着々
都立桜が丘高校の七月は、湿気と若干の焦燥感が混ざり合った時期だ。朝の教室には湿った制服のにおいが漂い、扇風機の生ぬるい風がプリント用紙を無意味に舞い上げる。昼には蝉の声がけたたましくなり、放課後には各部活がインターハイ予選の準備にいそしむ声が聞こえてくる。
そんな中、俺・皇ガクトも、剣道の練習とは別にスポーツチャンバラ大会のための準備を行う。
「剣道とは違って、“当てれば一本”って感じだな……」
ネットの動画を見ながら、俺はつぶやく。
剣道のような明確な打突部位がなく、勢いのある一撃が身体のどこかに触れればポイント。だから動きは剣道よりも自由で、時にはアクロバティックですらある。正直言って、初見の俺には“変則すぎて予測が利かない”世界だった。
だから俺は、実際のスポチャン教室に体験入会して学ぶことにした。
「おぉ~!ガクトさん、柔らかい剣の扱いもサマになってきましたね!」
小学生に褒められて若干恥ずかしかったが、それでも数回通っただけでも意味があった。足運び、間合いの取り方、体重移動――剣道で培った基礎が応用できる場面も多い。しかし、それ以上に重要なのは、“予測できない動きへの対応”だった。
そして、沙羅。
「あ、こっちこっち! 今日はステップ強化だから、反復横跳びをしながらの素振り二百回ね!」
俺の練習スケジュールを勝手に組んでくれたのは、他でもない妙義沙羅だ。早朝と夜、庭での“秘密特訓”が日課になっていた。
「セイセイセイッ!」
至近距離からテニスボールを投げつけられるのはもう慣れた。だがバウンドや反射を駆使してくるようになったのは困った。ある夜、家の壁に反射させたボールが母さんの洗濯物を直撃した結果、「あんたら夜中に何やってんの!?」と怒鳴られたのは、今や良い思い出である。
そして、ある昼休み。
いつものように非常階段で休憩していた俺は、生徒会長・小早川雪乃と鉢合わせた。
「ごきげんようガクトくん。どう?準備は万端かしら?」
「まあ、なんとか……で? 開催のめどは?」
「……それがね、今のところ応募者が四人だけなの」
雪乃が顔を曇らせた。想定の範囲内だ。俺と服部が出ると事前に知っていて、なおかつエントリーする生徒なんて、よほどの酔狂か自信家か、俺に恨みがあるヤツぐらいだ。
「つまり、四人トーナメントか……?」
「ふふふ、心配ご無用。策は講じてあるのよ」
嫌な予感がした。雪乃はそう言って、口元に指を添えたまま笑った。
翌朝。
教室に入った瞬間、俺はクラスメートに取り囲まれた。
「おい皇! チャンバラ大会で優勝したら、好きな子にキスしてもらえるってマジか!?」
「なぁ、女子が優勝した場合も有効って話だけど、本当なの?」
「皇くん けしからんですよ! 沙羅ちゃんという存在がありながら……!」
騒然とする教室。俺は机に荷物を置く間もなく、騒ぎに頭を抱えた。
「あの女……やりやがったな……」
雪乃が“優勝者は好きな相手からキスをもらえる”というご褒美の“うわさ”を流したのは明白だった。
しかしその効果は絶大で、その日、参加希望者が爆発的に増えた。なんと、最終的に男子26名、女子22名、計48名のトーナメントが組まれることとなった。
こうして――俺は“逃げ場のない戦い”に本気で挑むしかない状況へと、見事に追い込まれていったのだった。




