面に出てきたでかい男も、手に日本刀を携えている。
かけ声とともに、大上段から撃ちかかってきた。
銀髪の男は、ふわりと左手の長刀を閃かせた。
撃ち込みをたやすく弾き、相手の体が崩れたところで逆袈裟に斬り下ろす。
驚いた表情のまま、でかい男はのけぞって倒れた。
続けざまに、左右から斬りかかってきた。
扱いやすそうな短剣だ。
銀髪の男は、くるりと体を回転させる。
二人の男が地に伏した。
宙に、白刃のきらめく残像だけが残っていた。
あっという間に何人も倒され、残ったヤツらも色を失う。
あまりの実力差に怖じ気づき、潮が引くように逃げ出していった。
深追いはしない。
銀髪の男が握った刀の刀身を、真っ赤な鮮血が絡まり伝い、地面に血溜まりを作っていた。
それは、東洋人としては不自然なほど、色素の薄い銀色の髪と、赤い目をした男だった。
歳は、二十代半ばといったところだろうか。
男は、刀身の汚れを払って落とし、刀を収めると、へたりこんだ少女を振り返った。
地下水のしみ出すジメジメした通路に真っ赤な髪の少女がうずくまっていた。
全力で逃げてきて、力尽きたようだった。
「おい」
男の声に、少女は、ぼんやりと顔を上げた。
「立て」
少女はゆっくりと重い頭をもたげ、声の主を振り仰いだ。
かすむ視界が、非常灯に透けてキラキラ光る男の輪郭をとらえた。
「うわぁ……きらきらだぁ……」
少女は、うわごとのようにつぶやいた。
非常灯のオレンジ色に染まった男の銀髪がまぶしくて、思わず手をかざして目を細めた。
広げた指の間から、光が木漏れ日のように輝いていた。
男は、少女がかざした手をそっと握った。
男の伸ばした、さっきまで日本刀を握っていた左手の甲には、血の色をした入れ墨があった。
先端が鋭利な剣の形になった逆十字に、紅蓮の龍が絡みついている毒々しい紋章だった。
少女は、素直に男に従い、立ち上がった。
「だぁれ?」
ふわりと首をかしげる。
「林愛芳だな? 俺は、劉花狼。おまえを捜していた」
「ふぁらん…?」
反芻するようにつぶやいて、少女は男を見上げた。
それが、彼らの……、中世から脈々と続く武装秘密結社、朱紅十字団の次期総督と、史上最強の生物兵器との出会いであった。
地球の温暖化が年々進み、年平均気温が一度上がったとき、東京は宮崎の気候になった。
愚かな人間たちに愛想を尽かしたかのように、自然は荒れ狂う。
大地は揺れ、海は隆起し、山は火を噴いて麓の町を呑み込んだ。
季節を問わず猛威を振るう台風や爆弾低気圧。
集中豪雨がもたらす泥流や土砂崩れ、洪水。
かと思うと、干ばつによる凶作。
深刻な水不足、水質の悪化。
気候の変化は地形の変化を生み、人々の生活を蝕んでいった。
地下に二酸化炭素を封じ込める計画も、文字通り焼け石に水。
地域紛争も一向に収まる気配を見せない。
そうして、美しい四季に彩られていたはずの日本は、北海道を除くほとんどが温帯から熱帯に属するようになった。
北海道が国家財源保護のための尻尾斬りに遭い、道州制のモデル地区に指定されて四半世紀。
しかしその首都札幌は、皮肉なことに、今、日本唯一の温帯に属する大都市として、東京から移転してきた大企業などの財力の恩恵を受け、飛躍的な発展を遂げていた。
事実上の遷都であると、囁く向きもあるほどだった。
その日、石狩湾沿岸で発生した竜巻は、蛇行し、破壊の限りを尽くしながらススキノ方面へ向かったのち、福住のあたりで消滅した。
かつて野球で湧いた札幌ドームの廃墟のあたりである。
竜巻が猛威をふるう時間は短い。
ほんの数十分の間に、進路にあたる家々の瓦やガラスは巻き上げられ、宙を舞った様々なものは、信じられないほど広範囲に情け容赦なく降り注ぐ。
空から、食べかけの焼きそばやら、生け簀の鯉やら、果ては便器までもが降ってくるようになって、人々は、竜巻警報が出ると地下に避難するようになった。
市交通局が赤字のため延長計画がことごとく頓挫していた地下交通網は、今や東京のそれとも、梅田の地下迷宮とも並ぶほどの発展を遂げていた。
気候の変化と冬季の首都機能麻痺状態による経済損益を天秤にかけ、本州資本の私鉄業者が開発に乗り出して地下を迷路にしてしまったのである。
もともと札幌は地下を掘るのに制約が少なかった。
遺跡もなければ古戦場もない。
企業がジオフロント計画をブチ上げたのも無理からぬことであった。
それが二十年ほど前のことだった。
もともと複雑化しつつあった市内の地下街は、開発に乗じた闇業者がこっそり掘り進めた違法構築で増大し、今や、魔王を倒すための勇者のパーティでもない限り、攻略が難しい迷宮のダンジョンと化していた。