人を好きになるっていうこと
梅雨の合間の晴れ間。朝から蒸し暑く、昨日の夜に降った雨の名残が、校舎裏や中庭のあちこちに水たまりとして残っている。地面からはじんわりと湿気が立ち上り、制服の襟元が肌に張りつくような感覚に、誰もが無意識にうなだれる。そんな中、屋上の片隅にだけは少しだけ冷たい風が吹き静かな時間が流れていた。
鉄製の扉を開けると、金属の軋む音とともに、湿った空気と日差しが混ざった独特の匂いが鼻をつく。人影はまばらで、いつもより静かな屋上。その奥、一番風通しの良い柵のそばに、二人の女子生徒が並んで座っていた。
妙義沙羅と遠ヶ崎由比。
レジャーシートに座り、膝の上に広げたランチマットの上の弁当は、どちらも手つかずに近い。箸を動かしては止め、またそっと置く。その繰り返し。
「……食べなきゃダメだよ」
由比が優しく声をかける。
「……うん、わかってる」
沙羅は小さくつぶやいた。目の下にはうっすらと影があり、表情もどこか虚ろだ。
由比は何も言わず、そっとお茶のペットボトルを差し出した。開封するカチリという音だけが、周囲の沈黙を破った。
「……きのうさ、服部くんに……ちゃんと告白されたの」
ぽつりと、沙羅が口を開いた。由比は驚いたように目を見開いたが、すぐに静かに頷いた。
「朝、登校してすぐ手紙をもらって……放課後、体育館裏に来てほしいって」
「……行ったの?」
沙羅は小さく頷く。
「うん……行った。でも、ちゃんと断れなかった……。ごめん、わけわかんない話で」
「ふむ…で、どうなったの?」
沙羅は喉を鳴らし、一呼吸おいて、言葉を継いだ。
「服部くん、ずっと、すごく真面目だった。直接話そうとしてくれて……何回も……私、告白されるって気づいてたのに……逃げてた……わざと廊下を避けたり、トイレに行くふりして……」
「うん」
「でも、私、わかってた。服部くんが私のこと、好きなんだって……」
「それで?」
「……なのに、ガクトが生徒会長と仲良くしてるのが、なんか気に入らなくて……。取られたくなかったんだよ……ガクトはものじゃないのにね。でも、見て欲しかった。近くに居てほしかったの、……だから……服部くんに河原で冗談みたいに『好きだ』って言われた日に、千奈ちゃんが『デートに行ってみたら?』って言ってくれた時……渡りに船みたいに思っちゃったんだよね……」
涙が頬をつたう。沙羅は袖で目を拭いながら、かすれた声で続けた。
「服部くんは、本当にいい人だった。デートの時も、真面目に、楽しませようとしてくれて……お店の予約とか、道順とか、全部調べてきてて……。帰りも、重たい荷物持ってくれて、最後に『今日はありがとう』って、すごく丁寧にお礼を言ってくれた……」
「……」
「だけど、私……全然心が動かなかった。ずっと、ガクトのことばっかり考えてた……それが分かってるのに、あいまいな態度をとって……最低だよね……」
「沙羅……」
「きのう、体育館裏で……服部くんが言ったの。『もし可能なら俺の彼女になってほしい』って……でも、ダメならはっきり断ってほしいって。そうしたら、もうつきまとうようなことはしない。普通のクラスメートになるって……だから、けじめがほしいって……」
由比は静かに息を呑んだ。
「それで、返事は……?」
「できなかった……怖かった。あんなに真っ直ぐで、傷つきやすそうな顔して……『ごめんなさい』って言ったら、壊れそうで……」
言い終わると、沙羅は由比の方へ身を傾けて、ぽろぽろと涙を流した。由比は何も言わず、そっと沙羅の背中に腕を回した。
レジャーシートの上で、二人はしばらくそのまま寄り添う。遠くで風が鉄柵を揺らし、カン……カン……という音が鳴る。
「私……ガクトとも、ちゃんと向き合えないまま……服部くんにも、向き合えなかった……」
「……人を好きになるって、難しいよね」
由比は静かに呟く。
「でも、ちゃんと悩んで、苦しんでる沙羅は、私にはすごく……真っ直ぐに見えるよ。ぐちゃぐちゃって言ってたけど……逃げてないと思う」
沙羅は、震える声で「ありがとう」とだけ呟いた。
屋上の空は、少しだけ雲が薄くなり、光が差し始めていた。夏のにおいが、静かに風に乗って教室から遠ざかっていく。




