影の芽吹き・中編(中学二年~中学三年)
冬休みに入っても、ガクトは自室にこもりがちだった。
外では年末のにぎやかな雰囲気が漂い、街中はイルミネーションや初売りセールに彩られていたが、ガクトの部屋はそんな空気とは無縁だった。カーテンは閉め切られ、外の光を遮った空間には、スマホの画面だけがぼんやりと明かりを落としていた。
母親はそんなガクトを心配していた。
「大丈夫なのかしら……ずっとあのままで……」
朝食の席でつぶやく母に、父親は新聞から目も離さず低く答えた。
「多感な時期なんだ。放っとけ。男の子は自分で答えを見つけるもんだ」
母は納得しかけたが、それでも不安そうに天井を見上げた。
そんなある日の午後。
ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、そこにいたのは別のクラスの五郎丸隆だった。冬用のもこもこしたジャケットのポケットから鼻を赤くして顔を出し、いつもの眼鏡の奥の目が心配そうに揺れていた。
「おじゃましまーす! あの、皇くん…ガクトくんはいますか?」
「ああ……部屋にいるけど……」
母が苦笑しながらガクトの部屋を見上げる。
「五郎丸くん、ありがとうね。最近ずっとこんな感じで……でも、お友達が来てくれて、本当にありがたいわ」
五郎丸は照れ笑いを浮かべながら、玄関からガクトの部屋に向かって声を上げる。
「皇くんー! 初詣に行きませんか?おみくじで勝負など一興ですよ!」
少し間を置いて、ドアが開いた。
だがそこに現れたガクトは、やつれたような顔で、重たげな目を五郎丸に向けると、一言だけつぶやいた。
「……行かない」
そして、階段を降りることもなく、ゆっくりとドアを閉めてしまった。
「そうですか……」
五郎丸に、母は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんねぇ、せっかく来てくれたのに」
「いえいえ! まぁ、僕じゃ役不足でしたかね。いや、“力不足”ですね。“役不足”って本来は“もっと力のある人にやらせるべき仕事”って意味でして……って、誰に言ってるんでしょうね、僕……」
そんな五郎丸の後ろから、小柄な影が現れる。
「……あ、沙羅ちゃん?」
「五郎丸先輩こんにちは。えっと……ガクト、いる?」
そういいつつ、沙羅は五郎丸の手に持っている袋の中に、小さなプラモデルの箱が覗いているのを見つける。
その視線に気づいた五郎丸。
「ガソプラだよ。皇くんにお土産のつもりだったんですが……沙羅ちゃんから渡して貰えますか?」
沙羅に袋を託すと、冗談めかしつつもどこか寂しげな顔で帰っていった。
母は微笑みながら沙羅に言った。
「沙羅ちゃん、お願いできる?」
沙羅はうなずき、静かに階段を上がった。
二階のガクトの部屋。沙羅はドアの前に立つと、軽くノックした。
「僕だけど。入るよ?」
返事はなかった。
そっとドアを開けると、部屋は暗く、カーテンも閉め切られている。かつて誇らしげに並べられていたフィギュアやプラモデル、中二病ノートや自作の魔法陣の紙片などが散乱していた。いくつかは壊れていた。
ベッドの上、毛布にくるまったガクトの背中が見えた。
「……五郎丸先輩がお土産だって。ガソダン、エムケイに?」
沙羅がプラモデルの箱を見ながら読み上げる。
「……ガソダンマークツー」
その一言に、沙羅は小さく笑った。反応があったことに、少しほっとする。
「ねぇ、ガクト。僕ね、思ったんだけど、好きなものを壊すのって、すっごく悲しいことだよね」
「……」
「でもさ、壊したからって、それが無かったことになるわけじゃないよ。だって僕、ガクトが語ってた“フォースシールドの理論”とか、まだ覚えてるもん」
「……やめてくれよ、もう」
「やだよ。だって、僕……あれ、すっごく面白かったもん」
「……」
しばらくの沈黙の後、ガクトはぼそりと呟いた。
「……俺、オタクやめる」
「えっ? なんで?」
「理由なんかねえよ。ただ……そうしたいと思っただけだ」
「…そっか」
沙羅は一瞬戸惑ったが、やがて何も言わずにうなずいた。
その日から、ガクトは変わり始めた。
最初は少しずつ。自室で黙々と腕立て伏せを始め、ランニングに出るようになった。学校は依然休みがちだったが、体を鍛えることだけは欠かさなかった。雨の日も、雪の日も、風の日も、黙って走った。
筋肉がついてきた頃には、彼はファッション雑誌を読み始めていた。鏡を見ながら髪を整え、部屋の照明を変え、服も選ぶようになった。
——そして中学二年の三学期後半。
体力測定の日。握力、腹筋、立ち幅跳び、シャトルラン、全ての種目でガクトは学年トップをたたき出し、唯一50メートル走だけ、2位だった。
ざわつくクラス。
あれだけ暗かったはずのガクトが、驚異的な身体能力を見せたことで、周囲の空気は一変した。
かつて彼を「キモイ」と蔑んだ女子たちまでもが、笑顔で話しかけてきた。
「あの……皇くん、最近なんか雰囲気変わったね〜。カッコよくなったかも?」
「てかさ、またアニメとか教えてよ〜冗談冗談、もうそういうの卒業しちゃった?」
ガクトは、彼女たちの言葉にこう返すだけだった。
「……そういうの、もう興味ないから」
目も合わさず、笑うこともなく。
その冷たい反応に、かつてガクトをイジメた首謀者の女子も言葉を失い、周囲の空気が少し凍りついた。
——そして、時間が進み、中学三年の春。
新しいクラスでの初日、ガクトが教室に入った瞬間、彼は一人の男に目を奪われた。
日焼けした肌、肩まで伸びた茶色の髪。制服の襟を開け、アクセサリーを揺らしながら、そいつは不敵に笑った。
「よぉ、君が皇か。……マジで、第一印象通りだわ」
御影真一——通称シン。
「テニス部、入れよ。お前、体力テストぶっちぎりでトップだったろ? 面白そうだなって思ってさ」
いきなりの誘いに、教室がざわめく。だがガクトは、淡々と答えた。
「……別に。考えとく」
その瞬間、胸の奥で何かがふっと動いた気がした。
まだ完全には癒えていない。でも、もう昔の自分じゃない。
過去を捨てた少年が、静かに、しかし確実に次の扉を開き始めていた。




