朝の河川敷、叫ぶ声
窓の外は梅雨の合間の曇り空だった。6月下旬。蒸し暑さはもう夏の気配を帯びていて、蝉が鳴き出すのも時間の問題だろう。
「……今日は沙羅ちゃん来ないのね」
母の声が、朝食の湯気と一緒に漂ってきた。
「知らねぇよ」
俺はぼそっと返し、朝食の目玉焼きをかきこむ。
「また何かしたんでしょ?この前も一週間くらい無視されてたし」
「うるせーなぁ……行ってきます!」
「弁当、忘れてるよ!」
玄関に向かう俺の背中に、母の声が飛んできた。
弁当箱をひったくるように受け取り、靴を突っかけるように履いて、自転車にまたがった。
梅雨空の下、河川敷の歩道を走る。草の匂いが蒸れた空気に混じって、どこか重苦しい。
しばらく進むと、少し先に、青みがかった黒髪のポニーテールが揺れているのが見えた。
遠ヶ崎由比だった。
(……めんどくせぇな)
気づかれないようにスピードを速め、道の端を抜けようとする。だが…。
「皇先輩っ!」
鋭い声が、湿気を含んだ空気を裂いた。
「お、おう……なんだよ遠ヶ崎?」
振り返ると、由比が怒りを隠しもしない顔で睨んでいた。
「なんだ、じゃないです!」
普段の淡々とした毒舌ではない。むしろ、感情があふれ出して抑えきれていないようだった。
仕方なく自転車を降りる。歩道に自転車を寄せ、彼女と並んで歩くことになる。
「なんで隣、歩くんですか?」
「おま……」
一瞬、言い返しそうになるが、呼吸を整える。
「そっちが呼び止めたんだろ?」
「呼び止めたわけないじゃないです……」
ため息まじりのつぶやき。そのくせ、視線は逸らさない。
「……皇先輩は、どういうつもりなんですか?」
「何が」
「沙羅に……何でも無いです!」
「なんだよ…言いかけてやめるなよ」
「……っ!」
由比が声にならない声を漏らす。怒りが全身から噴き出しているようだった。
思わず立ち止まる。
「皇先輩……あなたの行動、あなたの決断で一人の女の子が不幸になるんです。それを知っておいてください」
由比の言葉が、まっすぐ胸を突いた。
「私は……私が言えるのは、ここまでなんです。……沙羅を……不幸にしないで」
言い終えるやいなや、彼女は駆けだした。ポニーテールが風に跳ね、制服のスカートが翻る。
俺はその背中をしばらく見送っていた。
「おう!皇!」
声が背後から飛んできた。
「朝っぱらから色男ぶり発揮してるな!」
振り返ると、自転車にのって現れたのは三年の新井信二だった。三年。見た目はごついが、妙に礼儀正しい。
「うるせぇよ……」
俺はイライラしたまま、自転車のペダルを踏み込んだ。
「ちょ、なんだよあいつ」
新井の呟きが遠ざかる。
汗ばむ朝の風を切って、俺は黙々と校門を目指した。
脳裏に、由比の叫びが、何度もこだました。
——沙羅を、不幸にしないで。




